第二百七十八話 百鬼夜行 4
7451年4月2日
夕刻。
「う……」
バースは呻き声を上げつつ目を覚ました。
同時に気を失うまでの出来事を思い出し、己に用心を心掛ける。
何はなくともまずは武器の確保だろう。
薄目を開け、目玉だけで周囲を窺った。
窓が大きく開け放たれていたお陰であまり暗くはなく、周囲の様子はだいたい分かる。
どうやらここはどこかの建物の一室らしい。
外からの光の具合からして今は早朝か夕方、もし昼間なら相当な曇り空だろう。
窓の外からは特別な物音はしないが鳥の囀りは聞こえてくる。
部屋には掃除用具などの雑多のものが置かれており、元々は用具部屋として使われていたようで飾り気はない。
だが、それらは全て小綺麗に整頓されており、ホコリなども溜まった様子はない。
寝ていたベッドは粗末だが、清潔そうなシーツが敷かれ、毛布まで掛けてある。
どうやら部屋の中には誰もいないようだ。
もっと詳しく部屋の中の様子を探ろうとそっと頭を動かしてみる。
ベッドの足元には自分が着ていたボロボロになった重ね札の鎧が鎧掛けに掛かっており、武器になりそうなものは壁に立て掛けられている箒くらいしかない。
「んっ……」
体を起こそうとして痛みに顔を顰める。
左腕の前腕部の尺骨と橈骨、そして左脚の大腿骨が骨折しているようで副え木と一緒に布で巻かれていた。
だが、骨折箇所から響く鈍痛は治癒魔術によって一応の治療が行われている事を気づかせてくれる。
バースとて迷宮都市バルドゥックで一流と呼ばれた冒険者だ。
過去にこの程度の骨折は何度もやっているし、魔術で治療された経験もあるから気付けた事でもある。
痛みの感じから骨の接合だけはなされていると見ても良いと思われた。
あくまで一応、最低限度だが。
「まずいな……」
独り言ちながら右手で頭を掻く。
頭にも傷を受けていたようで瘡蓋の感触があった。
もう一度鎧に目を向け、外観をチェックするが鋳鉄で作られた小札はあちこちが剥げ落ちていて、かろうじて元はスプリントメイルであったことが判別できる程度であり、金属小札による防御効果には大きな期待はできなくなっている。
単なる革鎧よりはマシだろうが、あちこちに切り傷や擦り傷もあって、ちゃんとした革鎧の方が重量が軽い分良いかもしれない。
「ぐっ……」
どうにか毛布をはねのけて左脚をベッドから床に下ろそうとするが、激痛が足を床に付けることを拒否してきた。
杖を使うなどしてかなりの無理をすれば歩けなくもないだろうが、速度は非常に落ちるだろうし、まして戦闘など以ての外だろう。
――こりゃあ、無理だ。やはり骨折箇所にキュアー……か、もう少しましな治癒魔術を一~二回程度、というところか。
溜め息と共にバースはそろそろと左脚をベッドに戻し、避けていた毛布を被り直す。
――確認したいことは多いが、これじゃあな。
未練がましい目つきで鎧に目をやるが、脚がこれでは如何ともし難い。
一瞬だけ目を閉じ、息を吸い込むと声を上げた。
「誰かいるか!?」
虜囚となった訳ではなさそうだったために思い切ることにしたのである。
何しろ、彼には苦境に立たされている仲間が何人もいるのだ。
あれからどのくらいの時間が経過しているのか、そして今いる場所があそこからどのくらい離れているのかは不明だが。
・・・・・・・・・
「なっ!? 四月の……二日ですって?」
バースが護衛していたミマイルの嫁入り車列が何者かの襲撃を受けたのが三月二九日。
あの日からもう三日も経っていた事にバースは愕然とした。
「ああ」
頷きを返したのはこの館の主、コラマック村の領主である。
バースが目を覚ましたことで、領主はすぐに家人に連れられてバースの居る部屋へやって来たのだ。
コラマック村は襲撃地から数㎞程南に離れた場所にある、林業や細々とした農業で食っている比較的規模の小さな村である。
村の狩人の親子が河原で倒れ伏していたバースを発見し、村まで運んでくれたとの事であった。
「それで、ケルテインとやら。そなたは一体何故あんなところで倒れていたんだ?」
そう尋ねる領主は年老いた山人族で士爵であるという。
「あ、ああ、そうです! 山賊……野盗……いや、あれは……とにかく大勢のならず者に襲われたんです!」
「ふむ。野盗とな……しかも大勢だと? どこで?」
領主は深刻そうに眉間にシワを寄せて言った。
このコラマック村の近傍で野盗騒ぎがあったのはもう一五年以上も前で、野盗団は王国第三騎士団に退治されて久しいのである。
「え、えーと、コリドークの、何と言ったか……渓谷の脇を通る道の辺りで……」
「渓谷の脇を通る道……コリドーク准街道か?」
「確かそんな事を言っていたかと……そ、それより、襲われたのは陛下の庶子でフォーケイン准男爵家のご息女の嫁入りの馬車なんです!」
「何だと?」
領主は身を乗り出すようにして言った。
そして詳しい事情を話せと要求する。
「おれ、私はその馬車隊の護衛に雇われていました。馬車隊が襲われたのは三日前、三月二九日の昼過ぎ……午後二時くらいです……」
馬車隊の構成や護衛についていたのは王国第三騎士団の一個小隊であること、そして追加で雇われた冒険者の数なども報告する。
「こりゃ一大事だ……」
領主の命で従士長も呼ばれた。
「手当をして下さった件、ありがとうございます。また、幾つか確認させていただきたいのですが、この村には治癒師は何名おられますか?」
骨折箇所について、最低限の魔法での治療はされている事は確認している。
「一人もおらんよ。田舎村だしな」
「では一体どなたが私に治癒魔術を?」
「ほ。分かるのか?」
「ええ、これでも怪我も、治癒魔術にも慣れていますから」
「狩人と私と我が娘が治癒魔術を掛けたのだ」
「そうですか。ありがとうございます。私を救って下さった狩人の方にもお礼をお伝え下さい」
「そりゃあいいが……」
「それと、そこの私の鎧ですが、胸の内側の革が二重張りになっているはずです。中に金貨が八枚縫い付けてあります。その半分を差し上げますので、脚に治癒魔術をお願いできませんか? 出来たらこの村で治癒魔術が使える全員にお願いしたいです」
更にバースは村から現場まで人を出して欲しいと頼んだ。
だが、それについては国王の娘が襲われたという事もあって、領主は元々そのつもりでもあった。
従士長を呼んだ理由でもある。
バースに頼まれた領主は謝礼の金貨を受け取ると狩人や領主の家族、おっとり刀で駆けつけてきた従士長や従士達、村に駐屯していた二人の第三騎士団員までも総動員して合計二六回もバースに治癒魔術を掛けてくれた。
そのうち二回は単なるキュアーではなく、水魔法入りのキュアーシリアスの魔術であるし、四回はこちらも水魔法入りのキュアーライトであった。
お陰で足の怪我は多少の痛みが残る程度で傷と骨折は完治し、腕の方もそれなりに痛みは残るものの大分良くなった。
そして、引退して久しい従士が使っていた物だという、少々古いデザインの歩兵用の剣も手に入れた。
左腕には何も持てないだろうが、これで白兵戦も一応は出来るようになっただろう。
「従士長殿と同行させてください」
「足が治ったのなら構わんが、腕はまだ完全ではなかろう?」
「ここまで治して頂けたのであれば大丈夫です。盾もないですしね」
バースの言葉に領主は従士長を見る。
従士長は肩を竦める事で返事に代えた。
現場はここから徒歩で三時間程度だとのことである。
川を渡るための橋(准街道と本街道が合流した所より少し南にある)まで遠回りしなければならないからだ。
宵闇が迫る時刻ではあるが、事が事なので現場確認は必要だし、万が一生存者がいるのなら早いほうが良いという事で、駐屯していた二名の第三騎士団員と村の従士長以下、五名の従士とその子弟を含めた総勢一八人で向かうことになった。
※バースはコラマック村中心部を流れる川の支流の分岐点あたりで発見されました。またハルミス村の数㎞南に第二百七十五話で登場した天領とガソレイン子爵領の間にある関所(同話にて関所の15㎞程北に大き目の村があると書かれていますが、それがこの地図のキザク村です)が、その南に第二百七十七話のカイエル村が、更にその南に第二百七十六話のギルゼンの街があります
・・・・・・・・・
「こ……これは……?」
完全に日が落ちた後でバース達は現場に到着した。
松明に照らされる現場には一〇名以上の人が居た。
全員、キザク村やその北方の村や街に駐屯していた王国の第三騎士団員達だ。
彼らによると二日程前にキザク村を出発後にこの准街道を通った商人によって大規模な戦闘の痕跡が確認されたために調査に赴いていたのだという。
現場に残されていたのは二十名以上に上る遺体と馬の死骸だけだった。
反魂の水晶球が使用される以前に死亡し、魔力を吸収された者はアンデッドにはならないのだ。
「リズ! ジル!」
街道脇に並べられた遺体の中からバースは仲間だった二人を発見した。
「お仲間かい?」
騎士団員の一人がバースに声を掛けた。
襲撃現場に到着した際にこの襲撃での生き残りだと説明済みなので、重要参考人としてバースは四名の騎士団員に取り囲まれている。
「ああ。二人共とても腕のいい魔術師だった……」
肩を落とし震える声でバースは答えた。
「さて、お仲間ともご対面出来たんだ。詳しく話を聞かせて貰おう」
バースは自分がバルドゥックの冒険者で、ある事情(当然、内容についても話をさせられた)によりパーティーごと王都のフォーケイン准男爵に雇われた事など、知っている全ての情報を話した。
下手にゴネたりするよりさっさと話した方が協力的だとみなされてより早く解放されるであろう事を理解していたからだ。
「確かにここには五輌の馬車が通った痕跡がある。馬の数も一致している。そして大勢が争った形跡も認められるし、攻撃魔術も使われたんだろう。だが、お前さんの話だともっと死体は多くなけりゃおかしいんだがな?」
尋問を担当する騎士は疑り深そうな目つきで言う。
「そこまではわからん。だが、俺の仲間は俺の他に六人いたんだ。まだ四人いるはずだ。何とか襲撃を退けて生き残り、先に……えーっと、ハルミス村に進んだ可能性が高いと思う」
「確かに馬車もないしな。当然俺たちもその可能性を考えたさ。そして次に向かうであろうハルミス村にも人をやってる……」
騎士の話によると、彼らが商人から連絡を受けたのは二日前の三月三〇日の午後。
准街道は大量の土砂で塞がれており、徒歩の者の他に馬車を引き連れていたため、引き返すしかなかったという。
因みに、襲撃地点南側の方の土砂は馬車が通れる程度には取り除かれていた。
これも調査の結果、土砂は元素魔法によって作り出されたものであり、アンチマジックフィールドなどの魔術によって取り除かれたであろう事が判明している。
キザク村に駐屯していた騎士団員が引き返してきた商人から連絡を受け、最初に調査の人員を派遣したのが同日午後。
第一次調査隊が戦闘の痕跡を報告してきたのが同日の夜である。
キザク村に駐屯していた騎士団員はこの報告を受け、即座にキザク村の北方の街や村(南は馬を飛ばせる准街道が土砂で塞がれており、正街道は徒歩の方がまだ早いため)へ応援を頼んだ。
そして昨日、四月一日の午後にキザク村北方の街や村から騎士団員達がキザク村に到着してきたため、第二次調査隊が送り出され、本格的な調査が開始された。
第二次調査隊は総勢一五名による編成である。
残されていた遺体の中には先日、ミマイルの車列を護衛していた第三騎士団員も混じっており、彼女の馬車隊が何者かの襲撃を受けた事を物語っていた。
到着したのが夕方だったため、調査隊から近場の街や王都へ第一報の伝令が出されたのが今朝。
同時に馬車隊の次の目的地であるハルミス村に対する確認の人員も派遣されたという。
准街道が塞がれているためこちらは徒歩である。
「徒歩とはいえ、一日も経ってるんだ。幾ら何でももう帰ってきてなきゃいけないんじゃ?」
バースの質問に騎士団員達も解っているという顔をした。
その時。
「おーい!」
南の方から騎士団員らしき者が二人、走ってきた。
「ハルミス村まで行ったんだが、村がもぬけの殻だ。人っ子一人いやしねぇ!」
報告を受け、バースや騎士団員達が顔を見合わせる。
・・・・・・・・・・
同日、夜。
アルとミヅチはアルソンを連れて寝室に引っ込んだ。
「騎士団でオークを飼ってて本当に良かった……」
アルはミヅチに抱かれて眠る息子の頭をそっと撫でて言った。
「そうね」
ミヅチも抱いたアルソンをそっと揺らしながら相槌を打つ。
今、アルの目には期待通りレベルアップを果たしたアルソンのステータスが映っていた。
だが……。
【 】
【男性/22/10/7450・普人族・リーグル伯爵家長男】
【状態:良好】
【年齢:0歳】
【レベル:2】
【HP:7(7) MP:1(1) 】
【筋力:1】
【俊敏:1】
【器用:1】
【耐久:1】
「経験値と次のレベルまでの必要経験値が見えなくなったのは痛いな……」
アルの声にはやるせなさそうな響きが含まれている。
「私達の経験値、記録しておけば良かったねぇ」
対してミヅチはあまり気にしてはいないようで、優しい顔をしてアルソンを揺らし続けていた。
「披露宴が終わって落ち着いたら、すまんが……」
「ええ。わかってるわ」
アルの言葉に答えながら、ミヅチは少し表情を真剣なものに改める。
今月半ばに予定されているミマイルとの結婚や披露宴が終わり次第、ミヅチはクローとマリーを伴ってバークッドまで行くのだ。
強制的に魔力を消費させる特殊技能を持つモンスター、ホーンドベアーを捕らえるために。
アルソンのレベルがゼロの時点で経験値欄がアルに見えていたのは神々の恩寵(温情?)です。
また、アルソンはレベルアップ時に能力値限界が3つ上昇します(転生者の半分、一般人の1.5倍)。
なお、ホーンドベアーを捕まえる件ですが、アル(昔倒した母子以外に父親となるホーンドベアーがまだバークッド近辺に居てもおかしくないと思っています)から提案されています。
本当なら自分が行くべきだと考えてはいるのですが、ミマイルを娶った直後に加え、新たに受領した領土の視察に赴く必要があるため、泣く泣く断念しています。
ミヅチが不在時のアルソンには適当に乳母をあてがうつもりです(流石に1万人近い人口のべグリッツなら母乳が出る女を探すのは難しくありません)。




