第三百三十五話 ミルーの考え
7451年9月5日
ジュンケル伯国の首都、ヘスケス郊外。
そこに駐屯する軍の敷地の一角に、赤地に稲妻を掴んだ黒抜きのガントレットが染め抜かれた旗を掲げる天幕群――赤兵隊の駐屯地がある。
「全員、乗車!」
軍馬に騎乗するジースの命令一下、傭兵団赤兵隊に所属する戦闘員達が用意されていた馬車へと乗り込み始めた。
赤兵隊の戦力は号令を掛けた副隊長のジースや、団長(隊内では隊長と言われている)を務めるバスコを含めて総勢五八名に上る。
戦力としてはあまり大きいとは言えないが、これよりも少ない人数の傭兵団など珍しくはないので決して小さい訳ではない。
傭兵団の規模としては中の下、と言うところだろう。
だが、この場所に駐屯する傭兵団では一番小さい規模であり、そのために侮られやすいのも確かである。
最後に乗車した者を確認し、ジース同様に軍馬に跨ったバスコが「出ぱぁ~つ!」と号令すると同時に軽く馬の腹を蹴った。
その様子を傍で見守るのは戦闘員の親や子を始めとした傭兵として戦う事の出来ない者達だ。
その誰にも悲壮な表情はない。
誰もが戦果を上げ、手柄を立てる期待を込めて家族の名を呼んでいる。
これから赤兵隊はまず、駐屯地の外れに向かう。
待機している伯国の補給部隊と合流し、そこで馬車から下車すると同時に今まで乗ってきた馬車に補給物資の積載を与力し、補給隊の護衛として前線へと赴くのだ。
前線到着までに予定されているのは三週間。
荷を満載した馬車と徒歩が中心なので、ある程度の余裕すら見込まれた妥当なスケジュールだ。
ガラゴロと車輪を鳴らし、赤兵隊を積んだ馬車は傭兵団の駐屯地を進んでいく。
ここには赤兵隊の他にレッド・ワイヴァーン隊やゴルドラ戦闘団、鉄腕組、オーガ団といった他の傭兵団も駐屯地を構えているが、戦闘員が残っているのはたった今駐屯地を出ていこうとしている赤兵隊を除けばオーガ団のみという寂しさになっていた。
残るオーガ団も明日にはもっと大規模な補給隊の護衛として駐屯地を出発する。
一緒に出発するオーガ団の重装騎兵隊はともかく、オーガ団の本隊とは二日前に先発している攻撃部隊が、最初に奇襲して陥落させるロンベルト王国のジャロー村で合流する予定だ。
尤も、その時にはジャロー村の所属はロンベルト王国ではなく、ジュンケル伯国になっているであろうが。
「タニア」
バスコが呼んだことで、彼の副官を務めるタニアが馬を進めて横に並ぶ。
「なに?」
タニアも堅く煮しめた革鎧を着込み、兜まで被った普段とは異なる重装備だ。
「新人の二人、確か槍隊だよな?」
「ええ。一番組にジョイスと二番組にアマンダを入れてるわ」
稀ではあるが赤兵隊にも新人が入隊してくる。
平民の次子とか三子といった、実家に残っていてもいずれ農奴落ちが確定している者達などが中心だ。
平民であれば次子や三子と言っても、それなりの戦闘訓練を受けていることも多いが、いずれは農奴になるのだからそんな事は無駄だと剣や槍すら握らせて貰った事がない者も多い。
だからなのか、初陣で戦死してしまう者も珍しくない。
当然ながら、赤兵隊でも入隊者に対して戦闘訓練を施してはいるのだが、どうしても一定数は初陣で儚い命を散らしてしまう。
そんな中でも生き残っていっぱしの傭兵になれた者も少なくないのは確かではあるが。
「槍隊には気を配ってやってくれ」
「うん」
タニアはバスコの副官であると同時に、赤兵隊には貴重な騎乗戦闘員でもある。
常ならともかく、戦闘中にそんな事は無理だ。
しかし、時と場合によってはタニアが駆け付けた、または援護に向かおうと移動するだけでも槍隊に近づく敵を牽制出来る事もあるのだ。
当然ながらそう上手くは行かない事の方が多いが。
だが、それでもこういう気の遣い方をするバスコの性格をタニアは好んでいた。
・・・・・・・・・
ロンベルト王国北部。
グラナン皇国と領境を接するベルタース公爵領第二の街、フラキス。
王国軍駐屯地の練兵場で、北方軍司令のラードック士爵も指揮下の部隊に進発の号令を掛けていた。
彼らを見送るのは僅かに一〇〇名を超える程度の留守部隊だ。
その中には緊張した面持ちのミルーもいる。
彼女は上官であるラードック士爵の命で、二か月後に王国南方戦線から到着予定の援軍、三個中隊からなる部隊の部隊長として北に聳えるデマカール山に築かれたジュンケル侯国の砦を攻略、もしくは破壊を命ぜられている。
援軍の到着が僅か二週間でも遅れてしまえば雪が降ってしまいかねない微妙なタイミングでの作戦のため、降雪時には砦への攻撃は行わず来年の雪解けまで防備を固める事とされている。
とは言え、南方戦線からの援軍は例年の降雪の二週間前、来月中には到着する見込みであるとの報告も届いている上に、援軍の送り元はミルーの実の弟だ。
それらを考慮すると援軍の到着は予定通りだと考えてまず間違いない。
――山地だから何よ。たかが小さな砦一つ、二週間もあれば絶対に……。
彼女が強気でいるのには訳がある。
ミルーを部隊長に任ぜるにあたり、ラードック士爵は彼女の枷を取り除いていたのだ。
すなわち、砦の攻略には“持てる全戦力で当たり、可及的速やかに占領ないし破壊すること”という命令である。
この砦から進発したと思われる敵対勢力によって、デマカール山中に拓かれた集落は大変な被害を蒙り続けている。
ここ数か月、それを間近で見てきただけあって、ミルーの士気は高揚していた。
――隊長が想定する主戦場ではないけど、私としては丁度良い復讐の機会よね。
加えて、首尾よく結果を出せれば王国第一騎士団内での小隊長資格も得られる。
場合によっては正規の小隊長として昇進する可能性もある以上、気合いの入り方も一入だ。
何しろ第一騎士団の小隊長資格だ。
その保持者は正規の第一騎士団の小隊長に任ぜられていなくとも、戦況や場合にもよるが、たとえ他の騎士団の大隊長が同じ戦場に居たとしてもその戦場における指揮権を預かる事もあるのだから。
自らを家督者とする貴族家を興したいミルーとしては、文字通り正念場とも言えるだろう。
「第一騎士団、集合!」
ギスクール渓谷を抜け、ジュンケル侯国へ侵攻する部隊の進発を見守ったあと、ミルーは現時点における彼女が掌握する人員へ命じた。
駆け寄って来たのは五名。
全員がグリード商会製のゴムプロテクターにその身を包んでいる第一騎士団員だ。
この中で第一騎士団員として正騎士に叙されているのはミルーを除けば彼女の評価者に任じられている先輩騎士が僅か一名。
それ以外の四名は第一騎士団員としては未だ従士にしか過ぎないが、元々は他の騎士団で正騎士に叙されている者しかいない。
「三〇分後に全員会議室に来て。封緘命令を開けるから」
封緘命令とは予め定められた日時や状況が到来した際にのみ開けて読む事を許されている命令書の事で、通常は部隊長と副長や副官が揃っている状況で開ける。
その際に封が開いていれば命令内容が既に漏れている事と同義になるので記載されている命令に従ってはいけない。
今回渡されている封緘命令書の数は大して多くはないがこれから開ける命令書の内容のみ、ミルーには予め知らされていた。
鎧を脱ぎ、身軽な格好になった第一騎士団員が全員集合し、留守部隊の最上位者である第四騎士団の中隊長がやって来るのを待って、ミルーは最初の封緘命令書を開封し、内容を読み上げた。
「……から送られてくる合計三個中隊の増援が到着次第、デマカール山に築かれている砦に対する攻略作戦を発動。攻略部隊は増援三個中隊とする。攻略部隊長は私。副長は騎士キンシャー卿。副官は従士ムレイグ。その他の人事は隊長である私に一任……」
発表された人事は隊長と副長の人選が逆な点以外は大きな問題がない。
だが、この場にいる全員が何も口を挟まずにミルーの言葉に耳を傾けている。
彼らは本来、全員が他の騎士団で優秀な騎士であると認められ、狭き門をくぐり抜けて栄えある王国第一騎士団への入団が許された者達だ。
この状況がミルーの昇進評価である事にすぐに気付いたのであろう。
そもそも、そうでなければキンシャー卿を差し置いてミルーが集合命令を下す事自体がおかしいのだから。
「また、第四騎士団第二一中隊長、騎士ナディール卿をフラキス防衛部隊長に任ずる。フラキス防衛部隊は騎士ナディール卿隷下の全部。騎士ナディール卿にはフラキス防衛に関する全ての権限を付与する」
ナディール卿の返事を待ち、ミルーは彼女に対し退室を許可した。
「さて、じゃあ砦への攻略作戦を立てましょうか。と言いたいところだけど、砦がある場所や地形は判明しているものの、防備状況の偵察が済んでいないのよねぇ……」
その言葉に対して活発な意見交換が行われる。
たとえば、現時点で動かせる兵力はここにいる僅か六名に過ぎないのだから、偵察は増援が到着してからの方が良いとか、いやそれではすぐに雪が降ってしまうだろうし遅きに失するだとかである。
尤も、ミルーには予め腹案があった。
「わかったわ。意見はそこまでにして頂戴。ねぇ皆、忘れてない? 命令には“持てる全戦力で当たり、可及的速やかに占領ないし破壊すること”とあるわ。これはつまり、私の能力についても全力使用して構わない、という意味だと思うのだけど……」
そう言いながらもミルーは自分の評価者であり副長でもあるキンシャー卿の様子を窺う。
状況から考えて、彼もミルーと同様に予めラードック士爵からの命令を受けている筈だが、それでもミルーとしては万が一の認識の齟齬を恐れたのだ。
彼の顔に浮かぶ苦笑いは、ミルーがその事に触れなかった場合、自分が言うつもりだったという意味だろう。
「今までの偵察で砦は山頂付近にある大きなひび割れみたいな峡谷の中に築かれている事、そして唯一と思われる出入り口はそこを覆うように作られている壁の下部にしかないことが判っているわ」
二ヶ月程前から行われている尾行作戦によって判明した事実だ。
砦が築かれるよりも以前の偵察だと、そこにあったひび割れは峡谷と言うよりもひび割れとか、単に裂け目と言う方がしっくり来る。
尤も、その規模は大きく、高さは二〇〇m程、幅は最大部で数十m、奥行きも一番浅かった最下部で優に三〇m以上はあったと言われている。
そこを裂け目の下部から真ん中辺りまで塞ぐように、大きな土の壁が築かれて砦となっている。
元々の裂け目の規模を考えると、その下半分とは言え、壁によって守られている空間はかなり広いはずだ。
最下部には人員の出入りや補給物資搬入のための小規模の門も築かれている。
また、壁には明り採りや防衛用に開けられたと思しき多数の窓が並んでおり、その並びと壁の高さから判断して内部は一三層に分かれていると見られているが、正確なところは外からの偵察では判明しないだろう。
計算では魔法で出した土であれば下の方こそ出入り用の通路を除いて殆ど埋まる位の厚み(一番下の門から見て最低でも三〇m程度はほぼ完全に埋まっていると考えられている)だが、砦の上半分は厚さ三〇m程度からスタートして、最上部は僅か数十㎝程度になるように抑えれば内部に通路があってもそう簡単には崩れない壁が作れる事が判っている。
そういった特徴的な構造のため、デマカール山の山頂をロンベルト側から迂回して砦の上部から攻撃部隊を送り込む作戦は初期から放棄されている。
裂け目の天辺から壁の最上部までは一〇〇m程もある上、安全に降りられる足場など殆どないためだ。
夜陰などに乗じて砦側に気づかれない程度の少人数を忍び込ませようにも暗い中での降下は事故の誘発につながる。
一人でも滑落してしまえば気付かれない方がどうかしているのだから。
また、襲撃の為に普段からそれなりの人数が出入りしている事と、食料などの補給を運ぶ必要があるであろう事から、砦の下部の門付近やそこよりも下は小型の馬車すら往来出来る程のかなりしっかりとした道がある。
どうせならこの道を使いたいところだ。
「砦の構造はともかく、籠もっている兵力が不明な点が問題ですね」
誰かの言葉にミルー以外の全員が頷いた。
「そう? 私にはあまり大きな問題だとは思えないんだけど」
少し不思議そうに言うミルー。
「どういう事ですか? 兵力確認や配置に対する偵察は必要ないと……?」
諮問するような表情でキンシャー卿が言う。
「いいえ。これは偵察をしないとか必要ないという事ではないわ。まぁ、それに近いと言えなくもないけれど、そもそもこんな場所の砦なんか占領しても意味なくない?」
確かにこの場所にある砦から襲撃が行われているのは業腹だし、被っている被害もとても無視できるものではない。
しかし、砦に詰められる人数はどんなに多く見積もっても五〇〇人は超えないであろう。
勿論五〇〇人はそれなりの戦力だし、ミルーとしても決してその人数を甘く見てはいない。
「出入り口の門を確保出来たとしても一度に入れるのは三人並びがせいぜいなんでしょ?」
キンシャー卿が頷いて肯定する。
「という事は、砦から一度に打って出られる人数も三人って事でしょ?」
「それはそうでしょうが、向こうもそれは理解している筈です。門の前には多少の広場もあるようですが、とても一〇〇人二〇〇人もの部隊を広げられる程ではないと……」
従士の一人が言った。
「そうね。それに中はしばらく階段が続いている筈だとも言われているわね」
「ええ」
「だから出入りは大変でしょうね」
従士達は何を当たり前の事を言っているのかという顔になる。
キンシャー卿だけが興味深そうだ。
「山の向こう側にジュンケルの重要拠点でもあれば別だけど、こちらと一緒でそんな物はないわ。せいぜい炭焼小屋とか坑道とかの集落しかない。だとすれば、あの砦を占拠したところでこちらが出来るのはそういった小規模な集落に対する嫌がらせ攻撃以外ないでしょ?」
「隊長は砦の占拠を……」
「……考慮しないのですか?」
ジュンケル侯国がせっかく築いた拠点だ。
魔法で築いたにせよ、あれだけの規模である以上、それなりに苦労があった筈だ。
それに、やられた事をやり返せるのであればこちらの溜飲も下がるし、北方軍の士気も大いに上がるだろう。
ロンベルト王国軍では補給に次いで兵士の士気が大切だと説かれている。
そういう観点から見れば、敵の砦を占拠する、というのは純粋に士気の向上を考えれば寄与するところは非常に大きい。
また、敵が砦を築いた、という事は敵もその場所を重要な地点であると見なしているとも言える。
純軍事的に考えてその場所が重要かどうかは別にして、敵がそう思っている可能性は非常に高い事は確かであろう。
そうでなければ費用や手間、時間を掛けてまであのような砦を建造する必要性など薄いのだから。
「まず、確かに嫌がらせや小規模な略奪の拠点としてみた場合、補給の手間を除けばあの位置は結構便利よね。いい位置だとは私も思うわ。ここまではいい?」
皆の顔をぐるりと見まわして、反論や意見がないことを確認してミルーは続ける。
「でも、砦が出来るより以前からジュンケル侯国はデマカール山の集落を攻撃していたわ。そこで橋頭堡を確保した場合のみ平野部に攻めて来ていた。だからこちらが同じ作戦を採るにしても砦の有無は関係ない。さっきはああ言ったけど、そもそもあんな高い場所にあれば補給も大変だしね」
頷く従士達に対し、ミルーも小さく頷き掛けた。
「でも、せいぜい五〇〇人でしょ? 侯国に対する本格的な攻撃の拠点とするにしてはそれだけだと流石に少ないし位置も悪い。しかしながら、敵の拠点となっている以上、なんとかせざるを得ないわ。だから、私は破壊しようと考えている」
ミルーの考えを聞いたキンシャー卿は薄い笑みを浮かべると今までよりも大きく頷いた。
第一騎士団の小隊長になるためミルーは既に幾つかの関門を乗り越えてきたが、また一つ乗り越えられたようだ。




