第二百七十一話 花嫁襲撃 3
7451年3月29日
――チッ、馬車、壊れちまったかな……? 積荷は無事だといいんだが。
バースがそう思ったのも束の間、馬車隊の進行方向右手の土手からは吶喊の叫びと人が駆け下りてくる音がした。
「陣形拾参だ!」
物音から襲撃者の人数はかなりの数になるであろう事。
そして、襲撃者側がまだ完全に煙が晴れないうちに白兵戦を仕掛けて来た事。
ファイアーボールの魔術に加えてこれら二つの事実から、バースは即座に迎撃戦闘を指示した。
前者は魔術攻撃も加えられた事もあって、これが事故や襲撃者側の勘違いなどではなく、完全に計画立てられた襲撃である事を決定づけていたし、後者は煙が人体にとって毒ではない事を意味している。
緑色団のメンバーは即座にバースの指示通りの陣形を取ると、ゆっくりと車列の前方へと移動し始めた。
まずは偵察に出したロックと合流を図るべきであるし、風は前方から吹いて来ている事もあって、そちらの方の煙はそれなりに薄くなっている、もしくは薄くなるなら前方からの筈だと読んだためだ。
車列の前方へと移動し始めたためか、未だ完全に白煙が晴れていないからか、はたまたバース達が馬車隊と渓谷の間を進んだために先頭の馬車とそこに突っ込んだ二輌目の馬車が格好の目隠しとなったからか、襲撃者達はいち早く抵抗し始めた騎士団員達の方に気を取られているようで、緑色団は首尾よくロックとの合流を果たした。
「前は駄目だ。すっかり塞がれちまってる。魔法だろうな。馬車じゃ越えられん」
そう報告するロックの言葉に頷きを返しながら、バースは「ならば後方も塞がれたと考えるべきだろうな」と思った。
左手は深い渓谷であり、底には河原もあるために飛び降りたら大怪我で済めば儲けもの。
右手は土手のような高地から襲撃者達が襲いかかって来ており、既に混戦の体をなしている。
この時点でバースの頭には逃走するという思考はない。
なぜなら、彼らと一緒に雇われた最後尾の馬車を守る冒険者はともかくとして、全体の警護についていたのは王国騎士団の一個小隊であり、合計五輌だけの馬車隊の防衛戦力としては過剰とも言える陣容だったからだ。
それに加えて警護対象には庶子とは言え国王の娘が含まれてもいる。
どうあっても逃げる訳には行かないのが実情であった。
勿論、襲撃者側は罠まで張って計画的に襲いかかってきたからには、これだけの戦力があることは承知して襲ってきたのだろうし、打ち破れると踏んだのだろう事くらいは想像が付いている。
だが、対人戦闘の経験が少ないとは言え、緑色団はバルドゥックで最高の迷宮冒険者である。
――王国騎士団に加え、俺達が警護する馬車に襲い掛かるとは馬鹿な奴らよ。
フルメンバーに戻ったことでバースは不敵な笑みを浮かべた。
「ジル、リザーラ、かませるようなら一発ずつかましてやれっ!」
そう命じながらバースは、ベンノコに顎をしゃくる。
ベンノコはすぐにバースの意図を汲み取り盾を構えながら先頭の馬車を回り込んだ。
バースと残りのメンバーも彼らの後に続いて移動し始めた。
・・・・・・・・・
「ミマイル様! 姿勢を低くしていて下さい!」
護衛騎士の叫びを聞き、ミマイルは反射的に馬車の座席の中で縮こまる。
と、同時に怒りに似た感情がふつふつと湧き上がるのを意識した。
――なぜ邪魔をされるの?
いったい自分が何をしたというのか?
父親である国王に命じられるまま王国騎士団に入団させられ、それまでお遊戯程度にしか馴染んでこなかった戦闘訓練を受けさせられた。
それはいい。
当時は十四歳という若年であったミマイルだが、貴族にはそのくらいの年齢で騎士団に入団する者など珍しくない時勢である。
万が一、彼女に騎士の才能でもあったら儲けものだし、単に蝶よ花よと愛でられながら屋敷の奥で暮らすことよりも外の世界に興味を持つ年頃でもあった。
まして、入団先は母親の古巣であり、フォーケイン准男爵家が抱える従士も何名か現役で所属する王国第二騎士団である。
国防や外征の第一線を受け持つことが主任務であり、他の王国騎士団よりは手柄を立てられる可能性は高い。
本来なら厳正な入団試験を経てからでないと入団などできないし、この時点で通り一遍の訓練しかやって来なかったミマイルでは、そのままでは入団することなどとても覚束ない騎士団なのだ。
当時は、母も含めてそれだけ父王の寵愛を受けていたのだ、期待されているのだ、と気分を高揚させて騎士団の門をくぐったものである。
当初半年ほどは、入団時期の近い他の従士と一緒に稽古や訓練に従事し、成人と同時に魔法の手解きも受けた。
しかし、どう考えてもミマイルの才能は並であり、他より抜きん出たところはない。
一生懸命に打ち込んだ成績も平均点くらいであるため、自信を無くしかけたこともある。
そして、入団から一年。
第二騎士団で実任務についていた筈の実家の従士と一緒に、顔と名前しか知らなかった長兄が騎士団に現れた。
勿論、王位継承権二位、王国の第一王子であるリチャードだ。
彼らに扱かれ(リチャードからの扱きは週に一日程度だったが)て、ミマイルは騎士団員として大きく成長することができた。
やはり現役の正騎士から直接指導を受ければ伸びが違う、と嬉しくなった。
ところが、ある日呼び出されて王城に行ってみれば、顔を見たこともない女二人と同じ部屋に押し込められ、ここで待っていろと言われる。
恐る恐る、お互いに自己紹介をして、女二人は実は名前しか知らない姉だったと判明した。
同時に二人の姉も第三騎士団に所属しており、リチャード王子の直接指導を受けていた事も知った。
当然初対面である。
どうやってお互いの距離を縮めたものか、はたまた精神的な壁を構築して距離を取るべきか、思案してみたが、一番上の姉が大人な所を見せて胸襟を開いてくれた。
尤も、三人とも正式に認められているとは言え、庶子であって正式な王族ではない。
正式な王位継承権もないが故に、今後も王国にとって最重要な婚姻を結ぶ事もないだろう。
それはすなわち、結婚相手は王国の重鎮になるほどの高位の貴族でもなければ、近隣諸国の王族でもない、ということだ。
せいぜい、二線級の貴族か、軍事的に大手柄を上げた騎士などが結婚相手になる筈で、それ以上の相手は望むべくもない。
場合によっては一生独身を貫く可能性さえ低くはないのだ。
従って、庶子三姉妹はお互いに政敵となる可能性は非常に低く、互いの身の上を嘆き合い、無聊を慰める相手には相応しいとも言える。
あっという間に仲が良くなった三人だったが、遅れて来た国王に「そなたら三人のうち、一人をある男に嫁がせたいと思っている」と言われた。
聞けば、王国の田舎出身の男は今でこそ単なる迷宮冒険者に過ぎないが、バルドゥックに現れて僅か二年程度でトップチームに食い込む程の実績を上げているという。
また、まだ話せない特別な事情もあるようで、将来的には領土の一つも任せる――要するに上級貴族になれる――可能性すらあるという。
どの領土を与えるかは未定であるものの、領土がどこになるにせよ最初は領民や根付きの貴族達に力と存在感を示すべく魔物退治などが行われることは必定であり、三人が騎士団への特別入団が許されたのも、その際に助力できるようになれるか、というテストでもあったという裏事情も明かされた。
こうなると三人はそれぞれがライバルとなる。
その晩は会ったばかりの姉二人と女三人で同じ部屋に泊まり、遅くまで話し合った。
これは、国王からその冒険者の妻の座を狙うのなら三人でルールを決めろと言われた事も大きいが、相手が日常的に迷宮に入る冒険者である以上、絶対に必要な事(迷宮内での闇討ちなど、考慮すべき点は多いためだ)でもあった。
そして年月は過ぎ、ミマイルは見事に男の妻の座を射止めたのである。
勿論、二人の姉を出し抜くような不正な手段は何一つ取らなかったし、恥ずべき行為も行っていない。
正々堂々、勝負をして勝ち抜いたのだ。
少なくともミマイルやその周囲の人物は誰もがそう思っていた。
「そなたら、姫様を頼む」
馬車に乗り合わせていた護衛部隊の副隊長がそう言って席を立ち、少しだけ窓板を開けて周囲の確認をしようとした時。
「敵は右だっ! 行くぞっ!」
「馬車隊は全力前進だっ!!」
護衛部隊でミマイルの馬車を担当している分隊長と、外で護衛の指揮を執っていた部隊長の声が響き、馬車が動き出した。
――アレイン様!
そして、慌てて窓板を閉め直した副隊長が席に着く間もなく、馬車は再び停止し、周囲は更に兵士達の叫び声や怒号に包まれた。
・・・・・・・・・
――よし! よしよし!
ロボトニー伯爵は次々と土手を駆け下りて護衛隊に襲い掛かる手下達を見てほくそ笑んだ。
襲撃は完全な奇襲によって始まったこともあってか、相手の指揮官たる騎士を初撃で何人も討ち取っている。
その度にぞくぞくするような、表現のし難い未知の感覚が湧き起こるが、それも目標達成に一歩一歩近づいているからだろう。
今のところは大成功だ。
しかし、襲撃はまだ始まったばかりだし、このままデーバス側にばかり優勢に推移して貰っては後が面倒だ。
なにせ、襲撃に参加したこちら側の冒険者達についても、最終的には経費節減と口封じの為に全員始末しなければならないのだから、適度に減ってくれた方が助かるのだ。
――だが、目的を果たすまでは貴重な戦力だしな。
伯爵家に仕える騎士も身分を隠させて何人か連れて来ているが、今の所彼らは土手上から弩を一射したただけだ。
当然ながら彼らについては冒険者とは異なり磨り潰しても良い事はない。
伯爵本人の護衛でもあるし、戦闘の推移を見て優勢ならば適度にこちらの冒険者を背後から撃ち抜いて貰う必要もある。
そろそろ罠に使った白煙も大分薄くなってきた。
先頭に位置しており、最初に伯爵の魔術で引き馬を潰した馬車のあたりは、もう既に顔の判別くらいは出来そうな薄さになっている。
――む、あれは?
その先頭の馬車を回り込む一団を発見した。
個人個人まちまちの装備品や格好などから、その先頭の馬車の護衛についていた者達であろうことがわかる。
当然ながら全員が知らない顔だが、見たばかりなので間違えようがない。
盾を持った者を先頭に置き、その両脇を戦斧持ちと槍持ちが固め、更に弓持ちや長柄武器を持った者が続いている。
が、その速度は周囲を伺いながらであるためか、結構ゆっくりとしている。
――……あの動き、やはり正規の騎士団員ではない、か。
護衛に雇われた冒険者であろう。
訓練を受けた軍人が一刻も早く敵を排除しようとするならば、長柄武器を持った者を中心にして全速力で戦闘に介入しようとする筈だからだ。
騎乗していなくても、槍など長柄武器を構えての突撃は相手の戦列を崩すのには一番有効な手段である。
また、彼らが構える得物には薙刀はともかく、戦斧など、ロンベルト王国の軍隊ならまず使用しない武器が見えた事も大きい。
一目でその集団を護衛の冒険者だと見抜いたロボトニー伯爵は、彼らへの興味を薄れさせて左手に向かって移動し始めた。
ロンベルトの姫が乗っていると思しき、車列の中央に位置していた立派な馬車近辺で始められている戦闘を観察し、あまりに不利なようなら援護の攻撃魔術を放たなくてはならないからだ。
そして土手に身を隠したまま小走りに二〇~三〇歩程駆けた時。
「あがっ!」
先頭付近の馬車に近いところで、クロスボウの射手を担っていた筈の騎士の悲鳴がした。
先程まで伯爵の隣にいて、再装填すべくクロスボウを巻き上げていた男だ。
思わず振り返る。
土手の上で、騎士は仰向けに倒れるところだった。
その顔面には見間違いようもない魔術弾頭が生えている。
そしてそれは瞬きする間もなくすうっと透き通るように消えていった。
目を見開く伯爵。
ジャベリンクラスの攻撃魔術を顔面に受けたのであれば、即死だろう。
即死してしまえば金杯の称号を持つ伯爵と言えども、もう助けられない。
――ストーンジャベリンだと!? あの冒険者に魔術師がいたのか。それにしては集中時間が早いが?
つい今しがた見た冒険者の中には精神集中を始めていた者はいなかった筈だ。
襲撃に参加していたベンケリシュの冒険者にいた魔術師ならジャベリン級の魔術の発動時間は早い者でも五秒近く掛かっていた。
伯爵はそれよりも短い集中時間で放てるが、それでも五十歩百歩であり、流石は迷宮で戦闘に明け暮れている者だ、と感心すらしていた。
その魔術師に匹敵するどころか、それ以上の速度だ。
――だが、如何に集中時間が早かろうと所詮は冒険者。これだけの人数同士の戦いにおいて、効率的な目標選定など難しかろう……効率的な目標選定?
ぞくりと腰から背筋を這い登ってくる悪寒を受け、伯爵は更に身を屈める。
現在、この場において、防御側にとって厄介なのはクロスボウによる攻撃だ。
時間的にまだ一射しか出来ていないが、重装甲に身を固めた騎士をすら容易に倒せるその威力は侮れない。
その射手を倒すには、土手から襲撃をかける冒険者達を乗り越えて土手を駆け上がるか、クロスボウと同様の弓などの投射武器しかない。
又は、攻撃魔術である。
――瞬時にそれを判断した? ……まぁ、あの辺りの煙は相当に薄くなっていたからな。あ奴の影を見咎められた可能性も……いや、向こうに出来る奴が居るのなら……。
そう思う伯爵だったが、土手に居る騎士達に向かって「魔術攻撃に気を付けよ!」と指示を飛ばし、己はそのまま移動を続けた。
一番大切なのは被害を減らすことではなく、目的を達成することだからだ。
・・・・・・・・・
「ふっ!」
デーバスの冒険者による剣戟を盾で受け止めたベンノコが息を吐く。
「シッ!」
攻撃したことで僅かに体勢を崩したその冒険者の脇腹をレンバールの槍が貫いた。
「うわっ!」
槍に貫かれた冒険者が声を上げて脇腹を押さえたところを見逃さず、ベンノコは盾を構えたまま別の冒険者に突進した。
それを援護するようにロックの放つ矢がベンノコの脇を通り抜け、奥にいた冒険者の太腿に突き立った。
「ぐおっ!」
苦痛に塗れた声を上げ、冒険者は刺さった矢に手を伸ばした。
その声に気を取られたのか、盾を構えたまま顔を歪めた冒険者に対して、「ふんっ!」とレンバルの戦斧が振られる。
なんとかその攻撃を躱すことに成功した冒険者だったが、体勢を崩してしまったためにジュリエッタの矢を肩口に受けてしまった。
バルドゥックの迷宮、その六層に巣食うクアッドハンドエイプや、七層にいるオーガと戦っている彼ら緑色団にしてみれば、余程数に開きがない限り気を抜きさえしなければ倒せる相手だった。
「まだやり過ぎんなよ!」
パーティーの後部に陣取り、メンバーに指示を飛ばすバースはもうとっくにかなりの視界を確保出来る筈なのだが、煙が晴れる速度に合わせて少しずつ前進し続け、狙い撃ちされにくくしている。
そして、彼らが二輌目の馬車の脇まで前進した時。
「リズ、あいつを!」
バースの指示でそれまで弓を構えていたリザーラが土手の上でクロスボウを巻いていた男に右手を向けた。
バースが確認できたクロスボウの射手は七人だが、後方にはまだ見えていない射手も居るものと思われる。
先頭車輌を回り込んですぐに一人の射手をジュリエッタに倒させ、今二人目を倒そうとしている。
僅かな時間でリザーラの精神集中は終わり、その右手からはジュリエッタと同様のストーンジャベリンが放たれた。
・・・・・・・・・
ロボトニー伯爵は真ん中に位置していた馬車の横に到着した。
「……っ!」
眼下は完全な混戦の様を呈している。
そして、未だに晴れない白煙のせいで完全な確認には至らないが、地に倒れているのはロンベルトの兵士ばかりではないようだ。
――あ奴らのパーティー、あと一人、前衛が居たはず……まぁ、無傷で済む筈もなし。
デーバスの冒険者も、もう何人か屍を晒している様子だった。
とにかくこの有様では魔術だろうがクロスボウだろうが、下手に撃とうものなら味方にも当たってしまう可能性が高い。
「ああっ!?」
また一人、断末魔の叫びを上げて、冒険者が討ち取られた。
が、元々冒険者の数は多い。
伯爵が見たところ、混戦ではあるもののまだデーバス側が有利に推移しているようだ。
もう暫くしたらクロスボウも二射目を放てるだろう。
「おふっ!?」
奇妙な感覚が発生したことで伯爵は妙な声を上げてしまうが、この状況でそれに気づく者など居ない。
――先程から度々湧き上がるこれはなんだ?
流石に伯爵も異常を覚えるが、今こそは正念場であり、無駄なことに関わっている場合ではない。
もしも伯爵がもう少しこの感覚に興味を覚えて魔力感知の魔術でも使っていれば、彼の目には敵味方に死亡者が出る度に、自らの腰部に戦死者から流れ込むような魔力が映っただろう。




