第三百二十話 セルヴォンヌ湖 3
7451年7月25日
アルがダート平原に火を放ってから十日。
炎は未だに燃え続けていた。
河川や植生などで燃え難い場所もあってかなり歪な形ではあるものの、焼けた面積は放火点を中心としてざっと見ても直径五㎞にも及んでいる。
だが、火災後四日目から八日目にかけて雨が降った事による湿度の上昇や幾つかの河川によって延焼が阻まれた事もあって、火災は当初の勢いを失い、火勢もだいぶ弱まりつつあった。
アルが得た経験値も一四万程で頭打ちとなって久しい。
放火点よりもずっと北にある野営地にも焦げ臭い匂いが届いており、風向きによっては薄い煙まで到達するようになっている。
「そなたとそなた。延焼範囲の視察に同行しろ」
「「はっ」」
アルは適当に二人を選択、随伴させ延焼範囲の調査に出掛けた。
このように数人単位での調査は今から一週間ほど前から行われており、今ではもう既にルーチンと化している。
連日行われている調査の結果、現在ではもう火事の外周部でも鎮火してしまった場所も多いことが判っていた。
一番近くにある鎮火済みの場所を目指し、アル達は馬を進めているがその速度は非常に遅い。
焼け出されたモンスターによる襲撃は放火から二日程度で収まっており、今ではモンスターや動物は疎か、鳥や虫すらも見掛けない。
野営地を発って数時間の後、やっと火災の外周部にある鎮火済みの場所へ辿り着く。
一番近い炎は数百メートルも離れている上にそこまでの間に可燃物は殆ど残っていないため結構安全だが、匂いはかなり強烈なうえ、地面のあちこちや燃え残った樹木からはまだうっすらと煙が立っている。
「今日は東廻りで行くぞ」
アルの声に、二人の騎士は短い返事をして移動を開始した。
「あまり広がってはいないようですね」
「昨日も雨が降ったしな……」
騎士達の会話にアルは反応せず、鋭い目つきでまだ燃えている炎やその周囲を観察する。
アルの観察では、当初こそ炎は帯状に燃え広がっているかに見えていた。
だが、一日程経った後では直径数十~百mほどの塊状に分かれて、各々が移動するように燃えている事が分かった。
お陰で、火災による被害を殆ど受けずに燃え残っている場所も結構ある。
また、塊状となった火災は河川などに行き当たると、そこで鎮火してしまったり河川に沿って二つに分かれて川沿いに移動することもあった。
これは塊状の炎の火勢や河川の水量、その時の気候などの影響を受けるようで、どうなるか予測をつけにくいことも判明している。
三日前には止み始めた霧雨の中で昼頃から夕暮れまで川沿いを移動する火災を観察していた事もあるが、サンプル数の少なさもあって移動する炎のルートに対する予測など不可能と結論付ける事しか出来なかった。
なんにしても、樹木が完全に燃え、更地のように出来た範囲は当初に火を放った二〇〇m四方より僅かに広い程度で、残りの大部分は枝先や葉、地面に積もった枯れ草こそ燃えはしたものの、樹木の幹の内部までは炭化せずに焦げた樹皮を晒したまま残っている場所の方が圧倒的に多い。
――枝や葉はなくなったから視界は大分開けたが……。
アルとしてはもっと多くの面積を焼き払うことで、あまり手を入れる必要がないまま開拓可能な土地になると予想していた。
しかし、その予想は随分と楽天的なものだった、という事が判明しただけだった。
尤も、それが判っただけでもダート平原の土地開発においては大きな進歩ではある。
――しかし、表面だけでも燃えてくれたのは助かるか。
視界が広くなった分、次は当初よりもかなり広範囲に亘って超高温の炎を放つことも可能だろう。
少し高めで広い範囲を見渡せる高台を作るなら平方㎞の単位で超高温域を作れる。
燃え残って表面が焦げた樹木程度ならあっという間に燃やし尽くせる筈だ。
――多少手間はかかるが森を更地にするくらいなら俺一人でも出来なくはない、と言うことか。
そう思って薄い笑みを浮かべながら、アルは地面の下の事にまで考えが及んでいなかった。
とは言え、耕作地にすることを考えないのであれば、いかな大木の根とは言えども当面は放っておいて、邪魔になってから処理をするという方策を採ってもあまり害はない事も確かだった。
そして、アルには焼き払った場所については耕作地にする考えはない。
現在のところのダート平原は、わざわざ焼畑農業などしなくても土地は十分に肥えているのだから。
――しかし、自然の火になるとあんまり燃えないもんなんだな……。
天候などの諸条件を考えると充分に燃え広がっているためアルの感想は的外れではあるが、そもそもの目的を考えると確かに期待外れだったと言ってもいいだろう。
――この様子ならもう少し雨が降ればあと一週間もあれば完全に鎮火しちゃうだろうな。
こちらの予想は当たっており、この森林火災は丁度一週間後に自然鎮火した。
・・・・・・・・・
7451年7月27日
「では、後を頼む」
そう言ってアルはべグリッツへと帰還していった。
現地に残された騎士団員達は鎮火を確認するか、再び火勢が強まるまで火災監視の任を続けなくてはならない。
そしてこの日の昼過ぎ、騎士達は馬に水をやろうとセルヴォンヌ湖から少し離れた湿地に近づく。
火事はこの湿地の西側を少し焼いたあたりで鎮火したらしく、東側はまだ青々とした葦のような草が生えているし、水面も見える。
彼らが近づいたのは当然ながら焼けた西側からだ。
そこで騎士達は少し奇妙な焼死体を発見する。
焼死体は殆ど原型を留めておらず、食い荒らされていた。
焦げた鱗に覆われた体表はともかく、食われたらしい肉の断面は焦げてはおらず、直接の死因までは不明だが、死んだ後で何者かに食い散らかされたと思われる。
が、問題はそのステータスだった。
固有名が表記されていないばかりか、損壊が激し過ぎて種族名どころか【死体】というステータス表記すら失われているのは当然としても、興味を持った騎士団員が死体の一部を毟り取って見たステータスは……。
【ブラックドラゴンの鱗】
という、まさに目玉が飛び出るくらいとんでもない代物だったのである。
現場に残された死体の欠片をどうにか並べてみると、体長一mも無いような小さなブラックドラゴンの死体のようだった。
年嵩の騎士により、周辺をくまなく調査した結果、他にも幾つかかつて【ドラゴン】という種族だったものが転がっているのを発見する。
中には死んでからかなりの年月が経ち、一部の骨しか残っていないような物まで含めると全部で二桁にも上る数がこの場で竜としての生を終えているものと推定された。
「なんだ、これは……?」
「ここ、ド、ドラゴンの墓場か何かですかね……?」
騎士達は顔を見合わせて震える声で会話する。
「証拠として幾つか持って帰ろうか」
年嵩の騎士の言葉に、残る騎士達も頷いた。
だが、その顔には怖れの他に隠しようもない欲望の表情が見え隠れしている。
なにせ、この場所自体はグリード侯爵の領地ではなく、デーバス王国の勢力圏下とされているのだ。
落ちているものを個人の所有物にしたところで罪に問われる事はない(自国内であればその土地にある全てのものはそこを治める上級貴族の所有物と見做されてしまう)。
ドラゴンの鱗は当然高い価値を持つだろうし、腐りかけた肉はともかくとして骨すらも好事家や物好きの貴族などは買い取ってくれる可能性がある。
牙や爪なども伝説が本当ならそんじょそこらの業物程度など霞むほどに鋭い切れ味の刃物に加工できる筈だ。
尤も、牙は子供の小指の先程度の大きさだし、爪も長さ二㎝程度もあればいい方なのでその方面での価値は殆どないとは思われるが。
それはそうと、要するに宝の山。
それがこの周辺には沢山散らばっている。
騎士達はあっという間にドラゴンの死体をまとめて紐で縛り、小さなものは汚れるのも構わずに乗騎のサドルバッグや頭陀袋へ突っ込む。
死んでから時間が経ち、骨だけとなっている死体も、まだ腐った肉の残る比較的新しい死体も、残された部位は僅かなため量自体は大したものではない。
しかし、目も眩むような宝の山を前にして、騎士達の警戒心は極限まで緩んでいた。
尤も、大規模な森林火災の直後で、自分達以外に動くものなど全くいない場所での事だけに、これを責めるのは少し酷かもしれない。
とまれ、気の緩んだ彼らは同じく火災の調査にやってきたデーバス王国のパトロール部隊に捕捉され、完璧な奇襲を受けてしまった。
放火によってアルが得られる経験値は、最初の超高温の炎を維持していた間に死んだか、それによって致命傷を負って24時間以内に死んだモンスターのもののみです。
樹木に着火後に炎や煙に巻かれて死んだモンスターの経験値は自然死と同様に時空の狭間に消えてしまいます。
面積から言って以前に二代目ゴルゾーンドクーリを倒した直後の誘引よりもずっと高いのは、当時戦場となったダービン村は元々数百人もの人口を抱えており、近辺にはスライムやリーチなどは少数しかいなかった(今回はダート平原のど真ん中なので最初の放火範囲はずっと狭い面積ですが、千単位で居ました)からです。
なお、森林火災を含めた林野火災ですが林野庁の発表によると平成以降の日本では毎日3件以上(年間1,200件)、世界だと毎日4916件(年間1,794,400件)の森林火災が発生しているそうで、あまり珍しいものではありません。
ダート平原でも落雷やモンスター同士や人間との戦闘による失火、火を使った開墾などが原因で毎日1件程度は発生しています。
ただ、あまり乾燥する土地柄ではないため今回のような規模の火災は非常に稀です。




