第三百三十三話 赤兵隊 5
7451年9月1日
王国北部。
グラナン皇国と領境を接するベルタース公爵領第二の街、フラキス。
自らの執務室でロンベルト王国北方軍の司令官、マリーベル・ラードック士爵は不機嫌だった。
目の前の机にはこのフラキスの街よりも少し北の方を中心とした地図が広げられている。
――神出鬼没……という程ではないにしろ、この状況はまずいわね。
爪を噛みながらラードック士爵は状況を整理する。
フラキスの北に聳えるデマカール山中に点在する集落が、六月の中旬頃からジュンケル侯国のものと思われる勢力の攻撃に曝され続けていたのだ。
攻撃は、多い時には月に五回も六回もあった。
無論、士爵とてただ手をこまねいて漫然と見過ごしていた訳ではない。
最初の攻撃が確認されて以降、配下の騎士団員は勿論、雇った冒険者や徴募した猟師などを多くの集落近辺に張り付け攻撃者達の尾行をさせていたのだ。
当時彼女は「こちらも襲撃部隊を編成し、ジュンケル侯国の集落を襲って捕虜を得て尋問する」という作戦案を立て、実行もするつもりでいた。
しかし、襲撃部隊を構成するために貴重な人手を割かれてしまう事と、万が一、待ち伏せでもされていた場合、無理をして編成した襲撃部隊程度では大きな被害を被るだけでなく、逆に捕虜を取られてしまう可能性もある。
何より適当な集落を襲って捕虜を得たところで大した情報は得られないのではないか、と思い至り棚上げにせざるを得なかったのである。
だからといって放っておく訳にも行かず、襲撃があった場合に下手人の尾行をさせるつもりで少数の騎士団員を目ぼしい集落に張り付けていた。
当初こそ人手の問題もあった為に、襲われる集落についての読みを間違えたりしてあまり情報を得られなかった。
しかし、来年から行われる予定のジュンケル侯国への侵攻作戦で計画されていた通りに王都からの増援が到着した事もあって、思い切って以前よりフラキスに駐屯していた戦力のうちから三分の一、二〇〇名にも上る兵士を動員して七月の終わりにはほぼ完全な集落の監視体制を確立していた。
にも拘わらず、以降一ヶ月程度に渡って尾行は失敗続きだった。
理由は二つある。
一つは、襲撃勢力を尾行するはずだった騎士団員達が襲撃者の蛮行を見過ごす事が出来ずに持ち場を離れ、集落を守ろうと決死の覚悟で襲撃者達に立ち向かい、殺されてしまった者が続出してしまった事。
そしてもう一つは、首尾よく尾行をしても気取られて伏兵や罠による逆撃を被ってしまい、途中で退却せざるを得なくなった事である。
それらの結果を受け、士爵はいたく立腹すると同時に落胆した。
一時は当初に思い付いた通り、こちらから襲撃して捕虜を得ようと考えた事すらあるほどだった。
仕方なくなけなしの予算を割いて冒険者や近郊の猟師を雇い入れて尾行させるようにしたのが先月からだ。
その結果、襲撃者達の出どころは、いつの間にかデマカール山頂付近に築かれていた砦である事が判明した。
砦の発見が遅れたのは地形を利用して巧妙に建築されていた事に加え、その場所はかなり前に取り決められていた国境線のジュンケル侯国側であった為であろうと推察された。
尤も、それだけの情報が掴めた以上、即座にジュンケル侯国に対して警告、そして謝罪と賠償を要求する使者を送ってはいる。
その使者が帰参したのが今日だ。
当然ながら侯国の答えは知らぬ存ぜぬの一点張りであったが。
侯国は、件の砦はジュンケル侯国側の正規勢力ではないと訴えていた。
――予想通りの答えだが、これで例の砦への攻撃については問題がなくなった。
そもそも、ロンベルト王国としてはジュンケル侯国への侵攻を企図していた事もあって、砦の所属が侯国に属するのかどうかなど、どちらでも構わなかった。
有無を言わさず攻撃し、破壊してしまっても良かった。
それにしても侯国の勢力圏内に在る施設に対して、無通告で王国側から先制するよりは外聞が良い事もまた確かではある。
だが……。
砦に対し攻撃を仕掛けるには周辺の地理についてもっと正確な情報が必要になる。
何しろ、高い山の山頂にほど近い場所に築かれているため、王国騎士団お得意の騎乗しての突撃は疎か、兵を広げての行動さえ碌に出来そうにない為だ。
周辺地理の把握のために偵察を送るにしても、砦側も偵察行動くらいは予測していて然るべきだし、厳重なパトロールや罠の設置など必要な対策は打っている筈である。
そうなると少人数での偵察行動は危険すぎる。
ある程度の人数を揃えた上で多少の損害すら覚悟しての、純粋な強行偵察となってしまうのは致し方のない所だ。
――それを考えると予定通り増援が到着したのは有り難い事だったな。
お陰で増援部隊も二か月に渡って連携訓練を行い、部隊間の連携を醸成する事も叶ったのだから。
――流石はゲンダイル団長の読み。それに、陛下のお陰か。
士爵は数少ない上司達に感謝した。
だが、ジュンケル侯国のハラスメント攻撃については鳴りを潜めた訳ではない。
そして、そもそも援軍は侯国によるハラスメント攻撃への対応のために寄越されたものではなく、侯国に対し先手を打って侵攻するための物だ。
ハラスメント攻撃がなければ、来年の雪解けを待って侯国に攻め入り、電撃的に村の二~三も占領する事で先手を打つ予定だった。
当初の計画ではフラキスには最低限の守備隊として一〇〇程度の人員を残して、残りの全戦力を以てベルタース公爵領の北部、デマカール山とバトラス山の間を通るギスクール渓谷を東進してからデマカール山の山裾に沿って北上し、近辺の村を攻め落とす事になっていた。
――先手を取られたか……。
間者による報告によれば、侯国側の軍備増強の勢いは中々侮りがたい物があるが、それでも今年のうちに攻撃を仕掛けてくる可能性は低いと見積もられていたが故の作戦であった。
だが、現在の状況を鑑みれば誰がどう見てもその部分に関しては上層部の読み違えだろう。
――来月にはダート平原からの増援部隊も到着するとの事だが……。
来月に到着が見込まれている戦力はダート平原でデーバス王国との最前線に立っていた、第二騎士団に所属する二個中隊に加え、第四騎士団から一個中隊という、喉から手が出るほどの戦力だという。
戦歴や前任地の状況を考慮すれば、戦闘に関する練度は十分だと見て良いだろう。
しかしながら、他部隊との連携については通り一遍のものならいざ知らず、臨機応変で有機的な連携は訓練しない限り全く期待は出来ない。
――よしんば、連携が完全だとしても二正面作戦をするには心もとない戦力だけど……。
今回計画されている侵攻作戦についてもデマカール山から襲撃を受ける事はあまり考慮されていなかった。
あったとしても、こちらの侵攻部隊の注意を逸らせる程度の目的で散発的なものだろう、という程度だ。
こちらが先手を取るつもりだったのだから当然といえば当然ではある。
――でも、この頻度じゃあ少数の戦力を置いていくだけという訳にも行かないし……。
山中に散らばるロンベルト側の集落数は大小合わせて四〇箇所もあるのだ。
現在は金に物を言わせた力技でその全てを監視下に置いているが、フラキスの商人達からは「護衛戦力を雇うのに苦労し始めている」などと苦情も出始めてしまった。
加えて言うなら、金だって無限ではない。
――計画よりかなり早くなってしまうけど、来月の増援到着を待って攻勢に移るか……?
元々来年の雪解けの頃に攻勢に入り、先手を打つ予定だった。
かなりの前倒しとなるが、雪が降るまでデマカール山でちょっかいを受け続けるよりはマシかも知れない。
――でもそうなると連携が……。
来月到着する予定の、ダート平原に配備されていた部隊は一切の連携訓練なしでの攻勢となってしまう。
――……そちらの部隊は適当な者に指揮を任せてデマカール山の砦を攻略させるか?
報告ではダート平原からの増援部隊は第二騎士団の二個中隊六〇〇名からなる歩兵部隊と第四騎士団に所属する補給一個中隊一五〇名だという。
山頂近くにある砦であれば、部隊を広げて会戦するような場所もないため、他部隊との緻密な連携は必要ないと言えばその通りだ。
――指揮は……グリードにでも任せてみるか。小隊長への試練としては丁度良かろう……。
・・・・・・・・・
ジュンケル伯国の首都、ヘスケス。
傭兵団である赤兵隊の団長、バスコ・ベンディッツは同じくオーガ団の団長を務めるザボイン・ネフィルと共に都に聳えるビサイン城に召喚されていた。
「……今の所の状況はこんな感じや」
伯国の騎士団長を務めるロームリ子爵が既に開始されている陽動作戦の進捗状況を説明した。
それによると、この六月の中旬から開始されたハラスメント攻撃に対し、ロンベルト王国は後手に回っており、作戦は順調であるとの事であった。
集落への襲撃に対し、フラキスに駐屯する王国軍は援軍を要請したという。
即座に数百名にも上る援軍が到着したのは流石と言う他ないが、ロンベルティアや王国の北部に浸透させている間者からの報告では、王国と言えどもこれ以上の援軍は厳しい状況であるという事と、仮に援軍があったとしても、今から援軍用の部隊を再編成してフラキスまで到着させるにはどんなに急いでも来年の雪解け以降になりそうだ、との情報が齎されていた。
また、王国は現在、以前より続いている南隣のデーバス王国との国境争いに力を入れているとの報告もあった。
なんでも、南のダート平原を任せている有力貴族(王国の南方総軍の司令官でもあるらしい)に王族が降嫁する筈だったらしいのだが、その嫁入り行列が何者かの襲撃を受け、花嫁は行方不明になってしまったという。
同時に、花嫁は殺されてしまったなどという報告もあったようだが、死体が確認されてはいないらしく、こちらの報告は眉唾だという。
状況証拠に過ぎないが、この襲撃の下手人はデーバス王国の者らしい。
それにしては襲撃地点が両国の国境とされている場所からかなり遠いなど、色々と腑に落ちない点もあるが、花嫁を拐かされた(多分)貴族は怒り狂ってデーバス王国に対して単独で戦争を仕掛けるとの情報もあった。
王国としても庶子とは言え国王の血を受け継いだ者が囚われてしまった可能性は無視出来ず、南方戦線には注力せざるを得ない筈である。
また、北方戦線への戦力投入は必要最低限のもの(先日の増援)で終わりそうだ、との内容で報告は結ばれていた。
「所詮は間者からの報告やさかい、正確ではないかも知れんが、原因の正確さはともかくとして、援軍を出すのは難しい状況にある、というのはホンマみたいやな」
ロームリ子爵の言葉にバスコとザボインの二人は頷くことで返答する。
特にロンベルト王国が南方に注力しているらしい、という情報は純粋にジュンケル伯国側にとって良い事しかない。
「少ぅし早いがワイらは今が好機やと判断した。雪が降るまでまだたっぷり二ヶ月以上あるしの」
ロームリ士爵はニヤリとした笑いを浮かべて言う。
それも尤もな事だろう。
ロンベルト王国がデーバス王国と事を構えているのは誰もが知る事実だが、ここ何十年と本格的な会戦には至らず、お互いに小規模な開拓村を取ったり取られたりするだけで、ある意味で千日手、日常となっているのだ。
それが大きく動くというのであれば、なるほど北方戦線側など構っている余裕はなくなる可能性は充分に見込める。
「もともと、デマカール山と本命のギスクール渓谷からの侵攻で二正面を強いるつもりやったが、やっこさんらぁ、北と南でもっとでかい二正面になるんや」
たしかにそう考えると好機だ。
当初の予定に拘って来年からの攻撃に固執してしまえば、南方戦線は終わってしまうかもしれない。
ダート平原に雪が降る事などまずない。
冬だろうがなんだろうがいつでも軍を動かせるのだから。
「こちらの本隊は明後日にはヘスケスを発つ予定や。おまはんらはまず後詰になってもらう」
まずは後詰。
当初の予定を大幅に繰り上げ、急な進発を命じる事になった詫びだろうか。
当たり前だが赤兵隊もオーガ団も、本隊に合わせてあと一日二日で出発する事など無理な相談だ。
「やけんが、二戦目以降は先陣を務めて貰う。どっちが先か、順番は話し合って決めてええで」
一戦目はほぼ確実に奇襲となるだろう。
勿論、二戦目、三戦目も奇襲になる可能性はあるが、一戦目ほどではないし、後になればなる程その可能性は低くなる。
三戦目ともなれば、一戦目と同じくらいの高確率での奇襲は成立しないと見て間違いない。
隣に座るザボインを盗み見て、バスコは何としても二戦目の先陣権を奪わなくては、と心に誓った。
読者の皆様。
新年、明けましておめでとうございます。
本年も何卒宜しくお願いいたします。




