第三百六十一話 思わぬ報告
7451年10月20日
早朝。
ロンベルト王国北部。
グラナン皇国と領境を接するベルタース公爵領第二の街、フラキス。
街の外れにある王国騎士団の駐屯地。
現在そこは王国第二騎士団と第四騎士団を中心に多くの兵員でひしめき合っている。
ミルーは昨日のうちに駐屯地まで戻ってきたが、時刻が遅かったので昨晩はそのまま寝んでいた。
そして一夜明けた今日、数日前に南方総軍から移動してきた合計三個中隊に進撃前の訓示を終えたところである。
なお、当然ながらミルー達が不在の間も戦況を伝える伝令は毎日のように王都へと早馬を走らせている。
「では、各部隊。進発せよ!」
ミルーの号令で合計八〇〇名弱の部隊が移動を始めた。
フラキスに残るのは元々フラキス防衛を命じられていた第四騎士団員が一〇〇名程度である。
「明日中にはキュレーに着きたいところだけど……」
馬上で言うミルーだが、それは少し難しい相談だった。
未だに降雪していないために、余程酷い降雨や嵐でもない限りは足許の心配はない。
フラキスからキュレーに向かう道は大きく分けて二通りあるのだが、そのどちらも結構な難所が複数箇所あり、かなりの時間が掛かってしまうためだ。
勿論、第三の道もあるにはあるが、そちらを選択すると全体の行程は倍ほども長くなってしまうものの難所も圧倒的に減るという利点はある。
そもそも、ジュンケル侯国への侵攻を目指していたミルーの上官、既に故人となってしまったラードック士爵も第三の道を選択していたくらいだ。
今回はとにかくキュレーまでの到着日数を早める事が主目的であるので難所で多少の犠牲が出でるのもやむ無しとの考えであった。
「良くて今週末じゃないですか?」
副官が答えるが、妥当なところだろう。
「あー、やっぱそうだよね……」
難所の中には騎馬が一頭だけしか通れないような狭隘な崖道も多くある。
一歩間違えれば谷へ真っ逆さまだ。
そういう場所は荷車や馬車も一度分解し、人手で運ばないと通れない。
なお、ベルタース公爵が領内の街道を今以上に整備しないのはジュンケル侯国、ひいてはグラナン皇国からの侵攻に対する用心以上の理由はない。
この時代、多少不便があっても、通り難い道はそれだけで外敵に対する防御施設になる。
街や村に対する本格的な防壁などを作るよりも余程防御効果は高いのである。
事実、地球においても防壁を持つ街や村など全体から見れば極少数でしかない。
それが存在するがゆえに街の拡張の邪魔になる。
また、石などの材料を運ぶ手間もかかるし、建設には莫大な費用と時間もかかる。
そもそも防壁など戦時でしか、しかも攻撃を受けた際の籠城時にしか役に立つことはないのだ。
余程重要な都市などでもなければ防壁を作るなど掛けるコストに見合うメリットは得られない。
「で、どうします? やはり先行しますか?」
そう尋ねる従士ムレイグに、ミルーは「勿論よ」と笑う。
増援部隊は副隊長である騎士キンシャー卿ともう一人の従士に任せ、ミルー以下四人でキュレーへ先行するのだ。
相当に頑張る必要はあるだろうが、僅か四人であれば今夜中の到着は見込める。
まして、四人は全員が第一騎士団に所属する手練だった。
・・・・・・・・・
ジュンケル伯国の首都、ヘスケスより南東に約五〇㎞余り。
ゲルクの街を見下ろす小高い丘の中腹に生えている一本の大きな木。
その洞の中から小さな声がした。
「そう。なら取り込んだ訳では無いのかな……?」
ミマイルである。
洞の前にはよく観察しないとわからないほど薄い靄があった。
「わかった。もう一度そこまで行って、よく観察しておいて」
ミマイルの声に靄はゆっくりと森の奥へと移動していった。
「で、聞いてた? ……まだ寝てるか」
それきり洞からは物音一つ響いてこなかった。
・・・・・・・・・
7451年10月21日
中西部ダート地方(ランセル伯爵領)。
昼。
最寄りの村から数時間。
超特急と言う程でもないが、それでも時速換算で一〇㎞以上というかなり速い速度で走り続け、やっと第四要塞の建設地に到着した。
中部ダート地方(ドレスラー伯爵領)に建設した第三要塞については粗方の建設を終えているので、今日はまだ完全に焼き拓いていない第四要塞建設の為に寄った。
今までに二回、大規模な火災を起こして焼き拡げているからか、かなり広範囲に亘って視界を遮る物は無くなっていた。
だが、燃え残った木の幹なんかはまだそれなりに残っているからかなり殺風景で景色としては眺めていてあまり気持ちの良いものではない。
この第四要塞は建設に目処の付いた第三要塞以上に気合を入れた形で建てるつもりなので下準備からかなり丁寧に行う必要がある。
建設予定地の傍には既に番小屋と表現するには少し贅沢な兵舎のようなものを建てており、歩兵一個小隊程度の人数を詰めさせている。
「じゃあ燃やしに行くぞ」
到着早々、一休みすらせずにそう言ったからか、バースもヘッグスも嫌そうな顔になった。
こいつら……。
「バース、ヘッグス。付いてこい」
まぁ、護衛は歩兵に任せても良いんだけど、馬がないと移動に時間が食われるからなぁ。
「わかりました」
迎えに出てきた歩兵たちにサドルバッグを預けると、二人を伴って馬を駆る。
今日と明日。
合わせてあと二日も頑張れば当初の計画程度の面積は焼き拡げられると思う。
本当はざっくりとでも基礎建設を始めたいところではあるが、燃え残っている樹木などは完全に始末しなければ駄目なので、基礎建設を開始するにはまだもう少し時間が必要だろう。
・・・・・・・・・
7451年10月22日
ロンベルト王国、王都ロンベルティア。
そこに建つ王城の主人は思わぬ凶報に不機嫌極まりない表情になった。
国王が座る執務机の正面には部下が立っている。
この執務室に部下が入ってまだ一分と経っていない。
「……それで、キュレーから退いたと?」
幾つもの苦虫を同時に噛み潰したような顔で国王は部下に問う。
北方戦線の報告がなされたようだ。
そちらは本来であれば来年の春以降にこちらから侵攻する予定であった。
完全な先手を取られた事が国王の機嫌を急降下させたのだろう。
「は……」
対する部下の方は無念そうな表情で言葉に詰まっている。
「地図を出せ……」
国王の命に部下は予め用意してあったのか、大判の羊皮紙を拡げた。
そこには王国東北部、ベルタース公爵領の地図が描き込まれている。
一番東に描かれている村のマークの傍に“ジャロー”、その西隣の村には“ホンクル”と書かれているのが読めるが、どちらの名にもその下には赤い色で線が引かれている。
規定では、敵の手に落ちた都市や集落に対する標識だ。
なお、もう少し西部に描かれているキュレーには線は引かれていない。
「……」
国王は鼻息を大きく吐いて唸った。
そしてすぐに机上にあった呼び鈴を手にすると乱暴に振る。
「お呼びでしょうか……」
王家に仕える執事の一人、腰の曲がりかけた精人族の老人が執務室に姿を見せた。
「勘定尚書を呼べ。今すぐにだ」
国王の命に老人は姿を消す。
「貴様はそのまま待て」
老人を見送ると立ったままの部下に待機を命じ、自分は机の脇に避けられていた書類に目を通し始めた。
勘定尚書が詰める勘定省は、このロンベルティア城からさほど離れていない場所にあるが、それでも数百mは離れているため、尚書がこの執務室にやって来るのには相応の時間が掛かる。
「それで、ホンクルとジャローで捕らえられた者について、リストはあるのか?」
表情を消した国王は、書類にサインをしながら尋ねた。
「いえ……」
部下はまたも無念そうな顔で答えるが、その答えに国王は怒気を強めて顔を上げる。
「お前、普通は捕らえられた者のリストくらい作ってくるだろ」
「まだ続きがあります」
「……言ってみろ」
「キュレーまで迫ったジュンケル軍ですが、キュレーへの攻撃が始まって四日目に後退を行いました」
「それはもう聞いた。そう言えば後退の原因は何だ?」
「まだ調査中らしいので完全には判明しておりませんが、どうも先に占領したジャローが魔物の襲撃を受けた故のようです」
「魔物の?」
国王は懐疑的な声音で尋ねた。
ジャローはジュンケルの軍隊が占領した村だ。
普通なら得た虜囚や後送する前の戦利品警備の為にある程度の戦力を配している筈である。
通常考えられる程度の魔物の襲撃など物ともしない筈だった。
「足跡や残された死体から、占領された後のジャローを襲撃したのはオーガ、ホブゴブリン、オーク、ノール、ゴブリンなどからなる集団で、その総数はかなり少なく見積もっても二〇〇以上と見られております」
「は? 二〇〇以上だと!?」
流石にこれだけの数であれば生半可な警備では手に余る。
まして、オーガが居たのであれば尚更だ。
それ以前に、王国内で確認され過去に記録のある魔物の集団でもその規模は多くても後半の数十程度である。
「はい。加えて自らの他一種族程度なら魔物も他の魔物を奴隷のように使うこともあるという記録もありますが、このような多種族混合など……」
部下の報告に国王も頷いた。
オークなどは馬や狼の魔物などを飼い慣らして騎乗することもある事は古くから確認されているし、ノールやホブゴブリンはコボルドなど更に弱い種族を奴隷化して従えることもある。
尤も、それも己の集団よりもずっと少ない数――せいぜい数匹程度――であり、何十どころか百を超える数となると……。
「確か、魔物でも言葉らしきものを喋るんだったな?」
「ええ。非常に簡単なもののようですが。ですが、それも種族間で差異はあるらしく……」
「うむ。俺もそうだと記憶している……」
その後暫く二人の間で魔物に対する情報の確認が行われた。
「……これは、宮内尚書も呼ぶべきか……」
国王の呟きに部下は素早く頭を下げ、口を開く。
「ダースライン閣下にも声を掛けております。今頃はもう……」
宮内省は王城のすぐ脇にある。
勘定省よりもずっと近い。
「そうか。それはそうと、魔物の攻撃を受けたのはジャローだけか?」
「は。現時点で確認されているのはジャローのみです。ホンクルはそういった事はなかったようで、捕われた者も大部分が残されており、証言も確認されているそうです」
「ジャローには生き残りは……」
「領主を始め、奴隷に至るまで皆殺しだったようで……遺体には一〇〇以上のジュンケル兵も確認されているらしく……」
「皆殺し……」
「死因ですが、戦闘で殺された者も多いようですが、嬲り殺しもかなり多いらしく、村中、それは凄惨な有様だったと……」
そこまで報告がなされた時、執務室にノックが響く。
宮内尚書のダースライン侯爵である。
彼に魔物の見解を尋ねていると、勘定尚書であるベルタース准爵もやってきた。
准爵の父親はジュンケル侯国に攻撃を受けた地を治めるベルタース公爵であり、准爵も将来的に父親の爵位を継ぐ事が内定している。
その為、軍事的な見解はともかく土地鑑はあろうと呼び出されたのだ。




