第二百十七話 高飛び
7450年5月20日
昨晩遅くにザーラックスに到着した。
同行者はグレース、ネル、リンビーの他は護衛の従士が二人だけだ。
マールは念の為にバルザス村を調査する騎士団と共に置いてきている。
バルザス村で馬車と荷馬を接収したので、これ幸いにと馬車の上で眠って過ごそうとしたのだが、サスペンションもゴムタイヤもない馬車だと碌に眠れなかった。
昔は眠れて居た筈だし、事実、他の皆は眠っていた。
いつの間にか、体の方がすっかりと贅沢に慣れてしまったと思われる。
ザーラックスに到着したのが本当に真夜中だったのでクローたちからはヨーライズ子爵を逮捕し、監視付きで屋敷に軟禁してあるという報告だけ受けて、すぐにベッドに入った。
因みに教会の構成員や信者の取り調べは、バルザス村に残っていた中でも高位の数人だけは自ら尋問した。
が、教祖である大悟者、マーガレット・ジーベックスと、大主教の地位に就いているというウォルター・ヘイムダルという男の二人だけが転生者として特定出来ただけだ。
残りの主教のうち黒髪黒目だという普人族の男は、年齢も俺たちより一〇以上も上らしいし、恐らく転生者ではないだろう。
それ以外に得られた情報で目ぼしい物は、本当に少ない。
まず、麻薬の製造についての実務担当者は数える程しかいなかった。
教祖と大主教を除けば三人いるという主教のうち二人が直接の製造、と言うか、精製に携わっていただけらしい。
教会の建屋にあった、精製設備を備えた一室で全ての精製を行っていたようで、蒸留装置のようなものが押収されたが、どれもこれも小中学校の理科室程度の設備であり、俺が想像していたような「実験室」とか「薬品工場」には遠く及ばない。
尤も、機器や容器には酒類などの蒸留装置でお馴染みの銅などの、腐食がしにくくて熱伝導効率が高そうな金属類は殆ど使われておらず、ガラス(全て濃い緑色か濃い茶色で透明度は低い)がふんだんに使用されていたのでこの程度の設備でもこの地で揃えるにはそれなりの費用と時間が掛かるのは自明の理ではある。
なぜわざわざ高価な上に大型化しにくいガラス容器をメインに使っているのかと尋ねたら「銅や鉄などの容器を使うと製造の過程で大地母神のお恵みが得られにくくなる」との事だそうで、どうやらガラス器でないと薬品が変質するか、薬効成分の減少があるようだ。
だとすると、バックスやナックスの主原料だというカレッソという植物は「地球で言う純粋な芥子」ではないのかも知れない。
オースにおいて一般的な動植物は地球とそう変わりはないものの、考えてみれば魔法や魔物がいる世界だし、そもそもラグダリオス語においては固有名詞はともかく一般名詞は英語や日本語、それらの変形である割合が高……今はどうでもいいし、オリジナルっぽい一般名詞だってそれなりにあるしな。
とにかく、ナックスはカレッソの子房から集めた液を乾燥させただけの物をまた水に溶かしてタバコの葉に浸すという製法であることは判明したし、バックスやノックスはこれらの設備を使って更に成分を濃縮させたものであろうという事に疑いの余地は少ない。
また、押収した機材には導入して半年も経っていないような、まだ真新しい道具も多く、摘発が数年遅れていたら精製量も飛躍的に増えていたのではないかと想像された。
それを考えると、このタイミングで麻薬の流通に気付けたのは本当に幸運だった。
この程度の設備ですらここまで揃えるのは一筋縄では行かなかっただろうから、今回は逃してしまったとは言え、どこかで再起を図るにしてもそれなりの時間が掛かるだろうし、機器の発注などを監視する事で気付ける可能性も高くなる。
今使っているというザーラックスの工房にも二度と発注出来ないだろうからね。
それから、更に悪い情報もある。
ざっと見ただけでバルザス村の住人のうちの一割以上がステータスが【精神障害】となっていた。
領主であるランバー士爵家なんか、まだ一〇歳にも満たない小さな子供までが立派な中毒患者に仕立て上げられていた。
それどころか、ナックスをちらつかせて欲しがる素振りを見せた者の数は更に多い。
全人口の一〇パーセント以上が完全な麻薬中毒患者で、その倍近くが中毒一歩手前だなんて悪夢以外の何物でもない。
だが、どうせ中毒患者なのであれば例の小瓶に入っていると思われるダックスやゼックスを試してみるという事も出来る。
人体実験なんて非人道的ではあるが、罪もないオークをさらって来て実験台に使うよりはまだマシかも知れない。
まぁ、本当に罪がないかどうかはさておいて、オークだって人族には違いがないのだから。
その他、例の十字架を作る事ができる(お清めができる)のは大主教だけだとか、教会が抱えていた「戦力」のうちで大きなものは村外にいるラグ族というオークの氏族だという事がわかったくらいだ。
それはさておき、フィオはザーラックスにも立ち寄ってはいなかったし、フィオが追っていたというキャラックという男についても、あの日、教祖と同じ宿に泊まっていた事が分かったのみだ。
「ヨーライズの騎士団長を呼べ」
騎士団長には教会の幹部連中を手配させると共にフィオの足取りについても調査するように命じた。
どんなに遅くとも三日以内にはサミッシュ地方に存在する全ての街や村で教会関係者はお尋ね者となる。
・・・・・・・・・
「さて、子爵。弁明を聞こう」
勿論、デーバスの間者組織の摘発と撃滅や駐屯予定地などの情報を漏らしたことについての弁明である。
まぁ、今の時点では容疑者というだけだけど。
子爵の顔色は悪く、おどおどとした中に怒りも見える。
しょうがないけどね。
「気を落ち着けるのに必要なら吸うが良い。もしそうなら三〇分後にまた来る」
そう言うと押収したノックスの粉を小瓶に入れたものと喫煙具をテーブルに載せた。
子爵がすぐに手を伸ばしたのを見て小さな溜め息が出るが、俺は監視に立っているヨーライズ子爵の騎士団員を残したまま部屋から退出した。
ま、自白させるのに麻薬は効果的かもしれん。
・・・・・・・・・
7450年5月22日
昼前。
四日間に及ぶ旅程の末、ペギーたち三人はジューダンル地方の首都であるカールムに到着した。
限界まで休息を減らして先を急いだからこそ、僅か四日で到着できたのだ。
「あそこですね……」
馬車を御していたルーダが指す先にはタバコの葉と大地母神を意匠化した絵が描かれた小さな看板を下げた店があった。
店の前に馬車を停めると、御者台の隣に乗っていたペギーに気がついたようで店から数人の男女が出てきた。
「ようこそいらっしゃいました、大悟者様」
「皆、恙無く過ごせておりましたか? 大主教は?」
「奥に居られます。さ、どうぞ、大悟者様も奥でお休みになられて下さい」
ペギーが店の奥に行くとウォーリーが難しい顔で旅装に腕を通していた。
『この短時間でお前が来たってことは……』
『ええ。あなたからの連絡がもう少し遅れていたら危なかったわ』
『そうか……』
『丁度ザーラックスまで出ていた所だったのも助かった原因ね。村に居たままだとここまですんなり行けたかどうか……』
ペギーはたまたまザーラックスまで出ていた事と、それにリライ、ルーダ、ヘミット、キルン、キャラックを同行させていた事を話した。
そして、宿に滞在していた時にウォーリーからの返事を携えたジャクソンがペギー達が宿に逗留している事に気づいてかなり短時間で指示を受け取ることができたのだと説明した。
『わかった。被害は?』
『村はどうかわからないけど、確実に持って来れたのはアックリーの丘に隠していたお金だけね』
『それが無事ならまだ幸運だ』
ウォーリーは少しホッとした顔になる。
『ところで、デーバス王国の間者組織の件という情報についてだが……』
『そっちは本当かどうか不明だわ。でも、例の日本人夫婦の夫の方にキャラックが付けられたみたいで……』
『おいおい、キャラックには奴らに注意しろって忠告しなかったのか?』
『したわよ、勿論。でも付けられたみたいなの』
『そうか。でも、という事は、西ダートの領主……リーグルと言ったっけ……はやはり間者組織の摘発に託つけて教会を……』
『ん~、そこまではなんとも言えないわね。ザーラックスであなたからの指示を受ける前に本人と顔を合わせたんだけど、そんな感じは受けなかったし。向こうは私を見て日本人の生まれ変わりだと確信したようで、すぐに確かめてきたけど、教会や薬の事については何も言われなかったわ。むしろ、ヨーライズ子爵がリーグル伯爵と私を夕食に招いてくれて……』
『……』
『どうしたの?』
『いや、早まったかと思ってな』
ウォーリーの表情が僅かに歪む。
『ううん。確証はないけど、貴方の判断は決して間違いではないと思う』
『なぜそう思う? リーグル伯爵は教会に悪印象を抱いてはいなかったんだろう? だから確証がないと……』
『それはやっぱりキャラックが付けられたからね。恐らく、キャラックが村に戻って出る所から尾行されていたんでしょうけど……』
『そう言えばその夫の方はどうしたんだ? 始末したのか?』
『それもわからない。リライとヘミットが時間を稼ぐと言って残ったんだけど、追い付いて来ないし……まぁ、同じコースを取るとは限らないし、もしも同じようなコースだったとしても、リライ達の足は荷鞍を付けた駄馬が一頭だから私達よりも時間が掛かるのは確実でしょうから……でも、リライとフィオは殆ど互角だけど、ヘミットもいたし、万が一にも負けるなんてことはないと思うけどね』
『フィオって日本人の?』
『そう』
『確かファルエルガーズかどっかの騎士団に居たんだろ? 本当に互角かどうかは……』
『うーん、それはそうだけど、模擬戦でも互角にしか見えなかったわ』
『まぁいい。追いつかれたのはどの辺りだ?』
『コルザスの傍の例の洞穴。でも、キャラックが到着して何時間か休憩して、さぁ出発しようって時に急に近寄ってきたの。一枚噛ませろって……村に居た時に判断しただけだけど、キャラックを付けていたのならアックリーの丘でお金を運び出したのを見ていたはずよ。それを見逃すような性格じゃあないわ』
『それでも途中でキャラックを襲うことなく付けてきた……』
『うん。だから、村ではあの夫婦はそういう性格を装っていたってこと。それを考えるともっと深い目的があってキャラックの後を付けていたってことでしょ? 勿論確証はないけど、一〇億Zを超えるお金を目にして、それを我慢できるというのはよっぽどよ。特に日本人だったのならその程度の理性が残っていたとしても不思議じゃないわ。でも、そう考えると貴方が指摘した通り、夫婦揃ってどこかの間者だったと考える方が自然だと思ったの。それがリーグル伯爵かまではわからないけど、タイミングを考えればそうとしか思えないわ』
その言葉を聞いてウォーリーは『確かにな……』と呟いた。
『あと、キルンとジャクソンは? 別ルートでこっちに向かってるのか?』
『ええ。二人にはギィグを呼んでくるようにとも言い付けてある。そっちも徒歩だから来るにしてもリライと前後するはずよ』
『そうか……』
『やっとあそこまで仕込んだんだもの。放っておくのは惜しいでしょ?』
『うん。ギィグ達が手駒として使えるのと使えないのとでは結構違うし』
『でしょ? でも、やっとあそこまで揃った製造設備はともかくとして、ケーミスとクインシー、ディクスンなんかの主教クラスを呼び集められなかったのは痛いわね』
『……むぅ。確かにな。彼らは彼らで貴重だが、オークを仕込むより、聖戦士を失うよりはまだ取り返しが付く』
『残念だけどその通りね』
深く相槌を打つペギーを見て、ウォーリーは意を決した。
『だいたいの状況はわかった。あそこまで育てたバルザスを捨てたのは早計だったかも知れないが、やってしまったものは仕方がない』
『そうね……』
『晩飯までに新しい名前を考えておいてくれ。俺達も今の宿を引き払うから、宿には新しい名前で泊まろう』
『……わかったわ』
『一週間待って、リライやキルン達と合流できればよし。来なかったら……仕方がないのでどこか外国へ高飛びする。こっちでカレッソの畑を契約する前で助かったと言えば助かったな……』
ウォーリーの【上書き】は数年も前に技能レベルがMaxに達しており、その際に生物への名付けは回数制限が外れ(痛みと日数制限は残っている)、無生物への名付けは日数制限が解除されていた。
・・・・・・・・
7450年5月24日
ヨーライズ子爵は確かに教会の教祖に対して「デーバスの間者組織の摘発がある」ことと「その捜査のためにリーグル伯爵騎士団をバルザス村に駐屯させる」という情報を漏らしたと自白した。
だが、解せないことがある。
その情報を漏らしたのはあの日、教祖と初めて顔を合わせた時ではなく、もっとずっと前だったという事が分かったからだ。
という事は、教祖たちが囮を立てて、上級貴族である領主の誘いをすっぽかしてまで逃げ出したのはもっと別の理由があったという事になって……。
村に俺の騎士団が駐屯してデーバスの間者組織を摘発する、という情報から教会へのガサ入れを想像して逃げ出した、というのであれば納得がいく。
でも、それを知ってもかなりの時間バルザス村に腰を据えたまま逃げ出すこともなく、あまつさえ俺と直接顔を合わせたという理由がさっぱりわからない。
しかも、いざ逃げ出してみれば大多数の信者やカレッソの畑、製造設備など、ほぼ全ての財物を置いたままだったのだ。
俺の騎士団が進駐するまで一週間以上の余裕はあったのだし、本当に首をひねるばかりだ。
しかしながら、すんでのところで身柄すら押さえられずに逃げられてしまった事は確かだ。
尤も、予めカールムへ行っていたという大主教と、そこに向かって逃げたと思われる教祖以外の三人の主教である幹部は全員を生きたまま捕えることに成功している。
麻薬の精製に携わっていた幹部であれば、もう少し得られる情報もマシなものがあるだろう。
ついでに、フィオからも連絡があった。
フィオはキャラックという教団の戦士を尾行してザーラックス山脈の奥地にまで行き、そこで重傷を負っていたそうだ。
漸く怪我の治療を行って周囲の捜索を行い、そこがコルザスという村の近傍である事に気付いて村の領主に頼んでバルザス村に居るはずの俺やグレースに早馬を飛ばしてくれたのだ。
だから、教祖がカールムに向かった筈だという情報も得られたんだけどね。
とにかく、教会のナンバーワンとナンバーツーである教祖と大主教、それに付き従っていた数人の教会戦士こそ捕り逃がしてしまったたものの、全員のステータス内容は判明している。
そして、教会も残された組織ごと「デーバスの間者集団」という汚名を着せて摘発できたし、原材料であるカレッソを栽培していた麻薬畑も焼き尽くせた。
組織の芽を残してしまった事は心残りだが、国内全体に指名手配を掛けておけば再建は絶対に無理だとまでは言わないが、容易ではないだろう。
因みにヨーライズ子爵には王国への罰金刑を申し付け、フィオやグレースについては士爵に叙する程手柄を挙げてはいないとの判断から昇進はお預けだ。
とは言え、元々ファルエルガーズ騎士団で正騎士として叙任を受けていたフィオにはリーグル伯爵騎士団の正騎士の地位を与え、二〇名の従士を付けて同じく従士としたグレースと共にカールムに向かわせ教祖と大主教の捕縛を命じている。
だいたいの顛末と麻薬について「デーバスの間者がよく使う薬品である」と誤魔化して記載した国王への報告書と、教祖や大主教の手配の依頼書、そして事後になるがジューダンル地方とついでに天領での間者組織の残党捜査についての許可を求める書類を書き終わった。
・・・・・・・・
7450年5月25日
デーバス王国の首都、ランドグリーズからそこそこ離れたグリンド村。
村の領主は国王が兼任しているが、名前だけであり、正式な代官も置かれていない。
その村の一番大きな建物に連絡が齎された。
「ふむ……」
建物の主人である、ミューリアム・サグアルは齎された通信文を前に難しい顔をした。
彼の机の前には、彼が率いる「赤」という組織の中でもベテランの者が跪いている。
――確かにこの特徴のある字には覚えがある。妹のミュシェーレが書いたものだろう。しかし……この内容は……。
机に広げられているのは今月の初旬頃の日付が入った通信文で、それが齎されたダート平原から持ち帰られたばかりであった。
――ひとまずは陛下にご報告を上げるべきだろうな。だが、裏を取らぬ訳には行かん。
「どうにかしてミュシェーレと接触し、文面が本当に正しいか再度確認を取れ。それから、ロンベルティアの領事館にも裏を取らせろ」
それだけ命じるとミューリアムはまた唸り声を上げた。




