第二百十五話 三味線弾き
7450年5月18日
夜明け前。
「完了いたしました」
接収した一室で教会の資料に目を通しているところに報告に来たのは第四騎士団の中隊長、アークイズだ。
彼と、ザーラックスでヨーライズ子爵の捕縛をさせた第二騎士団の中隊長、トリーニン准爵の両名に対して作戦前に「見事な指揮ぶりを見せたら士爵に叙し、王国騎士団を退職するなら村を任せても良い」と言ったところ、物凄く士気が高まっているのだ。
多分このアークイズも俺と同様に、あれから三時間くらいしか寝ていないだろう。
「わかった。では今日の一〇時より取り調べを行おう。貴様もそれまでは休んでおけ」
「はっ」
退出したアークイズの背にちらりと視線を向け、再び教会の資料に目を通す。
教会の資料は散漫とした内容で、全容の把握にはかなりの時間を要するものと思われた。
「……あの女、几帳面そうな顔してズボラなのか……それにしては不自然だし、敢えて記録を残してないのか?」
発見できたのは麻薬の生産量と販売量など、いわゆる営業的なものの他は教会組織の運営に関わる経理的なものばかりだった。
僅かに中毒患者の経過観察のようなものも散見されたが、肝心の抽出法などについては全く記録がない。
尤も、まだ調べていない資料の中に埋もれている可能性も否定できないのでこちらについては何とも言えないのだが。
そんな事より、問題は書いてある言語だ。
殆どがラグダリオス語で書いてあるのは当然なのだが、一部日本語が混じっているのはともかくとして、英語まで混じっている。
先程述べた経過観察みたいなことが書かれている木簡は全て英語(俺もよく解らない医学的らしい用語も使われていた)だった。
それも、ちゃんとした記録ではなく、覚え書きみたいな、どちらかというとメモに近いものだ。
お陰で全ての資料に俺が直接目を通さなければいけないってのはなぁ。
仕方ないけど、こうなるのであればクローをこっちに回しておけば良か……あいつ、高校も卒業してねぇし、英語読めねぇぞ、多分。確か商業高校っつってたし、筆記体なんか、ありゃ絶対読めねぇわ。
普通の人なら筆記体も中学校で習うし、日常レベルに必要な言葉は中学校レベルの英語を完全にマスターしていれば然程困ることはないが、悲しいかな日本人の大部分は他言語についてしっかりと学ぶということをしている人は少ない。
それはそうと、筆跡から見て、発見された資料を書いていたのは全部で五名程だと思われる。
また、日本語を書いているのが最低でも二人。英語の方は一人だけだと思われる。
つまり、あの女の他にもう一人転生者がいたのは確実だろう。
バルザス村では見つかっていないから、領内の布教に出ているという大主教とか主教の一人かな?
大主教の他、主教のうちの一人も黒髪で黒目だというから、二人共転生者かもしれない。
しかし、麻薬の製法についての記録が全く無いというのは解せない。
昨日からの調査で麻薬製造に携わっていたという作業員は三人確保しているが、その誰もが「大悟者様か大主教猊下、主教様方の仰る通りに作業をしていただけ」と言っているのだ。
その作業内容も正直言って碌なものではない。
カレッソという植物の花が散った後の子房に刃物で軽く傷を付け、分泌されて乾燥した汁を集めるだけだ。
カレッソが本当に芥子ならば、それでも充分に使える麻薬は集められる筈ではあるが、純度を高めるような作業には従事していなかったらしい。
内部資料からはナックス、バックス、ノックス、ダックス、ゼックスと呼ばれる五種類の麻薬が製造されていたことが判っている。
そのうちで俺が知っていたのはナックス、バックス、ノックスの三種類だけで、販売(?)されていたのもこの三種類の記録しかなかった。
作業員や信者に「ダックスやゼックスというのは何だ?」と尋ねても誰も知らなかったというのも不満が残る。
……単純に失敗作だったのかも知れないけれど、なんかね、引っ掛かるんだよ。
何しろ、ダックスやゼックスの名が記録に出始めたのは最近になってからなんだよね。
また、麻薬の在庫自体は当然ながら全て押収済みだが、ステータスが見る事が出来るのは焦げ茶色をした粉末のバックスとノックス、そして、恐らくはそれを溶かして染み込ませた煙草状のナックスだけだ。
なお、在庫の大半はナックスであり、バックスは一〇リットルくらい、ノックスは一升瓶くらいの量だけしかなかった。
他にごく僅か、小さな瓶に入った薄茶色の粉末と僅かに茶色みがかった白っぽい粉末も発見されている。
このどちらかがダックスでもう一方がゼックスなのだと思われるが、ステータスにも鑑定にも名前が出てこないからどっちがどっちなのかよくわからないのだ。
因みにこの五種類の麻薬の鑑定ウインドウの内容は全て同じ「鎮痛作用がある」というところも共通しており、鑑定してもあんまり意味がないというのも曲者だ。
何となく、押収した量が少ないほど薬効も高そうな気もするが……そう簡単に試す訳にも行かないしなぁ。
あ、オークとかで試すって手もあるか。
喋れないし、ラリってる様子でも観察して判断するしかないかな?
でも量も少ないし、適量(?)ってのも解らない以上、気軽に試してみるってのも気が引ける。
何にしても、だいたいの金の流れはわかった。
予想していた程、大儲けはしていないと思われる。
何しろ、生産量自体が大した量ではないし、稼げているのは一〇億くらいだろう。
それに、信者や作業員たちの食費や雑費などを考えるとかなり目減りする筈だ。
尤も、帳簿が正しいなら、だけど。
例えば、数字の桁を一桁少なく書いていたという可能性もある。
これは後で見返した時に、単純に全て一〇倍にすればいいだけなので一番簡単なごまかし方だ。
けれど、この場合は経費なんかも一〇倍にしないと正確にはならないので結構簡単に見破られる。
多少のどんぶり勘定には目をつぶるというなら経費は正確に書き、収入の方だけ数分の一にするとか数倍にするという手もある。
そういった場合でも、実際に金を払った方へ幾ら払ったのか確認すれば見破ることは可能だが、ある月は二倍、ある日は三倍、というように書かれていたら調査にはかなり多くの時間が必要になってしまう。
実用上、不便になることも多いので一定期間(例えば一年間とか三ヶ月間など)で本来の数字の何倍とか何分の一とかになるように調節する事が多い。
まぁ「そこまでするか?」とも思うし、今のところは正しいものとして見てみるしかないだろう。
でも、わざわざそんな面倒な事をするより、普通は楽に二重帳簿にするのが当たり前なんだが、その二重帳簿らしきものが発見されていないからなぁ。
とは言え、二重帳簿なんて存在したところでそう簡単に見つかるとも思えないけど、どうしても色々と邪推してしまう。
そうやってシコシコと資料を漁り、情報収集を行っていた。
・・・・・・・・・
夜明け。
コルザス村から少し離れた洞窟。
フィオは日が昇る少し前、見張りが交代した物音で目を覚ました。
白んできた空の下、新たに見張りに立つのは男のようだ。
――あれはリライか? ……いや。
背格好からして、ヘミットという教会戦士の一人だ。
――あの洞穴には最低でもあと四人居る訳か。一体何をしにこんなところまで……。
誰かと待ち合わせだろうか?
キャラックが運んでいたのは、恐らく大量の現金である。
その額は、フィオの予想が正しければ優に十億Zを超えている。
二十億には届かないだろうが、世の中には白金貨という超高額な貨幣が有ることも仄聞していた。
――麻薬の取引? いや、作っているのは教会の方だ。
今までの潜入中に直接麻薬の製造現場を見たことはないが、麻薬はバルザス村で製造されているのは確実だった。
精製などの麻薬製造を行っている部屋も教会の建物内に特定できている。
今、馬車の荷台は空だが、麻薬を用意している可能性についても拭いきれない。
現時点での判断は早計である、と気を引き締めた。
――ひょっとして……あのカレッソというもの以外にも原料があるのか? それを仕入れに来た?
何故今までこの考えに至らなかったのだろうかとフィオは苦い思いに囚われ、同時に愕然とした。
教会の麻薬製造を後押しするような組織や団体が存在する可能性に思い至ったからだ。
――だとすると、教会だけ叩いても……。
そうこうしているうちに日が昇り、辺りには払暁の光が差し込み始める。
しばらくした後、フィオの目には洞窟から数人の男女が出てきたのが映った。
――あれは、大悟者に……リライか。
数時間前に聞いた内容から予想はしていたものの、ザーラックスへ布教に向かった筈のペギーとリライを認め、フィオは大きく目を見開く。
――ルーダとキャラックがいるのは当然だが……キルンだけが居ないのか?
フィオの記憶ではペギー、リライ、ルーダ、ヘミット、キャラックに加えてキルンの六名で布教に出たと聞いていた。
彼らが出掛けてから僅かな日数でキャラックだけがバルザス村に戻り、しかも途中で馬を外したという事を怪しんだからこそ後をつけたのだ。
――なぜキルンだけが居ない? 彼女だけはまだザーラックスに残っているのか? それともまだあの洞穴から出てきていないだけか? いやいや、こうしてみるとザーラックスに向かったというのが嘘であることは明白だ……。
ペギーを除く全員がキャラックが運んできた荷物を馬車に載せ替えている。
それからキャラックの荷馬に乗せていた荷鞍に上着を被せ、荷鞍には鐙のようなものを装着し始めた。
同時に、馬車の荷台に枯れ草を積み始めているのがわかった。
大悟者を除く全員で作業をしているのにキルンだけが参加しないのは不自然であるため、フィオはキルンが居ないことを確信した。
――待ち合わせじゃない? ひょっとして馬車に四人乗るのか? そして、キャラックもあの馬に乗る?
枯れ草は荷台に移した革袋を隠す意味もあるのかもしれないが、投棄も簡単で軽いために簡易的なクッションの代わりに使うのが普通だ。
――やはり待ち合わせではない、か。だが、この様子だと徒歩がいなくなってしまう。流石に追いつけないぞ!? それに、目的地も不明なままだ……。
流石のフィオもこれには些か動揺する。
彼がキャラックを追えたのは、荷馬を引いた徒歩だったからだ。
馬と人とでは耐久力にかなりの開きがある。
追いかけたとしても早晩引き離されてしまうのは目に見えていた。
「カールムまでどのくらいかかりますか?」
「順調に行けば明々後日の夜には……」
――カールムだと!? 確かジューダンルの……結構離れている筈だ。結構歩いたが、そもそもここがどの辺りなのかも判らんし……どうする? ここで声を掛けるか?
歯噛みをしながら逡巡した。
目的地は判明したが、カールムはかなり遠い。
何しろカールムは海の沿岸にあるのだ。
今居る場所は、恐らくザーラックス山脈のどこかだろうという程度しかわからない。
フィオ自身、数年前にはジューダンル地方を冒険の舞台としたこともあるので、ある程度の土地勘はあるが「土地勘がある」などとはとても自信を持って言うことは出来ない。
ジューダンル地方は妻のグレースの出身地でもあるが、農奴であった彼女はフィオ以上に土地勘などないであろう。
――だが、人目を避けて移動していたのは明らかだ。最悪の場合、襲われるかもしれない……。
そっと自分の体を見回してみる。
武器は腰に提げた一振りの長剣と右股と腰の後ろに挟んだナイフが合計二本。
背負った雑嚢にも小さなナイフが入っているが、流石にこれを武器に数えるのは心許ない。
「くっ……」
心ならずも、思わず小さな声が漏れてしまった。
そうしているうちにも時間は経ってしまう。
「大悟者様、準備が整いました」
「そうですか。では出発しましょうか。最初に馬に乗るのはヘミットにしましょう。キャラックはバルザスからずっと歩き詰めで疲れているでしょうし」
「わかりました」
「ヘミット。休憩の時には私が交代しよう」
「ありがとうございます、リライ様。ですが、昼食くらいまでは……」
「いや、ちゃんとした鞍ではないし、できるだけ短時間で交替した方がいい」
「そうですよ、ヘミット」
そういった会話がフィオの耳に届いた。
――あまりにも怪しい動き……手をこまねいたままここで見失う訳にはいかん!
たとえ見失うにしても、何もしないままただ見送ったという事だけはしたくなかった。
勿論、教会を摘発するにあたって手柄を上げ、きっちりと士爵位を得たいという打算もある。
ここで何もせずに見失ってしまったら、手柄は遥か彼方に去ってしまうだろう。
御者台についているリライがペギーに手を伸ばし、登るのを補助している。
ルーダが荷台に登り、キャラックも荷台に手を掛けた。
ヘミットも木に結ばれていた荷馬の手綱を解いている。
もう一度全員を見直した。
武器を持っているのは大悟者であるペギーを除く全員だが、得物は長剣を提げているリライ以外は三人共歩兵用の剣だけだ。
ナイフくらいは携帯してる可能性は高いが、弓などの飛び道具や長柄もない。
――ええい、ままよ!
地面から手頃な石を拾い上げ、両手に握り込むとズボンのポケットにその手を突っ込みながらフィオはそっと立ち上がった。
「よう! お揃いで!」
ゆっくりと近づきながら声を掛けるフィオに全員がぎょっとしたように注目する。
「な!? なんで……!?」
荷台の上からキャラックが慌てたように声を上げた。
そのせいか、今度は全員がキャラックに注目した。
この状況では、明らかにキャラックがフィオに付けられたと推測できる。
「キャラック、責任取りなさいよ」
ルーダが責めるような口調でキャラックに言った。
キャラックはフィオを睨みながら荷台の上に立ち上がると腰に手をやる。
「おっと、物騒な真似は止してくんな。まずは穏便にお話でもしようや……大悟者さんよ、俺ぁ前にも言ったよな? 儲け話があるなら一枚噛ませてくれってよ?」
ニヤニヤとした薄ら笑いを貼り付けながら、フィオは内心気が気ではない。
大悟者は戦闘要員として頭数に入れなくても良いかも知れないが、残る四人は全員が教会戦士であり、中には聖騎士のリライもいるのだ。
「大悟者様……」
馬車の手綱から手を離し、リライが確認するような口調でペギーに声を掛けた。
それは、一見するとフィオがペギーに向かって話し掛けた内容について問いただしているかのようにも見える。
「……ヒーロスコルさん、奥様はどうしたのですか?」
微笑みすら浮かべながら、ペギーはフィオに問う。
だがその目は全く笑っておらず、射抜くようにフィオを見ている。
「へっ、大儲けしようって時には身軽な方がいいのさ」
ペギーやリライが座る御者台に対して斜に構えるように、フィオは答えた。
フィオから見た位置関係は、右を向いた馬車の御者台の手前側にペギーが座り、その向こうにリライが腰を下ろしている。
荷台にはキャラックが立って剣に手を掛けており、その脇でもルーダが立ち上がろうとした。
そして、馬車の向こう側でヘミットが馬の手綱を握っている。
――やはり聞く耳は持ってくれそうにない、か。どうせなら最初にリライを狙いたかったが、ペギーが邪魔だ。この教祖だけは生け捕りにしないとな……。
だんだんと冷静さを取り戻しつつ、フィオは戦闘になるのであれば最初の狙いをキャラックにしようと思った。
「そうですか……下手に奥様を連れていない言い訳には良いでしょうが……」
ゾッとするような表情を浮かべ、ペギーは続ける。
「皆さん。残念ながら、彼は既にウィンキビラウの手に落ちているようです。ここで大地母神の御元にお送りするのが慈悲というものでしょう」
その言葉に荷台に立ち上がっていたキャラックが剣を抜き、荷台の縁に足を掛けた。
「ウィンキビラウとは言い過ぎじゃねぇ……かっ!?」
答えると同時にフィオはポケットから手を出して、握り込んでいた石を投擲した。
「がっ!?」
胸に礫を受けたキャラックが荷台の上で姿勢を崩し、倒れるのを皮切りに、リライが御者台から飛び降りようと腰を浮かせる。
「出しなさい! 他にも居る可能性があります!」
ペギーが叫んだ時にはリライは腰の剣を抜きながら飛び降りた後であった。
「くっ!」
それを見てルーダが御者台に飛び込んだ。
――しまった! こうすれば数に任せて来ると思ったのだが!
左手に握り込んでいた石も投擲するが、至近距離で避けられなかったキャラックとは異なり、馬車の向こうにいたヘミットには躱されてしまった。
「私が時間を稼ぐ! 行けっ!」
リライの叫びに呼応するように、御者台に飛び込んだルーダが馬にムチを振るった。
「ちっ!」
ここでペギーを取り逃がすくらいなら、とフィオは走り出す。
発進して間もない馬車にはすぐに追いつきペギーの修道服に左手が掛かる。
「きゃあっ!」
このまま引きずり下ろしてやればいい。
そう思ったフィオがぐっと手に力を込めようとした時、礫を受けたキャラックが荷台の縁に手を掛け、反対側の手に握った剣を振り下ろしてきた。
思わず修道服を掴んでいた手を離し、キャラックの攻撃を避けた。
が、ゆっくりと動き始めた馬車を回り込んで来たリライの体当たりを受けて姿勢を崩してしまう。
リライにしても刃物での攻撃が万が一にでもペギーに当たってしまう事を恐れ、まずはフィオを引き離そうと考えたのだろう。
「加勢します!」
馬の手綱を離したヘミットも剣を抜きながら駆け寄ってくる。
――くっ、やはり駄目だったか。こんな事なら気付かれる前に奇襲すべきだった!
体当たりをされた勢いを利用しながら転がって距離を取り、フィオは苦笑いを浮かべて立ち上がる。
長剣を抜き、構えた。
――ふん。一切の話し合いもせず最初から奇襲すべきだったとか、考えが乱暴になっているな。
リライの刺突を弾き、フィオは右手に握る長剣を少し引いた。
「問答無用で石を投げるとは卑怯者めっ!」
駆け寄りながらヘミットが毒づくのを耳にして「そうせざるを得ないように話し合いを打ち切ったのはそちらだろうに!」と返す。
ウィンキビラウとはそれ程に嫌われ、恐れられている名なのだ。
面と向かって「ウィンキビラウの手下」と言ったのであれば、荒くれ者の多い冒険者同士などであれば殺されても文句は言えない。
まして、ペギーは「ウィンキビラウの手下は殺せ」と言ったに等しいのだ。
「せあっ!」
袈裟懸けに振り下ろされるリライの剣を避けつつ、駆け寄ってくるヘミットにも注意を払う。
――二対一に加え、向こうにはリライか……。
圧倒的に不利な状況に置かれながらも、フィオはかなり落ち着いている。
ルーダやキャラックまで加勢に加わった訳ではないからだ。
しかし、こうしている間にペギーが乗った馬車はガタゴトと派手な音を立てて街道を目指している。
「シッ!」
牽制に突き出した剣を払われた瞬間、フィオはくるりと身を翻して馬車の後を追うかに見せかけた。
「回り込めっ!」
山中の木立にリライの声が響く。
ヘミットは回り込むべくフィオから視線を切った。
その瞬間を見逃さず、フィオは腰の後ろに差してあったナイフを投擲した。
「ああっ!?」
脇腹に突き刺さったナイフを見て、ヘミットが悲鳴を上げた。
「リ、リライ様! 治癒を!」
治癒魔術を求めるヘミットを一顧だにせずリライは一気にフィオとの距離を詰めた。
「ふっ!」
絶妙のタイミングで横薙ぎに払われるリライの長剣は銀色の弧を描き始める。
が、澄んだ金属音とともに描かれる円弧の動きは中途で止められた。
「いまの剣、貴様、隠していたな?」
それを聞いてリライの方も「これを受け切られるとは、実力を見誤っていたか」と返す。
「奴を放っておいていいのか?」
「……」
「リ、リライ様……わ、わた……!」
嘲るように言いながら、フィオは完全に足を止め、リライと対峙した。
流石にリライの攻撃を躱しながら馬車を追う事は不可能である。
「……!」
「……!」
睨み合ったのも束の間であった。
「いやっ!」
「さぁぁっ!」
互いに気合の声を迸らせながら、剣が交差する。
剣が躱されたと見るやフィオは姿勢を低くして水面蹴りを放ち、リライは僅かにジャンプしながら回し蹴りを放つ。
そして、再び剣戟を放ち合った。
「ぐっ、リライ様、私に構わず、悪神の手下を成敗して下さい!」
振り絞るようにしてへミットが上げる叫び声は最早誰の耳にも届いていなかった。




