第三百二十九話 大砲
7451年8月20日
ドーン!
デーバス王国の王都、ランドグリーズから少し離れた森林の中で、轟音が鳴り響く。
轟音の直後、幹を半分程もえぐり取られた大木が嫌な音を立てて倒れ始める。
「成功だ……!」
恐る恐る、と言った体でセルは両耳に突っ込んでいた指を抜きながら言った。
彼が立つ位置から一〇mも離れた位置には白煙が立ち込めている。
その中に鎮座する異形の金属塊。
それは、未だ砲口から薄っすらと煙を立ち上らせる大砲だ。
暴発事故への用心のためか少し離れた場所で大砲を操作していた親衛隊員達も、煙に痛む目をこすりながら耳栓代わりに突っ込んでいた布切れを引き抜いてあんぐりと大口を開けている。
大砲自体は過去に何度か試作してきているが、これだけ完璧に発射に成功したのは初めてなのだ。
火縄銃とは比較にならないほどの白煙を吐き、轟音を響き渡らせる代わりに、途轍もなく大きな砲弾を撃ち出す事の出来る大砲。
二〇㎝近い口径で砲身長は六〇㎝。
砲身を構成する青銅の厚みは、最も薄い先端部でも一〇㎝はある。
過去に何度か試作してきた大砲よりも大きな口径だ。
その代わりか、砲身はかなり短くなっており、臼砲程ではないものの、それに見紛うばかりの短砲身だが、失敗を繰り返し、改良され続けてきた事で欠点は潰され、設計を洗練してきたのだ。
見たところ、砲身に異常は見当たらず、温度が下がり次第次弾の発射薬と砲弾を込めれば再発射も可能であろう。
過去の試作品は全て一射目で砲身が破裂したり歪んだりして使い物にならなくなっていたのだから、続けて使用可能な砲身の開発に成功した事は大きな進歩である。
尤も、次弾を発射出来るようになるには自然状態で一時間は掛かるだろうが。
それでも五〇m程も離れた場所に立っていた、直径八〇㎝はあろうかという大木の幹を半分近くえぐり取る程の大威力。
幹のど真ん中に直撃していたのであれば一発でへし折っていただろう。
この距離でこの威力であればそこらの城の城門など、あってなきが如しに違いあるまい。
門の表面がたとえ鉄板で覆われていようとも、閂の位置に命中すれば折れるか、ひん曲げることで中途半端にでも城門を開かせられる事は確実だ。
「よし、砲身の冷却にかかれ!」
セルの命令で、砲を操作していた隊員や大きな板を持っていた隊員がわらわらと砲の周囲に駆け寄ると、あっという間に砲の四方を板で囲む。
板は、可能な限り底面積を減らすためか砲や台座ギリギリに立てられている。
すぐに杭打ちの音が響き、砲は頑丈そうな分厚い板に覆われた。
大砲は、丸ごと巨大な風呂桶に入れたようになった。
すると、セルの傍に控えていた親衛隊員のうち、火魔法と水魔法に長けた者が大砲に近づいていく。
まずは熱湯を掛けることで多少なりとも砲身を冷やす。
勿論、大砲を囲む板は碌な水漏れ対策も施されていない。
だが、永遠にお湯に漬ける訳でもないのでそれで十分である。
たとえ数分程度でも大砲を丸ごと冷やせるなのならそれで良いと考えられているからだ。
板に囲まれた大砲の傍に背の高い脚立のような物が立てられると、隊員はその上に登り、板の内部に腕を伸ばす。
お湯は、すぐに術者である彼が見下ろすことで指定した地面から急激に湧き出しはじめる。
角になる板の接合部から派手に漏れ出るが、それを上回る速度で湧き出し続ける。
現出させるお湯自体はすぐに打ち止めになるが、親衛隊員は魔力切れギリギリまでお湯を生み出した。
すぐに新しい隊員に交代する。
お湯は漏れ続けるが、それでも魔術で生み出される量を超えることはない。
そのため、すぐにその表面は大砲の台座を飲み込み、砲身へ近づく。
そして、何人目かの隊員がお湯を出し始めた時。
ついにお湯の表面は砲身へと達した。
ズバーン!!
大砲の発射音ほどではないが、それでも大きな破裂音が鳴り響く。
「ウギャアアアアッ!!」
こうなることを見越してある程度の距離――安全マージンを取るべく脚立は出来るだけ砲身から遠くなる砲の後ろ側に立てられていたにも拘わらず、熱くなった砲身に触れたお湯はその温度差で急激に沸騰し、術者である隊員の腕や顔に跳ねたのだ。
安全のために発射直後の火縄銃などで実験はしていたが、使用する火薬量が桁違いであった事に加え、砲身自体を銃の銃身などよりもずっと肉厚に作っていたのでここまでの熱には至らないだろうと考えられていたことが原因だ。
脚立から転げ落ちた隊員は痛みにのたうつが、その地面もかなり冷えているとは言え、元々熱いお湯がこぼれ、蒸気に覆われている。
「誰か……!」
その様子を見ていたセルが命じるよりも前に順番待ちをしていた親衛隊員達が仲間を救うべく彼の襟首を掴んで危険地帯から引きずり出し始めていた。
――チッ、冷却槽はもっと広く取らないと危険か……。
セルは不機嫌そうな表情になると反省点を心に刻みこむ。
お湯を出していた隊員の火傷は相当なものだろうが、合計二〇人になる親衛隊員がいれば外傷は残るまい。
何しろ、一般の親衛隊員といえども、その採用条件には最低でも治癒魔術が使える事が含まれているのだから。
――防水板はこれ以上用意していないし、今日の所は連続発射実験はお預けだな……しかし、これ以上冷却槽を大きくするとなると、場合によっては板の強度がもたないかも知れんな。
当然、より分厚く、丈夫に作る事は可能だが、そうなると重量も増えるし移動も手間になる。
ただでさえ大砲は砲弾も含め金属の塊であり、途轍もない重量があるのだ。
台座も砲架と言うにはおこがましい程度の代物だが、強度や発射時の安定性を高める為の重量も必要になる。
しかし、近世から現代の野砲の砲架のように砲口に対して逆Vの字になるようなスマートで屈曲可能なデザインからは程遠い。
単に直方体の石に砲身と砲耳を収める削り込みを入れただけの物だ。
流石に多少の仰俯角を付けられるように砲身直下は少し深く削られてはいるが、砲身を左右に振るような方位角の変更は出来ない。
これでは、砲架ではなく単に台座と言う方がしっくりくる。
この点についてはセル達も理解はしており、きちんと方位角の変更が可能な砲架も開発しなければならないことは解っている。
だが、構造が複雑化する事や、今の台座でも地面に設置して以降も多少の方位角の変更なら可能である事もあって喫緊の問題ではないと判断されていただけだ。
とにかく、相当な重量物であることに変わりはない。
ここまで運んでくるのでさえかなりの苦労が伴っている。
防水板も、今よりも厚く作って強度を高めるとなると、たった一枚でも人力での移動は難しいだろう。
――馬も馬車も新たに手配せねばならんか。金の方はどうとでもなるが、問題は馬の方だ。好きに買えないのは痛いんだよな……。
ロンベルト王国のように大昔の為政者が馬や牛を保護したなどという事はないが、デーバス王国でも人や動物の出産にあたって介添えをするという習慣はない。
出産は“汚れ”とも捉えられており、たとえ王侯貴族でも介添を受けられないのがデーバス王国の文化なのだ。
当然、デーバス王国に転生した者達もこの風俗を改めるべく頭を捻ったが、ロンベルト王国とは異なり法に定められてはいない事が厄介だった。
ロンベルト王国では曲がりなりにも「出産にあたって介添えを受けることが出来る者は貴族、平民、自由民のみとする」という法律があり、少なくとも一部の人の出産の介添えについては忌避される文化はなかった。
だが、そもそもそういった法もなく、ただ文化的な問題で“出産時の血液は汚れている”とか“母親の胎盤に本人以外が触れるのは悪神や悪魔を招く”などという迷信がはびこっているデーバス王国では、動物の出産は当然、人の出産でも介添えを行うような文化は無かったのである。
尤も、貴族や平民でもそれなりの金持ちは身内の出産において直接の介添え人ではなくとも見届け人と呼ばれる助産婦を雇うことは多い。
産道から赤子の頭が出始めたらすぐに引っ張り出すなど、直接の出産の手伝いこそしないが、完全に出産を終え、体力を振り絞って弱った母親や、生まれたばかりの赤子に対し、血液に直接触れないように注意しながら産湯代わりのお湯をかけ流してやったり、即座に治癒魔術を掛けてやるなどやれる事はそれなりにあるためだ。
――まぁ、それでも金さえ積めば馬の購入はともかく馬借を雇うことはなんとかなるだろ……。
連続発射試験こそ出来なかったが、発射自体は成功裏に収まったし、その威力についても十分なものが確認された。
そして、次発も可能である事も判明したのだ。
セルとしてはかなり満足な結果だった。
――アレク、待ってろよ。来月中には前線まで最低でも二門は届けてやるからな……!
・・・・・・・・・
この日の夕方、ランドグリーズのゲグラン男爵邸には、相次いで二人の若者が入っていった。
一人はダート平原のケルス村に駐屯していた白凰騎士団の第五独立警備小隊に所属する男爵家の奴隷で、もう一人は同じくダート平原のコミン村に駐屯していた白凰騎士団の第六独立警備小隊に所属する奴隷だった。
二人共、主人への重要な連絡を携えている。
期せずして同タイミングで主家へ戻ったのだが、お互いに白凰騎士団本部へ行く必要があった。
彼らの目的地は、この主家ではなく、王国東部の最前線なのだ。
二人は軍属になっているとは言え、奴隷階級であるため、所有している通行証は任地であるダート平原と王都ランドグリーズまでの物しかない。
従って、王国の東部まで行く為には騎士団から新たな命令を発して貰うことで東部までの通行証を得る必要があったのだ。
その為には主人の父親であるゲグラン男爵へ掛け合い、騎士団に対して口利きをして貰う必要があった。
なお、当然ながら二人共、お互いの事はよく知っている。
「あれ? ジェイスか? お前、なんでお屋敷に居るんだよ?」
「そう言うヨミスの兄哥だって、なんで?」
主人が買い集めた奴隷達が暮らす建物で顔を合わせた二人は互いに驚いて言う。
「レーンティア様へ至急のご報告があってな……」
「兄哥もか。俺もレーンティア様に大至急お伝えしなきゃならない事が出来たんだ」
「そうか。まずいことか?」
「わからない。俺にとっては失態の報告でもあるし。だけど、伝言だよ」
「伝言? 誰からのだ?」
「ロンベルトの貴族か騎士団の奴」
「名前は?」
「聞いたけど教えてくれなかった……」
項垂れるジェイスを見て、ヨミスは難しい顔をした。
「お前なぁ……」
「わかってるよ。でも……とんでもねぇ魔術の使い手だった。それにレーンティア様の事も知っていたようだった。できるだけ早く伝えなきゃ、レーンティア様はきっとお怒りになられるか、悲しまれるだろうって……」
「伝言の内容は?」
「これだよ」
ジェイスは懐から小さな板を取り出すと表面に書かれた文字を見せる。
「レンラクヲマツ? なんだこれ?」
「知らない。ロンベルトの言葉なのかも知れないけどわからない。ギルス先生も意味がわからないって首をひねってた」
「ふーん……」
眉間にシワを寄せながら、ヨミスは暫くの間板に書かれた文字を見ていたが、すぐに肩を竦めて理解を放棄した。
「ところで、兄哥はどうして?」
「ああ。俺の方は悪い報告じゃない。だけどここではちょっとな……」
ジェイスの問いにヨミスは急に小声になる。
「え?」
「今は気にするな。それより、お館様はお戻りになられたか?」
「いや。俺もさっき母屋で聞いてみたらまだ今日はお戻りになられてないって……」
「そうか。でも俺の方はともかく、お前の方は急ぎみたいだし、今晩中にお願いしないとだな」
「うん。俺もそう思ってた。遅くなってもお館様には今日中にお願いしておいた方が……」
「だろうな。ついでだし、俺も一緒にお願いに行ってやるよ」
娘に甘いところのあるお館様ならば、二人が頼み込めば屋敷にいる馬を使う許可もくれるかも知れない。
もしも許可が得られたら、二人はご主人様の元へより早く到着できる見込みだ。




