第二百七十三話 花嫁襲撃 5
7451年3月29日
ロボトニー伯爵には馬車隊の前方と後方に向かった者達のうち、どちらが本命の姫であるか俄には判断できなかった。
何しろ、あれで打ち止めかどうかすら判らないのだ。
彼の傍にいた手勢は前方に五名、後方に三名を送ってしまったのでもう誰も残っていない。
頭の中で目標に対し、逃げ出した順に素早く記号付けを行う。
最初に馬車隊の前方へと逃げた女をアー。
次に後方へ逃げた男女をビャー。
三番目に前方へ逃げた男女をツェー。
最後に後方へ逃げた男女をドだ。
人数は合計七人。
結構多い。
「くっ……」
伯爵は一瞬だけ顔を顰める。
が、結局はより多くの人数が逃げ、且つ戦闘がほぼ行われていないだけでなく、手勢を送った数の少ない後方へ向かって土手を駆け下りた。
今回の襲撃における第一の目的はロンベルトの姫の略取か殺害であり、それを達成できなければ何の意味もないからだ。
――逃がさん!
伯爵は自分でも驚くほどのバランス感覚を発揮して、転ぶことなく土手を駆け下り、逃げた男女を追いかけた。
――おお!
伯爵の視界に、先に追いかけさせた騎士の一人がクロスボウを構えたところが見えた。
ビン!
鋭い発射音とほぼ同時に、もう五両目の馬車の陰に達しようとしていたビャーのうち、女性らしき者の臀部に矢が命中し、女は悲鳴を上げて倒れた。
逃走の阻止という目的は充分達している上に致命には程遠い。
狙い所として最高だ。
――あ奴め、良い腕だ。後で褒美を……。
伯爵に内心で褒められた騎士は、発射を終えたクロスボウを投げ捨てるとまた走り出す。
ほぼ同時に伯爵の目には連れが撃たれてしまったビャーの男が振り返ったところが映る。
その頃には、先行していた二人の騎士がドの男女に追いついた。
金属部品を多用した鎧を纏い抜き身の剣を手にしたままの男とそれに手を引かれる女に対し、こちらは動きやすい革鎧であるため、当然だとも言える。
追手が迫った事を感じ取ったのか、ドの男が振り返る。
「姫様、私に構わずお逃げください!」
そう叫びながら剣を構えるロンベルトの男。
それに対し、追いついた二人の騎士のうちの一人が手に持ったままのクロスボウを発射した。
「うおっ!?」
至近距離であったためか、ドの男はクロスボウの太矢を胸の真ん中に受け、姿勢を崩した。
そこに元々クロスボウを持っていなかった騎士が剣を突き込む。
剣は逸らされたか鎧で防がれたようだ。
「せあっ!」
剣を突き入れた騎士に向けて剣を振りかぶるドの男。
伯爵が「まずい」と思った時にはクォーレルを受けたドの男によって騎士は袈裟斬りに斃されてしまった。
その脇を、ビャーの女を射抜いた騎士が駆け抜ける。
が、戻ってきたビャーの男がその前に立ち塞がった。
――撃たれたビャーの女を放ってこちらに戻るとは、ドの女が姫か!?
そう考える間もなく、伯爵はその場に到着した。
そして、逃げ続けるドの女に向けて右手を伸ばす。
狙いは先にビャーの女の逃走を阻む事に成功した臀部だ。
僅かな集中時間で魔術は完成し、石の矢がドの女の臀部に突き刺さった。
「いやぁっ!」
悲鳴を上げ、ドの女も転倒する。
腰骨を砕くまでには至っていないであろうが、もう逃げられない。
その間にこちらの騎士を斃したドの男は腹に剣を受けて斃され、彼を斃した騎士と最初にビャーの女にクォーレルを命中させた騎士によってビャーの男は防戦で手一杯になっている。
――こちらはもう良かろう。
伯爵は振り返ると馬車隊の前方に向かった。
恐らくは今怪我を負わせて転ばせたドの女が姫であろうが、アーとツェーの男女三人の始末も必要だし、そちらが本命である可能性も否めない。
・・・・・・・・・
馬車隊の脇で、バースが率いる緑色団は未だ優勢に戦い続けていた。
――今だ!
フェイントで行った斬り上げに反応してしまった冒険者の慌てた顔を見てバースは内心でほくそ笑む。
「はっ!」
気合いと共に繰り出されるバースの突きを受けそこね、デーバスの冒険者の女が絶叫を上げて倒れる。
――む?
一瞬だけ視界の隅に見慣れない物が翻った気がするが、彼の前に新たな冒険者の男が立ち塞がり、手にした歩兵用の剣で鋭い突きを放ってくる。
「くっ!!」
何とか体勢を崩すことなく盾で攻撃を払いのけることに成功したが、相手は更に踏み込んできた為に余裕を失った。
その隣ではベンノコが手にしたシールドで相手を殴り倒し、即座にレンバールが倒れた相手に槍を突き入れている。
「おいバース! いい加減まずい……ぞ!」
ベンノコとは反対側の隣、レンバルが叫ぶ。
彼が戦斧で相手のシールドをカチ上げたところにロンベルトの重装歩兵がタイミングよく体当たりを敢行し、デーバスの冒険者達の陣形は大きく崩れた。
「うおおっ」
そこに別の重装歩兵が二人、シールドを構えて突撃して更に冒険者達の陣形を突き崩し、大きく姿勢を崩した者にロックが矢をお見舞いする。
「リズもジルもまだ死んだ訳じゃない! ……はずだっ!」
レンバルに怒鳴り返しながら、バースは歩兵用の剣使いの冒険者の男を斬り伏せた。
あと数m。
間に立ち塞がる四~五人を突破できれば、中央の馬車を守って奮戦し続けているロンベルトの守備隊と合流できる。
そうしたら、ロックかレンバールのどちらかをアタッカーから外し、リザーラとジュリエッタへの治療に回せるだろう。
と、バースの目に、土手を駆け下りて来る者の姿が目に入った。
二名だ。
――上でクロスボウを撃っていた奴らか。こいつぁ、本当にまずいな……。
そう思う間もなく、更に三名が続いている。
そのうち何名かはまだ片手にクロスボウを携えている。
「クロスボウ持ちが来るぞ! 気を付けろ!」
バースがそう怒鳴って注意喚起をするまでもなく、ロンベルトの重装歩兵達が盾を構え直した。
だが、土手から駆け付けて来る五人の男たちはこちらではない別の方へと注視しているようだ。
――側面に回り込まれたらまずいか!?
今戦っている街道の東側の谷までは馬車に加えて多少の地面もあるが、押し込まれると厄介だ。
そして、放っておいて後ろに回り込まれでもしたら目も当てられない。
まだ息があるであろうリザーラとジュリエッタも始末されてしまうだろう。
「くそっ、誰かあいつらを――!」
止めろ!
叫び終わるよりも早く、バースは見てしまった。
今彼らは中央の馬車を引いていた馬の傍で戦っているのだが、その馬の向こう側を走る男女を、だ。
一人は中央の馬車を守っていた若い男で、もう一人は姫に付いていた召使いだ。
召使いは体中に高価そうなドレスを巻きつけ頭にもドレスを被っている。
――脱出!?
そういえば、つい今しがたも何かが翻るのが見えた。
どうやらあれは姫であったか。
それとも今の二人のように囮であろうか?
――な!? まだ戦っている俺達を見捨てて逃げるのか!?
バースは頭にカッと血が上るのを自覚したが、すぐに冷静さを取り戻した。
目の前で戦い続けている馬車隊の護衛部隊は騎乗した騎士も全員が討ち取られて全滅寸前であり、まだ立って戦い続けている者の数は五人に満たない。
襲い掛かってきた者達もかなりの人数が斃れているが、残っている数は優に二〇人以上。
この状況で馬車内に留まり続けるのは阿呆の所業である。
姫には護衛隊の副隊長と専属の護衛騎士が二名付いているのだから、脱出は彼らの判断であろう。
また一人、中央の馬車の護衛が斃された。
その光景を見たバースは賭けに出ることにした。
「後退しろ! 後退だ!」
護衛隊との合流ではなく、脱出しようとしている姫や囮を守ろうとしたした訳でもない。
――俺達を置いて逃げると言うなら、俺達が逃げても仕方あるまい。
「リズとジルを忘れるなよ!」
傷ついて倒れた仲間を担いで逃げられるのか、という疑問は残るがバースとしては「相手の狙いは姫の身柄に違いない」という直感に従っただけであり、そうであれば姫を守る戦力である自分達の逃走は見逃される可能性が高いだろう、と考えただけだ。
当然、請け負った仕事は完遂どころか途中放棄の脱走であり、揃ってお尋ね者になる可能性はある。
が、見たところ彼ら緑色団以外のロンベルト側の冒険者は既に全滅し、正規の騎士団員で構成された護衛部隊も生き残りの数は一〇名もいない。
対して生き残っている相手方はまだまだいる。
中央の馬車の護衛と合流を果たし、姫の護衛騎士や副隊長も戦線に加わってくれればギリギリ活路を見い出せる可能性は残されているものの、それは極小に思えた事もある。
結論として、バースは「逃げ出すのなら、そのタイミングは今しかない」と思い、「俺達が逃げてしまえば姫の身柄は押さえられ、護衛は全員殺されるだろう。従って証言者は残されない」と考えた。
勿論、この考えには幾つもの抜けがある。
例えば、緑色団の死体が残っていなければ事後の調査で逃走か手引きが疑われてしまう事などだ。
まして、護衛対象の姫は殺戮者の元リーダーである、あの男の妻になるはずの女性であるからには、後々怒り狂った竜殺しに追われる可能性すら孕んでいる。
事実、バースもそれに気付いてはいる。
気付いていたからこそギリギリまで逃走の選択肢を脳内から消していたとも言えるのだが、全ては命あっての物種だ。
ここで揃って討ち死にしてしまえば得る物は何にもないのだ。
「おい、貴様ら! もう目の前……ぐぶっ!?」
今の今まで肩を組んで戦っていた重装歩兵の一人が見咎めるが、鎧の隙間に剣を差し込まれて頽れた。
それと同時に「ひゃー! これでひゃくまんんん~っ!」と嬉しそうに叫ぶ声が響く。
それを聞いて身を翻しかけたバース達は全員が我が耳を疑った。
襲ってきたのは、当初こそ山賊か野盗団だろうと思っていた。
だが、周到な準備やそれなりの品質の装備、戦闘方法、技倆などから単なる山賊の類ではないと判断できた。
すぐに外国か、王家やグリード侯爵家に反するような立場の貴族が雇った傭兵団か何かだろうと思われた。
だからこそ、被害を減らすためにも自分たちが逃げるのを見逃されるだろうと踏んだのだ。
しかし、今の声にはそれら全てを否定する内容が含まれている。
こちらの戦力について、一人を倒す毎に賞金らしき物が得られるであろうこと。
そして、その賞金は傭兵団などで得られる程度の数万Zではとても及ばない程の高額であろうことだ。
が、後の祭りだ。
――見逃される訳がない!
考え方次第だが、死んだ味方の手柄も自分の物だと主張することが出来れば、襲撃者達としては自分達の生き残りが少ない方が都合が良いかも知れないのだ。
当然、相手を逃してしまえば得られる賞金は減額される。
「~~っ!」
再び身を翻しざまにバースは剣を振るい、自分に襲いかかろうとした男の喉を切り裂く。
がちんと奥歯を噛み締め、バースは声にならない声を上げ、デーバスの冒険者の群れに斬り掛かった。
・・・・・・・・・
ロボトニー伯爵にアーと類別されたミマイルは、必死になって車列の前方を目指して駆けた。
走るのには向かず、踏ん張りも利かなそうな靴だが、何も履かないよりはマシだと脱ぎ捨てる事はしていない。
乗っていた馬車を引いていた六頭の馬を越え、二輌目の馬車と、それが突っ込んでいた先頭の馬車も越えた。
馬車の向こう側や後方から色々な叫び声が聞こえて来るがそれらは全て無視して駆ける。
もうあと一〇m程先には土山が聳えている。
見た感じ、魔力に任せて単に元素魔法を使っただけのようだ。
――あれ、乗り越えられる?
碌に整形もされていないようで、壁状にはなっていない。
それなりに斜面は急だが、出した土が崩れたままなので勾配は四五度以下だろう。
頑張れば越えられそうな気もするが、整形されていないという事は押し固められていないのと同義だ。
足を踏み入れたら崩れるだろうし、体重でめり込みもしてしまう。
こんなところで足を取られてしまえば逃げられるものも逃げられない。
ちらりと左手を見ると数mで渓谷になっているようで、そちら側には逃げられそうにない。
反対側は土手になっているが、こちらは魔法で出した元素ではなく、元からあったもののようだ。
あの土手を登り、前方を埋めている土を迂回することで越えてしまえば……。
ぐずぐずしてはいられない。
あからさまに彼女に向かって走り寄って来る者もいるのだ。
ミマイルは土手に向かって走り出した。
そして右手の長剣と左手の鞘を杖のようにして土手を登り始めた。
そこに――。
「もう観念しろ」
すぐ後ろから冷たい声を掛けられる。
ぞっとするような悪寒と共に、ミマイルは首だけで振り向いた。
クロスボウを構えた男がすぐ後ろにいて狙いをつけている。
その傍には剣を構えた男もいる。
――ああ、アレイン様!
今度は体全体で振り向き直し、ミマイルは右手の剣を振りかぶった。
――かくなる上は、せめて一太刀!
「あうっ!?」
しかし、飛び降りる間もなく、ミマイルの右腿は太矢に貫かれ、土手から転がり落ちた。
その際にミマイルの視界には胸に剣を突き入れられて事切れる種違いの弟の姿が映る。
痛みと悔しさ、悲しさで訳のわからない絶叫を放ちながら、ミマイルは地面を舐めた。
すぐに剣を握ったままの右手を踏まれ、同時に首を押され付けられる。
「ステータス・オープン……閣下! いました! ここです!」
首を押さえつけた男のものであろう声がした。
しかし、未だに轟き続けている怒号や悲鳴にかき消され“閣下”とやらまで届かなかったらしく、同じ声や別の声が同じような内容を叫び続けている。
・・・・・・・・・
――ここが死に所か。
緑色団の戦斧使い、レンバル・フレイムシャフトは肚を決めた。
――だが、ただでは死なん!
「ルアアッ!!」
腹の底から絞り出すような雄叫びを上げ、バースに斬りかかろうとしている男に頭から突っ込んだ。
背中に幾本もの焼け火箸を差し込まれたような感覚を受ける。
痛みを無視しながら転がって戦斧を振るう。
手応えと共に頭の上から絶叫が上がる。
何人に傷を負わせたのかは不明だが、足音や雰囲気で仲間に迫っていた相手を怯ませられた事は理解できた。
「おおおぉっ!!」
ベンノコの声が響き、すぐに相手のものらしい悲鳴が耳に届く。
――儂はここまでだろうが、全滅は避けたいものよな。
レンバルは前のリーダーであるロベルト・ヴィルハイマーが緑色団を立ち上げる前、輝く刃に所属していた時から付き合っていた最古参とも言うべきメンバーだ。
――若い奴を助けてやりたいが、ロックやレンはリーダーには向かん。レンはともかく、ロックは新入りって事もあるしな。
立ち上がろうと左手を地面に突き、上半身を起こしかけたレンバルの頭上をレンバールの槍が通り抜け、素早く引き戻された。
――ふ。レンもやるようにはなったな。どうにかして助けてやりたいが……。
左膝を突き、右足を立てて体を起こした。
背中が焼けるように痛い。
また痛みを無視し、立ち上がりながらあたりを見回す。
二輌目の馬車と中央の馬車は衝突してはおらず、数mの隙間が空いている。
それを見つけ、レンバルはニヤリと笑みを浮かべた。
「バース! こっちだ!」
そう叫びながらベンノコに視線を送る。




