第三百三十七話 各所にて 2
7451年9月15日
やっとべグリッツの北東に広がる耕作地に入る事が出来、アルは小さな溜め息を吐くとウラヌスに騎乗したままぐるりと首を回した。
――なんとか予定通りに済ませられたな……。
第三要塞の建設を終え、ゼンド村やラスケル村といった、要塞よりも北側の村々に駐屯していた第二騎士団の要塞への移動を確認したのが一昨日の昼頃だ。
――この二人もすっかりと落ち着いてきたな。
随伴している二人の騎士に目をやる。
護衛として随伴させていた騎士キブナルと騎士ドリストンだが、アルの要塞建設を目の当たりにして仰天し、暫くは心ここにあらずと言った状態になってしまった。
二人共アルが優れた魔術師である事については知っていたし、騎士キブナルの方はタンクール村やデナン村、キンケード村に造った土壁も目にしていたものの、それ以上の規模で行使された大魔術を見て腰を抜かしてしまったのである。
しかしながら、アルに「ぼーっとするな。全周警戒はどうした!?」と注意されたり、急な要塞建設に驚いて森の奥から飛び出してきた魔物を「さっさと仕留めに行かないか!」と怒鳴られたりして、必死に命令に従っているうちに自己を取り戻し、気を落ち着かせられた。
今では常に気を張って周囲に警戒の視線を飛ばし、魔物でも見掛けようものなら即座に一人が牽制のために魔物へ近づき、もう一人はアルの傍に寄ってその身を盾にすべく適切な位置取りが出来るようにまでなっている。
――いつ騎士団を辞めるかわからないキブナルはともかく、ドリストンは来年のエムイー訓練に放り込んでもいいだろうな。
騎士キブナルはハッシュ村を治めるルシンダ・キブナル士爵の長子であるため、アルには騎士団に所属していられる期間はそう長くはないと思われていた。
――しっかし、アンダーセンも思い切ったな……。
中西部ダート(ドレスラー伯爵領)地方のダスモーグという街を治める女爵、以前は黒黄玉という名の冒険者集団を率いており、現在は殺戮者の傘下に加わっているレッド・アンダーセンという女性は、要塞の建設に来たアルのところまでやって来て面会を求めたのだ。
目的は、彼女の家臣となっている旧黒黄玉の若手から二人をドレスラー伯爵騎士団に所属させる許可を得るためであった。
アルとしては思うところもないではないが、特に異論もないので許可を出している。
その際にはアンダーセンと一緒にやって来た二人の若手、エルランド・バグマイアとヴィクトール・ミルストロンに対して「私の騎士団に加わるか……。君たちは既にアンダーセン子爵閣下の騎士団で正騎士位を得ているから知識面や戦技で問題になることはあるまい。まして戦技は黒黄玉でアンダーセン女爵に扱かれているだろうし、魔物相手も慣れているだろうしな。歓迎しよう」と言って即座に入団を許可し、現在のドレスラー伯爵騎士団の団長に対する紹介状も受け合った。
だが続けて、「しかし、我がドレスラー伯爵騎士団は今後、戦力向上のために新たな資格を設ける。その資格の取得には特別な訓練を乗り越えて貰う必要があるのだが、自信はあるか?」と尋ねている。
先月末まで西ダート(リーグル伯爵領)のリーグル伯爵騎士団で行われていた特殊な訓練とやらはドレスラー伯爵騎士団の団長も視察している。
当然、どういった内容の訓練が行われていたのかについて、アンダーセン女爵はもとより、二人の若手も耳にしていた。
それでも入団を希望し、資格の取得も目指すとの答えはアルとしても望むところである。
しかし、そもそもアンダーセン女爵は出自が子爵家とは言え迷宮冒険者として身を立てている以上、完全に信頼の置ける家臣はそう多くない。
彼ら二人に限らず旧黒黄玉のメンバーは虎の子だ。
女爵が治めるダスモーグの街だって、あの辺りの交通の要衝であり、街としての規模はべグリッツよりも大きい。
また、位置的にダート平原の中を切り拓いて作られているだけあって、魔物に対する用心も必要だ。
そういった意味では正騎士として軍隊の指揮官を務めた経験を持ちながら、迷宮都市バルドゥックの上澄みに居た冒険者として魔物との戦闘にも充分な経験を積んでいる者は貴重な人材どころの話ではない。
――そんな若手二人を手下から外すとはな……。
ダスモーグを治めるにあたってそれ程の自信があるのであろうか?
アルが女爵であれば、あの二人は家臣の中で一・二を争う程に頼りになる人材だ。
――まぁ、付き合い自体は他の奴らの方が圧倒的に長いし、その分気心も知れているだろうから、そういう選択もある……のか?
自分なりに考えはしてみたものの、すんなりとは受け入れ難い。
――俺に対する忠誠心の現れにしてもな……。
アルが配下としての女爵に対して一番に求めるのはダスモーグという街の管理・運営、そして経営だ。
正直なところ、直接アルの手駒に出来るような戦力の供出ではない。
そして、アンダーセン女爵という人物はそれが理解できないような人物ではなかった筈だ。
――それはそうと……。
女爵達と一緒に転生者であるネルも顔を出しに来ていた。
アルの空き時間を見つけたネルはこう言っていた。
「正直なところ、閣下に直接誘われた時に即断できず、つまらない見栄を張ってしまった事を後悔していますが、女爵閣下に拾われ、頼りにされている事には非常に満足しています。今の生活も充分に恵まれていると思っていますし、これを維持、いえ、向上させる事についてもやり甲斐を感じています……」
何を言いたいのか、俄には理解出来ずにアルは生返事をするだけだった。
「……それもこれも、あの時閣下がご紹介状を書いて下さったからです」
「え? いや、そもそも君を見付けて声を掛けたのはバストラルだし……」
「それでもです。閣下がそうご指示をなさっておられたからだと思っています。でなければバストラルさんに見付けられる事もなかったでしょう」
「うーん、そうかな? まぁ、そうかもなぁ」
「それに、あんなつまらない見栄を張った私に対して、面倒がらずにご紹介状を書いて頂いたのは閣下です」
「いやぁ、あの時は日本人を見逃せない一心だったからねぇ。紹介状などいくらでも書くさ」
「ふふ。格好をつけずにそうやって正直に仰るのも閣下の美点だと思います」
「美点か?」
「ええ。私が言ってしまった見栄に対しても今でも何も仰っていませんし……」
「……」
「とにかく、閣下があの時どうお思いだったとしても、私はその御蔭で今があるんです……そうでなければ今頃はまだバルドゥックの迷宮で冒険者をやっていたか、良くて治療院を立ち上げていたところです」
「それも悪くはないんじゃないか?」
「そうですね。でも迷宮で魔物の相手をし続けたり、治療院を開いていたとしても、流石に今の状況には敵わないでしょう。今は迷宮冒険者をする程の危険はないですし、充分な収入も得られていますから」
「そうか。それは良かったな」
「はい。ですから機会を見つけてどうしても直接お礼を申し上げたかったのです……機会自体は今までにもあったのは確かですが、あの……恥ずかしい見栄を張っていたこともあって……考えれば考えるほど、当時の私を取り繕うような気ばかりが先走りそうで……どうしてもなかなか……」
「気持ちは解からんでもないし、そんなに気にしなくても……」
「いえ……そう仰って頂けるだけで救われます。今でも見栄、見栄と言ってしまっていますが、実質は閣下のご判断を誤らせようと嘘を吐いていただけです。ごめんさい。そしてありがとうございます」
結局は謝罪とともにお礼を言いたかったという所なのだろうが、アルとしては心の底から「そこまで気にする程の事でもあるまいに」という印象を持っただけであった。
・・・・・・・・・
7451年9月16日
――凄ぇ大軍勢だ……。
森の中に身を隠しながらゼスは身震いした。
数百メートル程離れた街道を、何百人、事によったら一千人以上もの武装した者達が移動している光景を眺めているところだ。
勿論それはジュンケル伯国の軍隊である。
元日本人と言えども、前世でも今生でもあれだけの数の軍隊が移動するところを直に見た経験はない。
せいぜい、テレビのニュース番組で時折外国の軍隊が行う軍事パレードをちらりと目にした事がある程度である。
――でもなんだか、だらけた雰囲気だな……。
彼が覚えている内容では、その国の首都や有名な広場を背景に、並んで走る戦闘車両や銃を肩に担ぎ、綺麗に整列しながら一糸乱れぬガチョウ足で行進する兵隊などが思い起こされる。
が、今遠目にしている軍隊らしき者達はそういった物からは程遠く見えた。
足並みは全く揃っていないし、周囲の者と何か喋っている様子も窺える。
武装は部隊毎にある程度揃ってはいるようだが、鎧や背嚢などの装備はマチマチであるようだし、ただダラダラと歩いているようにしか見えなかった。
尤も、ガチョウ足での行進など、あくまでも式典やパレードなどで行われる見た目を気にした物なので、単なる移動でそういった行進を行う軍事組織など古今東西存在しない。
だが、単なる移動とは言え、これ程に乱れた行軍をする軍もまた存在しないだろう。
――士気は高くないようだ……それに訓練も行き届いていないのか?
ゼスがそう思うのも無理はない程に兵士達の歩調は乱れ、騎乗している騎士の中には馬の背に揺られながら居眠りをしている者までいる始末。
しかし、オース一般の軍隊など、戦闘時や重要なお披露目の場でもない限りはこんな物であり、これが平均だ。
まして、今の状況は街中など人目のある場所でもない。
人間社会に対して、中途半端な知識しか持たないゼスとしては、前世で得た中途半端な知識で判断してしまうのも無理はないが、この点についてのみは正解に近いかもしれない。
街道は馬車が一台通れる程度の幅なので移動している軍勢の隊列は非常に細長くなっている。
――四八……四九……五〇……掛ける二四でおおよそ一二〇〇人か。
右手で作った円をずらしながら数を数え、大体の人数を数えると、ゼスは傍に控えていた手下の一匹に「すぐに戻って、暫くの間は誰も出歩かないように伝えろ」と命じた。
如何に士気が高くはなさそうで、規律が緩んでいそうだと言っても、軍隊は軍隊だ。
そして、あれだけの数は、それだけで脅威と言える。
訓練が不十分そうでも、中にはきっちりと訓練をしている者も混じっているだろうし、魔法を使う者もいる可能性は高い。
ゼスの配下の頭数も少しは増えているし、あの相手なら戦い方によっては勝てる可能性もあるだろうが、大きな被害を受けてしまう事も避けられない。
何より、戦闘力が桁違いだったダークエルフでも混ざっていたら、勝つどころかまたたった一人で逃げ出さざるを得ない羽目に陥りかねない。
――戦争でも始まるのか? ……まぁ、そうなんだろうな。
今の時点で人間同士の戦争など、なんの興味もない。
いや、興味はあるが、首を突っ込むつもりはない。
尤も、戦場跡というものがあればだが、戦死して打ち捨てられた兵士の体は食料になるし、貴重な金属製の道具や武具などの各種装備品も得られる可能性は高い。
――戦うのはともかく、見過ごす訳にも行かんな。
金属製の武具など人間の間でも貴重だろうし、そういった物が得られるかどうかはともかくとして、観察はしなければなるまい。
そうでなければ得られる物も得られないし、本物の軍隊が持つ戦闘力も把握出来ないままだ。
それに、戦場で使われるであろう戦術や部隊の指揮などはゼスにとって大いに参考になるであろう。
――暫くは付けてみるか……。
軍隊を見送ると連絡用に数匹の手下をその場に残し、ゼスは一度拠点に戻ることにした。
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7451年9月17日
ロンベルト王国に対する攻勢の後詰として、赤兵隊とオーガ団の二つの傭兵団は本隊に二日遅れでヘスケスを発っている。
ジュンケル伯国が用意した連絡員によると今日の時点で遅れは一日半までに詰まっているとの事で、赤兵隊の隊長、バスコ・ベンディッツは順調な行程消化に胸を撫でおろした。
このまま行けば、ギスクール渓谷にあるという当面の目的地、ロンベルト王国の村に到着する頃には予定通り一日遅れ程度には詰められるだろう。
「なぁ、タニアよう。昼一緒に食わね?」
「私は隊の事務がありますし結構です。ご一緒できません」
「そう言わずにさぁ。だいたい事務なんて移動中にやる事じゃねぇだろう?」
またオーガ団の若い男――団長の息子がバスコの副官であるタニアにちょっかいを掛けている。
バスコとしては正直腹も立つが、作戦行動を共にする相手でもある。
そして、彼が所属するオーガ団はバスコが率いる赤兵隊と比較して倍どころではない戦力を誇っている上、彼はその中でも中核とも言える重装騎兵隊を率いる部隊長でもある。
彼が率いる重装騎兵は四〇名以上にも上り、作戦における重要さで言えばバスコの赤兵隊などよりよほど重要だ。
しかし、他所は他所、家は家である。
「タックスさん。私の副官を惑わすのはそこら辺にして頂けませんか? 彼女とは相談もあるので……」
馬の腹を蹴って二人に追いつくなりバスコは言った。
「ふん。貧乏所帯の隊長ってな、そんなシケた鎧しかねぇのか……相談と言ってもどうせ金の工面の話とか大したもんじゃないだろ?」
あからさまにバスコを軽く見るタックスに腹を立てながらも、バスコはどうにか荒れる感情をねじ伏せることに成功した。
そもそも彼の言っている事だってまるきり外れという訳でもない。
赤兵隊の台所事情はいつだって楽ではないのだ。
「我々には大した問題です。申し訳ありませんが、副官とお話しなされたいのであれば正式に貴団のネフィル団長を通してください」
「けっ、二言目には親父を通せかよ。あと何年かで親父も引退するだろうし、後を引き継ぐのは俺だ。だから……」
「それでも、今現在のオーガ団の団長はザボイン・ネフィル男爵閣下です。貴方ではありません」
バスコとしてはここらで「俺も男爵位を持っている。准爵風情が男爵に対しその口の利き方は赦せん」とでも言って、やり込めてやりたいところである。
しかし、バスコの爵位は元々、この戦の相手であるロンベルト王国で一代爵位として彼の父親が得たもので、相続の際に勘違いしたバクルニー王国で正式な男爵位となっている。
本来ならバスコは父親の死亡と同時に准爵ですらなくなっており、貴族を名乗る事も出来ない。
要するに嘘の貴族位だ。
対して、オーガ団の団長の男爵位はカンビット王国の正式な爵位である。
以前に似たような事を言った際にそこを指摘され、バスコとしてはもう二度と言うまい、と思っていた。
とにかく、タックスを追い払うことには成功した。
「……すまんな」
申し訳無さそうに詫びるバスコ。
「もう慣れたし、気にしてないわ……だって、貴方が傍にいればいつだって毅然として守ってくれるから」
タニアの方は少し嬉しそうに答えた。
「……」
それに対し、バスコは気の利いた答え一つ返す事は出来ない。
自らが率いる赤兵隊の、ひいては自分の力不足である事を痛感しているためだ。
今回の戦では何としてもオーガ団よりも大きな手柄を立てて、赤兵隊の名を上げるしかないのだ。
その為には今からでも色々な事態を想定して頭を捻っておく必要がある。
副官を務めているだけあって、タニアもそういったバスコの心の内はよく理解していた。




