第三百八話 隣国の転生者達 1
7451年5月15日
「ランドグリーズに着いたのは大体一週間前、八日の昼過ぎ頃よ……」
マリーが言うにはランドグリーズに着いてすぐにデーバス側に指定された宿に入ったという。
デーバスの騎士たちに護衛という名の監視をされていた以上、先触れはデーバス側がやってくれていたので外務大臣のストールズ公爵とは到着してすぐに会えたそうだ。
使者としての挨拶と要件を伝え、ロンベルト王国が置いている領事館に向かおうとした時に、転生者達は先方から接触してきたとのことだった。
接触してきた転生者はヴァルデマール・ナバスカスと名乗る男性の矮人族で、日本ではサラリーマンだったそうだ……。
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『ご結婚されていたのですか……いえ、実は私も妻子持ちでして……はは』
使節団一行が投宿する宿のロビーでお互いにステータスを確認するとヴァルは少し照れくさそうに笑った。
『あら、お子様が。何人ですか?』
『女二人と男一人の三人ですね。本当はもう一人いたんですが、生まれてすぐに亡くなってしまいまして……』
『それは……』
マリーは意外な告白に言葉を詰まらせる。
が、子供を乳幼児期に亡くす事など、オースでは珍しくも何ともない。
ましてヴァルは農奴出身というし、子供の一人や二人、亡くしていない方が少数派に属するだろう。
『ああ、よくある話ですし気にしないで下さい。当時こそ大きなショックを受けましたが今はもうとっくに立ち直っておりますから……それで、バラディークさんはお子さんは?』
マリーに子供の有無を聞く際、ヴァルの目は僅かに真剣な光を宿す。
配偶者はともかくとして、子供を放り出してこちら側に引き抜くのは難しいからだ。
母親という立場であれば尚の事でもある。
『残念ながら、まだ授かってはおりません。夫と夫の両親と暮らしています』
微笑んでそう答えるマリーの表情に不自然な点は見当たらない。
『そうですか。実は、生まれ変わる以前、私は独身でして、女房も子供も生まれ変わってから初めて持ったんですよ』
『そうでしたか。私の方は子供がいました……男の子で……もう子供がいてもおかしくはない年齢になっているはずです……』
少し遠い目になって言うマリーを見て、ヴァルは目を伏せて黙った。
『……それで、バラディークさん。こちらの、ニューマンざ……閣下は日本語は?』
数秒の沈黙の後、思い出したように尋ねる。
『いいえ。解らないわ。でも名前とかこっちの言葉と共通の言葉が混じれば何について喋っているのは理解できる筈です』
『そうですか。では、今のうちに……』
『え?』
『……こう見えて私は今、この国では十分に豊かな生活を営んでおります。結構上の立場に私達と同じような“生まれ変わり”がいて、引き立てて貰ったから、という理由なんですけどね』
『はぁ』
『単刀直入に言います。お勤め先を変えてはくれませんか? 勿論、旦那さんやご家族を含め不自由はさせません』
ヴァルの申し出にマリーは「舅と姑だけでも……」と思ってしまったが、直後に「クローが悲しむ」と思い直して、ほんの一瞬でもそう考えてしまった自分を恥じた。
クローの両親はべグリッツに来て多少落ち着いたものの、今でも相変わらずなところも多い。
そもそもクローの両親は彼女にしてみれば他人だ。
しかし、クローと結婚した以上、彼女の義両親で、姻族である。
更に言えば、生まれ変わる前も義両親は同居しており、彼女に対する態度は今の義両親よりも酷かった。
そのためか元々“義両親”という続柄の者に幻想を抱いてはいなかった。
碌に義両親を諌める事もしなかった以前の夫と比べ、事あるごとに彼女を庇い、両親に諫言する男と結婚出来ただけでも儲けもの、とすら思っている。
『ええと。素敵なお申し出で有り難いとは思います……』
『では!』
『ですが、申し訳ありません。お申し出についてはお断りさせて頂きます。それに、私もそれなりの待遇を受けていますので……お忘れですか? これでも私は正騎士です。それもこのような使節の護衛の任を賜る程度には重用されております』
『……そう言えばそうでしたね。……でも、報酬は今よりも確実に多く得られる点についてはお約束出来ます』
『それでもです。お金ではありません』
最初の挨拶から今まで、ジンジャーは一言も口を挟まずに薄い笑みを湛えながら時折お茶に口を付けるだけだ。
『今のお話については彼女には黙っています。そろそろ言葉をこちらのものにしませんか?』
『そうですね。解りました。いきなり不躾な要望を言ってしまった事についてはお詫びします。申し訳ありませんでした』
そう言いながらヴァルは目礼程度に軽く頭を下げる。
『いえいえ。そういうお申し出はある程度予想しておりましたし、そちらのお気持ちも理解できますので』
『そうですか。そう言って貰えると助かります』
そこまで言うと一つ咳払いをして話す言葉をラグダリオス語に変える。
「すみません、ニューマン閣下。バラディークさんとは同郷でして、懐かしさのあまりつい昔の言葉で話をしてしまいましたことをお許しください」
今度は深々と頭を下げ、謝意を表明した。
それを受け、ジンジャーも「大体の事はマリーから聞いていましたし、いいんですよ」と笑う。
マリーは閣下という敬称の発音についてはロンベルトだとザッサとなると指摘した。
面倒臭いが貴族階級への敬称問題なので結構重要ではあるため、ヴァルも申し訳無さそうな顔で頷き、小さく発音の練習をする。
その後は当たり障りのない会話を重ね、面談は終わった。
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「まだ一人じゃねぇか」
「今のは最初の晩の話です。恐らく、外務大臣との会見内容について、彼らが知る前だったからでしょう」
あ、そう。
「彼らとは毎日会って話したのか?」
「いえ、毎日ではありません。この初日を含めて三回だけです」
マリーの言葉にジンジャーも頷いている。
「そうか」
「二回目はその二日後です。この時は二人と会いました……」
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二度目の会合もファライト亭のロビーで行われた。
今回、ヴァルはカリフロリスという精人族の女性を伴ってきた。
「こんにちは、ナバスカスさん。そちらは?」
顔を出したマリーが相変わらずジンジャーと一緒だった事に二人は顔を見合わせる。
マリーは日本語で話をしたくないのだろうかと考えたからだ。
「私の友人です」
「アラケール・カリフロリスと申します」
挨拶を済ませ、着席する。
『とてもおきれいなんですね……羨ましいくらい』
マリーが日本語でアル子の容姿を褒めた事で二人は少し安心したようだ。
多少の時間ではあろうが、後でマリーがジンジャーに報告しない限りは前のように完全に漏れない会話が可能になると見て良いからである。
『エルフの血を引いているからでしょうね。以前はここまでの物では……』
自然な笑みを浮かべながらアル子が答える。
その答えにマリーは「少なくとも自分の容姿に対しては相当な自信家のようね」との印象を持つが、同時に、健康的で且つ透明感のある魅力的な表情には、さしものマリーも同性ながら見惚れてしまいそうになった。
「これだけ美人ならさもありなん」とも思える。
アル子の容貌は、日本人的な感覚を持つマリーには純粋なエルフよりもずっと美しく思えたし、プロポーションもかなりのものを誇っているように見えたからだ。
『それはそうと、今日は前とは別の方向からアプローチをしようと思いましてね……』
ヴァルの言葉にマリーは少し面倒臭そうな匂いを感じたが、「なんとしても日本人を迎え入れたいのだろう。そう簡単には諦め切れないというのは理解できる」と頷いた。
『……私達の仲間にはかなりの権力者がいます』
この情報自体は先日耳にした内容から察しはついている。
『もう何人も生まれ変わった人が集まってるんですよ』
『どのくらい居るんですか?』
無邪気そうに言うアル子にマリーは尋ねた。
『えっと……』
『こちらに来てくれるとお約束頂くまでは伏せさせて下さい』
『ああ、そうですね』
答えようとする途中で言葉を被せるように中断させられたアル子も己のまずさに気が付いたらしく、苦笑いを浮かべている。
ヴァルがきっぱりと断りを入れてきた事にマリーも残念に思いながら、重要な情報を軽々しく訊いてしまった事について侘びた。
『いえ。ところで、今回はどういったご用件で我が国へ? もし差し支えないようでしたらお聞かせいただけませんか? 何かお助け出来る事があるかもしれません』
その言葉を聞いてマリーは「転生者に地位の高い人が居るなら幾らなんでももう知っている筈なのに白々しい」と思いながら少し困ったような顔をする。
そして、隣に座るジンジャーの耳に口を寄せた。
二言三言、聞き取れないほどの小声で囁くとジンジャーが頷く。
『先般、ロンベルトの国内で襲撃事件が起きました。被害に遭われたのはミマイル・フォーケイン准爵とおっしゃる国王陛下の庶子で妙齢の女性です。彼女はグリードという……メンクィスに嫁いで来る途中で襲われました……』
侯爵という日本語がとっさに出てこなかったのか、その部分だけロンベルト風のコモンランゲージだ。
ヴァルもアル子も侯爵という言葉はデーバスに於いてはマーキシと言うのだと指摘した以外は黙ったまま聞いていた。
その様子からは何の情報も読み取れなかった。
『……襲撃から逃れるためか、准爵の行方は現在まで不明のままであり、襲撃の犯人も捕らえられていません。今回は、万が一准爵が貴国内で発見された場合の保護とご連絡のお願いと、こちらも万が一ですが襲撃犯の捕縛に成功した場合の犯人の引き渡しのお願いに参ったのです』
『なるほど。それは大事件ですね……犯人の目星はついているのですか?』
『……それは現時点では何とも申し上げられません。詳細についてはベルグリッド陛下にお目通りした際に申し上げたいので……』
マリーの言葉に二人は頷かざるを得ない。
尤も、こういう表現をしたという事は襲撃犯について何らかの情報くらいは持っていると予想はできる。
『事件の場所はこちらに近いのですか?』
容疑者はデーバスの者なのであろうか?
カマをかけるつもりでヴァルが尋ねる。
『いえ、国境からはかなり離れています』
マリーの答えからはデーバスの者が容疑者ではないと断定は出来ないが、可能性はかなり減少したと二人は考えた。
『でも、グリード侯爵……グリードって……聞いた事あるな』
ヴァルが呟くように言う。
『あの人よ。バルドゥックの冒険者出身で西ダートの領主になった人。ちょっと前までは伯爵だったと……確か伯爵号はリーグル……』
『ああ、ドラゴンを殺したっていう……!』
『うん。あ、そう言えば、バラディークさんはリーグル伯爵の騎士だと……ひょっとしてグリードという人も私達と同じ“生まれ変わり”なんですか!?』
アル子の問いにマリーは口の端を僅かに歪める。
が、アルは授爵した頃からあちこちで転生者だと言っているため、今更秘匿すべき情報ではない。
マリーとしては言わずに済めばいいと考えていただけだ。
『……はい。今やダート平原、の北側全てを支配下に置き、ロンベルト王国の南方総軍司令官も兼任していらっしゃいます』
アルの名が出たことでジンジャーも話の輪に加わる。
この日はマリーとジンジャーの主君(正確にはジンジャーの主君はゼノムであってアルではないが)であるアレイン・グリード侯爵の話などで会見時間は過ぎていった。
アルについては可能な限り情報を伏せようとしたマリーとジンジャーだったが、ヴァルもアル子も執拗に尋ねてくる。
複数の転生者が集まっており、アルと同様に高い地位に就いている者も混じっていると聞いている以上、彼らに課せられた任務についてほぼ正確に理解していたマリーとジンジャーは開き直って「それにつきましてはべグリッツまでおいで頂いたうえで、直接侯爵にお尋ね下さい」と言う事も多かった。
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「この日は貴方について結構喋らされちゃった。ごめんなさい」
苦笑をしながら話を聞く俺にマリーはしおらしく詫びるが、彼女らが考えた通り、今更俺が転生者である事を隠す必要はないのも確かである。
「でも、ドラゴンを倒したとか、伯爵に叙せられたのは迷宮の治安向上に貢献したというのは表向きの理由で、本当はワイヴァーンの鱗の鎧を献上したからみたいな話が中心ね。テツドーとか領内の産業、作物なんかの話は一切漏らしていないわ」
ジンジャーもマリーをフォローするかの様に言う。
「あ、そう言えば、リヤカーについて話してくれたわ」
「ほう?」
リヤカーは便利だ。
軍でも民間でも大いに役に立つ代物であることに疑いの余地はない。
俺としても作る、いや作らせるべきか迷った事もあるし、マリーを含む他の転生者からもせっかくゴムもあるのだし作ってはどうかと提案を受けた事もある。
鉄道工事にはあれば便利だろうと少数のネコ車を作った程度だ。
だが、まともなリヤカーを製造するのは結構高度な工業技術を必要とする。
ゴムタイヤはともかくとして、ベアリングの量産はまだ無理だ。
もちろん数台くらいなら完全なリアカーを作る程度、訳はないが、それぽっちの数を作ったところであまり意味はない。
そんな暇があるなら鉄道車両用のベアリングを作る方がずっと大事だし。
一定以上の品質のローラーベアリングとゴムタイヤ、中空の金属パイプの量産が叶わなければ、車体が重く(従って可搬重量の低い)車輪の軸受があっという間に劣化して壊れる、リヤカーに似て非なるものしか作れない。
要するに、現時点ではごく一部に金属部品を採用しただけのほぼ木製の大八車よりは多少マシ、程度のリヤカーの超劣化版なら量産出来なくもないと言うだけである。
尤も、今月中にはオイルを使った高圧プレス機が完成予定なので、ボールベアリングはともかくとして、ローラーベアリングや金属パイプ・各種針金の製造は可能になる見込みなので、その気になれば近々にリヤカーの量産は可能になる。
「すっごく便利だと言っていたけど、タイヤは木製だからゴムの供給を請われたわ。貴方の許可が得られないとそういった事は約束できないと答えたら、すごい勢いでお願いされたけど」
少し気の毒そうに言うマリーに苦笑を返す。
当然ながらゴムの供給なんて幾ら金を積まれようと無理な話だしね。




