第二百九十一話 百鬼夜行 17
7451年4月12日
ミマイルによる紹介に加え、【鑑定】で得られた情報からアルは目の前に立つアンデッドをデーバス王国の筆頭宮廷魔術師だと断定した。
“金杯”の称号を持つ、アベイル・ロボトニー伯爵その人である。
――本物のロボトニー伯爵……!? バース、いやミマイルが襲われたのはまだ天領内部だった。そんな奥地まで侵入されていたってことか?
南にあるデーバス王国からロンベルト王国の天領に入るには、ダート平原の中間あたりを走る暫定国境線から二百数十㎞も北上する必要がある。
その間に通り抜けなければならない貴族領も最低でも六つもあり、各貴族領を繋いでいる主要街道には領土の境界に必ず関所が設けられており、道行く者が運んでいる荷やステータスのチェックを受ける。
ロンベルト王国内だけを取ってみても、六つもの貴族領を跨ぐには最低でも一二箇所の関所を突破しなければならないのだ。
少人数ならともかく、一〇〇名を超えるような人数が誰にも見咎められずに侵入できるような距離ではない。
尤も、ロボトニー伯爵らが使った往路はダート平原からの侵入ではなかった(ダート平原よりもう少し東のローダイル侯爵領を経由して侵入した)のでそこまで多くの領境を跨いではいないのだが、それはこの時点でアルの知るところではない。
――襲撃者たちは数人の軍人に率いられていたというミマイルの言葉が本当なら、襲撃者たちを国内で調達したという可能性もあるか? だとしても一〇〇人なんて、そう簡単に集められる人数じゃない……。
「……
ロボトニーが自己紹介を始めるが声量が低すぎてアルの耳には小声でボソボソと呟いているようにしか聞こえない。
「あー、すまんが、ロボトニーと言ったか? 声が小さくて聞き取りづらい。もっと大きな声で頼む」
アルの言葉にロボトニーは不快そうに眉を顰めるが、ミマイルが「このくらいの声で申し上げなさい」と命じた事で声のボリュームを上げて自己紹介をし直した。
――やはり本物か? 嘘看破
「丁寧なご挨拶、痛み入ります、ロボトニー伯爵
そう言ってアルが質問を続けようとしたところにミマイルが割り込んできた。
「アレイン様。ロボトニーはデス・ナイトとして私の下僕になってから頭の回転が少々鈍くなっております。場合によりアレイン様の尋ね方を妾
上級貴族同士の会話に割り込まれた形だが、アルもロボトニーも気にはしなかった。
「……それは構わぬが、私の意図した内容を捻じ曲げられても困る。そなたが伯爵に伝え直す内容については私にも聞こえるように言ってほしい」
「勿論ですわ……」
アルはミマイルに頷きを返すとロボトニーに向き直った。
「まず最初に確認するが、閣下
「そのご質問に対するお答えは、はいともいいえとも申し上げられます。侯爵
――嘘じゃない、と。だとするとやはり本人か……。そしてデス・ナイトとなってもしっかりとミマイルへの忠を口にするか。それはそうと、敬称や貴族号はデーバス風に言ってやったほうがいいかな?
アルはアンデッドが呼吸を必要としないであろう事は以前より想像がついていたが、会話をする際などには生者同様に呼吸を必要とすることは知っていた。
発声のメカニズムから考えてアルの考察は正しい。
だから嘘看破
が、当然ながら試したことは無かった(当たり前だが協力者もいなかった)。
魔術の呼気への反応は、嘘を言った事に対する魔術的な反応の
「ここは私の領土ですが、閣下がお通りになる、なられたというご連絡はついぞ受けておりません。これは明確な密入国に当たると思いますが、この件についてデーバス王国に訴えてもよろしいか?」
因みにデーバス王国とロンベルト王国間に限らず、国家間の密入国はあまり珍しくない。
単独かごく少人数の行商人、犯罪の容疑者などがその大半を占めるが、極稀には政争に破れた貴族階級が密入国しているとも言われている。
摘発率も全体の五割程度であろうと推測されているが、成功率は全体の四割くらいであろうとも言われている。
関所破りをした場合、道なき道を進むことになるため、遭難したり魔物に襲われたりする事で死亡する者もそれなりに多いからだ。
関所破りの挑戦者のうち半分が捕らえられ、残った者のうち二〇%が横死してしまう。
成功者は全体の四割程度という勘定になるが、これを多いと見るか少ないと見るかはそれぞれの抱える事情によっても左右されるだろう。
「私はもう以前仕えていた王国との関係は断ち切っております。閣下のお心の赴くままに……」
――ふん。そんな事を言われたら国での立場はなくなるだろうが、もう国への忠誠心や未練は欠片も残っていない、ということか。……そういう事ならこいつ本人には意味がないだろうが、向こうさんはどう思うかね?
軍人階級を伴っていたという以上、密入国どころか国境侵犯だとの拡大解釈が可能だが、アルとしてはきっちりとした証拠を掴んだ後の手札にした方が良いだろうと考えたため、ここでは言わない。
「では次です。閣下は、何が目的で我が国へ参られた?」
「フォーケイン殿を拐かす目的で参りました」
「は?」
この答えにはアルも言葉を失う。
しかし、すぐに「アンデッドとなってミマイルの下僕となったからにはこういう返答もありか?」と考えた。
「……それは閣下ご自身のお考えか? それともどなたかから命じられての行動ですか?」
「ダンテス公爵閣下に命じられた事です」
――ダンテス公爵だと? 御三家とも言われている大蔵大臣の?
「それについて、閣下は私以外にも証言できますか? また、何らかの証拠はお持ちですか? 例えば花押付きの命令書などがあれば言うことはありません」
「証言は可能ですが、公爵からの命令は全て口頭でのみのやり取りでしたので閣下が仰られるような証拠はございません」
――チッ、そりゃ残念だ。だが、伯爵本人の証言ともなればロンベルト王国内
「なるほど。して、ミマイル殿を拐かす目的は?」
ここで初めてミマイルが割り込む。
「ロボトニー。わからなければその旨を述べ、あなたの予想を言いなさい」
その言葉にアルは思案げな表情を浮かべるが特に何も言わなかった。
「フォーケイン様を拐かせば、当然フォーケイン様は行方不明となられます。そうなれば閣下は愛する姫の行方がわからなくなり、ロンベルト王家に対してご不信の感情をお持ちになられるでしょう……」
「そんな、愛する姫なんて……ロボトニー、もっとお言いなさい」
「え? いや……」
「は。そして、首尾よく姫をデーバス王国に移送後、閣下にその旨をご連絡すれば、姫を愛しておられる閣下をデーバス王国側に近付ける事が可能となります……」
――はぁん? 何を言っている?
「……デーバス王国が抱える諜報網は優秀なのです。閣下のお立ち場であれば“赤”という通称くらいはお聞き及びかもしれません」
――“赤”ねぇ。どっかで聞いた事があるような……。あ! ミュンの!?
嘗てキールに居たならず者達、二人のベグルを思い出したアルの顔は思わず歪んだ。
同時に懐かしい名である、サグアルについても記憶の底から掬い出し、ほろ苦い顔になる。
それを以ってアルがデーバス王国の諜報組織に対する知識を持っていると考えたのか、ロボトニーは少し早口気味になりつつも先を続ける。
「かの“赤”による調査で姫を心より愛されているという調べはついております。さすれば、閣下は姫の身柄を押さえているデーバス王国とのコンタクトをご優先なされるでしょうし……」
ペラペラと喋り始めるロボトニーと喜んでそれに聞き入り、時折相槌や合いの手を入れながら耳を傾けるミマイル。
二人の顔を眉間に皺を寄せながら見比べるアルだが、賢明にも口は挟まなかった。
――この話についてはミマイルは過去に何度もロボトニーから聞いていた感じだなぁ。そんな顔だ。しかし、これは嘘看破
念の為に嘘看破
――ふーん。少人数で分かれて侵入してきたのか。しかもローダイル侯爵領から……。
ミマイルやロボトニーの言葉に魔術が反応しない事を確認しつつ、不自然な点がないかについても考慮するが、特に不審な点もなく、ロボトニーの独演会は続く。
その御蔭か、大量の情報を入手することが出来た。
――しかし、どのグループも見咎められずに天領まで行けるものなのか? このあたりをもう少し詳しく訊いてみよう。
途中でアルが質問を挟んでも、淀みなく答えが得られる。
そしてそれには嘘看破
――ダ、ダークエルフの道案内だと!? それなら不可能ではない? 獲得階級、と言ったっけ。各国を行商して回っていると……ある程度の地理情報は掴まれているということ……言うまでもなく当たり前か。……それにしても面白くない情報だが、ダークエルフが付いていたのなら関所破りくらいは出来る……のか? あとで聞いてみる必要があるな。
――俺の領地に“赤”とやらのメンバーが紛れていたとはな……名前までは不明か。そりゃ末端の名前なんか知りっこないよな。……そう言えばベルからそれらしい報告を受けた事もあったような……どうせ大した事は出来ないから放っとけって言ったのは俺だったな……。
――中核メンバーだけは魔術の得意なロボトニーと彼の騎士団員。そして襲撃はデーバスの冒険者を使い捨て……足が付きにくいようにとはいえ、冒険者共は使い捨てって、ねぇ。
――集結地はあの辺りか? あそこ、最近は川の上を走ってばかりでショートカットした事はないな……。
――え? 集結地を定めたり、襲撃場所を選定したのはダークエルフだと!? ……そういえば、リルスにも金さえ払えば俺の暗殺をすら請け負うだろうと言われてた。このところミヅチやアルソンの警備を頼んだりしていたからあれだったが、油断は出来んな。
――お、おう。罠の指導までライル王国仕込みだったとは……。
「ライル王国のダークエルフに心を許してはならない、と言うことですね?」
「指導を受けた立場で申し上げるのは心苦しくはありますが、その通りです。フォーケイン様」
――なんだこいつら、ミヅチに文句があるってのか?
何度かの魔術の掛け直しを経て、ロボトニーの話は終わりに近づいていく。
――要するに、デーバスは俺を要注意人物だと見なし、王国との仲を裂こうとしたということか。まぁ、完全に上手く行かなくても……ミマイルへの襲撃が失敗していたとしても、俺としては表面上だけでも王国に文句を付けない訳にはいかんし、文句を言われたらあの国王
アルは静かな表情を心掛けながら考えを整理している。
――そういう観点からは今回の件、デーバス王国が採用した陰謀としてはある程度理に適った物であると認めざるを得ないか。だが……。
ロボトニーの顔からミマイルへと視線を移す。
アルに見つめられて、ミマイルは恥じらうように俯いた。
――宮内大臣兼宮廷魔術師長のような、重要な人材をそういう作戦に投入するか? 確かに彼程の魔術の腕があれば襲撃の成功率は跳ね上がるだろうが……。
アルとしては、襲撃者を率いる者の選定についてどうにも腑に落ちない。
それについて問いただしてはみたものの、答えは一貫して「襲撃の成功率を上げるため、一番優れた魔術師を投入せざるを得なかった」という返答か、「ダンテス公爵家に連なるロボトニー伯爵家に手柄を上げさせる事で、デーバス王国上層部の力関係をダンテス公爵家に有利な物にするため」という返答しか得られない。
これらの答えに対し、アルとしても頷かざるを得ない部分も大きい。
しかしながら、失敗した際に被るリスクとは見合っていないだろう、という考えも捨てきれなかった。
「まさかとは思うが、失敗する可能性については考えられていなかったのか?」
アルの質問に対し、ロボトニーは顔色一つ変えず(そのような能力は失われていたが)に返答する。
「どのような状況に追い込まれたとしても、たとえ竜殺し
――いや、どういう方法かはこれから聞くつもりだが、お前ら揃ってミマイルの下僕になってりゃ……誘拐どころか暗殺面でも大失敗じゃねぇか。




