第三百四十七話 北国の秋 2
7451年10月2日
日没近く。
ロンベルト王国ベルタース公爵領、キュレー。
三〇〇〇を超える人口を抱える街だ。
防御施設は居留地を囲むように作られた簡素な土と石で作られた壁であった。
簡素とはいえ、その高さは平均して一m程度はあるし、厚みも三〇㎝くらいはある。
重い鎧を着た騎士を乗せた馬ではそう簡単に越えられないし、弓や投石から身を守るには充分な防御力がある。
当たり前だが、全周を覆ってしまっては交通や耕作地へ行く邪魔にもなるので、壁には出入り口に相当する切れ目も作られている。
その数は合計すると三〇以上にもなっていた。
が、流石に現在は突貫作業でも行ったのか全ての切れ目は土や石、木材などで塞がれている。
バスコら赤兵隊を含むジュンケル伯国軍は総数一二〇〇名を一〇以上の部隊に分割し、街の東を中心とした複数箇所に対して襲いかかった。
これは先日陥落させたホンクル村からキュレーに逃げ込んだ数は四〇〇名程度と踏んでいたからである。
街を防衛する側としては、居留地への侵入を恐れて基本的には居留地の全周に兵を配置せざるを得ないと考えた、という理由だ。
当然、キュレーは、その規模から言って男爵クラスの太守が治めており、独自の戦力を抱えているであろう事も考慮されている。
しかし、その“キュレー独自の戦力”も、その数は多くても一〇〇。
そのうちで常設戦力とも言える職業軍人の数は、せいぜい三〇名程度であることが以前の偵察で判明していた。
残りの七〇名も男爵家に仕える従士やその家族であろうから全くの素人とは異なるだろうが、職業軍人には及ばないと見なされている。
つまり、ジュンケル軍としては「キュレーの街を防衛する受け手の数は五〇〇程度で、そのうち一割以上は兵士としての実力が劣る者で構成されている」と考えていたのである。
勿論、中核はホンクル村に於いて獅子奮迅の働きをした黒い鎧を装着した部隊――王国第一騎士団であろう事は理解しているので決して舐めてはいない。
むしろ、戦力比で言えばロンベルト軍五に対して、こちら側はほぼ無傷で合流してきた赤兵隊などで補強された一二と言う、ホンクル村攻略時よりも恵まれた状況だと読んだのだ。
無論「近隣の他村などから、そこに駐屯しているベルタース公爵の郷士騎士団員や、従士隊が駆け付けている可能性もある」という進言もあった。
だがこの進言も、
「だからと言って攻撃を取り止める訳にも行かないだろう。出来るのはそれらや町の住民が徴用されて防衛側の人数はもう少し多くなっていると考えるくらいだ。加えて、今回の作戦はキュレーの占領が達成すべき目標なのだから」
という言葉により結局のところ作戦立案の要因の一つとして数えられただけだ。
加えて、ホンクル村の攻略とほぼ同時に送り出されていたキュレーに対する偵察隊と合流が叶い、「偵察開始から現在までホンクル村から退却してきた部隊以外にキュレーに入った戦闘部隊は限りなくゼロであった」という情報が得られた事もある。
そういった情報を元にキュレー攻略作戦は分散進撃を骨子とすると定められていた。
部隊を一〇以上に分け、且つ村の全周ではなく東側寄りにしたのは、西側にも配置されているであろう防衛戦力を少しでも、また短時間でも遊兵化させる事を狙っている。
更に言えば、西側に配置されているであろう戦力も、常識で考えれば西側からの攻撃に対応するために多少は残しておかねばならないし、駆け付けるにしても「西側からの攻撃はない」という確信が得られない限りはかなりの数を残さねばならないだろうと考えた為でもある。
ジュンケル軍の思惑通りであれば、合計一二〇〇もの戦力が街の東側方面に集中して襲い掛かり、対するロンベルト軍はせいぜい半数強、三〇〇名程度の数でそれに対さねばならない。
その三〇〇名にしても黒い鎧の精鋭の数は十数名のうちせいぜい半数から多くても三分の二、多くても一〇名程度が最初の戦闘に参加出来れば御の字であろう。
更に、受け手と寄せ手の有利不利があったとしても、四倍差での攻撃、しかも一〇箇所以上に分かれての攻撃になる。
ただでさえ数の少ないロンベルト軍が、更に部隊を一〇以上に分割する可能性は非常に低い。
寡兵であるロンベルト軍に対して、局所的に複数正面作戦を強いるという意味もある。
最悪でも一箇所くらいは最初の攻撃で防衛陣を破れるだろうと思われた。
そうなれば、後はそこを起点に街中へ雪崩込めば大勢は決する。
ジュンケル軍の部隊長や傭兵団長はバスコも含め誰もがそう考えた。
だが、ロンベルト軍はキュレーの郷士騎士団や従士隊だけでなく、街に住む若い奴隷をも飲み込み、見かけだけでも総数は一〇〇〇名程になっていたのである。
しかも、徴用した奴隷はジュンケル軍が迫ってくる東部と比較して攻撃される可能性の低い街の南部と北部に集中させ、黒い鎧の第一騎士団の生き残り十数名は全員を東部に配置し、それぞれが数十名からなる部隊を率いて陣頭指揮に当っていた。
そして、西部には少数の見張りのみを配置するという、非常に大胆な作戦を採っていたのであった。
耕作地に入り込みこの状況を目にしたジュンケル軍は、予想外に多くの兵力を揃えているロンベルト軍に度肝を抜かれ、兵達の士気をかなり落としてしまう。
何しろ、村の東側には想定していた数の三倍もの兵力が揃えられていたのだから。
当然ながら、ジュンケル軍が大まかにキュレーの東側から攻めて来る事は予想されていて然るべきだ。
それを受けて、ロンベルト軍も東側の布陣を厚く取る。
これについてジュンケル軍も予想はしていたのだ。
しかしながら、街の東側を守る兵力数はざっと見て四〇〇。東側にそれだけの兵力を揃えているという事は、キュレーを守る総戦力は当初予想の五〇〇どころか一〇〇〇程もいないと計算が合わない。
総数でジュンケル軍の八割に匹敵する戦力である。
それでもなお、今更攻撃を取り止める訳にも行かないし、作戦の変更をしようにも、今からだとそれを全部隊に通達するのにも時間が掛かってしまう。
下手をすると今日の攻撃は出来ないかも知れない。
今ならばまだ街の東側に配備されている敵戦力はこちらの三分の一の四〇〇程度でしかない。
街の南北から多少は配置換えによる増援があったとしても、攻撃までの短時間で移動が間に合うのは大した事のない数だ。
それを考慮に入れてもなおこちらの半数にも満たない。
そういった予想をすら超えた、極端な兵力配置までは読めなかった事を責めるのは難しいだろう。
結果として、ジュンケル軍のいずれの部隊もロンベルト王国軍の敷いた防御陣を突破する事が叶わず、夕暮れとともに耕作地の外れまで退却する事となった。
無論、戦場でまともに戦力として数えられる者はせいぜい五〇〇程度のロンベルト軍に対してジュンケル軍の数は倍以上もあるために、力押しを続けていればいつかはどこかの防御陣地を突破出来たであろう。
だが、それが叶うのはどう見てもまだかなりの時間が必要だ。
そして、陣頭指揮を行う黒い鎧は、やはり全員揃って恐るべき手練揃いで、指揮も的確、今日の戦では一人も討ち取れなかった。
こちらの損害は一〇〇名余。
対するロンベルト側に与えた損害は、兵達の報告によると六〇程度と、惨憺たる有様であった。
有利な状況を整えた上で、この有様である。
戦果報告にしても、大抵の場合、報告数よりも実数の方が少ないのだ。
「今日のところは負けか……だが……」
但し、増援として駆け付けてきた筈のロンベルト兵は、戦闘には殆ど参加せず、手にする武器は粗末な槍が主で鎧さえも満足に身に付けた者が少ない事は見破られていた。
「負けは負けだが、こちらの作戦が見破られての負けであるとも言える」
「そうだ。戦闘で引けを取った訳ではない」
などと嘯くことで兵の士気を維持しようとする者。
「明日は素直に正面からの力押しとなるだろう。今夜はゆっくりと休み、力を蓄えておくのだ」
そう言ってどっかりと落ち着いた態度で安心感を与える者。
ジュンケル軍の部隊長にはそういった者が多い。
バスコも似たような態度で部下達に接しながらも、全く別の事を考えていた。
――あの鎧。やはり遠目には金属鎧にしか見えなかったが、ひょっとしてあれも盾と同じでプラスチック製なのか? 一部でも鹵獲出来ればはっきりするんだが……。それにしてもプラスチックかよ……ハハハ……俺と同じような生まれ変わりが作ったとしか思えんわ。
先日触らせて貰った盾の感触を思い出す。
――あれは硬そうだった。車のバンパーとか電化製品の筐体とか硬いプラなんか幾らでもあった。厚みだってそんなものとは比較にならん。あの盾の厚みは三㎝くらいはあったんじゃないか? 表面もかなりすべすべしていたし……剣や槍の突きにも充分対抗可能か? テストくらいするよなぁ。
知らず深刻な顔をしてしまった。
――そんな高度な物を作れる奴がロンベルトにいるって事か……そうなると、ここで勝ったところでそんなものは一時的な物か。プラで鎧が作れる、そして量産出来るくらいの技術力があるなら他にも便利なものなんざ何だって作れる……作ってるだろうなぁ。ビニールとかさ。
すぐに羨ましそうな顔になる。
――キュレーに居るとは思えんが、技術者みたいな感じで飯食ってんのかね? 何にしても、最初は良くても最終的にジュンケル軍が負ける未来しか思い浮かばねぇよ。やっぱ、どう考えても長くても数年だろうなぁ。
昨日のうちから似たような考えをしていた事もあって、今日の戦いにおいて赤兵隊は大きな戦果を上げなかったが、被った損害は僅かに二名の重傷者を出しただけに留めていた。
――そうなると……。
傍にタニアが寄って来た事にも気付かないまま、バスコは己の考えに没頭し始めた。
・・・・・・・・・
7451年10月3日
中西部ダート地方(ランセル伯爵領)の首都、バライズでランセル伯爵騎士団の訓練を視察し、多くの助言と指示を与えた後、次の目的地である中部ダート地方(ドレスラー伯爵領)へと向かう途中。
デバッケンへと伸びるウィーザス街道のある地点でアンデッドと化したミマイルに出会った場所を通りかかった。
あれからこの近辺を通るたびに大した理由もなしについつい生命感知の魔術を使ってしまっていたのは、あの時の事が頭から離れないからだろう。
半年くらいも前の出来事だが、個人的には結構ショッキングな事件でもあったからか、彼女の異相は忘れようもない。
勿論、ドラウグルの巨人や旧緑色団のメンバー達、デーバスの宮廷魔術師も忘れられるものではない。
自然と足を止めて周囲を見回してしまう。
あの直後、そこいら中に散乱していたドラウグルの死体は完全に片付けられて街道はきれいに掃除されている。
片付けられているのは当然と言えば当然なんだろうが、あれだけ大量の死体をどこかに運んで焼却か埋葬するのは骨だったろうな。
あの時、俺が始末したドラウグルに加えてミマイルによって自害(?)させられたアンデッドの数は一〇〇〇以上も居た筈だ。
その大半は、ずっと北にあるギルゼンという街の住人たちが殆どだったという。
彼らが望んでアンデッドになったとは思えない。
どのような仕儀があったのかは不明なものの、罪もないギルゼンの住人たちはミマイルか、デーバスの宮廷魔術師か、はたまたレンバルたち旧緑色団のメンバーによるものか、彼らはその意志に反して強制的にアンデッド――ドラウグルにされたのだと考えている。
誰の仕業にせよ、ギルゼンの住人たちに降り掛かった運命は、襲われて殺されるよりも酷いと思う。
恐らくは、ミマイルの仕業であろうとは思っているが。
彼女に対して、愛情の欠片すら感じた事はないが、同情めいた気持ちだけは感じていた。
明らかな政略結婚――はしてないから婚約はしていたし。
しかも、腹違いとは言え、実の姉たちと俺の妻の座を争わさせられていたのだ。
まぁ、最終的には自分の意思もあったみたいなので、どういう経緯にせよ彼女自身に俺との婚姻を希望する気持ちがあるのであれば王国との関係も考慮しなけれならない以上、受け入れるしかないと思っていたのは確かだ。
俺は、本気で彼女を受け入れ、娶るつもりでいた。
貴族としての見栄やプライドを示す必要もあったし、そう覚悟を決めて以降、時間も費用も惜しまなかった。
彼女は何故アンデッドなんかになってしまったのか?
デーバスの宮廷魔術師だったデス・ナイトのせいだと思い込もうとした時もあるが、時間が経って冷静に考えてもさっぱりわからなかった。
ウラヌスから降り、手綱を握ったまま周囲を見回して黙る俺に、べグリッツから随伴してきたバースも同じように馬から降りて周囲を見回している。
神妙な感じの俺たちを見て思い当たったのか、旧煉獄の炎の連中も馬から降り始めたのがわかった。
俺とバースは暫くの間、黙ったまま二人で並んでいた。
彼と俺の想いは全く異なっているだろうが、共通点もあるとは思う。
「行くぞ」
呟くように言うとウラヌスの鐙に足を掛けた。




