第二百六十三話 視察 4
7451年1月16日
「では宜しいですね?」
ウィード発、べグリッツ経由、ゾンディール行きの馬車鉄道は朝六時丁度が発車時刻だ。
今の時刻はその数分前。
なお、俺と王都まで同行させていたマールとリンビーの二人は、先触れも兼ねて昨日のうちに馬車とウラヌスに分乗させてべグリッツに帰している。
また、殿下たちが乗ってきた軍馬はゼノムに預かって貰うことにした。
「ええ、問題はありません。いつでもどうぞ」
リチャード殿下は一般向けの客車の真ん中あたりに座り、物珍しそうに周囲の座席や後部に接続された貨車を見回している。
先触れに言付けをして予め豪華版の客車を用意させていても良かったのだが、既に商業運転を行っているために殿下が一般の乗客と共に普通の車両に乗ってみたいと仰られたことでこうなった。
一般乗客を乗せた商業運転を始めているとはいえ、運賃はウィード-べグリッツ間で大人一人片道一〇万Z(この料金で持ち込める手荷物は三辺の合計が二五〇㎝で重量一〇〇㎏まで)と気軽に出せる金額ではないので、普段使いにしている乗客の大部分は商取引の為に出向く商会の者くらいである。
なお、行政府や騎士団の現役勤務者には年に二枚を上限に無償で全線切符(西ダートの領内ならどこでも乗り降り自由)が配給される。
前線の村に駐屯している王国騎士団の兵士たちは勿論、普通は何日も掛かるためにそう簡単には旅行や里帰りすることが難しかった行政府の職員たちも休暇の都合を相談して使っているという。
この前トールに切符(騎士団員の同行が条件)をやったら飛び上がって喜んでいた。
ウィードで働く両親や兄夫婦への土産を用意してから、まとまった休みが取れるゴールデンウィークに行くと言っていたので、元ごろつきの癖に可愛いとこあんなと思ったものだ。
焼き玉機関が完成し、燃料についても本格的な採掘・精製が始まればもう少し安価には出来るのだが、これでも馬車と護衛を雇うよりはかなり安い上に比較にならないほど高速なので、値段の割に座席はいつも半数以上が埋まっている。
「ところでグリード閣下……」
「は」
「このセンロというのはここが終点のようだが、中西部ダートやその先まで伸ばすのだろう?」
「ええ。御存知の通り、行く行くは王都まで延長するつもりですから」
「延長の工事はまだ始めていないのかい?」
殿下は一方向にしか伸びていない線路を不思議に思ったようだ。
「ええ。私の領土はまだこの西ダートのみですので、勝手に進めるわけには参りませんから……」
中西部ダートから東部ダートまで並ぶ三つの伯爵領については、以前からの取り決めでいずれ俺の物になるのだから、別に今から工事を始めていたって多分誰も文句を言っては来ない。
でも、俺としてはちゃんと公布されるまでそういう事はしたくなかったし、何よりも西ダートの各村とゾンディール-べグリッツ-ウィード間の複線化工事を優先させたかっただけだ。
「ふふ……君らしいな。抜け目がない」
これは、褒められてるのかな?
「いえ、臣はお父上の忠実な臣下でありますれば、率先して範を示さねばなりませぬ」
「そうか……」
殿下はもう少し気の利いた言葉でも出るのかと思っていたようだが、面白くない台詞に鼻白んだようで、座席の肘掛けに仕込んだ灰皿(笑)の蓋を開け閉めして「何だ? これは?」とか呟いていた。
うん。
風雨を遮る設備もないのに灰皿を付ける必要はないと誰からも言われたが、これは気分の問題なのだ。
俺自身、喫煙はしていないが長距離列車の座席の肘掛けに灰皿は必須だと思っているだけのことで、それ以外の理由はない。
ドリンクホルダー?
そんな軟弱なものはいらん。
……まぁ、あってもいいかな? あればあったで便利だし。
「ではご乗客の皆様。ウィード発一月十六日第一便、定刻通り出発します!」
御者には王子殿下が乗っていると伝えているからか、少々上ずった声だ。
「出発進行!」
馬車鉄道はゆっくりと動き出した。
「お」
「おう」
「動いたぞ!」
殿下と護衛の騎士たちは口々に感心の声を上げた。
・・・・・・・・・
「う~、う~」
リーグル伯爵騎士団の練兵場の隅で、縛られ猿轡を噛まされたオークが一匹。
「……チッ。こいつ、もうだめだな」
クローは舌打ちをすると猿轡の端から涎を垂れ流しているオークを見下ろした。
オークの目はクローが提げている頭陀袋に注目しつつもフラフラと視線が定まっていない。
捕らえてから何度もバックスやナックスを使わせて尋問を重ねているが、碌なコミュニケーションひとつ取れないまま、ただ徒に麻薬を消費させ続けて今日に至っている。
どう考えてもこれ以上このオークを飼い続けるのは無駄以外の何物でもない。
が、麻薬の摂取を続けるとこうなる、という良いサンプルにはなっていた。
それもあってか、騎士団員達の間では麻薬は忌むべき物とされ、そのためだけに今日まで生かされてきたと言っても過言ではない。
「おい、あの村の連中の様子はどうだ?」
クローは続けて側に控える従士に声を掛ける。
“あの村”とはゾンディールの近郊にあった木こりの集落のことで、正確には村ではなく、ゾンディールの街に所属するひとつの集落でしかない。
「はい。ここ暫くは特に騒ぎも起こさずにおとなしいもんです」
「そうか」
麻薬に侵された木こりたちや関所を警備していた騎士たちは、当初こそ麻薬切れからくる離脱症状に苦しみ、しょっちゅう騒ぎを起こしていた。
だがしかし、ここ数ヶ月は所謂禁断症状も落ち着いてきているし、バックスやナックスを見せても執着する様子は無くなってきている。
完全に薬を絶ち、騎士団員の監視下に置かれ、症状の酷い者はベッドに縛り付けられて拘束されていたのだから、時間が経ちさえすれば薬は抜けるのだ。
だが、何度も脳に刻み込まれた強烈な快楽の記憶は、一生涯残り続ける。
「おい、お前、こいつを牢に戻しておけ。後の者は付いてこい」
クローは吐き捨てるように従士に命じると、騎士団の隊舎へと歩き出した。
――木こりもあの騎士達も、そろそろ騎士団内に留めおかなくても大丈夫かな……いやいや、まだ早いか?
なんにしても彼らについては現在の様子を確かめねばならない。
中毒症状の回復度合いは勿論、一定量の麻薬を与え続けるとどのような症状を呈するのかなどについて、しっかりと記録をとっておくのも彼の任務のひとつなのだ。
・・・・・・・・・
今の時刻は一〇時。
「早いな……」
殿下と護衛の騎士たちは、信じられない、という顔で呆然としている。
ウィードからべグリッツまで、約五〇㎞の行程を僅か四時間。
平均時速にして一二㎞以上となる、オースの常識ではちょっと考えられないほどに高い速度だ。
しかも途中で三箇所も停車しているから、停車時間や加減速を考えれば最高速度はかなりのものになっている。
商用運転を開始してから様子を見つつ運行速度を高め、遂に魔法の蹄鉄を履かせた特別運行ではない、一般向けの運転でも予定通りの速度に達する事ができた。
流石に魔法の蹄鉄を履かせない馬では、六頭立てにしてここらあたりが限界だろう。
「えー、殿下。この列車はこのままゾンディールまで向かい、折り返してきますので、ここで待っていれば……おい」
俺の問いかけに御者は二時間半後、一二時半にべグリッツ駅からウィードに向かって出発すると答えてくれた。
終点のゾンディールやべグリッツは駅の規模(と言うより街の人口が)が大きいので少し長めの停車時間となるからだ。
「昼食には少し早いですが、これだけ時間に余裕があればちょっとした用事を済ませて食事を摂ってからウィードに戻ることも可能です」
べグリッツ-ゾンディール間は結構近いし、行き来する人や荷も多くなると予想しているので運行本数は少し多い。
具体的にはこの領地横断列車を除けばだいたい三時間に一本が運行されている。
当然、距離に応じて料金も安価に設定されているので利用者数はどんどん増え続けており、今も荷降ろしと新たな荷を積むのに奴隷たちが大わらわだ。
「あのウィードとべグリッツを半日で往復出来て、多少の余裕もあるとはな……」
「それに、全然揺れませんでした」
「乗り心地も馬車とは比べ物になりません」
荷物の積み下ろしを眺めながら、ぼそぼそと囁きあっている殿下たちに苦笑する。
初めて乗った人は、みんな一緒だなぁ、ってなもんだ。
速度や乗り心地も大切だが、積み荷の量も大切なんだけどね。
例えば今回の列車だけをとっても、二〇人程の乗客とトン単位の荷物を僅か六頭の馬で運べるというところが最大のポイントだ。
地面との摩擦係数が低い、鉄道ならではなんだけどな。
「皆さんの宿も取ってありますので、移動しませんか?」
早く帰りたい一心で声を掛けたが、殿下たちは途中駅ではあまり多くなかった本格的な荷物の積み下ろしと、停車時間を利用した簡単な点検作業に目を奪われたままだ。
自然と溜め息が出るが、ぼーっと眺めていても芸がないので駅舎にくっついた売店まで行ってお茶を買った。
店員をしていた姉ちゃんは俺の顔を見て慌てていた(多分、容器が返ってくるかを心配していたのだと思う)が、俺が優しく「器はちゃんと返すからそう心配するな」と言ったらお茶を乗せたお盆を運んでくれた。
「豆茶ですが、どうぞ」
そう言って一人ひとりに手渡してやると、初めて見た巨大な鉄の車輪に夢中になっていた殿下たちはようやっと俺の存在を思い出してくれた。
なお、殿下は急な視察だったからと、俺の自宅に入ることは遠慮してくれ、今夜は騎士たちと宿に泊まると言ってくれた。
・・・・・・・・・
やっとこさ屋敷に戻った。
久々にアルソンの顔を見て、抱いて、散々に頭を撫でくりまわしたあと、一緒にひとっ風呂浴び、大切な一人息子と遊びながらミヅチと話をした。
当然、アルソンのステータスについてだ。
『……と言う訳で、アルソンとマイコは決定的な違いがある』
「あ~」
深刻な顔をした両親をよそにアルソンは満面の笑みを浮かべ、口の端から涎を垂らしている。
お気に入りのガラガラを振り回してご機嫌だ。
『うそでしょ……!?』
やはりミヅチも大きなショックを受けてしまったようだ。
無理もないが。
落ち着くまでにはそれなりの時間を必要とした。
『お前の目から見て、何か異常は……?』
頃合いを見て、恐る恐る尋ねてみる。
『今の所おかしいところがあるとは思えないわ。バルトロメも普通の子だと言ってるし……』
『だよな……』
おかしい所でもあろうものなら、ミヅチが俺に黙っている訳がない。
もう一度【鑑定】で見ることの出来る、MPについての解説を日本語で書き出して検証をしてみるが、当然ながら新たな情報など何一つ得られなかった。
『数値が低いほど欲求に対する自制心や執着心などが低下し、ゼロになると根源的な欲求に逆らえなくなる……か』
ミヅチの呟きに俺も頷きを返す。
まぁ、アルソンはまだ生まれてから三ヶ月も経っていない。
欲求に対する自制心なんか、そもそもある訳がない……あるぇ?
じゃあマイコは多少なりともあるのか?
考えても判る訳がない。
モンスターではない、そこらにいる動物と比べたら……マイコだってまだ赤ん坊だ。
ある訳がない。
僅かでも空腹や眠気に耐えられる赤ん坊?
そっちのが異常だわ。
『なんにしてもレベルはすぐに上がるみたいだし、経験を積ませることでしょうね』
やはりそれしかないか。
まぁ、強制的に経験を積ませてレベルアップを狙うにしても、数日ずれたところでどうということもあるまい。
何をおいてもやらねばならぬ程に急ぐ必要はない。
『明日、奴隷の赤ん坊を見に行ってみる。比較にはもっと多くのサンプルも必要だろうしな』
『そうね……昨日も確か一人、生まれたって聞いたから……確かドモックさんのとこの奴隷だったと思うわ』
『ドモックか。街の南で小麦をやらせてる奴だよな?』
『ええ、そのドモックさん』
ドモック家は昔からべグリッツに住んでいる、歴代の代官に仕えてきた従士だ。
本人の顔は覚えているが、流石に従士が所有する奴隷までは覚えていない。
『じゃあ明日、行ってみるよ』
『うん。そうして』
『あとはアルソンのレベルアップか……どうしたらいいと思う?』
『……手に刃物でもくくりつけて、適当なモンスターに傷を負わせるくらいしか……』
うん。
やはりその程度のアイデアしかないか。
アルソンが何らかの目的意識を持ってその行為が出来るならば、ほんの僅かだとしても確実に経験値を得ることが出来るだろう。
だが、今のアルソンは乳幼児。
本能以外の目的意識など持てる訳がない、と思う。
『試して見る価値はあるな』
だとしても最初から諦めるなんて馬鹿な事は許されないのだ。
・・・・・・・・・
夕方。
アルソンはメイドに預けて、ミヅチと二人で食事に出かけた。
勿論、王都を出る際に殿下たちにもべグリッツに着いたら俺の屋敷で一緒に食事を、と誘ってはいた。
しかし、視察の結果を纏めたいので有り難いけれども遠慮すると言われていた。
こうしてみると、食事を共にする件について殿下に断られていたのは幸運だったかもしれない。
まぁ、もしそうなら今日の時点でミヅチにアルソンの話はしなかっただろうけれど。
アルソンについて、両親揃って深刻な面を突き合わせて落ち込んでいてもなんの解決にもならない。
今の俺たちに必要なのは適度な気分転換だ。
俺としてもアルソンの件について、一人で抱え込み続けるのは辛いので、ミヅチと話すことが出来て良かった。
向かう先はいつものドリングルである。
べグリッツでは中の下程度の店だが、常にウニなどの海産物を置いてくれているのでここ一年くらい、贔屓にしているのだ。
ついでに、こう言っちゃあ店主には悪いが、王子殿下が食事を摂るような構えの店ではないからね。
彼らは宿もべグリッツ最高級であるサンクラットに投宿しているし、あそこでレストランを聞いたら、まずカムランを紹介されるはずなので絶対に顔を合わせる羽目にはならないのだ。
「うっす」
開きっ放しの扉から店内に入る。
「いらっしゃいませ!」
店の看板娘である店主の娘が元気よく応えてくれる。
うんうん。
メニューもすっかり居酒屋風なものが増えているだけあって、お上品な声を掛けられてもね。
いつも座っている奥の方のテーブルに案内された。
「とりあえずビールと雲丹。あと刺し身を適当に頼む」
「あ、私は冷やしたお茶で」
まだアルソンはおっぱいを飲んでいるので、ミヅチの飲み物はアルコールではない。
「いや~、今回は疲れた」
「殿下と一緒に帰ってきたんだもん。お疲れ様だったね」
「ああ。街道しか走れないから時間も掛かったしな」
肩を竦めて返事をしたら、まずビールが運ばれてきた。
ここらで冷やしたお茶を飲むのは俺を含めた転生者くらいなので、煮出した後で冷やす必要があるお茶が出されるまでにはちょっと時間がかかるのだ。
「すまんが、先に飲らしてもらうぞ」
ミヅチの返事も聞かないうちにジョッキを傾ける。
常温のビールもとっくの昔に飲み慣れている。
一時は冷やして飲もうと思って冷やしてみた事もあるのだが、日本のビールとは違って冷やしてもムチャクチャ旨くはならない。
と言うより、オースのビールは所謂エールなので飲み口がどっしりとしているからか、常温の方が旨いんだ。
これについてはラガーやピルスナーなどの下面発酵のビールが出来るまでは如何ともし難いだろう。
誰か作んねぇかな?
職人ごと買ってやるんだが。
そして、お茶と料理が運ばれてきた頃。
「か、閣下?」
聞き覚えのある声がした。
ぎょっとして入り口に向けて顔を上げる。
殿下を護衛していた騎士のうちの一人が店に入ってきたところだ。
その後ろには何人か続いている。
なんでここに来んだよ……。
「ミヅチ。殿下がお見えだ」
思わずやるせない声が出た。
トールはマールとかベンのような、同じアルの奴隷で、顔見知りの騎士団員に頼み込んで同行して貰う必要があります。




