幕間 第三十六話 連城幹也(34)の場合(後編)
黒い肌をした人間達から逃げ出して数年。
ゼスは再び多くの配下を得る事に成功していた。
オーガを始めとしてホブゴブリン、オーク、ゴブリンは言うまでもなく、ノールやコボルドまで総勢三〇〇を超える数を従えている。
あくまでもある程度、と言うレベルではあるが一応の組織化も行っている。
また、ゼス個人としてもかなり成長していた。
固有技能もその使い方を学び、技能レベルも既に七に達している。
特筆すべきは魔法の特殊技能で、豊富な魔力に支えられた上にそれなりの実戦経験も積めたことで、無魔法の技能レベルは既に五レベルにも達していた。
これは、未だ一五歳にも満たない彼の年齢を考えれば途轍もない事である。
尤も、捕らえた捕虜の内臓を生きたまま洗おうと、その口に手を当てて水魔法を使うという方法を編み出したが故とも言えるが。
そんなゼスだが、目下の悩みは幾つかある。
そのうちの一つは時折ではあるが抑え難い程に性欲が湧く事だ。
勿論、魔力消費による性欲の暴走とは明確に異なる。
魔力消費による各種欲望の暴走も、以前は食欲と睡眠欲だけしか感じなかったが、ここ二~三年で性欲も加わってきたので違いは理解している。
その為だけに普段から複数の若い人間の女を飼っているくらいだ。
彼の好みは線の細い美人揃いのエルフ族である。
しかし、大抵のエルフは一度だけの使い捨てに近い脆弱さなので、最近では治癒魔術の腕も上がってきている。
が、結局冬場の食糧難には食ってしまう。
因みに、同族とは言えオーガは勿論、オークだのホブゴブリンだの相手には魔力切れの時しか反応はしない。
もう一つの悩みは手下達の頭があまりにも足りないことだ。
ゼスからしてみればどいつもこいつも学習能力の欠片さえ見出すのに苦労する有様であり、バカ揃いという形容がお似合いなのだ。
――こいつらに農耕をやらせるのは忍耐が必要なのはわかっちゃいたが……。
ゼスに命じられれば、一応誰も彼もが土地の開墾には従事した。
だが、一日二日で怠け出す者が現れ始め、それは急速に増えていった。
ゼスとてたった一人で三〇〇もの数の監視は無理があるのだ。
――俺が見てない所でサボられたらお手上げだ。どうしようもない。
尤も、サボっている者を見つけ次第、時には殴りつけたりして脅したり、稀に居る素直な者には色々な褒美を与えたりしてどうにか仕事に従事させようと、考え付くあらゆる手を打ってきた。
――一番マシなのがオーガってのがなぁ……。
確かにオーガは体格も良く、肉体労働には最適だ。
性格的には手下達の中で一番落ち着いており、ある意味で成熟しているという表現も可能だろうか。
だが、それはあくまでも“手下達の中では”という定冠詞が付き、どう贔屓目に見たところでゼスが知る本物の人間には遠く及ばない。
比較的優秀な者でも小学校低学年程度の精神性しか持っていないのだから当然とも言える。
思考力も、忍耐力も、学習能力以外の全てにおいてだ。
オークやホブゴブリンなどは別として、それ以外の種族に至ってはもっと低い精神性であり、ちょっと目を離すとサボる程度ならまだマシな方で、すぐに喧嘩を始めたり、虫を追いかけてどこかへ消えてしまう有様だ。
そんな中で多少マシな頭を持っていて、氏族の中でも腕っぷしのある奴がリーダーに収まっている程度なので、ゼスにしてみれば大人の権勢欲、自己顕示欲、性欲を持ち、人一倍食い意地の張った幼稚園児と言うような奴らであった。
なお、オークやホブゴブリンはもう少し高い――小学校卒業程度――の精神性を持っているが、欲望に対する弱さや怠惰なところはゴブリン以下であり、狡猾さなどにおいては人間の大人並みという、何とも扱いにくい性格をしている。
これにはさしものゼスも匙を投げるほかない。
――でも、狩りと襲撃だけじゃな……。
勿論実りのある時期の木の実の収集をはじめ、干し肉や燻製の製造など、出来るだけ多くの食料を保存するように指導してきた。
因みに、それまでの手下達には存在しなかった、塩や胡椒による“味付け”という大発明に加え、干し肉や塩蔵、燻製といった“とても美味な保存食”まで発明しただけでもゼスは偉大な存在である。
それはそうと、当然盗み食いをされないように気を付けてもいたし、それなりの食料備蓄には成功していた。
が、それでも獲物の減る冬は厳しかった。
以前と比較して数自体は減らせはしたが、餓死者も毎年出していたのだ。
――こんな有様じゃあ、いつまで経っても……。
そう思いながらも、農耕については三年くらい前に完全に諦めている。
なお、人間の集落を襲撃して奴隷化し、作物を育てさせようという考えはかなり以前に放棄している。
隊商や集落から拐って来た捕虜達から、国家や軍隊など本格的に統制された暴力組織の情報を得ていたからだ。
今では例の黒い肌をした人間についてもダークエルフとかデュロウと呼ばれる少し珍しい種族だという情報も得ている。
――ちゃんとした軍隊みたいなのはまだ見たことはないが、あの黒い奴らみたいなのが揃ってる可能性は……高いだろうな。
黒い肌をした人間達は他の馬車隊の護衛などより余程統制されていたばかりでなく、個々人の戦闘能力も高かった。
軍隊とは普段から訓練をしているものだという頭があるゼスにしてみれば、彼らこそがこの世界の軍人の標準であり「過去二回の敗退はダークエルフの国の軍の輸送部隊を襲い、返り討ちにあった」との理解に達していた。
従って、人間達の集落を襲い、奴隷化すること自体は可能だろうと思えたが、早晩、軍隊が奪還に動くことは明白であろうと結論づけていたのだ。
彼にはダークエルフがこの世界の標準と比べて特別に戦闘能力が高い、という知識がなかったためこれは仕方がない。
――ダークエルフも馬車隊を護衛している程度の数なら……大勢で襲撃すれば多少の犠牲を覚悟すれば倒せるだろう。だが、その後ろに控えている軍隊はなぁ……。
きっと馬車隊など比較にもならない数だろう。
そのような者達が相手では流石に今の戦力では如何ともし難い。
それが解っているからこそ、手下達には農耕は無理でも戦闘訓練だけはきっちりと行わせてきた。
尤も、スポーツの試合ではなく「負けイコール死」の殺し合いが当然の世界であると理解していたため、細かな技術の習得ではなく、戦闘時には確実にゼスの言うことを聞かせる、という一点に絞った内容だ。
狩り、隊商への襲撃、集落への襲撃など実践訓練の場には事欠かない。
また、これはゼスの自慢でもあるのだが、手下達の中から優秀な者を選び、魔術を仕込む事にも成功していた。
とは言え、頭が足りないのは確かなので、覚えは悪い。
三〇〇もの頭数がありながら、魔法の特殊技能の獲得に成功したものは僅か八匹。
うち、半数以上に当たる五匹はゼスと同じオーガ(つまり、比較的素直でマシな奴ら)で、残り三匹はゴブリンが二匹にコボルドが一匹という始末である。
彼らの魔法の技能のレベルは正確には不明だが、ゼスの指導が良かったのか、半数以上が既になんらかの攻撃魔術を使えるまでになっている。
捕虜から得た情報では「魔法が使えるようになるのは人間でも一割程度で、まともな攻撃魔術が使える程に大成出来るのはそのうち半数も居るかどうか」という事なので、この状況には多少の不満が残るものの概ね満足はしていた。
・・・・・・・・・
ゼスがもうすぐ一六になろうというある冬の日。
燻製作りを指導していたゼスの下に凶報が齎された。
彼が腹心の部下として育てていた、魔術を使える若いオーガを頭として組織された街道襲撃部隊が壊滅させられたというのだ。
――なんだと? あいつらが……?
その部隊はかなり熟練した戦士で構成されていた、ある意味でゼスの虎の子達だ。
今までに隊商の襲撃を五回も無傷で成功させ、つい先日はある人間の集落から子供を二人拐って来る(人間の子供の肉は柔らかくて甘く、大変なご馳走である)という手柄も立てている。
誘拐はともかくとして、馬車隊の襲撃はゼスが直接指揮していない場合、成功率は半々、しかもオーガ以外の種族が中心だった場合にはこちらの被害も免れない、という困難さだ。
――もしや、相手は……?
ゼスにはすぐにピンときた。
きっと、あの黒い肌の人間達の馬車を襲ったのだろう。
あれほど人間の軍隊には手を出すな、と念を押していたのにも拘わらず、己よりも小さな者に対する嗜虐性を抑えられないとは……。
苦い思いを抱えつつ、ゼスは現場へ向かった。
現場には報告通り、五匹のオーガの死体が転がっていた。
同時に、人間の死体も一つ。
全ての死体は無残に胸を切り裂かれている。
もう既に、人間達は魔晶石と呼ばれる器官を死体から取る事は知っていた。
胸が切り裂かれているのはそのせいだろう。
「……」
ゼスは手下達に周囲の監視を命じると、無言のまま丁寧に死体の検分を始めた。
――この傷は……魔法か?
黒い肌の人間は、闇精人族という種族だ。
そして、殴られたような跡が無いことから直接の死因は手下が放った攻撃魔術によるものであると思われた。
転がっている手下達にも魔法による傷が幾つも確認された。
しかし、それが致命傷となっていたかまでは判断がつかない。
全員が数多くの切り傷や刺し傷も負っていたからだ。
――魔法がトドメになったかまではわからんな……しかし……。
火傷や電撃傷の他、ゼスも使える石の矢みたいな傷も多い。
勿論、刀槍が原因だと思われる切り傷や刺し傷はそれ以上だ。
――魔法を食らった後で肉弾戦に持ち込み、そこで負けたか。だが……。
場合によっては肉弾戦の最中も攻撃魔術を食らった可能性もある。
「ふふふ……」
ゼスは自然と笑い声を漏らしていた。
――鍛えたオーガなら五匹いれば、あのダークエルフでも一人は殺せるのか。
やはり自分のやり方はそう間違っていない。
ダークエルフの軍人達を相手に、初めての戦果が確認されたのだから、思わず嬉しくなったのだ。
「ククク……」
――犠牲が出ているが、ちっとも悲しくないな。あんなに可愛がっていたのに、こうなると肉が傷まないうちに解体しなきゃ、としか思えねぇってのはアレだよなぁ……。
オーガだのゴブリンだのにおいて、亡くなった仲間は貴重な食料となるのはあたり前のことだった。
人間と比較すれば大して旨くはないが、ゼスも今までに何度も口にしてきた。
まして、ゼスを除く全員は餓死者ではなく戦って死んだ者達を食えば、その戦士としての魂を取り込める、と本気で信じている。
そんな手下共に対してゼスは「何の根拠もない考えを信じているなんてバカだなぁ」と思うが、その考えを敢えて否定してはいない。
丁寧に敵味方の死体を検めるゼスを見て、手下達の多くはゼスに対して改めて色々な感情を湧き上がらせた。
・・・・・・・・・
更に数年が経った。
狩場や採取地を求めての移動もあり、ゼスは以前よりも大分北の方に移動していた。
冬の気候は厳しくなるが、北方の木々の方が木の実は美味であったし、そんな木の実を主食にする動物達も脂肪を蓄えている事が多かった(とゼスが信じている)のも原因だろう。
何よりも北方の河川では秋口に鮭のような魚が大量に川を遡上してくる事に気がついた事も大きい。
また、保存食を作る技量も上がり、今では保存食作りは完全に手下達に任せられるようになっている。
そんなある日、ある土地に居たオーガ達を新たに傘下に収めた。
そのオーガのリーダーは珍しく多少の魔術が使える奴だったが、完全に成長したゼスの敵ではなかった。
散々に痛めつけたリーダーの傷を魔術で癒やしてやり、度量を見せつけるゼスに新たな手下達は揃って感心し、頭を垂れる。
今となっては珍しくもない、よくある光景だ。
唯一異なるのはそのオーガ達は宝物を溜め込んでいたことである。
オークやホブゴブリンなどは宝石や貴金属を収集する習性があるが、オーガでは珍しい。
興味を惹かれたゼスは氏族の宝とやらを見せろと命じた。
彼にしてみればあまり価値を見い出せない宝飾品やがらくたの類であろうと思われたのだが、最近になって、価値のある宝石や貴金属を貨幣代わりに人間達と交易が出来ないかと思い始めた事も興味を惹かれた一因であろう。
これは大変な進歩ではあるが、ゼスとしては今までその気にならなかっただけだと考えている。
案内されたリーダーの住処の奥に宝物は蓄えられていた。
予想していた通り、大半はガラクタだった。
そんな中、一つだけ強く興味を惹かれた品がある。
奇怪な祭壇のように飾られた台の上に鎮座していた品だ。
――何だこりゃ?
肩口から先の、人間サイズの右腕だ。
ミイラ化しているようで、真っ黒く変色しており、骨に皮膚が張り付いているかのようだ。
指先には変色してしまったらしい黒光りする爪が残っているが、先が尖り気味だ。
その腕に手を伸ばそうとしたゼスをリーダーが必死に止める。
何でも、過去にその手に触った者は皆みるみるうちに衰弱して死んでしまったという。
リーダーが語るところによると、腕は何代も何十代も前のリーダーのものだとのことだった。
その昔のリーダーは仲間に裏切られて死亡したことで、強力な呪いを宿しているという。
――まさか、病原菌の巣窟になって……って、このリーダーはここで生活していたんだよな。
バカバカしい、ただの言い伝えに過ぎないと断じ、ゼスは腕を掴み上げた。
やはりオーガの腕だとは思えないほど小さい。
少し強く握りしめるだけで折れてしまいそうな程である。
――やっぱただのミイラ化した腕じゃねぇか。つまらん……。
リーダーは最初こそ恐れたが、ゼスの身に何も起こらないことを理解すると、ゼスこそは勇者であると褒めそやした。
――ん……こ、これは……?
ゼスは腕に不思議な魅力を感じ始めていた。
そして、唐突に理解した。
神のような大きな存在に選ばれたことを。
後ほど(と言っても、今はすごく忙しいためすぐにではないですが)書き加える可能性があります。
その際にはこの後書きは消去します。




