第三百十一話 悪魔の所業
7451年5月16日
朝から出仕した行政府で冒険者への依頼を指示する。
内容はガルへ村の南にあるというエルドという村への偵察だ。
エルド村はガルへ村よりも少し規模の小さい村で、通常は三〇〇程度の守備隊が駐屯しているとの事だ。
その情報は最新の情報ではあるが、最新と言っても一カ月程前の情報である。
ガルへ村に駐屯している王国軍からも二~三カ月おきに定期的な斥候は送っているが、パトロールや斥候のローテーションは崩したくないだけの話だ。
ミューゼやギマリに要塞を築いた件について、経過時間(一ヶ月も経っていない)から言って周知されている可能性は非常に低いが、防衛部隊の増員や防衛施設の増築が行われていないとは言い切れないからね。
まぁ、多少の増員や増築が行われていたとて、あんまり関係ないとは言えるが万が一ということもある。
念には念を入れておいて損はないだろう。
その後、幾つかの上申事項について決済を行い、一〇時前には騎士団へと移動した。
「今月末にコラン村を攻略するつもりだ」
コラン村はエルド村の南西に位置する、平均的な開拓村だ。
規模は人口で約七〇〇~八〇〇というから、俺の領内だとロリックに任せているラッド村と同じか少し大きい程度である。
「コラン村を? いきなり過ぎませんか?」
少し驚いた顔でバリュート士爵が言う。
エルド村を無視して更に奥地にあるコラン村を攻略する事に合点がいかないのだろう。
「団長。団長のお力ならコラン村の攻略は問題ないかと存じますが、エルド村はどう致しますので?」
カムリ准爵も腑に落ちない、という感じで発言した。
「そちらは当面放っておく。また、コラン村も占拠するつもりはない」
「と、仰いますと?」
バルソン准爵が疑問を呈してくる。
当然だろう。
「デーバスの注目をダート平原の西部に集めることが目的だからだ……」
俺は続けてコラン村の攻略とその目的について解説した。
最前線にほど近いが、位置的に最前線とは言えないコラン村。
一足飛びにそこを壊滅させれば、誰でも慌てる。
破壊状況の調査もさることながら、一体どうやってロンベルト王国は一つの村を攻め落とせるだけの兵力をエルド村の守備隊に見付からずに送り込めたのか調査をする必要に駆られる筈だ。
デーバス側が掴んでいない道を開通させた可能性も捨てきれない以上、コラン村周辺の再調査は絶対に欠かせない。
さもないと、更に奥地にあるほぼ無防備な村や街がいきなり戦火に見舞われる事態にも繋がりかねない。
彼らにとってかなりの兵力を動員してでも徹底的な調査が行われるだろう。
特にガルへ村やラッド村、場合によってはベージュ村といったロンベルト領内の攻略部隊の進発・集積地になり得そうな村に対する監視も強化される筈だ。
その分、ダート平原の別の地域が手薄になる。
こちらはその間に本格的なダート平原侵攻の足掛かりとするため、中部ダート(ドレスラー伯爵領)や中西部ダート(ランセル伯爵領)の南に要塞を建設する。
これらの要塞は単純に距離や方位的な位置取りを重要視するのでロンベルトとデーバスに所属する既存の村を潰して建設するつもりはない。
要するに、今まで森だった場所を切り拓いて作るつもりなのだ。
そのために、一時的でも要塞の建設候補地に対するデーバス側の目を逸らしたい、という理由である。
「コラン村の攻略には私がガルへ村に駐屯している王国軍から一個分隊程度の人数を率いて当たるつもりなので、すまんがそなたらの出動はない」
バリュートを始め、全員が少し落胆した顔になる。
俺と一緒の攻略戦なら手柄を立てる機会だと考えていたのだろうが、俺と一緒ならそれこそ手柄を立てる機会などないんだからそんな顔をしなさんな。
「それよりも、そなたらリーグル伯爵騎士団の幹部には来月から予定されている第一回エムイー訓練の準備や訓練教程、指導法の練り直しに力を注いでもらいたい」
第一回とは言うものの、正確には第二回だが俺の訓練記録はあくまで参考なので、実質的にはこの六月スタートのエムイー訓練が第一回となる。
「因みに、この第一回エムイー訓練課程についてはランセル、ドレスラー、エーラースの各伯爵騎士団から団長以下数名が視察と称して期間中べったり見学に付く事になっているからな」
この件については昨日のうちにマリーには伝えていたので彼女だけは顔色を変えなかったが、他の三人は一斉に目つきを鋭くした。
うん。
「こう言うのも何だが、このリーグル伯爵騎士団は私が二年間に亘って関わってきた騎士団だ……」
順繰りに四人の目を見回しながら言う。
「まぁ、他の三騎士団も私の管掌下ではあるが、そちらの方は領有してからさほど経ってはいないし、完全に掌握したとは言い切れん……新参者共に舐められるなよ?」
最初期から関わってきたリーグル伯爵騎士団だが、現時点では他の騎士団と比較して強力だとは言えないと思っている。
多少優れたところもあるかなぁ程度の、一般的な郷士騎士団の域を出ていない。
だからこそ、今のうちに将来的な俺の戦力の中核を担うのだ、という意識付けや自信が必要だろう。
「去年の訓練を参考に、しっかりと扱いてやれ。それと、何度も言うがエムイーは資格だ。騎士位とは異なる事については常に忘れるな」
要するにエムイー訓練学生(受験者)をふるいに掛けろ、とか、出来る奴はもっと伸ばせ(出来たら最高だけど)、という事ではない。
エムイー資格が取得出来るように最低値をクリアーさせるように扱け、という意味だ。
「確か、志願者は一四人だったな?」
俺の質問にマリーがその通りだと答え、志願者の氏名や所属(騎士団員とは限らないからだ)を続ける。
志願者はトリス、ジェル、ロリック、キム、ロッコ、ビンス、ジンジャーといった騎士団員以外の殺戮者が半数を占めていた。
彼ら以外の殺戮者の面々は領地経営の問題や妊娠と出産問題もあるので受験時期をずらしている。
騎士団からはデーニックを始めとする騎士が五名に古参の従士が二名だ。
このうち何名がエムイー訓練から脱落してしまうかは分からないが、願わくば全員がパスして欲しいところだよね。
なお、たとえバークッドからの帰還が間に合っても今回の訓練にミヅチとクローは参加させない。
訓練期間は大きな問題でも発生しない限りは一〇週間(二ケ月間)。
最初の四週間は体力調整訓練期間であり、最終日に初日と同様のテストが行われる。
ここで基準値に達していなければ足切り不合格……ではなく一週間後に再検定だ。
この時に不合格なら仕方がない。
合格者は一週間の休暇だ。
そして六週目から最終日までは去年に俺もやった想定訓練だ。
予定通りに進行すれば七月いっぱいで終了する予定である。
「ああ、今回のエムイー訓練が終わった後な……」
俺はちょっと笑いながら言う。
「八月からはそなたら全員……今ここにはいない騎士バラディークとミヅチも含めての六名になるが、幹部エムイー訓練な。拒否をしてもいいが、推薦者は私なので拒否するなら相応の覚悟をしておけよ?」
俺の言葉に全員がぎょっとした顔になる。
「心配するな。幹部だけに年喰ってる者も多いし体力検定は通常のエムイー訓練よりも少し基準を緩めるから」
その替わり、訓練期間は体力調整期間も含めて三カ月だけど。
部隊指揮を始めとする座学なんかもあるし、通常のエムイー訓練よりは長くなるのは当たり前だよね。
「その後は基本的に幹部エムイーの有資格者がエムイー訓練の教官となる。エムイーの有資格者はそれを補佐する助教だな。その頃は私もなにかと忙しいだろうが、時間が許す限り徹底的に扱いてやるから期待していいぞ」
こいつらも俺の訓練時には教官としてほぼ同じ行程を辿ったのだ。
まぁ、交代しながらだったけど、俺は訓練期間の短縮に全精力を傾けていたから移動も相当に早いペースだった筈だ。
教官役だったから馬に乗ったりして楽をしていた部分もあるが、出来なくはないだろうさ。
怯えたような顔つきになる騎士たちを見回して解散を命じた。
さて、まだ完全に疲れも抜けていないし、もうこれで屋敷に帰って休みたいところだが、まだまだやっておかねばならない事は数多く残っている。
まずは騎士団関係の決裁。
それを済ませたらトールのところにでも行って工作機械や焼玉エンジンの設計の進捗確認だ。
その後はダイアンの工房に顔を出して弾丸組み立てについての指導と、保管している弾丸から今日の分を受け取ってコートジル城まで出向き、品質検査を兼ねた試射がある。
それからやっと屋敷に戻るが、飯を食ったら半導体を使っての無線送信機の試作陸号機の設計をしなくてはならない。
因みに、試作弐号機まではトランシーバーみたいに半二重通信(同時に送信と受信が出来ず、交互に交信することになる)しか出来ないものだったが、試作参号機以降は一般的な無線機同様に全二重通信が可能になっている。
また、試作伍号機まではダイオードやオペアンプを使って作っていたが、どれもそれなりの体積があり携帯性に欠けていた。
その他に部品の品質からくる寿命問題もあったが、ゴムシーリングを採用したことで部品の寿命は飛躍的に伸びた。
今製造している半導体は最低でも半年間は動作が保証できるだろう。
尤も、部品を載せた配線基板全体をゴムでシーリングする、という手もあるにはあったが、故障時の部品交換が出来ず、無線機全体が使い捨てに近くなってしまうので採用しなかった。
それらに加えて長時間に亘る安定した電源供給にやっと目処がついたことと、バイポーラトランジスタの制作が軌道に乗った(と感じられた)ための新設計だ。
はぁ、面倒くせ。
・・・・・・・・・
7451年5月28日
「お気をつけて」
トリスとベル、ミース、ジェル、その他ドランでゴロツキだった者たちなど諸々に見送られてガルへ村を進発した。
付き従うのはガルへ村に駐屯していた王国騎士団から六名だ。
全員の馬にそよ風の蹄鉄を履かせているため、不整地踏破力を含めた機動力は非常に高い。
目指すは南西にあるコラン村。
距離は……一五~二五㎞くらいだとさ。
誤差と言うにはあまりにもでか過ぎるが気にしてはいけない。
ガルヘ村から少し西に向けて数分移動する。
小さな川にぶつかった。
川幅は二m強といったところで、深さは最深部でも五〇㎝程度だろう。
そよ風の蹄鉄などなくても、その気になれば人が徒歩でも渡れる程度の小川だ。
ダート平原を流れる川の、名もなき支流の一つで珍しくもない。
沢蟹みたいな小さな蟹が川岸に見える。
また、ハヤみたいな小魚が泳いでいることもわかった。
流れている水も清流と言っても良い透明度で飲んだら美味そうだ。
「では先導を頼むぞ」
俺の言葉に頷くのは斥候としてエルド村に対する偵察を五回も成功させ、コラン村近辺にまで行った経験のある、三十路を超えたおばちゃん騎士である。
「はっ。お任せ下さい。ですが、その、本当に大丈夫なのでしょうか?」
彼女が気にしているのはコラン村までの移動路を川と定めているからだ。
使った経験もなく、実際に見たこともない以上、そよ風の蹄鉄の効能について不安なのだろう。
「大丈夫だ。見ろ」
彼女を始めとする騎士や従士たちを安心させるため、まず俺が川面に馬を進めた。
「おお!」
「水の上に……!」
「沈んでいない!」
ウラヌスの蹄は水面上にあり、川面の揺らめきで僅かに蹄の先が濡れている程度だ。
「魔法の蹄鉄を着けている限り、水に沈むことはないから安心しろ」
俺の言葉におばちゃん騎士が意を決したような顔で馬を進める。
そう言えば、そよ風の蹄鉄を履かせた馬は水面だろうがガレ場だろうが躊躇することなく足を踏み入れるばかりか、全速力で走らせている最中に川面やガレ場に突っ込んでも路面状況の変化には全く動じることはない。
そこらあたりもこの蹄鉄の魔法の効果なんだろうな。
川面を移動し始めて二〇分ほど。
この軽快な移動速度を考えればエルド村は超えたんじゃないかな?
最初こそおっかなびっくりといった様子だった騎士たちもすっかりそよ風の蹄鉄に慣れたようだ。
水面に枝が差し掛かっていたりするので流石に全速力は出していないが、地面と違ってほとんど起伏のない場所を移動しているからか、騎士たちにも余裕が伺える。
もうとっくにデーバスの勢力圏下なので無駄口こそ誰も叩かないが、表情には馬を駆る楽しさすら伺える。
川面を走る限りにおいては、足音すら碌に立たない事もその一環だろうな。
薄い水たまりの上を走らせるような、ぱしゃぱしゃと軽い水音が立つだけなので川のせせらぎにかき消されてしまう程度だ。
と、先頭を行くおばちゃん騎士が握った右手を上げ、馬の速度を落とし始めた。
俺は彼女の隣まで馬を進める。
「この先、川が分かれている筈です」
「そうか」
ここに来るまでも二回ほど川が分かれていたが、彼女は迷うことなく進む川を選択してきた。
「確実にご案内出来るのはここまでです。この先は少し自信がありません」
それは最初から聞いていたので不満はない。
「間違っても構わんよ。行こうか」
コラン村までの距離を考えれば、もう半分は過ぎているはずだ。
多少間違って引き返す事があっても日が暮れるまで辿り着けない、などということは無いだろう。
何せガルへ村を出たのは朝八時頃だし。
……二回ほど引き返す羽目になったが、体感で九時頃にはコラン村らしき耕作地を目にすることが出来た。
この支流を進めばあと一〇〇mも行かずに耕作地に入れる。
ここでおばちゃん騎士は馬を陸に上げた。
「あれがコラン村だな?」
俺の問いにおばちゃん騎士は暫く耕作地や居留地を観察した後で「はい。昨年見た時とあまり変わっていません」と答えた。
「わかった。では行ってくる。馬を頼むぞ」
ウラヌスから降り、耕作地に向けて移動した。
・・・・・・・・・
ギマリ村を攻略した時と同様に農奴があまり居ない場所で高台を作ると一気に駆け上り、間髪入れずに耕作地を粘板岩の壁で覆う。
高さは例によって一〇mだ。
しかし、今回は切れ目は入れていないし、高さを低くしたりする事もない。
但し、厚みだけは一五m程も取っている。
そして、耕作地で腰を抜かす農奴を尻目にMAXレベルの水魔法を使う。
巨大な水球を居留地の上空まで移動させた。
経験値は……ギリギリのところでレベルアップこそしなかったが結構増えたね。




