第二百七十七話 百鬼夜行 3
7451年4月2日
未明。
ミヅチはベッドの中で瞑っていた目を開いた。
『……』
真っ暗な寝室はほぼ完全な無音に近い。
寝返りをうつようにミヅチは体を転がし、ベッドの縁から片手を垂らすと手のひらを床に付けた。
『……』
暫くすると床に付けたミヅチの手のひらに真っ青な魔術光が湧くが、光はすぐに床に吸い込まれるようにして消えた。
そして、そっとベッドから抜け出すと、今度は寝室への出入り口がある方の壁に手のひらを付け、先程と同じように何かの魔術を使用した。
それが終わると、同様に扉にも手を付け、また魔術を使った。
今、彼女が使った一連の魔術は騒音の壁という魔術で、壁や扉などの反対側で聞き耳を立てている者に対する妨害の魔術である。
その気になって壁や床、天井などにこの魔術を使用すれば、部屋を完全な遮音空間にする事が出来る。
しかも部屋の外で発生した音声は通常通り壁や扉には遮られるものの、部屋の内側から聞く分には問題なく聞こえる一方通行の遮音区間だ。
少しデリケートな話をするような場合に、最適な魔術であると言えよう。
こうして寝室の全ての壁、床、そして天井にまで騒音の壁の魔術を掛け終え、ミヅチがベッドの縁に腰を下ろした時にはアルは目覚めていた。
『どうした?』
魔術を使っているので当分の間は小声で話す必要はないのだが、アルの声が小さいのは単に雰囲気に流されているだけだ。
『ん、起こしちゃった?』
『そのために魔法使ったんだろ? 灯りは?』
アルはベッドから半身を起こして言った。
『いらない、けど少しはあった方がいいかな』
『そうか』
アルはそっと手を伸ばしてサイドボードを探ると、木製のコップを手にした。
中に残っていた水を一息で飲み込むと、暗闇の中で僅かに顔を歪める。
すると、アルの頬が内側から光を発した。
口の中に作り出した氷に灯りの魔術を掛けたのだ。
コロンと明かりの灯った氷をコップに吐き出し、再びサイドボードに戻す。
寝室はサイドボードに載せられた上向きの懐中電灯に照らされ、暗闇から薄暗がり程度にまで明るくなった。
この程度なら窓から漏れる光量は知れているだろう。
『それで?』
アルは肩越しに目を向けるミヅチと視線を合わせて尋ねた。
『ちょっと大切な話。私を【鑑定】してみて。多分だけど、【部隊編成】のマックスレベルの能力が使えたみたい』
『へぇ……』
アルは目を見張ってミヅチを鑑定した。
【ミヅェーリット・グリード/14/4/7448 ミヅェーリット・グリード/8/4/7448 】
【女性/14/2/7428・闇精人族・リーグル伯爵家第一夫人】
【状態:良好】
【年齢:22歳】
【レベル:27】
【HP:232(232) MP:194(285) 】
【筋力:34】
【俊敏:63】
【器用:39】
【耐久:37】
【固有技能:部隊編成(MAX)】
【特殊技能:赤外線視力】
【特殊技能:傾斜感知】
【特殊技能:地魔法(Lv.7)】
【特殊技能:水魔法(Lv.7)】
【特殊技能:火魔法(Lv.7)】
【特殊技能:風魔法(Lv.7)】
【特殊技能:無魔法(Lv.8)】
【経験:2516432(2600000)】
アルの目に完全な復調を果たしたミヅチのステータスが映る。
そしておもむろに固有技能の欄のサブウインドウを開いた。
【固有技能:部隊編成;使用者は接触した任意の対象と、自らをリーダーとする部隊パーティーを編成できる。――(中略)――この命令は音声によらず、リーダーが頭の中で望んだ瞬間に任意の部隊員の意識に対して呼びかける形になるため、部隊員は自分の知っている言語で同じ意味を理解する。MAXレベルの拡張能力は部隊員への特典2を与えない代わりにこの能力を使用中の間に全ての部隊員が得た経験値を、構成する部隊員間で平準化して配分出来る事である。但し、その場合効果時間の延長は出来ない】
『こいつぁ……』
アルは一瞬だけ絶句した。
『どう?』
そして、どうだったのか問いかけるミヅチに微笑みかける。
『ああ、確かにマックスレベルの拡張で使えたようだな。そして……』
顔を綻ばせて話すアルの言葉にミヅチは安堵の表情を浮かべた。
昨晩、軽い怪我をしたアルソンの治癒を行い、その時にミヅチは【部隊編成】の拡張能力なら部隊員の健康状態も把握できるのではないか、と考えて既に得ているはずの拡張能力を意識しながら必死の思いを込めて【部隊編成】を掛け直したのだ。
ミヅチは、その予想こそ外してしまったが、息子を思う気持ちから能力を拡張した【部隊編成】の使用には成功していたのである。
今までそれを伝えなかったのは、拡張能力を伴う固有技能の使用に成功した感じは受けたものの、効果自体は今までと特に変わらなかった(拡張された特典の方を選択しなかっただけである)からだ。
また、起きている際には必ず傍に護衛がついていたという事も大きい。
この瞬間も護衛は部屋の外で不寝番をしている。
アルもミヅチも今更転生した事を隠すような気持ちなどないが、固有技能の話、ましてそのマックスレベルの拡張能力の話ともなれば絶対に第三者に聞かせるつもりはなかった。
『……マックスレベルの拡張能力は部隊員への特典二――これは能力値の熟練ボーナスや経験値アップの事だろうな。それを与えない代わりにこの能力を使用中の間に全ての部隊員が得た経験値を、構成する部隊員間で平準化して配分出来る事である。但し、その場合効果時間の延長は出来ない……だとさ』
そう言うとアルは更に破顔してミヅチ笑いかけた。
『それって……』
『ああ、多分だが、アルソンに……あいつに経験を積ませることが出来るようになったんだと思う……』
アルの目に涙が溜まり、流れ落ちる。
それを見たミヅチも両手で顔を覆うようにして震え始めた。
『ミヅチ……ミヅチ。これでもうアルソンは大丈夫だ。俺とお前とアルソンで【部隊編成】をして、ダート平原でモンスターの間引きでもしてやれば……』
そう言って体をずらしながらアルは嗚咽するミヅチの肩に優しく手を回す。
『練習する! 今の説明、もう一回言って!』
ミヅチは顔を上げると宣言するような強い口調で言う。
『ああ。そうするといい……』
アルはミヅチを抱き寄せると額と額を合わせるように顔を寄せる。
ミヅチはアルソンと自分に対して使用していた固有技能を解除し、今度は自分とアルに対して使ってみる。
拡張された能力である、経験値の平均的な配分を意識しながら。
『ん。特に変わった感じは受けないな』
今までの【部隊編成】で得られていた能力値の熟練度が失われている筈なのだが、別に熟練度の限界まで運動能力を発揮している最中でもないため、それを意識出来る方がどうかしている。
それは過去に何度も【部隊編成】に組み入れられたり外されたりを繰り返しているアルも良く理解している。
単に拡張能力の経験値の平準化がなされた場合、何か変わったことがないだろうか思っていただけだ。
要は、今までの【部隊編成】における能力値の熟練度ボーナスや経験値アップの影響下にある者は、アルの【鑑定】では見分けられなかったのだが、拡張能力の影響下では見分けられるのか、という疑問の解消のためだ。
なぜなら、見分けが付かなければ【部隊編成】がどっちのモードで使用されているのか、そして本当に拡張能力のモードで使用されているのかの判断が付けられないからだ。
尤も、どちらのモードで使用されていようが、誰かが経験値を得ることが出来るような行為をしてみて、アルが【鑑定】してみれば良いことではあるのだが、アルソンの身の上に起きていた問題について解決の目処が立ちそうな事とあって、二人共冷静ではいられなかった。
こうして、本来ならしっかりと話し合っておかねばならない事などそっちのけで夜は更けていった。
・・・・・・・・・
昼。
ガソレイン子爵領、カイエル村の領主の館。
相変わらずミマイルはロボトニー伯爵の頭部に指を突き込んで角度や深さの調節をしながら、少しでも多くの情報を引き出そうと四苦八苦していた。
「あ……ひっ……だ、だんてす……こおうしゃ……きゅ……かっ……っかの、め、めっめめめめめ……めいでっすすすすすすすすすすぅ……あひゃ!」
ロボトニー伯爵が喋る内容を聞いてもミマイルは表情を変えない。
まるで氷を彫ったかのような冷たい顔つきのままだ。
「目的は?」
彼女が浮かべる表情そのままの冷たい声で尋ねた。
「っももももくてきわはぁ……わか、わかわかわかわかりぃぃぃませぇぇぇん……」
ミマイルが知りたいのは「なぜ、どんな目的で自分が襲われたのか?」という事である。
因みにロボトニー伯爵と冒険者達がデーバス王国の者である事は既に喋らせていた。
「ん~。聞き方が悪いのかしら……? これで良い筈だけど……」
眉間にシワを寄せ、ミマイルは小首をかしげる。
「また最初からやり直しかぁ……」
ロボトニー伯爵の側頭部から指を引き抜くと、血と脳漿のこびりついた指先を眺める。
「あ、そうか」
何に気が付いたのか、明るい笑みを浮かべ、ミマイルはもう一度指を伯爵の側頭部に突っ込んだ。
「貴方のお名前は?」
「あああべいる・ろぼぼぼとにぃ……」
「出身地と爵位は?」
「べべらいぞん……はくしゃく……」
そして長い時間を掛けてまた先程の質問の直前まで来た。
「ダンテス公爵の目的について、貴方はどう予想したの?」
「……っおお、おそらくく……ぐっぐぐぐぐりーどどはくしゃくととと……ろろんべるとおうけとのあっああいだに……そそそそうごふふしんを……つくつくつくろうと……」
ミマイルはにっと笑って先を続ける。
「なぜそう考えたの?」
「っみみまいるるさまをおそうのに、ぐっぐぐんはうごかせない、とおっしゃられたことと……せせせんりょくとしてつかったぼぼぼうけんしゃはぜんいんしょぶんをめめいじられたこっこと……そっそれとかのうならみままいるさまををさらってくくくるように、ころすのはどどうしようもなくなったときののみだといっいわれたからでです」
「ふーん……今のは貴方がダンテス公爵に命じられた内容よね?」
「っはははい」
「それだけで貴方は目的を予想できたの? どう考えてその予想に辿り着いたの? あ、ごめんなさい、まだ喋ってる途中だったのね?」
「っはははい。まままず、せいききぐんをううごかせない、というこことと、ぐんぐんぐんからいんたいしたわたわたわたくしししにに……たこくでのようじんゆゆうかいさくせんのしきをととれとこここえをかけられたことから……ここれはひせいきなささくせんだと……」
ミマイルは辛抱強くロボトニーにインタビューを行っている。
先日、アンデッドと化して以来、最初に襲った村ではただ一つ、特筆すべき点を除いて大した情報は得られなかった。
村には少し珍しい人種の男がいて、凄まじい魔術の技で抵抗をして来たため、多くの手下を滅ぼされてしまったのだ。
が、新たな力を得たミマイルの敵ではなかった。
自分の得た力を試す事に夢中になっていたミマイルは怒りに任せて男を塵にしてしまったのだ。
男の戦闘能力が高かった事に加えて彼から情報を得ることを失念していた事もあって、つくづく惜しい事をしてしまったものだと後悔したものの、体中傷だらけという見るも無残な有様のままことごとくアンデッドと化してしまった護衛や、襲いかかってきた相手までをも愛おしく感じる自分に気が付いてしまった事で軽く混乱してしまった。
冷静になってみると愛おしいと言っても、それは家族や恋人などに向ける感情とは異なると気が付いたのではあるが、愛おしいものは愛おしいということで無理やり自分を納得させていた。
「……ここうしたてんから、わわたくしはぐっぐぐぐぐりーどどはくしゃくとろんべるとおうけとのあっああいだに……そうごふふしんを……つくつくろうと……ししてていたのではないか、ととかんがえたのでです……」
その時、部屋の扉がノックされた。
ミマイルの許可を得て入室してきたのは彼女の護衛隊に参加していた冒険者の一人だ。
「 」
ミマイルは無造作にロボトニーの頭から指を引き抜くと、濃い笑みを浮かべた。
「そう。あなた、ベンノコと言ったわね。よくやったわ」
ボロボロの鎧に身を包んだまま、ベンノコはミマイルに頭を垂れる。
「ゴブリンのところまで案内して」
ベンノコに案内され、ミマイルは捕らえられたゴブリンの前に立つ。
あからさまに怯えるゴブリン達に近づくと、手近な一匹の頭に手を当てた。
そして……すぐに何か握る様にしながら手を持ち上げる。
彼女の手には半透明な何かが掴まれ、それをゴブリンの体から引きずり出している。
哀れなゴブリン達は本能的に理解した。
あれは生きとし生ける物にとって一番大切な何かだ、と。
肉体から魂を引きずり出されるゴブリンを見て、ゴブリン達から悲鳴が上がる。
「……」
手に掴んだままのゴブリンの魂を見つめ、ミマイルは金色の瞳を輝かせた。




