第二百二十二話 ご安全に
7450年6月3日
夜。
ロンベルト王国天領の南方の海岸近くにある村の空き地で一〇人程の男女が野営の準備をしていた。
教会の一行である。
「イリーナ。そろそろいい頃合いだろう。ギィグ達も少し離れたところで野営をしている筈だ。ちょっと行って異常がないか確認してきてくれ」
ウォーリーが教会の聖戦士であるイリーナに声を掛けた。
「はい。では、少し外します」
イリーナは野営地から歩き出す。
豚人族であるギィグ達を連れて村に入る訳には行かないので、彼らは村から少し離れた場所で野営する事になっていたのだ。
勿論、彼らの野営地について、正確な場所は知らないが、誰かが村の傍まで来て監視をしている筈だ。
村の住人に見咎められそうもない程に離れたらあちらからコンタクトをしてくるだろう。
「ねぇ、ジェイナス。イリーナ、じゃなくてアリエルでしょう? 間違えないで」
ペギーが咎めるように言った。
「そうですよ、若旦那様。奥様の仰る通りです」
丁度、夕食を摂り終わったジャクソンもニヤニヤと笑いながら注意する。
言われたウォーリーも恥ずかしそうに頭を掻く。
「あー、そうだったな。俺としたことが。気をつけるよ、ペギー」
それから一時間も経った頃。
イリーナが戻ってきた。
手にした灯りの魔術がかかった石は、彼女が焚き火の傍に寄ったところで丁度消えた。
「大主教猊下。今戻りました」
全員から教会での敬称を使っていることにツッコミが入り、イリーナは恥ずかしそうに言い直した。
「何か変わったことはあったか?」
「昨日泊まったダライ村に軍が入ったようです。人数は二〇人あまりだそうですが……」
報告を聞いて、ウォーリーは黙考し始めた。
ペギーも含めて他の者も顔色が変わった。
当初こそ、ウォーリーの一人相撲ではないかと思われた逃避行だが、実際にフィオの追撃を受け、恐らくそのせいでリライとヘミットは死んだと推測されている。
死んだのでなければペギー達がカールムに入る前に彼らが追いついて来ない筈はないのだ。
百歩譲っても、一週間もカールムで彼らを待っていたのに姿を現さない、という事は、殺されたのでなければ囚えられたと考える以外にはなかった。
ギィグ達を連れてきたキルンやジャクソンも捕らえられたギィグの同族を見ているし、捕らえたのはリーグル伯爵騎士団であろうことはわかっている。
そういった事から彼らは今の所全く油断していない。
とにかく、ペンライド子爵領と天領の領境にあった関所からここまではほぼ一本道である。
そして、今日はそういった軍の部隊とはすれ違っていない。
つまり、その部隊はペンライド子爵領の方から来た以外にはあり得ない!
未だに追われており、しかもその追手は一日足らずの場所まで迫って来ている!
「そうか……もう一日の距離まで詰められているとは、ステータスを書き換えているのにとんでもない早さだな。関係ない軍の部隊ということはないだろうな?」
「位置から考えて、恐らくは……」
「それが確認できたのはいつ頃だ?」
「は。今日の夕方、日が赤くなる少し前、と言っていました」
「……ざっと四~五時間前か。ギィグ達はその軍について他に何か言っていたか? 例えば馬車や馬の数とか……」
「馬は恐らく二頭で馬車は見当たらなかったと言っていました」
「ふむ……大多数が徒歩、か。ならば流石に明日の朝までは動かんだろう。よし、今日はもう寝よう。明日は日の出前に出発する。何としても先にドランに着いて、全員分の馬か馬車を手に入れねばならん」
こんな田舎の村で余剰の馬や馬車を入手するのは非常に難しいのだ。
何しろ、馬を所有しているのは貴族である領主くらいのものだろうし、ほぼ確実に軍馬として調教されたものであるうえ、恐らくはどう交渉しても一頭が限界だろう。
また、奇跡的に譲ってくれる事があったとしても相場の数倍の代金を請求されてしまうのは必定である。
「その前に……」
ペギーが言った。
「ん?」
「もう一度全員のステータスを変えておくべきね」
確かにペギーの言う通りだ。
関所を通ってきたのであれば、ステータスの記録も確認されている恐れがある。
そして、追手にフィオがいる場合、ペギーとイリーナ、キルン、ジャクソン、ルーダの面は割れている。
勿論、バルザス村の本拠がリーグル伯爵達によって占拠されたうえに麻薬畑も破壊されている事までは知らないが、本気で教会を潰しに来ているのであれば信者でなくともバルザス村の住人に対して強制的にも協力させている可能性はある。
そうであった場合、カーリムに行っていたウォーリー達の面も割れるだろう。
だが、今はそこまで心配するよりも、少しでも安全策を取るべき時だった。
フィオがいるなら確実に面が割れていると思われる者達とそうでないウォーリー以下五名とでグループ分けもして、ペギー達だけでも先行させるべきだろう。
しかしながら、教会一行には二頭立ての馬車が一台しかない。
現金もそれに積まれているので、どう頑張っても馬車には御者も含めて四人までしか乗ることは出来ない。
ウォーリーは素早くチーム分けを行った。
「明日の朝、ペギーとイリーナ、キルン、ルーダは馬車で先発してくれ。ジャクソンはギィグ達に同行しろ。私達はドランまで徒歩で移動する」
全員が頷くのを確認して、ウォーリーは少し顔を歪めた。
もう一度全員のステータスを書き換えるに当たり、数日前に体験したばかりの群発頭痛ばりの痛みを思い出したのだ。
「さて、じゃあ私から書き換えるとするか」
懐から手拭いを出して棒状に丸めると、しっかりと噛んだ。
「……っ! ぐ! ぐぐぐぐぐぐうっ!! ふんぐぐぐっ!!」
・・・・・・・・・
7450年6月4日
朝。
とっくに明るくなった空の下でべグリッツにある工務店、アイアンボイル商会の商会長兼親方である山人族のバックス・アイアンボイルは新たに採用された人足や監督候補達に線路の敷設工事について指導していた。
「このように、軽く地面を掘り返し、石を乗せる。そして、その上にこの木材、枕木を並べ、この真ん中に空いている穴にこの鉄杭を打って地面に固定する。外側の穴はその後で鉄軌を留めるためのものだ」
どうやら先日採用した監督候補や作業員への指導役となったらしい。
因みに、監督候補の中には貴族階級である准爵も混じっているのだが、見習い期間中は等しく奴隷扱いを納得させているし、アイアンボイルにも誰が貴族であるのかは伝えられていない。
最終的にアイアンボイルが監督になれると太鼓判を押さなければ単なる人足として採用されてしまうのだ。
――ふん。そんな事改めて言われんでも見りゃわかるさ。
最前列の端で、マークスはあくびを噛み殺していた。
乱波の諜報員として教育を受けている彼にしてみれば、既に敷設されている線路を観察すればその程度の事、言われるまでもなく理解できていた。
ダメ元で監督役に応募したマークスだが、平民にも拘わらず通り一遍の面接だけで合格出来たのには少し拍子抜けしていた。
「枕木には両側に鉄軌を留める穴が空いているから向きはどっちでもいいが、間隔はこのゲージを使って測る。まぁ実際にはコツもあるし慣れも要る。まずは三ヶ月、実地で作業をして覚えたほうがいい。よし、全員乗れ」
アイアンボイル親方に命じられ、新米達はぞろぞろと貨車に乗り込み始める。
マークスも梯子に足を掛けて後ろの貨車に登ると、荷台の空いた場所に腰を下ろした。
人数に比して広い貨車の荷台は、足を伸ばして座っても少し余裕がありそうだ。
――しかし、あの伯爵……乱波を知っているかと訊ねて来たのには驚いたな。だが、その程度の質問で慌てる俺じゃねぇ。
口の端を歪めて薄く笑うとゆっくりと荷台を見回した。
この中の何人かは彼と同じ乱波の諜報員が混じっている筈だ。
――しかも美味しい役で合格できるとはな。
工事の監督役は三ヶ月間の見習い期間を終え、本採用となれば週給四万Zも貰えるのだ。
それ以降は、僅かながらも自らが監督するチームによるレールの敷設距離に応じて昇給するし、無事故や精勤による手当もつくとなれば、裏の稼業を別にしても良い働き口だと言える。
何しろこの西ダート地方における商会勤めの平均的な収入は週給三万Zに満たないし、監督役でない普通の作業員の給料の四倍にもなるのだから。
全員乗り込みが終わったようだ。
ほぼ同時に、騎士団員らしき騎乗した二名が線路上を走り出した。
異物確認の先行隊である。
馬車鉄道はするすると滑るように走りだすと、どんどんと加速して僅か一時間で三〇㎞以上も離れたダモン村に到着した。
この速度にはさしもの乱波、マークスも度肝を抜かれた。
勿論、そよ風の蹄鉄など履かせていない、普通の荷馬である。
べグリッツに来る途中や着いてからも運行している馬車鉄道を見たことはあったが、あの速度は一時的なもので、一時間も続く訳はないと思っていたからだ。
鉄軌上を走る訳ではない普通の馬車でも一時的ならそれ以上の速度は出せるが、それもせいぜい数分で、あっという間に馬が疲れてしまう。
この馬車を引く馬は四頭と数も多いが荷物となる人間も多数を載せているし、貨車だって金属部分が多くて見るからに重そうだ。
――うーむ。これだけの人数を運んだ割にはえらく早かったが、一体どういう訳だ?
運動エネルギーや摩擦に関する知識がないために、鉄道の線路や車両を見ても変わった馬車だくらいにしか思えなかった。
ダモン駅は既に複線化されており、乗ってきた馬車鉄道の車両とほぼ同じものが二編成停まっていたが双方とも荷台は空だった。
マークス達が乗ってきた車両は、そこでツルハシやスコップ、ネコ車、犬釘などを荷台の空きスペースに搭載し始めた。
その間に停まっていた二編成の馬車鉄道はべグリッツ方面へと相次いで発車していった。
――なるほど、どうやってすれ違うのかと思っていたが、こういう仕組みだったのか。
荷台の上で荷物を受け取りながらマークスは感心した。
荷物の搭載を終えた馬車鉄道は再び走り出す。
そして数㎞進み、減速を始めるとじきに停車した。
「降りろ、新米共!」
親方は荷台を振り返って怒鳴るように命じると、座っていた御者台から飛び降りる。
「荷物を降ろせ。全部だ! 降ろした荷物はそこに纏めろ!」
マークスが周囲を見回すと、線路は少し先まで伸びているようだ。
そこでは既に人夫が集まって工事が始まっていた。
「虎人族は前に出ろ!」
腰に両手を当ててふんぞり返った親方は尊大に命じた。
背の低いドワーフなのにマークスには一回りも二回りも大きく感じられる。
マークスを含めて四人のタイガーマンが前に進み出た。
「お前らはそこにあるレールをあっちの現場まで運ぶ係だ! 重いから剛力を使うんだ」
タイガーマンの種族の特殊技能である剛力は獅人族の瞬発のように持続時間は短くないし、使用毎に数分を空ければ一日に何度でも使えるのだ。
「猫人族と小人族、あと女はあっちの枕木を向こうに運べ。矮人族はネコ車で砂利運びだ!」
それ以外のライオス、ドワーフ、精人族、普人族はツルハシとスコップの係に割り当てられる。
なお、杭打ちによる枕木の固定や犬釘を使用してのレールの枕木への固定、その後の線路内の板張りなどは一か月以上下働きをしてから教えられるそうだ。
マークスは線路の脇に積まれてある、一本七mのレールの真ん中あたりまで移動すると両手を掛けた。
傍に寄って見て初めてわかったが、レールの断面はHの字を横に倒し、上の横棒をかなり分厚く取ってあり、下の横棒は縦棒と同じくらいの厚みしかないが、少し幅広になっていることが判明した。
かなりの重量物だ。
鉄は売れば金にできるが、これだけの重さと形ならそうそう盗めるものではないだろう。
「ふんっ!」
剛力を使ってやっと一本を持ち上げ、肩に掛けた。
運んで歩くことはできるが、走るのはとても無理だ。
「おい、お前! 誰がもう担げと言った!? そもそもレールはそうやって中心を担ぐな! 一度下ろせ!」
やっと担ぎ上げ、数歩移動したところで親方に怒鳴られる。
疑問に思い、また不満を抱きつつもマークスはレールを下ろす。
「レールの端から端まで歩いて歩数を測れ」
「な!? 真ん中なら……」
正確ではないにしろ、マークスにも大体半分の位置くらいは判る。
重量物を担ぐには真ん中の重心点あたりを肩に乗せた方が楽に運べるのは自明の理だ。
「測れ!」
「チッ…………八歩だ」
大柄なタイガーマンだけあって、一歩の歩幅は九〇㎝近くもある。
「三歩のところで担げ。長いほうが前だ」
「え?」
「担げ。まだ大丈夫だろう?」
大丈夫というのは、剛力の事である。
剛力の効果時間は、肉体レベルと同じ分数であり、成人しているのであれば自ら打ち切らない限りは短くても三~四分は続くと思ってもいい。
「ふんっ……とと……」
当然、肩を中心に前後の長さが異なるのでバランスを取るのが難しいが、マークスはなんとか水平を保って担ぎ上げた。
「もっと前を上げろ」
親方はレールを担ぎ上げたマークスの傍に行くと後ろ側に伸びるレールに手をかけてゆっくりと引き下ろす。
「お、おい。何すんだ!?」
マークスは少し慌てた。
何しろレール一本の重量は二五〇㎏もあるのだ。
「このくらいの角度で運べ」
マークスの肩から前方に四m以上も伸びるレールの先は地上から二m半はある。
「こんな急かよ!」
急と言う程ではないが、担いでいる方にしてみればたまったものではない。
「前傾でバランスを取れ」
「倒れちまうだろ!?」
「それがレールの正しい運び方だ! お前らもしっかり覚えとけ!」
親方はタイガーマン達に怒鳴ると必要な道具を手にした他の新人を引き連れて、さっさと現場の方へと向かって行ってしまった。
・・・・・・・・・
べグリッツの騎士団本部。
俺の命により先日捕らえたオークが二匹、縄を打たれて練兵場に引き出されてきた。
勿論、両方ともヤク中であることはステータスで確認済みだ。
ようやっと時間が空いたので、再びヤク中オークを尋問してやろうとの思惑だった。
この前のオークとは異なり、この二匹はごく簡単なラグダリオス語なら解すとの報告もあったし。
猿轡を外させたがあまり騒がないね。
「名前は? あるのか?」
オークが独自の言語らしきものを使うのは知っている。
そうなら個体識別のためや、自尊心を得るためにも名前くらいはあるだろうと思っての質問だ。
因みに質問はクローにしている。
「右の片耳がドゥムで、左のがディズというらしいです」
「ふぅん」
ドゥムとディズね。
片耳という特徴があるから見分けられるが、そうでないとわかりにくいね。
まぁ、奴らから見れば俺とクローも髪型や服装で見分けられる程度かも知れん。
ゴブリンだのオークだの、犬や猫、鹿なんかの動物と同じだ。
顔じゃあなかなか判らないな。
全部同じように見える。
「おい、ドゥム、ディズ。私が言うことが解るか?」
「ワガリマズ」
どうやら二匹ともこの程度なら解するようだ。
発音はたどたどしいが、醜い顔に似合わない丁寧な喋り方のような気もする。
「そうか。教会について知っていることを全部喋れ」
質問をしてみたが、クローによるとこれだと聞き方が難しいらしい。
「ドゥム、ディズ。聞きたい。ニギワナ」
“全部喋れ”だと漠然としすぎていて理解できずに固まってしまうらしい。
「エライ」
「ニギワナ、エライカミサマ」
偉いってことか?
クローによるとどうやらそうらしい。
はー、こりゃ大変そうだ。
だが、一歩前進だな。
・・・・・・・・・
昼。
ダモン村とウィードの間の工事現場。
線路工事の人足達には昼食が支給される。
「うへへ、やっと飯か」
「腹減ったぁ~」
昼食を運んできた車両に人足達が群がっている。
今日のメニューは丼のような深底で大き目のお椀に一杯のシチューと子供の拳くらいの大きさで焼かれた黒パンだ。
タイガーマンのマークスにはこの小さな黒パンが九つも支給されている。
マークスは配給された昼食のお椀と黒パンを抱えて敷設の終わった線路に腰を降ろした。
シチューには、なんと肉団子が入っていた。
加えて、葉物野菜や根菜も入っている。
肉団子にはみじん切りにしたタマネギや生姜も加えられているようで、中々に乙な風味がする。
これでは味についても文句のつけようがない。
――食事の支給があるとは聞いていたが……。肉入りとは贅沢だな。
感心しながらも周囲を見回す。
黒パンは種族や性別で支給数が決められているようで、一番少ないと思われるハーフリングの女性でも四つ貰っていたが、シチューは全員に同じ量が配られているようだ。
――ふむ。ちっさなパンでもこれだけ食えれば一応腹一杯にはなるな。
肉体労働をさせているだけに、必要なエネルギーは与えられるのだろう。
マークスが敬愛する国王陛下の賦役でもこれ程の量と質はない。
食事を終える頃、マークスの方に大人しそうな外見のヒュームの男が近づいてきた。
男が持っている黒パンは六つだ。
時間から言って最後の方に支給を受けたのだろう。
「あんた、コレかい?」
男は隣に腰を降ろして声を掛けてきた。
“コレ”と言う時に握った左手からカギのように曲げた人差し指を出す。
乱波間の合図である。
「ああ」
「そうか、やっぱな。目つきに気をつけろよ」
「え?」
「必要以上に観察するなってことだ」
「ああ、気をつけるよ」
「うむ。そうした方がいい。ところで俺は砂利運びをやらされてるんだが、レールってのはやっぱ重いのか?」
ヒュームにしては線の細い体つきのため、ツルハシやスコップでの作業からは外されたようだ。
「ああ。重いな。ありゃタイガーマンでもない限りは一人じゃ運ぶのは疎か、持ち上げることすら難しいんじゃないか?」
「ほう。盗み対策かね?」
「多分な」
マークスの答えを聞いて男は食事を始めた。
「そんな重いものを、変な担ぎ方させられて本当に疲れるぜ」
男は返事もせずに黒パンを齧っている。
「ったくよ。効率ってものを考えろってんだ」
むしった草の茎を爪楊枝代わりにマークスは不満を零す。
「そうカッカすんなって」
一言だけ言うと、男はシチューを飲み、指で摘み上げた肉団子を口に放り込んだ。
「チッ、あんたは砂利運びだからそう言えんだ。理にかなってねえんだよ!」
「ふん。好きにするさ」
「おうよ、午後からは好きにさせて貰うぜ!」
言い捨てるとマークスは立ち上がり、水の配給樽を積んだ貨物車へ向かった。
そして休憩時間も終わり、午後の作業の開始時間が到来する。
マークスはレールを担ぎ上げた。
「へっ、水平にして真ん中んとこを担ぎゃあ大分違うね。アホか、あいつは」
そして、彼の前を歩く三十路過ぎのタイガーマンの背を見ながら、あんなアホを監督だか親方だかに据えているリーグル伯爵もアホだ、と思った。
その時。
マークスの顔の周辺に虻のような虫が飛んできた。
耳障りな羽音を立て、まとわりついてくる。
「チッ」
足を止めて舌打ちをしながら顔を振り、その拍子に担いでいたレールも振れた。
ゴォン!
大きな音を立ててマークスが担いでいたレールの後ろ半分が、後続する新米が担いでいたレールの前半分に当たった。
後続の男は親方に言われた通り、前傾姿勢で斜めに担いでいたので当たったのは先の方ではない。
「おいっ! てめぇ!」
後ろの男が声を荒げる。
「急に止まるな! 気ぃつけろ!」
続けて後ろの男が注意したところで、マークスは思わず振り返った。
振り返ってしまった。
「ああっ!!!!」
マークスが水平に担いでいたレールがもう一度後続の男のレールに当たり、男はよろけ、レールを取り落としてしまう。
「ぎゃあああっ!!!!」
レールは男の足を潰した。
「貴様ぁっ!!」
駆け寄ってきたアイアンボイル親方がマークスを怒鳴りつける。
「ガキみてぇにいちいち言って聞かせねぇとわからねぇのか!?」
その剣幕にマークスもレールを取り落とすが、被害はなかった。
「斜めに持つのは前後の高さをずらして当たらないようにするため、視野の利かねぇ後ろを下げるのは他人の頭と同じ高さにならねぇようにだ!」
背の低いドワーフはマークスに掴みかからんばかりに怒鳴り続ける。
「てめえが持ちやすいようにじゃねぇんだ! 周りの安全の為の担ぎ方だ!」
マークスは目の前が真っ暗になった気がした。




