第二百九十四話 百鬼夜行 20
7451年4月12日
「……それを理解していて、なお口にしたという事は、最早私からの好悪の情などどうでも良いという境地に至ったとしか思えません。その理解で構いませんね?」
口調だけは丁寧に、しかし勁烈な表情と目つきでアルは言った。
辺りには表現のし難い一種異様な雰囲気が充満し、言われたミマイルを含め、誰もが押し黙る。
――おい。流石にこの状況から信頼を得られるような言葉は、我にも思いつかんぞ?
――そうね。確かに貴方の言う通り、アンデッドを連れていたのは私の落ち度だった。
――今更それを言うか? だからあの時、調子に乗って下僕を作り過ぎるのは止めておけと……。
――今お説教を聞いている暇はないわ。
――ではどうする? 戦って切り抜けるのか?
――それも一つの解決方法ではあるわね。
――ふむ。一撃でも入りさえすれば望みはあるか……。
――ええ。
――だが、アレインとやらはドラゴン・スレイヤーなのであろう? そしてあの鎧……何か剣呑な物を感じるな。思うに、かなり強力な魔法の品であろう……。
――そうね。私も不気味に思うわ。でも、ほんの指先でも触れられさえすれば大丈夫。
――鎧の種類は? まさか板金鎧ではあるまいな? だとしたら如何にそなたが騎士団で修行をしていたとはいえ、直接体に触れるのは難しいのではないか?
――見たところ鱗鎧よ。それなりに高級そうだけど、金属製には見えないわね。脇の下とか肘の内側とか、装甲の無い部分に触れるくらいなら……。
――麻痺させるのか?
――今、下僕にする訳には行かないからね。あ、他のは下僕にするわよ?
――それは仕方がないな。だがもしも、そなたが危機に陥ったと判断したら……。
――はいはい、分かってるわよ。じゃあ……!
「アレイン様がそう仰られるのも致し方ありません……そう取られても一向に構いませんわ……」
ミマイルの言葉に、アルを始めとする全員に緊張が走る。
部下達が握る槍の穂がミマイルやロボトニーに向けられようとした。
「……だって、遅いか早いかの違いだけで、どうせ私を好きになって下さるのですから」
地上に立つミマイルは、騎乗したままのアルに静かな視線を向けたまま微笑んだ。
異様な面体を除けば魅力的な表情だ。
「何を言って……?」
油断を排しつつアルが口を開きかけるが……。
「ロボトニー!」
ロボトニーは予備動作一つなく、アルから見て右へと跳んだ。
ミマイルがロボトニーへ何か命令を発した様子は窺えなかったが、彼らの間には何らかの意思疎通の手段があるとしか思えないタイミングである。
しかし、アルは即座に手にしていた剣を鞘に収めると、右手でアンチマジックフィールドを展開して対抗した。
アルの予想通り、横に跳んだロボトニーの掌から攻撃魔術が放たれる。
スッと右手の角度を調整して魔術弾頭をアンチマジックフィールドで相殺し、アルは左手の手綱を絞りながら体重を後ろに掛けた。
もう何年もアルを背に乗せているウラヌスはアルの意図を正確に汲み取り、馬には難しい後退歩を始める。
「団長!」
バルソン准爵が馬の腹を蹴り、アルとロボトニーとの間に自らの馬を進めようとする。
他の団員やバースも次々に馬の腹を蹴った。
「んっ!」
小さな声を上げただけでミマイルが左に跳ぶ。
先のロボトニー以上の素早さだ。
そしてアルがそちらへ視線を向けるやいなや、今度は地を蹴って上空へと跳び上がる。
「チッ!」
舌打ちをしつつ、左手を手綱から離して右手のアンチマジックフィールドをキャンセルし、剣の柄に手を伸ばすアル。
だが、ロボトニーもその一瞬の隙を見逃さない。
先程魔術を放ったばかりの掌には新たな魔術光が凝集しつつあった。
だが。
「ぃやあっ!」
烈帛の気合と共にバルソン准爵が突き出した槍にその腕を貫かれ、ロボトニーの魔術は発現する前に霧散させられてしまう。
それを見たアルは「ちくしょう、死霊討伐の効果時間を延長しておけば……!」と歯噛みしそうになるが、後の祭りだ。
ほぼ同時に、ビン!という、クロスボウの発射音が響く。
カムリ准爵が上空に飛び上がったミマイルを狙って撃ったものだ。
発射のタイミング、角度共に足場のない上空では避けようがないベストなものだった。
「あっ!」
クロスボウの発射音を耳にしたアルが声を漏らす。
その声は驚きでも、歓声でもない。
後悔の念が籠もったものだ。
アルの脳裏にはバルドゥックの地下で戦ったヴァンパイアの姿が再生されていた。
――くそ! 飛び道具は禁止させておくんだった!
左手で張り直したアンチマジックフィールドをキャンセルし、今度は盾の魔術を使う。
アルが予想した通り、ミマイルはカムリ准爵が撃ったクロスボウ・ボルトを空中で掴むとそれを投げ……ずに胸の前に突き出すように構えたままアルに突っ込んで来た。
背中に風魔法を使ったとしか思えない速度だ。
「ぐっ!?」
アルかミマイル、どちらが発したのか。
どちらにせよ、アルの盾の魔術では加速されたミマイルの運動エネルギーを完全に無効化出来なかった。
だが、大半のエネルギーは相殺し、地上でぶつかった程度の衝撃で済ませられている。
「ぬんっ!」
盾の魔術によって速度も大部分が殺されたためか、アルはすんでのところでミマイルが突き出していたボルトを剣の腹で受け流すことに成功した。
しかし、ミマイルに遅れることコンマ数秒で、彼女が使った風魔法によって発生した大量の空気が全員に襲いかかる。
「うおっ!?」
馬が体勢を崩したことに加え突然の突風に当てられてアルは疎か、部下達も馬から吹き飛ばされてしまう。
――馬鹿な!? あの速度、この風量、レベル六は必要だぞ!?
愛馬の背から転がり落ちながら、アルは驚愕する。
先程確認したミマイルのステータスについて、額面通りに受け取るのはまずい、と気付いてはいたものの、長年の習慣と固有技能への信頼はそう簡単に消えはしないのだ。
――奴は強力なアンデッドだ! あのヴァンパイア・ロードかそれ以上だと思え!
受け身と同時に盾をキャンセルし、アンチマジックフィールドを張り直し、左腕を振るう。
「えっ!?」
驚きの声を上げたのはミマイルだ。
彼女の体当たりを受けて馬から転がり落ちたところに地魔法を使って埋め、動きを封じようとしたのだ。
だが、彼女が生み出した土は生成されるそばからアルのアンチマジックフィールドによって消されていくではないか。
「うおおっ!」
彼女が驚いている間に立ち上がったアルは屠竜を右手に彼女へと……。
とっさに右手を上げて頭部をガードする。
この行為は本能に根ざした動きだ。
だが、今回は限りなく正解であった。
「ああっ!?」
右腕に走る灼熱感にミマイルが濁った叫び声を発する。
「つぁっ!」
走り込んできたバースに背中を切りつけられた。
――逃げるぞ! 腕を掴め!
頭の中に響く声に従い、切り落とされた右腕に飛びつき、胸の下に掻き抱いて丸くなる。
――ケス・アゼド・バクコス・ニム・オムス・ガッファ・マラー!
その間にも足に、腰に、アルやバースの剣がめり込んでくる。
「な!?」
アルとバースから同時に声が上がった。
それもそのはず、たった今まで彼らの前で縮こまっていたミマイルの姿は煙のように消えてしまったのだから……。
・・・・・・・・・
「うああっ! 痛い!」
――落ち着け!
「お止めください、アレイン様!」
――もう大丈夫だ。落ち着け!
「え?」
追加の攻撃が襲いかかってこないことと、彼女の意識に直接響く声を聞いて、ミマイルは恐る恐る周囲を見回した。
どこかの森の中だが、残雪に覆われている。
辺りには彼女に敵対的な存在は無いようだ。
――もう大丈夫だと言ったが、嘘だ。用心して周囲を確認しろ。
「どういうこと?」
――早くするのだ。安全を確認したら暫く身を隠せそうな場所を探せ。
今まで以上に切羽詰まった声の様子に、ミマイルは取り敢えず従うことにした。
勿論、何一つ状況を掴めていない身ではそれ以外に選択肢などないのではあるが。
――ちょっと離れたところに木の洞があるわ。そこでもいい?
――どこでも構わん。早く移動しろ。
残雪に足を取られつつも、ミマイルは目当ての木の洞の前まで来た。
――中、ちょっと湿ってるみたい。乾かしてもいいかな?
――好きにしろ。だが急げ。
「ん」
洞に向かって左手を伸ばすと、炎を噴き出させた。
中の湿り気を蒸発させる程度に絞っていたようで、木に火は付いていない。
「煤で汚れちゃうかな?」
――汚れなどどうでも良い。それより時間がない。もう……眠い。
――眠いって、この非常時にどういうことよ!?
――魔力を使いすぎた。今意識を保っているのもギリギリなのだ。とにかく話を聞け。
――ここは?
――さてな。術式の暇もなく使った故、我にもわからん。いいから聞け。
――なによ?
――まず、最低でも数日はここで身を隠し続けろ。
――えー? そんなの暇すぎ……。
――いい加減に黙らんか。その間、そなたは腕の接続に専念しておけ。初めてだろうし、数日はかかるはずだ。
――あ、そう言えば。
ミマイルは右脇に挟んでいた己の右腕を掴むと切断面同士を接合させた。
特に何かが起こったようには見えない。
だが、ミマイルには腕の組織同士が再接合を始めたのが感じられた。
――念の為に確認するが、痛みはないな?
――ないわ。さっきのは単なる習慣よ。
――ならばいい。
――それで、一体ここはどこ? 何をしたの?
――緊急脱出のために転移した。場所は、後々そなた自身で確かめてくれ。
――ちょっと、それって……。
――転移先を指定する時間も惜しかった故、ここが何処であるか不明なのは仕方がないのだ。我の魔力は全て距離に注ぎ込むよりなかった。あ奴ら……特にアレインとやらから少しでも遠くに離れなければ安心できなかったからな。
――そう。でもまた……。
――いずれまた会えるだろう。そなたもアレインとやらには会いたかろうしな。
――それはそうね。
――とにかく今は時間がないのだ。話を進めるぞ。
――わかったわ。
――我が元の魔力を得るにはかなりの時間がかかる。そろそろ眠らないと本当に厳しい。
――ん~、さっきの転移? する前くらいに戻すにはどのくらいの時間が?
――このまま何もしなければ百年単位だ。だが、我の傍で何かが死ねばその時間はもっとずっと早まる。
――要するに、殺しまくればいいってこと?
――間違ってはおらんが、合ってもいない。ただ徒に殺しまくり、下僕を作り続ければ周囲からは危険視されるだろう。焦る必要はない。ゆっくりと力を付ければいいのだ。
――そんなにのんびりしていたら……。
――まだ分かっておらんのか? そなた自身、もっと成長し……具体的には己の体に対する理解と能力の使い方を学ばねば、またアレインとやらに会ったとしても先程の二の舞ぞ?
痛いところを突かれたのか、ミマイルは嫌そうな表情になる。
――いいか? よく聞け。まず、目立たぬように数人の下僕を作れ。その後、その下僕を強くしろ。その過程で見えてくる物もある筈だ。
――わかったわ。
――それから、そなたには世の常識が足りぬ。今までのそなたの言動や相手の反応からはそう見える。
――そんなこと……。
――ないか?
――ええ。私も騎士団だけではなく、バルドゥックの迷宮にだって何度も潜っています。冒険者とだって何度も話をしています。
――その割にはお高く止まっているようにしか見えぬな。
――失礼な。貴族なんですから当然でしょう? 下賤な者達と同じような振る舞いは出来ません。
――ふん。そのような事を言っているからお高く止まっているなどと言われるのだ。別に下賤な振る舞いや喋り方を覚えろなどとは言っていない。ただ、相手の立場を思い、何をどう言って、どう表現すれば好感を持たれるのかを考えろ、と言っているだけだ。
――そんな、下賤な者共に合わせろと?
――そういう理解が最初に浮かぶからこそ、そなたはお高いのだ。いや、そなたに貴族の振る舞いとはどういったものかなどを説教している時間はない。話を戻すぞ。
――ええ。
――腕を繋いだら、体の傷を癒せ。アンデッドは治癒魔術の逆魔法を掛ける事で癒せる。いい機会だと思ってたっぷり練習をしておけ。
――分かったわ。
――それが済んだら先程言った下僕だ。だが、傍に侍らす必要はない。アンデッドやアンデッドを連れている者がどのように見られるか、骨身に染みておろう?
――……。
――位置が分かったら大きな街を目指せ。
――位置はどうやったら分かるの?
――そなた……。誰かに聞けばよかろう?
――ここには貴方以外に誰も……。
――ならば誰かがいるところまで移動するしかなかろうに。
――森の中よ? 近くに人なんか……。
――そなたには足があるではないか。
――歩くの? 私が?
――いい加減にしろ。
――……それで、運良く誰かに出会ったとして、「ここはどこ?」なんて聞くの? それこそ変じゃない?
――そんな聞き方じゃあ変に決まっておろう? 「どこに行かれるのですか?」とか「女の独り身が不安なので一緒に……」とか幾らでもあろうに!
――あ、そうね。どっちにしろ大きな街を目指すなら、そうした方がいいわね。
――そなた……。
――だって、そういうの、今までは私の守護騎士や召使いなんかが全部やってくれていたから……。
――そこからか。だが、そこに気付けて一歩前進だな。これは思ったより……。
――何よ?
――なんでも無い。そして、大きな街に行ったら……。
木の洞の中で右腕を固定しながら、ミマイル達は暫しの間重要な会話を続けていたが、じきに水晶球の方が耐えられずに眠りに入ってしまった。
・・・・・・・・・
「おおおっ!? ミマイル様!? ミマイル様ぁっ!?」
ミマイルが姿を消したことで、混乱したのはアル達だけではない。
ロボトニーは半狂乱に陥っていた。
「くそ、こいつ!」
しかし、攻撃を躱す体術は凄まじく、
「うわっ!?」
時折、アル達の隙を突いて放ってくる攻撃魔術は凶悪だ。
そして遂に。
「どうやってもだめだな。倒すしかないか」
アルに捕獲する事を断念させるに至った。
Gord the Rogueって面白いよねー。
わかる方はニヤリとしてください。
あと、水晶球はそもそも発声ができないので、実は呪文の必要はないです。




