第三百四十六話 北国の秋 1
7451年9月28日
夕刻。
ロンベルト王国ベルタース公爵領、ジャロー村。
その傍の森の中。
ゼス達は身を隠しながら村の様子を窺っている。
匂いなどで露見する事をおそれ、食べ物も獣を狩るのではなくようやく熟し始めた木の実や果実が中心だ。
――ちっ、どんぐりは渋みがアレだよな……どうせ食うなら白毛鹿や山猪の胃袋で半消化された奴の方がまだマシなんだが……。
手下として付き従っている三匹のオークは恐ろしいゼスの傍だからか、文句一つ零さずに黙々とどんぐりを食べている。
「お前。里に戻って赤子とその母親以外の全員を呼んで来い。急いでな」
ゼスが手下のオークに命じると一人のオークが頷いて走り出す。
「お前とお前はあの村の先の道……俺達がこの前戻ってきた方の道を見張れ。ニンゲン達が戻ってきたら知らせろ」
残っていた二人のオークも頷くと先のオークとは反対方向へ走り去った。
――こっちの国の軍隊はあのダークエルフとやらがいないからか、南の方よりもずっと弱いな。
過去にゼスが相対して来た軍隊(正確にはライル王国の隊商でしかないのだが)は途轍も無い手練揃いであった。
その戦闘力は、白兵戦技に長けているだけでなくある程度の思考力をも兼ね備えたオーガが五人も揃っていても全滅させられるほどだ。
それだけの戦力で当たっても与えられる被害は僅かに一人を討ち取れるかどうかというところで、ゼスが想像するところでは、オーガの数をダークエルフの五倍くらい揃えてから初めて勝負になる。
そんな危険な軍隊を避けるため、そして、より獲物を得やすい環境を目指してこんな北の地にまで移動してきた。
当初こそ、人間の軍隊はダークエルフのそれと大きな実力差はないであろうと考えていたものの、戦争らしいものが始まりそうな状況を目にして慎重に観察してきた。
その結果「ダークエルフの軍隊が特別過ぎるだけで、他は大したことがない」という結論に達したのである。
尤も、この結論については今まではどうしても確信にまでは至れていなかっただけで、元々予想はしていたのだが。
何にしても、確信に至った以上やれる時に然るべき行動は行うべきである。
オースの軍隊の数は、実際の地球の同時代と比較してあまり大きな違いはない。
これについて、ゼスは大凡のところで正解に至っていた。
耕作地から収穫出来る作物の量は、ゼスの知る転生前の日本など比較にならない程少ない。
加えて、農業は未だ大部分が人手のみで行われている有様である。
肥料は存在しない訳ではないようだが、化学肥料も製造出来ない以上その性能は日本の農協やホームセンターで購入できる物と比較するとかなり低いだろうし、家畜や人糞からの堆肥が主流のようなので効果も安定したものではないと思われる。
そして、面積あたりの人口は低く、従って労働力も転生前の地球とは比ぶべくもない。
少なくとも人口密度は転生前のロシア並みか、もっと低い筈だ。
地形的に農業に適した場所を中心に集落が形成されがちなので、集落と集落の距離はあまり近くなる事はない。
街を作れるような多少マシな場所があっても、農地の開墾には大変な苦労が伴うために、短期間で劇的に増やす事は不可能である。
従って、その周辺の人口はかなり少ない数で頭打ちとなりやすい。
交通や流通が地球並みに発達、発展していればまだ救いもあるが、大型の家畜が少ない事もあって収穫物を一定以上の距離に運搬するのは困難であり、出来たところで物流コストはどうしても高価にならざるを得ない。
生まれ変わってから今まで、ゼスが得てきた情報を繋ぎ合わせて考えると、どう贔屓目に見てもオースの政体が持てる常設軍の数はせいぜいが下の方の数千というところだ。
勿論、一箇所に駐屯させるという前提なので、軍の根拠地とでも言うべき駐屯地を数カ所に分けられるのであればまた話は変わる事も理解している。
要するに、ジャロー村を襲った勢力が一〇〇〇を大きく超える部隊を動かしている以上、そう簡単に大規模な援軍はやって来ない。
そして、ジャロー村に続いて更にずっと西の方のベッソ村を襲われた勢力も、ベッソ村を通り越していきなりジャロー村を取り戻すような兵力を送って来られる道理はないのだ。
――ふふふ。あの村にゃあ、まだ数百人は残っていそうだし、補給拠点にしてもいるようだ。分捕る物は多い方がいいのは当たり前だよな……。
現在、ゼスの配下となっている者は、オークが三〇にホブゴブリンが五〇。ゴブリンが一〇〇、コボルドが八〇、ノールが四〇。そしてオーガが五〇ほど。合計して三五〇にまで膨れ上がっている。
このうちで、曲がりなりにも戦闘可能な者は全体の九割を超える。
勿論、あの村とて襲えば抵抗もするだろうから犠牲も出るだろうが、オークなどの亜人と比較すれば人間で戦える者など総人口の四分の一もいない。
剣や槍のような武器を扱える者の数はもっと低くなるだろうが、あの村にはまだ五〇人は兵士が残っている事を勘案してもなお、オーガを主軸とした三〇〇以上の亜人に抗するすべは無いと思われた。
・・・・・・・・・
7451年10月1日
一昨日ベッソ村を発ったバスコら赤兵隊とジュンケル伯爵軍の一部は、ホンクル村を守っていたロンベルト王国軍が逃げ込んだキュレーの街の東、約五㎞のあたりでホンクル村を陥落させたオーガ団と伯爵軍と合流した。
今回の作戦では、キュレーを占領し、その周辺までを伯国の支配下とする事が最低限達成すべき目標とされている。
あの街を陥として余力があればもっと奥地の略奪を行ってもいいのではあるが、流石にそこまでは兵士の頭数の問題で手が足りないと思われる。
バスコとしてはさっさと占領して、簡単に収奪出来るものさえ手に出来たらすぐにでも赤兵隊の家族達の待つヘスケスに戻りたいところだ。
「逃げ込んだのは五〇〇弱、ってところだろうな」
臨時軍議の場として建てられた天幕の中でオーガ団を率いるザボイン・ネフィルが言った。
彼と一緒にホンクル村の攻撃に参加した伯爵軍の部隊長達も揃ってザボインの言葉を肯定する。
彼らの報告と以前に行われた偵察などによって収集されている情報によって、キュレーの街を防衛する人数は六〇〇程度であろうと見積もられた。
勿論、こちらの侵攻やジャロー、ホンクル、ベッソの三村が占領された事も報告されているだろうから放っておけばもっと増えるだろうが、すぐに増援が到着する訳では無い。
現時点ではホンクル村を攻略した際に得られた捕虜からの情報で、ロンベルト王国側はジュンケル伯国が侵攻してくる可能性については読んでいたらしいが、予想していた時期は一月くらいずれていたようだ。
それを考えるとロンベルト王国側の援軍がこのあたりに到着するのはどう頑張ってもあと二週間以上はかかる筈で、その二週間にしても思い切りロンベルト側に都合良く考えた場合の時間である。
「今この瞬間も、デマカール山麓では陽動部隊がロンベルトの集落を攻め続けている。ホンクルを防衛していた部隊は元々フラキスに駐屯していた部隊らしいし、フラキスに残っているという一〇〇くらいは陽動の対応に大わらわになっている筈だ……」
伯爵軍の騎兵を束ねている隊長の言葉にバスコやザボインも頷いた。
「……ロンベルトもこちらの動きを読んで部隊を動かしたんだろうが、如何せん数だけはな……どうしようもなかったのだろうな」
ホンクル村の防御施設はそれなりに考えられて作られていたようだが、急造感は拭えなかったし、バスコが襲ったベッソ村など、まともな守備部隊すら置かれていなかった。
勿論、最初に占領したジャロー村もそれは同様だ。
ホンクル村だけはギリギリのところで防衛部隊の配備が間に合った、というところだろう。
確かにホンクル村を攻撃したオーガ団と伯爵軍は与えた被害と同等の被害を被ってしまった。
相手に倍する数で攻撃し、相手と同じくらいの被害を受けてしまったという事は、キルレシオで表現すれば相手の半分だった、という事になる。
それを考えると今回のような拠点攻略戦ではなく野戦に当て嵌めればこちらの負けと言っても過言ではない。
だが、そういう部分も考慮して人数を揃え、作戦を立てるのが戦争である。
ロンベルト側が如何に勇敢に戦って戦果を上げようとも防衛に失敗して退却している以上、どういう評価が行われようが今回の侵攻についてはジュンケル伯国の勝利と言えるだろう。
「じゃあ、明日の一四時に全部隊が一斉に攻撃を掛けるという事で宜しいな?」
騎兵隊長の言葉に全員が了の答えを返す。
「では、隊長殿。ウチの重装騎兵隊を宜しく頼んます」
ザボインの言葉にバスコは違和感を覚えた。
記憶が確かならオーガ団の重装騎兵隊はザボインの息子のタックスが指揮を執っていた筈で、余程のことでもない限り傭兵であるタックスは独立した指揮権を欲する。
まして、攻め込んだ街で好き放題出来る、今回のような戦いであれば尚更だ。
訝しげに見るバスコに、ザボインは表情を変えずに「タックスは戦死した。他にも騎兵部隊の主だった奴らも結構……な」と低い声で言った。
その言葉に目を見張ったのはバスコだけではない。
彼と一緒にベッソ村を攻め落とした隊長もだ。
ホンクル村では激しい抵抗に遭って、合計一〇〇名程の戦死者・重傷者を出してしまったと最初に聞いてはいたが、まさかそれほどの人物が含まれているとまでは知らなかったのだ。
慌てて聞いてみれば、オーガ団が失った兵力は騎兵が二割に相当する一〇名に歩兵が三〇名程。
伯国軍が騎兵一一〇名のうち二五名に歩兵が三五名程だという。
頭数だけで考えるとオーガ団も伯国軍も一割程の損害を被っているものの、その内実の被害の割合を考えると騎兵の方が大きな損害を出している。
――オーガ団の騎兵部隊はそんなに弱……いや、伯国軍の騎兵隊もそれ以上に大きな損害を受けている。相手が悪かったのか。
詳しく聞いてみると、ロンベルト王国の騎兵は寡兵にも拘わらず相当な手練揃いで、討ち取れた数自体は一〇騎程度だという。
そうなると……。
「ロンベルトの騎兵、数は全部合わせても三〇騎程度だと? こちらはその五倍以上、一六〇もいて全滅させるどころか……相手の総数以上の損害とはどういう……」
彼と一緒にベッソ村を攻め落とした隊長も絶句してしまう。
ザボインを始めとするホンクル村攻略部隊の隊長達は揃って渋い顔になる。
――完全な負けじゃないか!
バスコも顔の半分がピクピクと痙攣するように歪むのを抑えられない。
だが、冷静になって考えるとその分(?)歩兵部隊の被害が軽く済んだとも言える。
――歩兵の損害も無視出来る程軽いものじゃないけど……いや、街の攻略戦なんだし野戦の機会はあまりないだろう事を考えると歩兵の被害を抑えられたと喜ぶべきか……?
そう思うバスコだが、確かに村よりは人口規模が大きな街の占領となれば、ある意味で敵野戦部隊を下してからの方が本番だ。
オースの軍や傭兵団にしてみれば戦闘などは単なる過程に過ぎず、略奪こそが本業であるとも言えるのだから。
それにしても過程でつまずく要素は減らしておきたいというのもまた本音である。
「とにかく、黒い金属鎧の奴らには気をつけろ。揃いの鎧で騎兵部隊を構成していたからロンベルトの精鋭部隊かもしれんと思っていたが、捕虜によれば奴らこそがロンベルトの精鋭、第一騎士団だという」
ホンクル村攻略の隊長の一人が言う言葉をバスコは聞き流せなかった。
「黒い金属鎧……指揮官クラスじゃなかったので?」
バスコも経験しているデマカール山の偵察では山中という事もあってか、黒い鎧を着たロンベルトの兵士は騎乗してはおらず、歩兵部隊の指揮を執っていたように見えた。
「そりゃ勿論、指揮官もいるんだろうが、俺が見た限りでは黒いのは全員騎兵だった。歩兵部隊の指揮をしていたのは黒くない騎兵だったな」
ザボインもバスコが感じた疑問を理解したようで、すぐに答えてくれる。
――どういう事だ? 指揮官でもない騎兵に歩兵を預けて山ん中をパトロールさせてたってのか? 何のためにわざわざそんな真似を……?
常識で言うなら、騎兵のみで構成された部隊というのはまだまだ一般的ではないが、その機動性や攻撃力、突破力は魅力的で、軍人なら考えない者はいない。
そしてロンベルト王国に限らず、各国でも似たような性格の部隊は今迄に幾つも作られてきた。
大抵は騎士の他に数人の槍持ちや旗持ちが混じっているために、騎兵部隊とは言い切れないものも多いが、純粋に騎兵のみで構成された部隊も編成されている。
いずれにしても、ジュンケル伯国でもそういった部隊編成は考えられているし、オーガ団の重装騎兵隊を始めとして、数こそ少ないものの事実としてもう既に存在している。
高価な軍馬を揃えるのが難しい事もあって、大した数を集められないだけの話だ。
騎兵だけの部隊を作ったところで、それを構成する大部分は指揮官でもない、単に馬に乗った兵士になる。
言葉通り、軍の高位者になる事の多い騎士のみで騎兵隊を構成するなど、常識の埒外である。
現代の軍で言うなら尉官以上で構成された部隊という事になる。
戦車を使おうが、自走砲を使おうが、他の車輌を使おうが、地上戦を行う戦闘部隊でそういう部隊を編成した、という意味に近い。
この疑問についてはすぐに答えが得られた。
「ロンベルトの第一騎士団ってのは普通じゃない。各騎士団から精鋭の騎士のみを引き抜いて編成されてるっていうからな。何でも上級騎士と言われて普通の騎士よりも上位だとされているらしい」
年嵩の隊長の言葉に頷きながら、バスコは「そんなエリートが部隊で前線で戦う? んな阿呆な」という気持ちが拭えずにいた。
しかし、そうなんだ、と言われてしまえば確たる反論材料など持たない以上、無理矢理にでも納得せざるを得ない。
いや、そういうものだ、という前提に立って赤兵隊の指揮を執らねばならないのだ。
「そういやぁ、奴らの使っていた盾、なかなか良いから使う事にしたんだ」
隊長の一人が自慢げに黒い盾を見せてくれた。
盾の周囲に金属が嵌められている事を除けばサイズも普通の真っ黒いカイトシールドだ。
表面には元の持ち主の物らしい家紋のような紋章がレリーフのように浮いている。
中々上物のようで、バスコもつい手が出てしまった。
「なっ!?」
――これ、まさか、ぷらっ、プラスチックか!?
・・・・・・・・・
7451年10月2日
ロンベルト王国ベルタース公爵領第二の街、フラキス。
駐屯地に建つ王国北方軍司令部でミルーは頭を捻っていた。
今日も一箇所、集落が襲われたという情報が齎されている。
北方軍司令である彼女の上官、ラードック士爵からは「援軍の到着まで無理をする必要はない。しかし、援軍到着後にどうするかは予め考えておかないといけないぞ」と言われていた。
とは言え、王国の集落が他国に襲われている、という報告にミルーは援軍の到着まで大人しく黙っている性格ではない。
今日も臨時の部下となっている騎士達と手持ちの戦力でどうすれば防衛が叶うのか、ああでもないこうでもないと額を突き合わせていた。
「だいたいさぁ、山ん中に四〇以上も散らばってる集落を守れっつーのに無理があるんだよね」
ラードック士爵が築いた冒険者や狩人を使った情報網は、今のところ正常に機能している。
が、駐屯していた実戦部隊の大半をジュンケル侯国の侵攻に備えてジャロー村方面へ送り出してしまったため、ミルーの手元に残されている実戦部隊の数は自分を入れても僅か六名でしかない。
留守部隊としてここに残っている第四騎士団第二一中隊の一〇〇名はミルーの指揮下ではないし、そもそもラードック士爵よりフラキス防衛部隊として“フラキスの”防衛を任じられている全くの別部隊なのだ。
人口密度など人口の話が出ましたのでちょっと解説です。
地球における10世紀(西暦900年代)頃、ヨーロッパ最大の都市はスペインのコルドバで人口は30万人以上もいたらしいです(※ソースによっては40万人とも)。
また、当時の西ヨーロッパにはコルドバを除いて人口10万を超える都市は存在しませんでした(どのソースでも次点のスペインのセビリアやイタリアのパレルモで7~8万、パリやローマで2~3万、ロンドンなんか1~2万人くらいです)。
これに東ヨーロッパも加えても10万人以上の都市は人口20万人くらいのトルコのイスタンブールが増えるだけという有様です。
こんなご時世に20万人もの人口のあるロンベルティアのほか、10万人以上の都市を二つも持つロンベルト王国の国力は相当に大きなものです(当時のスペインにポルトガル、フランスの西部を足したようなイメージで設定しました、人口も80万平方Kmの領土に350万~360万人、人口密度4.5人/平方kmとほぼ同等に設定しています)。
天領全体や国境付近に散らばっているとは言え、三万を超える常設軍を抱えるだけの事はあると言えるでしょう。




