第三百十話 隣国の転生者達 3
7451年5月15日
「そこまで卑下する必要はないと思います……ないわ」
言ってから他人行儀すぎると思い直したのか、それともここには殺戮者しかいないと思い出したのか、はたまた全く別の思惑からか、マリーは優しく微笑んで言い直した。
「卑下? 何が?」
自分を卑下したつもりはなかったが、そう聞こえてしまったか。
「あなたは良くやってると思う。田舎の士爵家の、家督も継げない次男坊からここまで成り上がっただけでも大したものよ」
「……」
「それと比べたら、国の中枢に入る事が約束されている公爵家の跡取りが『学校』とか下水道とか作る程度、何程の物だってのよ」
ああ、なるほど。だが、俺が考えていたのはそれじゃない。
技術……と言うのも烏滸がましいが、世の生活レベルの向上に役立つ知識を公開した者と、己の目的のために公開を見合わせている、または自分含めたごく僅かな人数だけが享受できるようにしている者との違いだよ。
後者である俺は、周りからどう見られ、どう思われるのかね?
ま。そんなもん、今更だ。
土地やそこで暮らす人々を治める貴族としては周りからの評価自体は気にならなくもないが、どう評価されようとも俺は俺だし、今の所この方針を改めるつもりもない。
そんな俺には肩を竦める事でしか答えようがないね。
「すまなかったな、先を続けてくれ……」
気を遣わせちゃったようだな。
・・・・・・・・・
「貴国ではどのような政策を……?」
セルは自信に溢れた表情で尋ねてくる。
民主制や共和制の長所をよく理解しているだけに、マリーとしては自分が責められているようで少しいらつく表情だ。
が、ジンジャーは「階級制度を廃して国民全員を平民にするなど正気の沙汰とは思えない」と感じて逆に心が落ち着いたくらいであった。
「正気の沙汰ではない」事を実行しようとする、その裏の理由が存在するはずだと考えたためである。
「今の我が国において、階級制は国家の根幹を成しています。我々軍人は国家を維持運営していく一機関員にすぎませんから、当然現在の制度を守護する立場にあります。それは南方総軍司令官職に補されたグリードも同様に考えております。従いまして、従前の政策を護持する方の立場です。必要なら改正や修正を行うことでより良い世の中を目指すのは当然ですが……」
どうにか捻り出した答えは騎士団員――国家や貴族階級に奉職する体制側の軍人としては完全無欠の合格点である。
しかし、セル達のようなオースよりもずっと進んだ社会を識っている元日本人からは「多少高い地位に就く事が出来た幸運な者」の保身からくる利己主義にも聞こえ、神経を逆撫でた。
マリーが仕えているグリード侯爵はここ最近、ダート平原内のデーバスの村を三つも陥落させている事もあって面白い存在とは言えないことも大きい。
まして、それが元日本人の“生まれ変わり”と確定した以上……。
「それではいつまで経っても奴隷はなくならないわ!」
「ああ、貧しい者達から搾取する貴族社会が維持されていくだけじゃないか!」
アル子とヴァルが語気を強めて言う。
「バラディークさん……あなた方も元は現代社会に生きていた『日本人』なら、この世がどれだけ野蛮で、遅れていて、慈悲の欠片もない理不尽な世界であるかは理解しているとばかり思っていたのですが……」
セルの声は落ち着いていたが、内容はより辛辣であると言える。
ツェットも「それでは奴隷は一生奴隷でいろ、と言っているのと何も変わりませんな」と一言だけ述べてジョッキを傾けているが、その目に宿す光にはマリーやその後ろに控えているであろう者達への嫌悪が強まった。
「ええと、どちらの政策が正しくて、より未来を明るくするのかについて議論をお望みですか?」
彼らの声や視線を柔らかく受け止めつつ、微笑んでマリーは答えた。
その様子にデーバスの四人は鼻白む。
彼らの目的は相手をやり込めて恭順させることではなく、懐柔し、味方陣営に引き込むことであることを思い出したからだ。
「……であれば、困ったことに小官は外国の要人と国家や領土の政策について議論する資格を持ちません。それでもよろしければ非公式な意見交換としてお付き合いするに吝かではございませんが……」
「い、いえ、そのようなつもりではありませんでした……」
セルは慌てて詫びようとするが、全て言い終わる前にマリーは「私個人としては皆様のお考えに賛同しなくもありません。ですが、先にも述べさせていただきましたように我が国や我が領土には今現在、そういった余裕はありません」と被せ、澄ました顔で料理を口へと運んだ。
「すみません。貴方のお立場も弁えずに……先の発言については取り消させて頂きたいと思います」
セルが詫びると同時に残る三人も揃って詫び始める。
・・・・・・・・・
「マリー。お前、ちょっと気持ち良かったろ」
ニヤッと笑い掛けながら言った。
「ん。言われっ放しだったから少しはね。でも……」
「ええ。マリーはあくまでも“今は余裕がない”としか言っていませんでした」
マリーとジンジャーの言葉に頷く。
デーバスの人たちはデーバスの人たちで、そこに気付く余裕がなかったのだと思う。
何せ、突然に現れた転生者だ。
まずは自陣営に取り込もうとするのは当然だろう。
そのための説得材料として民主的な世の中を実現する、というのは一定の効果も見込めるだろうし、聞く者は魅力的に感じる可能性もある、と言うより元が日本人ならそう思う者の方が多くても不思議はない。
そして、マリーたちの報告を聞く限りでは、彼らは押しなべて世界中から貴族制や奴隷制を無くすのは絶対に正しい行いだと心の底から信じているように思える。一向にその考えに賛同せずに言葉をはぐらかし続けるマリーを面白く思うはずもない。
「だけど閣下、民主だとか共和だとかはマリーの説明を聞いても私にはよく解りません」
続けられるジンジャーの言葉に視線を彼女へと移した。
「今の社会よりもより良くなると言われたら、そういうものかとしか……それも閣下と同じテンセ、転生者だというマリーが言ったからなんですけど」
「……」
「私には今の世の在り方の方が当たり前としか思えません。読み書きすら満足に出来ない奴隷を解放したところで……碌でもない書類に署名させられて詐欺みたいな犯罪被害に遭う者も大量に出ると思います……」
「……」
「計算も出来ませんから税も碌に払えないでしょうし、いいとこ数年で奴隷に逆戻りです」
だからこその学校設立と教育なのだろうがな。
「何より、奴隷の所有者はただ財産を毟り取られるばかりではありませんか」
そうなるねぇ。
「そんなの、奴隷持ちにしてみたらたまったものじゃありませんよ」
うん。
マリーは黙って俺とジンジャーの会話の成り行きを見守ることにしたようだ。
仕方ねぇな。
「そうか? 奴隷を売って金に変えることが出来なくなるだけじゃないか。それは今のまま売らないでいる事と大した違いはないぞ?」
わざと言ってみた。
「……奴隷商は困ります。そして、代金さえ払えば簡単に労働力を得られる立場の人も困ります」
「奴隷商は数も多くないだろうから行政府なりが補填してやってもいいだろう。本気で奴隷を解放するというならその程度の出費は覚悟の上だろうさ。そして買う方の者だが、労働力として奴隷を購入する必要はない。奴隷から解放された者を中心に、ちゃんと給料を払って雇えば済む話だ」
これもわざとだ。
「……奴隷商は商売の種がなくなるので商い替えの必要が生じます。幾ら補填してやるとは言え、全額保証は無理でしょうし、たとえ全額保証が行われたとしても、慣れない商売への鞍替えになるはずです。不安もあるでしょうし、何よりそれで成功する保証はありません……」
考えを整理するためか、ジンジャーは僅かに黙ったが、すぐに答えてきた。
この短時間でよくこれだけの内容を答えられたな。
まぁ、帰り道でマリーとは結構話していたみたいだしね。
「他の商家や農家、貴族などは出費が増えるだけです」
確かに、給料を払うとなればそうなるな。
まともな額を払う、というならばだけど。
「雇用についての報酬は今とあまり変わらない内容で契約すればいい。働きが悪いなら雇用を切って新たな者を雇えば済む。今までは必要だった奴隷商との交渉もいらないしな。そして、奴隷商は仕事の口利き屋にでも商売替えをすれば良いのではないか? やる事自体は奴隷の売買とあんまり変わらないと思うぞ」
人材派遣業みたい、と言うよりそのまんまだな。
「でも、それでは病気や怪我などで働けなくなったら……」
「有給休暇制度を導入すれば大部分は解決するのではないかと思う」
殺戮者の、それも女性ならよく理解されている制度だ。
「それは閣下が特殊な考えをお持ちで、最初から有給休暇制度を導入されていたから言えることです。ある日突然、一年間で何日も有給休暇を与えろ、とか命じたら大抵の者はそれを“損をさせられた”と感じるはずです」
「そう思われたところで反抗する力がないのなら何も出来まい。仮に反抗する者がいたところで、なんのかんの理由をつけて潰す程度、訳はない。周囲に居る似たような考えの持ち主は恐ろしく思うだろうな」
さて、何と言ってくるか。
「……わかりました。一般の者であればそうかもしれません。でも、私達は? 私も身の回りの世話をさせるために奴隷を三人持っています。幸いなことに、私はファイアフリード閣下の補佐役ですから自分の領地を持ちませんし、耕作地や坑道の権利も所有しませんのでこの程度の人数で済んでいます。この三人を解放して雇い直したところで被害はたかが知れています。生活費にも多少のゆとりがありますから私個人もその程度の被害であればなんだかんだで許容すると思います」
「……」
「しかしながら、ファイアフリード閣下のご所有なされる数は桁が違います。千人もいるのですよ? その中には病気で働けない家庭もあります。有給休暇程度ではどうしようもない病気だったりもします。過去の怪我が元で軽い作業しかできない者もいます。そういう者に、今と同じ程度の生活を送れるように給料を払えば、普通に働ける者は不満に思います」
マリーは結構話してるみたいだな。
「勿論、閣下が仰るように不満など持った所で抑えつけてしまう事も可能でしょう。そうされてしまえば彼らにはどうしようもないでしょう。でも反乱や一揆を起こされたら? 幾ら奴隷とは言え、こちらも無傷とは行かないでしょうし、あたら有能な者が命を落としでもしたら大損害どころの話では済みません」
まぁ現実は働けないような長患いでもしようものなら、家族や他の奴隷には口減らしを兼ねて売ったと言いながら、裏で殺されてしまうこともある。
そういったことが続き、飢饉も起きて飯も満足に配給されないで一揆や反乱が発生した、なんて話も聞く。
「そして、何より恐ろしいのはその一揆や反乱に、今までの貴族や平民も加担する可能性が高くなる、という事です。閣下であれば村や街程度の反乱を被害なく抑えつけることは造作もないでしょう。しかし、一斉に蜂起されたら? 西ダートだけであれば大した時間を掛けずに現地へ赴くことも叶いましょうが、今や閣下はそれ以上に大きな領土を治めておいでです。同時多発的に領土のあちこちで反乱を起こされたら被害は免れません」
うん。
そして南北戦争みたいに簡単に内戦へとエスカレートするだろう。
そうでなくとも領土のあちこちで一揆とか内乱を起こされた無能な為政者と断ぜられ、王国から借りている部隊も揃って俺に剣を向けるはずだ。
他にも幾らでも理由を挙げられる。
だけど今現在、奴隷を解放しない理由としては充分すぎる。
「うん。確かにジンジャーの言う通り、近々の奴隷制廃止はマイナスの方が圧倒的に大きいな。でも、これだけは覚えておいてくれ。経済の発展には身分制度は邪魔なんだ」
内需拡大と奴隷制(身分制ではない)は相反するところもある。
尤も、流通が発展すれば外需も増加するのでそれで賄える程度ではあるが。
「今は理解できなくてもいい。そして、俺自身、心の底では奴隷制はいつか無くすべ……社会の発展とともに無くなるだろうと考えている。だけど、それは俺たちが生きている間には無理だとも思っている。だから本当の事を言うなら君が理解する必要すらない」
ではなぜ言ったのか?
たまには言いたくもなるのさ。
殺戮者に甘えたとも言えるかもね。
「邪魔をして悪かったな。続けてくれ……」
・・・・・・・・・
「皆さん、謝意はもう充分に受け取りました。そんなお顔をなさらないで下さい。お互いに『日本』を識る者同士、情報交換を出来たらというお気持ちについては私もありがたく思っております」
余裕の声音で言いながらも、マリーは「流石は公爵家の跡取り……いえ、貴族云々ではなく日本人の大人というべきか。旗色が悪いと見るや即座に失点を詫び、取り繕ってきたわね」と感心していた。
その一方でセルはこの場の主導権を握られてしまったと感じている。
そして、そもそもの目的はともかく切り札を一枚握っていることを思い出す。
それの使い所は今が最適かもしれない。
「ところで、今回のご来訪ですが、何でも貴国の要人が移動中に災難に遭われたとか……」
この言葉を聞いて、マリーも「公爵家の跡取り……ストールズ……ああ、あの外務大臣の息子なのか。ならば聞いていても……」と思い至る。
で、あれば、はぐらかした所で無駄であろう。
だいたい、訪問の目的については前回ヴァルとアル子には話しているのだ。
「ええ。そして、その要人とは国王陛下の庶子で、グリード閣下に嫁いでくる最中でした」
「はい。その件については伺っております……」
表情を消したセルが答える。
彼以外の三人も改めて溜め息を吐きながら頷いた。
「……そして、我が国でも対応については検討中です。基本的には事件の解決にご協力するつもりのようです」
「我が国、いえ、グリード閣下に仕える騎士としては非常にありがたく存じます。助かります」
「いえいえ、私も父から聞いただけの事をお伝えしただけですから……」
ここでセルは言葉を止め、真剣な顔つきをした。
「バラディークさん。そしてニューマン閣下」
セルの様子が改まったことでマリーとジンジャーも雰囲気を変えた。
「我々は何としても貴女の信用を得たいと考えております」
その言葉に嘘はなかろう。
マリーとしても新たに知り合った日本人との縁は繋げておきたいところなのだから。
「私は親衛隊について完全に掌握しております。設立の目的が王族の警護という事もあって、各騎士団とは完全に独立した軍組織です」
それについては既に耳にしているが、なぜまた改めて言うのか?
「このブローチが親衛隊員の証です」
セルやヴァル、アル子が身につけているそれよりも一回り小さなブローチを取り出してセルが言う。
「これは基本的に胸など目立つ場所に着けることとされています。これを身に着けている者は全て我々の支配下にあると思ってください」
「……」
一体何が言いたいのか?
マリーもジンジャーもセルの真意を掴みかねる。
・・・・・・・・・
「なるほどな」
幾らそよ風の蹄鉄があろうと土地鑑がないランドグリーズから全員無傷で逃げ出せたカラクリか。
あれは馬の速度自体を変えるものではないからな。
半日の間、疲労させず、可搬重量を倍増し、悪路も走破可能にするという、ただそれだけのものだ。
自分で言っといてなんだがそれだけってのもあれだよな……。
まぁいいや。
とにかく、日本人たちとの面談の翌日にデーバスの国王に宣戦を布告したバリュートたちは、ランドグリーズの要所要所に立つ親衛隊員を目印に警備や警戒が手薄な場所を選ぶことが出来た。
彼らは言葉一つ発せず、身振り一つ行わなかったが、マリーたちが視線を合わせるとそっと通るべき道に視線を向けたりしてそれとなく誘導してくれたという。
ひとつ借りが出来たな。
デーバスに宣戦布告をしたバリュート一行に対し、デーバス王国は常設されている一般の軍を動員することで逃走を阻止しようとしました。
当初はまさか宣戦布告されるなどと思っていなかったので王都内には通常の警備の者しか配されていなかったのです。
たかが庶子一人が襲われた程度のことですから、ロンベルト王国側としては明らかに過剰反応です。
尤も、デーバス王国は使者がロンベルト王国ではなくグリード侯爵からのものである事もあって、地方領主が宣戦布告をしてくる訳はないと判断していました。
それでも一行を捉えるよう王命が発せられたため、軍はランドグリーズの要所に急展開しましたが命令を受けられた人数は限られています。
王都ランドグリーズの要所には警備の目的もあるため最初から多少の人数を配してはいますが、伝令の到着までにはそれなりの時間も必要です。
使者達一行の捕縛命令ですが、デーバス国王としても捕まえられたら儲けもの、程度の気持ちです。狙いは開戦するにしてもその時期を遅らせ、デーバス側の用意を整える時間稼ぎです。宣戦布告の使者であるバリュート達が帰って来なければロンベルト側は殺されたものと判断するでしょうし、遅かれ早かれ戦争は避けられません。
なお、宣戦布告ですが一般的なものではありません。戦争を仕掛けようとする国家や貴族があったとしても、普通は何も言わずにいきなり戦闘を仕掛けます。従って、使者を送ってくる事自体、グリード侯爵に戦争の意思はない、と判断しています。
現実でも宣戦布告の習慣は14世紀くらいに発生していますので、オース(10世紀前後)では早すぎるでしょう。
因みに国際条約として認知されたのは20世紀に入ってからです。
それまではいきなり不意打ちで戦争状態に突入して勝っても、ちょっと非難される程度でした。
アルとしてはケジメみたいなもので「宣戦布告をしておけば後で非難されないだろう」という程度です。




