第二百五十話 理由 1
7450年11月19日
夕方。
べグリッツの騎士団本部の団長執務室。
「ふーむ」
資料に目を通しながら唸り声を上げた。
「如何でしょうか?」
バリュートが尋ねるが、俺は押し黙ったまま資料を睨み続けていた。
「全体的には伸びているな」
俺の声にバリュートは微笑みながら頷いた。
「ええ。今は特に優秀な者もおりますから」
バリュートは少し自慢そうに言った。
自分の教育が良かったとでも言いたいのだろう。
資料にはバリュート本人の字で現在の従士たちの評価が記されている。
旧煉獄の炎の連中の大半の者は座学の成績が不充分だが、それ以外は精神修養も含め完全に基準をクリアしていると言ってもいい。
とは言え、当然、座学の成績が足りないから騎士としての叙任は出来ない。
ああ、一口に座学と言っても複数の科目に分かれているが、その全てにおいて基準に達していないから、従士に留めおかざるを得ないのは致し方ない。
俺に言わせれば、騎士団における座学なんか大したことないのに今まで一体何をやっていたんだ?
と文句の一つも言いたくはなるのだが、他の従士連中と比較すればその伸び自体は良い方なのでそれなりに努力の跡も見えるから許せなくもない。
何しろ、旧煉獄の炎の連中は若い奴でも三十路に差し掛かろうとしている年齢なので、他の連中よりも大分頭も固くなっているだろうし、それを考慮すると結構頑張っていると言えるからだ。
また、ズールーを始めとする俺の戦闘奴隷だが、座学でも実技でも全員がトップクラスの伸びを見せている。
勿論、トップクラスなのは入団前と現在との差、つまり伸び率であるので例えば実技における槍技科目のトップスリーは旧煉獄の炎に占められているし、それは剣技科目も同様で乗馬科目はどっかの村の従士の子息なんかが上位に名を連ねている。
ズールーたちは元々王都でバストラルなんかの講義を受けていた事も大きいのだろうが、こちらもしょっちゅう俺に色々な用事を言いつけられて勉強や稽古の時間を取られているにも拘らず、俺に恥をかかせまいと非常に熱心に努力していると言えるだろう。
「従士全体の平均伸び率は二三パーセント。これは素晴らしい。中には五〇パーセント以上も伸ばしている者も珍しくないようだからな」
「ええ。特に閣下の戦闘奴隷の伸びが著しいです」
「……そもそもが低いとまでは言えないだろうが……それでも元が大したことないからな」
「ご謙遜を。今では全ての科目で基準を超え、平均以上にまで伸びている科目も珍しくはないではありませんか」
俺が言うのもなんだが、バリュートが評する通りよくできた奴隷たちだと思う。
……しかしながら。
しかしながらだ。
目に余るのはラルファとグィネ。
彼女らは総合点だけで言えば他の連中を大きく引き離し、入団以来トップワン・ツーを独占している。
どちらがトップかはしょっちゅう交代するから、まぁ同率一位と言えなくもない。
傾向的にはラルファは実技寄りで、グィネは座学寄りという感じだ。
最近では多少は精神的な成長も見られるようで、あまり成績の良くない者や、入団以来長いこと正騎士の叙任を受けられず、長期間従士に甘んじている連中への助言なども行い始めている、という報告も受けている。
“それ”については彼女らの人間的な成長も感じられて心から喜ばしいのだが……。
成績の伸び率は最低に近いんだよなぁ……。
ああ、勘違いして欲しくはないから、ここで簡単にリーグル伯爵騎士団における評価システムを説明しよう。
結構前から評価に占める座学の割合を高めている事についてはもう解っているだろうから省くが、ん~、座学が四科目でそれぞれ一〇〇点満点、実技も五科目でそれぞれ一〇〇点満点、加えて精神修養(騎士としての心構えや部隊指揮官としての素養などとでも思ってくれ)が一〇〇点の合計一〇〇〇点が満点だと考えてくれると解りやすいかな?
座学も実技ももっと科目数は多いからここまで単純ではないけれどね。
とにかく、そういう感じに評価システムを改めた最初期、従士連中の総合平均点は三〇〇点くらいだった。
貴族の跡取りなど特殊な立場を除く普通の人であれば総合で五〇〇点を超え、且つ全ての科目で基準点を超え、トップ五以内に入ることが出来れば、まぁ騎士として推薦されてもおかしくはない、という感じだと考えてくれればいい。
そんな中、旧煉獄の炎の連中は乗馬以外の実技は尽く八〇点超えという、かなり優秀な成績に対し、座学は二〇点くらいというお世辞にも褒められない評価だった。
それが現在では成績の配分割合こそ大して変わらないが、乗馬や座学も平均点に近づいてきている。
元々が低かったのだからそこを伸ばす方が楽だろうという見方もあるとは思う。
しかし、元々得意ではない分野を頑張るというのは、それをやる本人にしてみれば結構大変な事でもあるから、目的はどうあれ(彼らの目的はさっさと正騎士として叙任を受け、ゼノムの従士になりたいというものだ)取り組みには真剣さが窺われるし、事実成績の伸び率は大したものだ。
そして、俺の戦闘奴隷達はもっと頑張っていると思う。
彼らの場合、成績の配分割合は蜘蛛の巣グラフで円に近い、実技も座学もあまり変わらない感じだったのだが、その面積は倍以上になっている。
これは全ての科目に対し、一切手を抜いていないことの現れだと思う。
特にズールーは従士のくせに俺の警護隊長などという役職に就いていることも関係しているようだが、その努力については素直に感心できる。
こうした優秀な伸びを見せている従士が目立つ反面、ラルファとグィネの二人の成績はあまり伸びていない。
勿論、それなりに伸びていることは確かなのだが、ダントツで伸び率が低いのだ。
例えるなら入団時の成績は六〇〇点で、現在の成績は六三〇点という感じだな。
なお、当然だが、九〇点を九五点にするのは一〇点を一五点にするよりも難しいが、それについても俺は考慮している。
一例として実技の長距離走を例に取ってみよう。
二〇㎞を二時間で走れたら三〇点だとしよう(これはあくまで例なので数字は単なる数字としてのみ捉えてほしい)。
ここでいう三〇点という得点は騎士の推薦を受けられる最低線という認識で構わない。
要するに、二〇㎞を一二〇分以内に走破できれば一応騎士合格だと考えてもらいたい。
種族差や性差もあるが、この記録を超えられないならば一生正騎士にはなれないということだ。
つまり、正騎士になるためには最低限の成績と言い換えてもいいだろう。
前世における学校で言うなら卒業や進級に必要な……言わば赤点ラインだ。
ここで問題になるのは半分の時間で走ったら何点なのか、または倍の時間なら何点なのか、という事になる。
そう。
評価基準だな。
合格ラインの三〇点となる記録は軍事的な作戦行動を行う際に問題なくついて行ける、という地点なのであまり深く考える必要はない。
従って俺はまず、一〇〇点と〇点をどこにするか考えた。
前世におけるアスリートであれば一〇〇点となる記録などあってはならないが、ここはオリンピックを目指すアスリートを育てるような場所ではなく、騎士団である。
そうなると一〇〇点は我が騎士団で長距離走の最優秀者である俺の記録、五〇分ということになる。
〇点は完走出来ずに中途リタイア、は論外なので基準記録の倍である二四〇分だろう。
最優秀者は俺なので俺の記録に到達出来れば一〇〇点だ。
そして、〇点である二四〇分から基準値の一二〇分までを三〇等分することで基準値未満を採点する……要するに四分毎に一点だ。
これで赤点ラインである一二〇分が三〇ポイントとなる。
当然だが、基準値である一二〇分というのは、足が遅いと言われるドワーフやノームの女性でも多少努力すれば誰だって到達可能である。
何しろ単なる赤点ラインなのだし、そうでないと部隊行動など出来なくなるからだ。
さて、基準記録を超えた場合の採点だが、同様にする訳には行かない。
四分で一点だと俺の記録でも五〇点にすら達しないからね。
基準記録である一二〇分を超えると二分当たり一ポイントとそれまでの倍の評価が貰えるようにした。
但し、これは騎士団の平均である一〇〇分までだ。
一〇〇分という記録なら四〇点という評価になる。
次は九〇分で五〇点だ。
要するに一分あたり一点計算だ。
そして八〇分だと六五点とした。
四〇秒あたり一点と、得点は今までに増して稼ぎやすくなる。
そして七〇分。
俺は普通の人ならこのあたりが限界だと思っている。
得点は二〇秒あたり一ポイントとなり、七〇分という好記録なら九五点という事になる。
その後は再び赤点未満と同様に四分あたり一ポイントで、俺の記録の五〇分を一〇〇点という事にしたのだ。
ざっくり言うと赤点より少し上、おそらく平均くらいまではそれなりに評価して、その後暫くは高評価となるように調整した感じだね。
簡単に言うとある程度以上の成績を修めたのであれば、評価点も支払った努力に相応して伸びやすくしたのである。
話を戻そう。
「……概ねは満足している。だが、従士ファイアフリードと従士アクダムの成績の伸びが悪いな。これについてどう考えている?」
「いえ、彼女らは座学も実技も優秀です。一昨日の間引きでも大活躍したのは団長も……」
そこまで言ってバリュートは黙った。
彼の顔を見続ける俺の視線に称賛以外の成分を感じ取ったのだろう。
「従士の教官をしている全員を呼べ。今すぐにだ」
三月の頭にラルファたちを騎士団員として受け入れて以降、彼女らの評価点は碌に伸びていない。
二人は転生者でもあるので、残念な学校に通っていたとは言え、それなりの下地はある。
騎士団で行われる座学は農業科学や領地経営、作戦立案、精神修養、詩作といった少々特殊なものを除けば数学や生物などの成績はそもそもの内容がお粗末なために、彼女らも平均以上の成績を修めていたものも少なくない。
なにせ、数学とか言ったって実質は算数だし、そのレベルは前世の小学校で教わる程度だからだ。
分数もない。
ロンベルト王国という広い視点で見れば小数点は当然としてゼロやマイナスの概念などもあるようだから俺たち以前の転生者による知識の流布もあったのだろうとは思うが、この辺りの土地だと負の数とか多分誰も……おそらくは貴族ですら理解していないレベルだからね。
鶴亀算もあやしい感じ、と言ったら理解が早いだろうか。
腕を組んでいるうちに従士の指導役の騎士一〇人が集合した。
クローやマリーは勿論、俺のエムイー教官を務めてくれたカムリ准爵やバルソン准爵といった、騎士団の中核メンバーもいる。
「そなたら、何か勘違いしていないか? 従士教育は基準さえ、平均以上の成績さえ修めさせていればそれで良いと思っていないか?」
前世でも勉強とは一定以上の成績を修め、入学試験などを突破できさえすればそれでいいと思っている人が大半だった。
「私は以前、そなたら全員に“屁理屈でも何でもいいから、従士には本来の課業以外にも出来るだけ課題を課してストレスを与えろ。但し、直接的な暴力は振るってはいけないし、与えた課題について本人がクリア出来るか出来ないかはしっかりと見極めた上で、クリア出来る課題を与えるようにしないといけない”と言った。覚えているか?」
騎士たちはお互いの顔を見合わせている。
この様子だと正確に覚えてはいなかったが、言われて思い出した、とか、不十分な記憶だったとかいったところだろう。
「その際には、なぜこんな事をさせるのか各自よく考えろとも言った。その後、一応答えについては提出して貰ったが、その際には誰ひとりとして私が納得する答えはなかった……」
騎士たちは俺の顔を見て押し黙っている。
「……そなた、騎士バルソン」
「はっ!」
バルソン准爵は背筋を伸ばして返答した。
「私が言った件について、覚えていたか?」
「はっ!」
俺は僅かに瞑目し、溜め息を吐いた。
「ほう、そうか。……そなた、騎士カムリ」
「はっ!」
「そなたも私が言った件について、覚えていたか?」
「はっ!」
バリュートやクロー、マリー、そして他の全員共同じ返事だった。
こりゃあどうにもガクッと来るね。
「先の言葉だでけは不十分だ。私は“不公平があったとしても一向に構わない”とも言ったはずだ。この言葉は忘れたのか?」
何人かは思い出したようでハッとした表情をし、また何人かは思い出してはいたが、言えなかったというような顔をしていた。
「そなた、騎士マリッサ」
「はっ!」
最近は面倒くさいのでマリーは名だけで済ましている。
「貴様は知っていて指摘しなかったと言う顔をしているな。何故だ?」
「……不公平は排除すべきだと思ったからです」
「確かに不公平や理不尽は良くないな。世の中からは排除すべきだ。そのくらい私も知っているし、その考えには賛同する」
「……」
マリーはならば何故? という顔をした。
おいおい。
「あのとき、そなたの回答は「軍においては作戦遂行のため、不公平な立場に置かれる事も多いため、それに対する耐性をつけさせる必要があるからだ」と言った」
「は」
例えば同じ歩兵でも配属先の部隊が異なれば軍事行動において求められる内容は異なる。
場合によっては戦死者が多数出るような戦線に回され、一方では敵の姿さえ見ることもない、などという事は充分に有り得るのだ。
それを指しての事だとマリーは言っていた。
「それ自体は間違ってない。だがそれだけでは不充分だ」
「そなた、騎士バラディーク」
「はっ!」
クローはそのままだ。
「そなたは「敵というものは全てにおいて理不尽な存在である。魔物も理不尽だし、魔法の使い手もまた理不尽なものである。それらに対する耐性をつけさせる必要があるからだ」と言った」
「は」
「その通りだと私も思う。だがそれだけでは不充分だ」
訝しげな表情を浮かべる騎士たちを見て立ち上がる。
「従士ファイアフリードと従士アクダムの評価が伸び悩んでいるのは何故だ?」




