第二百六十二話 視察 3
7451年1月1日
ガルへ村の人々は朝から大忙しで動き回り、昼前には多数やって来た客を迎えるのに忙殺されていた。
「……ガルヘ村へようこそいらっしゃいませ。奥様」
村の領主であるトリスとその配偶者のベルは、到着した馬車鉄道から降りてきた人物に向かって臣下の礼をとると深々と頭を下げる。
豪華な客車に取り付けられたタラップを降りながら、ミヅチは「ええ。立って」と命じると、続けて『あけましておめでとう』と日本語で言った。
トリスとベルはミヅチの護衛を務めていた騎士団員が続いて降りてくる邪魔にならないように立ち上がると脇に退き、こちらも日本語で新年の挨拶を送る。
僅かな時間だがお互いの衣装を褒め合ったりして、三人の間には和やかな空気がたゆたった。
そしてふと気づいたようにミヅチが「ミースとジェルは?」と尋ねる。
「二人は既に広場で到着されたお客様方の相手をしております。何せ、今日の主役はあの二人ですからね」
トリスが答える。
ミヅチは「ああ」と納得の頷きを返す。
そこにベルが「……あの、ところでアルさ、リーグル伯爵閣下は?」と少し不思議そうに問いかけた。
ミヅチはベルの方に向き直って「うーん、それなんだけど、まずは謝らないと。ちょっと間に合いそうにないの。ごめんなさい」と答える。
続けて声のボリュームを落とし、「なんでか知らないけど、すごくゆっくりとしか動いてないのよ」と言いながら頬に手を当てつつ眉間にシワを刻んだ。
アル以外はミヅチの固有技能である【部隊編成】には入っていないため、アルの移動が本来よりもかなり遅い事を理解しているのはミヅチだけだ。
そのミヅチにしても理由まではわからない。
「伯爵閣下に限って万一、というのは考えにくいですから……馬車に故障でも起きてしまったか……陛下に何か命ぜられたという可能性もありますね」
トリスが肩を竦めて言う。
が、ベルの方は浮かない顔になった。
隠そうとして隠しきれなかったようだ。
ミヅチはそんなベルを見て小さな笑みを浮かべた。
「ミースとジェルにはこの後、私から謝罪するわ。それに、後日になると思うけど、本人からもきっちり謝らせるから」
その言葉にベルは少し慌てて「いえ、そんな」と言葉を詰まらせる。
「いいのよ。出席の返事をしなかったのならともかく、自分で口にした約束を守れなかったんだもの。伯爵だろうが侯爵だろうが謝るのは当然よ」
ミヅチは明るく言うがベルは「だとしても……アルさ、閣下に頭を下げさせる訳には」と申し訳無さそうに小さくなりながらも「何があったんだろう?」と呟いた。
その言葉を鋭く聞きつけたミヅチは苦笑いを浮かべる。
ベルがそこまでアルの事を思いやってくれた事に感謝の念を持ったのだが、同時に「遅いとはいえ、ちゃんと帰ってきてるんだから心配なんかいらないのに」という感情も浮かんでしまったからだ。
「何があったとしてもトリスの言う通り心配はいらないと思うわ。向こうを出たのは予定通りなんだけど……単に速度が遅いだけだから。原因はいろいろ考えられるけど、恐らくは同行者がいる、って所でしょうね。場合によっては……ちょっと早いけど、その……新しい、お嫁さ、奥さ、的な女性を連れ帰ってる可能性も……」
ミヅチがここまで言った時、ベルが目を剥いて割り込む。
「えっ? アルさんへの輿入れはこの春くらいだと……」
そしてトリスの「おいベル、呼び方!」という叱責にも耳を貸さずに「なんで?」と呟いて視線を落とした。
それに対し、自分の事を慮ってくれたと考えたミヅチは「いいのよ、そんなに気にしないで。前からわかってた事だし、私はもう気にしてないんだから……」と明るく言ってベルの腕に手を当てた。
「……それになんでって聞かれてもね……。そういう可能性もあるかなぁって思っただけ。根拠があって言った訳じゃないし。あと多分、同行者がいるのは確かだとは思うけれど、それが誰かというのはわからないし。でも人質として来る予定の子供じゃあないと思う。それにしては休憩の回数が少ないし、速度もちょっと速いみたいだしね。そうなると大人だろう、大人だとしたら誰かな、って思っただけだから」
と言って微笑むが、同時にその顔には隠しきれない痛々しさも滲んでいる。
誰が見ても今の言葉は多少なりとも無理をしたものであろうと推測ができる程だ。
それを思いやったのか、トリスは「さ、奥様、参りましょう」と明るくミヅチを促した。
・・・・・・・・・
7451年1月15日
昼前。
ロンベルト王国南部。
そこには大小の貴族領が並んでいる。
その北の方にロボトニー伯爵の一行は辿り着いた。
「ふう……」
関所を避けるため、小さな荷運び用の馬車が一輌と一〇人程の少人数で道なき道をここまでやってきたのだから、体力の消耗は激しい。
伯爵だけは軍馬に跨っているが、それでも木々が深く生い茂る森林を突っ切っての行軍で心身ともに疲れ果てている。
「……ここらで少し小休止しましょう」
寡黙に皆を案内していた闇精人族の戦士が言うと、一行は大きな溜め息を吐いて足を止めた。
伯爵も馬の背から降り、付き人のように側を離れなかった忠実な騎士団員に手綱を渡すと適当な木の根に腰を降ろした。
「今日は結構進んだと……もう一〇㎞程は進めたと思うのだが、どうかね?」
伯爵はハンカチで汗を拭いながらダークエルフに尋ねる。
ダークエルフは「え? 本日は今朝から未だ三㎞くらいしか進んでおりませぬ……ペース自体は予定通りではござりまするので、遅れているということもないためご安心召されよ」と妙な言葉遣いで答えた。
自分が思っていた予想とあまりにもかけ離れた数字が返って来たことに、伯爵は不満を覚える。
が、若い頃に所属していた白凰騎士団の野戦訓練ではこういった森林内部での行軍訓練など行われていなかった事を思い出し、自分はこういった状況での移動は素人であると考え直した。
そもそも、このダークエルフを除いては伯爵の騎士団員や同行している冒険者も含め、一行の誰もこういった森林内での行動経験はないのだ。
彼がいなかったら一行はとっくの昔に森の中で行き先を見失い、さまよった挙げ句、揃って遭難していただろう。
「そうか、まだ三㎞程度か……これは恥ずかしい事を言ってしまったな」
伯爵は恥ずかしそうな顔で笑った。
ダークエルフは「いいえ、気にしないでくだされ」と、こちらも微笑を浮かべて返事をする。
「ところで、一つ聞いてもよいか? そなたらはどうやって進む方向を間違わないでいられるのだ?」
「我らのうち、ここを最初に通った者が目印を残してくれておりまする」
「ほう、目印か」
伯爵は感心したように言って周囲を見回した。
が、木漏れ日が差し込む程度の深い森の中に、それらしきものは見つけられなかった。
その様子を見たダークエルフは「例えば、あれでございます」と指を差す。
指の方向に目を凝らすが、変わったものは何もない。
「ん……どれだ?」
訝しむような声を出す伯爵。
ダークエルフは地面から立ち上がると少し先に生えている木にすたすたとという軽い足取りで近寄り、その幹の一点を指差す。
思わずそこまで付いて行った伯爵は木の皮が少しめくれている事を発見した。
「これが?」
「はい。目印です。この木はレッド・オークという木で樹皮はこのようにめくれることはありませぬ」
「なるほど、だからこれは人為的……人の手によってめくられたという訳か」
「左様でございます。このめくり方によって色々な意味を持たせてございます」
「ほほう。ではこれにはどのような?」
「そこまでは申し上げられませぬ」
「そうか。だが、聞いたところで見つけられなければ意味が……」
「申し訳ござらんが、我らの掟でございます」
伯爵は肩を竦めて頷くと暫くの間、めくられた樹皮を観察していたが、すぐに元の木の根まで戻って腰を下ろした。
なお、勿論、樹皮のめくれはダークエルフがよく使う目印であるのは確かなのだが、それ自体には本当の目印がある大体の方向を示すだけのものである。
暫くの間、休息した一行は再び立ち上がり、ダークエルフの先導に従って進み始めた。
目的地まではあと一週間弱で到着するだろうと言われている。
・・・・・・・・・
夕方。
西ダート地方、ウィード。
森の中をくねる道を抜けるとウィードの耕作地が広がっていた。
そして、森と耕作地の境目にゼノムの従士らしい男が二人、槍を持って俺たちの到着を待っていてくれた。
跪く彼らに返礼をしながら「あそこに見えるのがウィードの街です」と俺の脇で馬を操っている殿下に声を掛けた。
殿下ご自身が過去にガルへ村防衛作戦に従事していた事もあると聞いていたので、見たことはある筈だが、これは同行者で且つこの地を治める者としての礼儀だ。
「ええ、やっと着きましたね。結構早かったな……」
殿下の返事に頷きながらも俺はと言えば、内心で「あんたらが同行しなきゃもっとずっと早かったよ!」と毒づいていた。
移動速度が遅かったからか、一度だけだが道中でモンスターの襲撃を受ける羽目になった事に不満なのだ。
しかも、ついいつもの癖でマールとリンビーがぶっ殺したノールの胸を裂き始めちまったものだから、魔石を採るのを見たがった王子様によって更に時間が食われたこともある。
まぁ、それを除けばあまり疲労することもなかった道中は平和なものだった。
先触れのお陰で、迎えまで寄越してくれた街や村もあって気分も良かったしね。
「流石に今日はもう時間が時間ですから、ウィードで一泊しましょう」
この時間からウィードを発つ列車は、あったとしてもせいぜいが一本だけで、ダモン村まで行ってそこで今日の運転が止められる筈だ。
それに、きっちりと迎えを寄越しているくらいだから、ゼノムもその気になって屋敷の客間を念入りに掃除させているだろうし。
沈みかけた夕日を受けながら、農奴たちが農機具類を担いで家路に就いている。
俺たちがウィードまで続くバーラル街道を通る間、彼らは頭を下げ続ける羽目になるのが気の毒だが、これは如何ともし難い。
「おお、王子殿下! 私がこのウィードを治めるファイアフリードでございます。お初にお目にかかり光栄でございます」
ゼノムは屋敷の門まで出てくると臣下の礼で王子を出迎えた。
その様子は何度も練習をしたのか、すっかりサマになっている。
「うむ。ファイアフリード男爵、世話になるな。さ、立ってくれ」
リチャード王子はゼノムに対し、結構気さくな感じで応対していた。
「本日は、是非我が領の名物をお召し上がりになって頂きたい」
立ち上がったゼノムも気負う様子もなく貴族的に振る舞ってくれている。
しかし、名物って、燻製かよ。
まぁ、本当に美味しいからいいけど、もっとこう、なんというか、王子様を迎えるに相応しい派手なものとかないのかよ、と言いたくなる。
具体的には茶色くないやつ。
燻製は全体的に地味な見た目のものばっかりだし。
俺の顔を見たゼノムはいたずら小僧のような顔をしてニヤリと笑った。
なんだ?
・・・・・・・・・
予想通り前菜類はゼノムご自慢の燻製のオンパレードだった。
見た目の地味さにもかかわらず、殿下や騎士たちは大喜びをしてくれ、俺もその雰囲気に胸を撫で下ろした。
そして食事は進み、メインの肉料理が供される。
俺としては軽く燻した豚肉のステーキあたりだろうと予想していたのだが……。
「これは……うーむ、美味い……」
殿下と騎士たちはドミグラスソースで煮込まれたハンバーグを一口食べると押し黙ってしまった。
日本で一般的に流通しているものとは異なり、本来、ドミグラスソースにはケチャップもソースも醤油も使わない。当然だが。
小麦粉とバターに牛肉と牛骨、香味野菜類に赤ワインのみで作られるソースで、地球でも二〇世紀に発明された比較的新しい味だ。
手間はともかく、非常に時間がかかる上にずっと煮込み続けなくてはならないため、燃料代が嵩む超贅沢なソースなのである。
さすがの俺もギベルティに作らせたことはない。
ゼノムは先日行われたミースとジェルの結婚式でこれを食べていたく感心し、ベルから作り方のメモを貰ったという。
「この肉、牛肉ですか?」
騎士の一人がゼノムに尋ねた。
「ええ、べグリッツの郊外で食肉用に育てられている仔牛です。美味しいでしょう?」
ナイフでハンバーグを切りながらゼノムが楽しそうに言った。
うん、美味い。
俺は本来、ハンバーグは煮込むより焼いたものを好むし、べグリッツでも度々食べていたが、このドミグラスの煮込みハンバーグは久しぶりに食べたからか、非常に美味く感じる。
付け合せの温野菜はともかく、結局茶色なのがあれだが。
「この柔らかさ……牛のどこの肉なのですか?」
「これ、バルダーガーの中身ですよね?」
騎士たちは興奮している。
うむ、基本的にハンバーグという料理は多くの人に愛されているからなぁ。
ゼノムはバルダーガーについてよく知らない筈なので、俺の方で「その通り、バルダーガーの中身の部分、バルダーグを特別なソースで煮込んだ料理です。言うなれば煮込みバルダーグですね。因みに使っているのは確かに牛肉ですが、多分肩ロースを使っています。それらをバルドゥッキーの中身のように挽いてからこの形に整形しています」と答える。
この柔らかさと舌触り、切断面からの判断だと多少はパン粉や牛乳、卵なんかも混ぜているだろう。
だがおそらく、味からして良い部分のロースとかランプ、イチボではないと思う。
「えっ、肩の肉でこれですか?」
騎士の一人が目を丸くする。
肩ロースは前世でも一般的にハンバーグ用として使われる部位だ。
オースでは脂の乗りが不十分なことが多く、一頭から採れる肉の中では中の下とか下の上くらいの値段になるのが普通だ。
だが、この牛は俺が指導したイミュレークんとこで、和牛に似た餌で育てられた特別な肉牛なのだ。
肩ロースでもこの味くらいは出せる筈。
「ええ、多分。でもこうして調理すれば柔らかくて美味しいでしょう?」
俺の言葉に殿下も騎士たちも感心している。
ふふふん。
こんなん、食ったことねぇだろ?
「いや、閣下には申し訳ありませんが、流石に今日のこれに肩ロースは使っておりません。すべて胴のロース肉を使用しています」
とゼノムが言ってしまった。
思い切り顔がヒクつく。
「あ、そうなの……」
そこは俺に花を持たせてくれよぅ。どうせわかりゃしないんだしさぁ……。
殿下と騎士たちの視線が心に刺さる。
く……俺は肉より魚派なんだよ!
魚なら……魚ならたとえ白身でも全部当てられるわ!
でもイミュレークんとこの牛のロースは、ようやく日本の和牛の肩ロース程度の味になった……と言えるの……流石に無理がありすぎるか。
だけど、ま、気を取り直して……。
「えー、馬車鉄道が開通した暁には、我が領の牛肉についても王都まで運べるようになります。ええ、魔法で出した氷の塊で冷やしたまま運べばそうそう腐りはしませんから、王都でもこれと同様の肉料理をお楽しみ頂ける日もそう遠くないでしょう」
なんとかごまかされてくれたようだ。
俺の言葉に乗ってくれただけのような気もするけど。




