第二百六十一話 視察 2
7450年12月28日
朝。
馬車に乗せたマールとリンビーと一緒に王城の正門前に向かう。
昨日は神社で侯爵への陞爵を受けてからも、挨拶をしなければいけない人や多くの顧客に会っているだけで日が暮れてしまった。
その中にはサンダーク商会の会長も含まれていたが、この春にブルードラゴンを退治した際に入手したデーバス王国起源の魔法の品はまだ売れてはいなかった。
以前に地魔法除けやその他の魔法の品を販売した際も、オークションなんかが終わって金を受け取るまで一年近くかかっていた。
だからまだ売れてはいないだろうと予想してはいたが……やはり貴族家の家宝みたいな品(イコール、魔法の有無とは別にそもそもがかなりの上物)は相当な人気があるようだ。
閲覧希望者が多すぎてまだオークションの日程も決められない状況だという。
ま、しょうがないよね。
ああ、俺の名前?
グリードに戻したよ。
今、俺のステータスはこんな感じ。
【アレイン・グリード/27/12/7450 アレイン・グリード/14/4/7448 】
【男性/14/2/7428・普人族・グリード侯爵家当主】
【状態:良好】
【年齢:22歳】
【レベル:40】
【HP:297(297) MP:7492(7492) 】
【筋力:43】
【俊敏:60】
【器用:39】
【耐久:59】
【固有技能:鑑定(MAX)】
【固有技能:天稟の才(MAX)】
【特殊技能:地魔法(MAX)】
【特殊技能:水魔法(MAX)】
【特殊技能:火魔法(MAX)】
【特殊技能:風魔法(MAX)】
【特殊技能:無魔法(MAX)】
【経験:6261165(6400000)】
勿論、リーグル伯爵という名も捨てたわけではない。
単にグリード侯爵という名前に押し出されてステータス欄からは消えてしまっただけだ。
貴族の爵位や家名というものは、治める土地にくっついているものになるのが当たり前なんだが、今までの王国にはダート平原……ダート地方全域――いや、全域は言いすぎか――北ダート地方を纏めて治める立場の人はいなかった。
元々、北ダートに並ぶ四つの伯爵領は全てが天領だったので、国王がそれに相当すると言えない事もないが、彼にしてもそれぞれの伯爵位を持っていたのみだ。
従って、俺の陞爵には今までには存在しなかった新たな侯爵家を興すことになる。
当然その侯爵家には名前なんかない。
尤も、順当に決めるのであれば土地の名から採って「ダート侯爵家」という案もあった。
俺としても「そうなるのではないか」と考えていたくらいだ。
だが、国王は「ダート以外の名にしろ」と言ってきたのだ。
理由は「ダート侯爵」と名乗るのは未だデーバス王国の支配下にある南半分のダート平原に対する領土的な野心を疑われてしまうからだという。
個人的には領土的な野心があることは本当だし、この期に及んでそれを隠す気も、理由もない。
顔も知らないデーバス王国の人などからどう思われたとしても一向に構わないのだが、「ダート侯爵」というのは、何となくダート平原だけで終わりそうな名だな、という気もしていた。
それに、「そう遠くないうちに独立するんだろう? 我が国にもロンベルト、などという土地はないぞ?」と言われてしまったら是非もない。
ロンベルティア、という都市の名は、この街を首都に定めたジョージ・ロンベルト一世が定めたもので、建国以前からあった名ではないと聞く。
だからと言って、再びグリードに戻すのも安易な気がしないでもなかったのだが、転生前の「川崎」だとまだ会っていない日本人に変な勘違いをさせてしまいそうだ(俺は生まれてこの方川崎市に住んだことはないし、何の思い入れもない)し、かと言って急に思いつくものでもない。
別に後でまた変えてもいいのだから、適当に付けたって悪くはないのだが、それは何となく嫌だっただけだ。
それなら、本来の名であるグリードに戻した方が俺の中ではずっと座りがいい。
……例えば独立する時など、後々気が変わったらその時に改めて考えたって遅くはないのだから。
お。
来たな。
ゴムプロテクターとは異なる漆黒の鎧に身を包んだリチャード王子が数人のお供を引き連れて近づいてきた。
「おはようございます、殿下」
ウラヌスの脇で手綱を握りながら挨拶を送ると、王子も馬から降りて「おはようございます、グリード閣下。今日からよろしくおねがいします」と答えてくれた。
お供の人たちは全員第一騎士団の人だけで構成されているらしく、全員の顔と名は知っている。
彼らとも挨拶を交わすと、早速出発した。
しかし……あーあ、この王子殿下のお陰でべグリッツに着くのに……最低でも三週間くらいは掛かっちゃうだろうなぁ。
・・・・・・・・・
7450年12月29日
昨日は初日でまだ疲れもないからか、たった一日で六〇㎞近くも移動できた。
普段から猛訓練に明け暮れている第一騎士団の面目躍如と言ったところだ。
使用している軍馬も優秀なものを選りすぐっているのだろう。
もしも連日この調子で移動が叶うのであれば、べグリッツまで二週間で到着してしまうのだが……もう少し進めば街道にもそれなりに高低差が発生するし、路面状況も変わってくるのでこれは無理な要求というものだな。
今日も日の出と同時に出発し、俺の基準ではトロトロと進んでいる。
「それにしても閣下の戦闘奴隷は良いですね。まだ若いのに疲れた様子も見せません」
リチャード殿下や護衛の第一騎士団の騎士たちは昨日の午後くらいからマールとリンビーについてしきりと褒め始めている。
普通の馬車にはまともなサスペンションは無いし、ゴムタイヤもなく、鉄輪を嵌めた木製の車輪が標準だ。
従って乗り心地は非常に悪く、長時間に亘って馬車を御するとかなりの疲労を伴うのが一般的である。
勿論サスペンションやゴムタイヤがあろうとも、俺の馬車だってそれなりに揺れる。
普通の馬車並みにゆっくり移動すれば揺れは大分軽減されるし、乗り心地もそれなりに良いが、振動や揺れ自体は未舗装の山道を軽トラで走るよりも酷いのだから。
ロンベルト王国の街道程度の路面状況でそれなりの速度を出しでもしたら、馬車に乗り慣れていない者なら簡単に乗り物酔いをして盛大にゲロっ吐きするのは実証済みだし。
それはそうと、騎士たちはマールとリンビーの二人はまだ若いのに騎士団員よりも体力がある、と評してくれているのだ。
俺の奴隷を高く評価してくれているのは嬉しいが、本当はマールもリンビーも体力はそこらの騎士団員程度しかない。
当然、第一騎士団の正騎士と比較しようものなら大差で敵わないと思う。
だからあんまり褒めないで欲しいんだよな。
調子に乗られても困るし。
とは言え、マールもリンビーも己の分というものを弁えている。
この程度の褒め言葉で調子に乗ることはないだろうけれど、ね。
ベンとかエリーあたりに「第一騎士団の騎士に褒められたんだぜ」くらいは言ってしまう可能性は否めない。
「それは馬車の性能が良いからです。車輪にゴムを使用していますからね」
ぱっと見て分かる違いのみを口にした。
騎士たちは「うーむ、ゴムだけでそんなに違うのか」とか言って感心している。
「まぁ、他にも幾つかの工夫はありますが、車輪の違いは大きいと思いますよ」
乗り心地には反映され難いが、俺の馬車はリヤカーのように左右の車輪をそれぞれ独立して回転させることができるようになっている。
カーブを曲がる際や向きを変える際に大きな威力を発揮するが、不整地の走行でも地味に役立つ機能だ。
それに、ゴムパッドを使ったブレーキ機構も結構重要だと思う。
勿論、ダミーの車軸は取り付けているので、そう簡単に気付かれて真似をされることは無いだろう。
実は凹凸の大きな不整地を走っているところをよーく観察すれば、各車輪が独立したサスペンションに支えられている事は判ってしまうだろうが、そこまで奇特な者などそうそういないと思う。
地球でも日本やアメリカにあったリヤカーについて、登場後数年程度で真価を見抜き真似出来た者など殆どいなかったのだから。
「どうです? 少し乗ってみますか?」
サスペンション付きの馬車に乗った騎士たちは大いに感心してくれ、リチャード殿下に「わが騎士団で導入できないものでしょうか」とおねだりまでしてくれた。
でも、一輌売ったら、構造については確実にバレてしまう。
勿論、ベアリングやコイルスプリングなど精密な工作が必要な部品を多く使っているから、構造がバレたとしてもそう簡単に同等品のコピーは出来ないだろうが、劣化コピーなら作れると思う。
こういうのは品質よりも構造を知ることがより重要だ。
将来的には同盟国になるのであるからして、販売すること自体は吝かではない。
が、知財権など欠片も考慮されていない世界・時代である以上、幾ら一輌あたりロイヤルティが○○Zという契約を結んだところで、それが遵守されるのはいいとこ数年程度だろう……ならば最初の一輌目には思い切り吹っかけてやるさ。
「閣下、この馬車は一台どのくらいの価格なのでしょうか?」
「もともとはガラス製品を運搬するために開発したもので、今現在も数は多くありません。開発には非常にコストが掛かっております……販売するとしたら、それこそ魔法の品並みの額になってしまうのは必定ですね」
そう答えたら殿下は「マ……」と呟いたきり渋い顔で絶句してしまった。
まぁ、このサイズの馬車(本来は八頭立てまで可能な、馬車としては結構な大型である)であれば、平均して一〇〇〇万Zくらいで買える以上、売る気がないと思われてしまったのかもしれない。
多分だけど、せいぜい倍くらいの価格だと考えていたんじゃないかな?
まぁ、構造知識のプレミア価格は置いておいても、ゴムタイヤにはブルードラゴンの筋繊維も使っているし、希少な金属を使ったベアリングを始めとした金属部品も多用されている以上、流石に億を下回る価格での提供は土台からして無理な話なんだけどね。
・・・・・・・・・
7450年12月30日
ダート平原。
ガルヘ村。
領主の従士長であるミーフェス・ランスーンと従士のジェルトード・ラミレスの結婚の宴会を翌日に控え、村にはどこか陽気で浮ついたような空気が漂っている。
そのような中、ベルは畑の見回りがてら、デーバス王国の間者であるダマルーンと言葉を交わしていた。
「明日には輿入れについて正確なスケジュールが聞けると思うわ。それに、運が良ければコースについても少しは聞けるかも……」
アルの移動が遅くなったことについて未だ知らないため、これは無理もない台詞である。
また、ミマイルが西ダートに向かうコースについてもアルから聞き出すつもりでもいるが、仮にアルが知っていたとしてもそう簡単に答えるとは考え辛いので些か浅はかというものであろう。
「わかりました。私は明日の晩、手紙を……」
「ええ、何とか用意するように努力するわ。だけど、場合によっては明日中に用意できないかもしれないから……」
ダマルーンを見るベルの顔には柔らかい表情が浮かんでいるが、その目には冷たい輝きが灯っていた。
「はい。その時は明後日に」
「うん。そうして」
形のよい大きな胸を抱き上げるように組んでいた腕を下ろすと、ベルは小さく手さえ振りながら愛想笑いのような表情を浮かべ、ダマルーンが働く畑から出た。
そのまま畦で草を食んでいた愛馬に向かう。
――向こうからのコンタクトは一度切り……それももっと情報を寄越せという内容で、襲撃が決定したかどうかすらわからない……。
手綱を取り、鐙に足を掛けた。
――あー、通信手段が手紙と伝言のみってのは辛いわね。
狼煙や太鼓などを使った、より簡易な通信手段はあるが、それでは予め決めていた単語程度くらいしか送受信は出来ないうえ、何らかの通信が行われていることが第三者にも判ってしまう。
ベルは手旗信号や腕木通信など、より複雑で高度な通信手段の採用について、アルに上申した事もある。
が、アルは「村はともかく、大抵の街にはデーバスを始めとした各国の間者が居ても不思議じゃない。ガルヘ村にも居たと言うんだから分かるだろ? すぐに気付かれて真似されるとは思えないが、そういう高速な通信手段がある、という事には遅くとも運用してから数年で気付かれ、報告されるだろう。そして、その後は確実に真似されると思う。だからそう簡単には気付かれず、気付かれたところでまず真似の出来ない通信手段を確立する」と非採用を言い渡していた。
馬の背に跨ると、軽く歩かせる。
次の畑までは一〇〇mも離れていないのだ。
――アルさんにはもっと急いで支配地を増やして貰って、ミヅチさん……アルソン以外にも一族を増やさないと駄目だと考えて貰わないと……そしてその場合、ラルを選んでくれないとね。ロンベルト王家の血筋とか、後になって問題になりそうなのは早めに掃除しておかないといけないってのに……。ミヅチさんだってこんな事くらい分かってるでしょうに、なんで……ま、嫌よね。普通は。
ベルは一瞬だけ自嘲するような笑みを浮かべる。
――アルさんも嫌なんだろうけど……あの人じゃ謀殺する程非情にはなれないか……。
そして少しだけやるせなさそうな顔になった。
ベルにとって一番重要な者は当然ながら夫であるトリスである。
トリスと二人、恵まれた豊かな生活や幸福を得るにはアルの下に付くのが良い、と考えたのはいつの頃だろうか。
そうなると、トリスの次に重要な人物は当然アルになる。
アルが独立を志向しているのは出会って数ヶ月で判明した。
それについてはある程度予想はしていたが、実際にアルの口から聞いて憧憬に近い感情すら湧いてきた。
また、その頃には既にアルの魔力量が相当に多い事と、魔術の技倆について余人の追随を許さない程であろうことは理解していたので将来的に追い落としを狙うとか、反逆するなどという考えは毛の先程も持たなかった。
むしろ、アルとの付き合いを深めれば深めるほど、このオースにおいてアルが夢を実現させる可能性に賭けるのはそれほど分が悪くない、いやむしろどんどんと分の良い賭けになって行っていると感じていた。
そしてアルの弱点について、カバーできる人材は自分とミヅチくらいしかいないとも考えている。
そのミヅチにしても、時に道理より感情を優先させる部分があるため、冷静に損得を計算してアルを支えられるのは自分しかいないだろうとも思っていた。
尤も、アルの周囲を取り巻く人材についてこのように評しているのはベルただ一人なのだが、それはまた別の話だ。
多分に願望も混じった評価であると言えよう。
だが、前世でも自分の力が及ばない部分が原因となる大きな挫折も知らず、社会経験などほぼ無いまま死亡し、転生後も人並み程度の苦労しか知らずに若くしてそれなりの成功を収めた女性にしてみれば、結構ドライな物の捉え方をする方ではあると言うことも出来るだろう。
――アルさんの元で、大きな手柄を立てられそうなのはトリスを除けばロリックさん、フィオさん……あとはサージにラルよね。あとは……カニンガムさんくらいかな? ゼノムさんはもうお年だし、よほど大きな戦争でも起きない限りはもう……。ラルはアルさんとくっついちゃえばファイアフリード家の跡継ぎも何とかなるだろうし、あの子は子供を増やして分家を作るとか、派閥とかそういうことあんまり気にしない質だし……ロリックさんとフィオさんもそこそこの地位で満足する感じだしね。サージもあんまり沢山子供を作りそうには見えないし……カニンガムさんについてはよく解らないけれど……。ま、今は出来ることを出来る範囲でやるだけね。
ベルは再び馬を降りると畑仕事に精を出していた農奴に声をかけた。
「どう? 調子は?」




