第二百十話 逐電
7450年5月16日
明日以降の軍議という名の行動説明を終え、借りていたヨーライズ子爵騎士団の会議室を出た。
すると、クローの所に若い従士が寄って来て何事か耳打ちをし始めた。
クローは落ち着いた様子で聞いているので、俺は歩きながら王国騎士団の二人の中隊長と雑談を始める。
向かう先は今夜の宿舎とされている兵舎だ。
当然、王国南方総軍司令官である俺だけは警護に就いているデーニックとクローの騎士二人と市中の宿に泊まるから正確には彼らと行き先は異なるのだが。
兵舎の前で中隊長たちと別れると、クローが話しかけてきた。
「あの女の宿がわかりました。今は二人張り付いてます」
あら? わざわざ尾行までさせたのかよ。
今晩、領主であるヨーライズ子爵と一緒に食事の約束をしているからどっかに行っちゃうなんてことはないだろう。
俺はともかくとして、自分が住む土地の領主の誘いをぶっち切るなんて考え難い。
尤も、その俺にしても転生者であるのは分かっている筈なんだし、同じ転生者が隣の土地の領主なのだ。
繋がりを作っておきたいとくらいは思うんじゃないかね?
「……気付かれてないだろうな?」
宿の場所にしたって、子爵は「宿はいつものところか?」と聞いていて「そうだ」と答えているから下手に尾行なんかして気付かれ、不審に思われるようなことは避けるべきだと思うんだがなぁ。
そもそも、俺たちのターゲットになっているなんて事すら知っている筈もないんだしさ。
「そこは用心させてますし、尾行させたのはニックとラルフ、エリザです」
この三人は全員が俺の騎士団員でニックが正騎士、残り二人は従士だが犯罪捜査などで尾行が上手いと言われている奴らだ。
「そうか。何か動きがあったのか?」
「いえ、今のところはまだ。三人に尾行させ、宿を確認した時点で一人が戻ったところなので」
……まぁ、もしもバレたところで「折角会えた転生者の居場所を確認しておきたかった」とか言えば許してはくれる……そもそも尾行くらい違法でも何でもないけど……心証は良くないわな。
「……わかった。今夜、食事をするから何か話が出来るとは思う。だから今の時点で怪しまれるような事はさせるな」
「ええ、それはもう。奴らも素人じゃありませんから」
いや、ちょっと尾行経験がある素人みたいなもんだろうがよ。
そこはどうでもいいけど。
用意されていた愛馬に跨る。
クローとデーニックもそれぞれの馬に騎乗した。
そして、三人で宿へと向かった。
・・・・・・・・・
夕刻。
宿に迎えの馬車が来たのでクローを宿に残してデーニックと二人でいそいそと乗り込んだ。
着いた先はそこそこ敷居が高そうなレストランで、高級感がある。
店の奥の個室に通される。
む……この匂いは……。
特徴のある香りが漂っている。
やってやがるのか。
そもそも飯時に喫煙に類するようなものはどうかと思……って煙草じゃないし、そんなマナーは聞いたことがない。
だからいいって物でもないが。
これから会うであろうあの女が作って広めたものなので、今の時点で文句を言う訳にも行かないのが辛いところだな。
デーニックは個室の扉の脇にいた子爵の護衛らしい騎士と一緒に並んで立つ。
すまんな。後で美味いもん食わせてやるからさ。
部屋に入るとヨーライズ子爵が夫婦で待っていた。
二人の間には灰皿が置かれ、火の消えたキセルが掛けてある。
俺の到着を聞いて消したのだろうか。
あの女はまだ到着していないようだ。
「子爵、それに子爵夫人。サミッシュ料理を楽しみたいと思っていたところの招待、大変嬉しく思う。軍務中なので正装ではない事は勘弁してほしい」
「いえいえ伯爵閣下。お忙しい折に私共の招待に応じていただき、こちらこそ光栄でございます」
型通りの挨拶を交わすと部屋の奥の席を勧められた。
大人しく席に腰を下ろすとサミッシュの料理について解説を頼んだ。
子爵夫妻は嬉しそうに郷土料理の自慢を始めたが、揃ってバックスを吸い始めたのには閉口する。
高級な店だし、灰皿も用意されていたから、止めるのも不自然なのがなぁ。
因みにサミッシュの特産はワインだそうだ。
例のチョコレートヒルズのような丘は水はけが良く、葡萄の実が良く熟すらしく、他の土地で出来るワインとは一線を画す味わいがあるという。
俺は前世からワインについては人並み程度しか知らないのであまり詳しい話をされてもニコニコ笑いながら頷くくらいしか出来ない。
そんな俺でも嬉しそうに解説する子爵を見ていると飲んでみたくなっちゃうから不思議だね。
ところで、ひとくさり子爵の自慢を聞いているが、あの女、なかなか来ないな。
一〇分やそこらなら何とも思わないが、もう既に二〇分以上経っていると思う。
口には出さないが、それには子爵夫妻も気が付いているようで、気が気ではない様子だ。
話題もワインから今日のメインらしいブンド鳥の蒸し焼きに移っている。
だが、久々に聞いたブンド鳥という名に、つい食いついてしまった。
何しろ、あの碧い羽根を持つ美しい鳥は、今ままでの人生でたったの二回しか食べたことがない上、双方とも塩胡椒で味付けしてシンプルに焼いただけの調理法だった。
それでも飛び切りに美味しい鳥なのだ。
西ダートで獲れるとも聞いたことはないし、そもそもブンド鳥は滅多に獲れるものではない。
獲れたとしてもブンド鳥は群れずに単独で飛ぶらしいから、一度の狩りではまず一羽しか獲れない貴重な鳥なのだ。
だいたい、もし西ダートで穫れたのであればその希少さと美味さから言って流石に献上してくるんじゃね?
ラルファとかトリスやベルなんかが手に入れたのであればこれ幸いと自分で食っちまうと思うが、ロリックとかなら「ぜひご賞味下さい」とか言って急いで持ってくると思う。
とにかく、そのブンド鳥の蒸し焼きとは如何な味わいなのか。
「軽く焼いて表面を締めたあとで香草で巻いて蒸し、更に直火で少し焦げ目が付くまで焙り焼きにする事で美味しい肉汁と香ばしい香りが同時に楽しめるのです」
ほほう。オースの料理にしてはかなり手の込んだ調理法だ。
なんでも、おじいちゃん子爵の父親だか祖父だかの代のお抱え料理人が編み出した技法で、この店と子爵の屋敷でしか食べられないのだという。
何だかすごく楽しみになってきた。
と、その時、扉をノックする者がいた。
「おお、ジーベックス准爵が到着しましたぞ」
子爵はホッとしたようなニコニコ顔で言った。
俺も満面の笑みを湛えて開きつつある扉に視線を送る。
ところが、平身低頭で入室してきたのは御者服を着た男で、ジーベックス准爵が来られなくなったと言い始めた。
なんでも、ルーミとかいう村から急な要請があって急遽そちらに向かうことになったということだった。
勘付かれた?
それで逃げた?
まさか、どこにそんな余地があったと言うのか?
昼間の対応でも俺に不自然な点はなかったと思う。
子爵からバルザス村に駐屯するという情報が漏れていたとしても、たったそれだけで逃げ出すという判断になるか?
目的はデーバスの間者組織の摘発なんだし。
あ、ひょっとして、本当にデーバスと繋がりがあったとか!?
それはそれで好都合だが……都合良すぎんだろ、流石に。
「閣下、その、誠に……」
子爵は言い難そうに口を開く。
俺はそれを遮って御者服を着た男に声をかけた。
「そなた、ジーベックス准爵はいつ出発したか聞いているか?」
あの後、昼間すぐに逃げられていたのであれば、例え徒歩だとしても追うのはかなり困難になってしまう。
まぁ、折よくクローの指示で宿を監視させていたというからそのセンはないだろうが。
「つい先程です。私が准爵の宿を出るのと殆ど同時でした。この目で見ましたので間違いございません。応対して頂いた教会戦士と一緒に馬車で……」
って事は一〇分前かそこらだろうな。
おあつらえ向きに遠目にも目立つ馬車で出たか。
そろそろ日も暮れるから視界は良くないが、徒歩で逃げられるよりは余程マシだ。
「そうか。子爵。すまんがサミッシュ料理に舌鼓を打つのはまたの機会にさせてくれ」
ブンド鳥の蒸し焼きは名残惜しいが、仕方がない。
流石に上級貴族である領主の誘いをすっぽかすというのは並大抵ではない。
ましてやその会食には隣の領主である俺、同じ元日本人もいるのだ。
「か、閣下!」
「すまんな。デーニック! 馬を回しておけ!」
護衛でもある騎士に馬の準備を命じると、即座に駆け出す音が聞こえた。
俺は大股に部屋を出ながら、それでも付いて来ている子爵に詫びる。
「招待を受けておきながら申し訳ない。が、陛下から命じられたお役目の方が優先される故、許せ」
「し、しかし、何故!?」
そういやあ俺の行動も不自然極まりない。
たかが准爵が約束通りに顔を出さなかったからと言って、即座に予定をキャンセルして席を立つってのもなぁ。
「あの女、ジーベックス准爵こそが教会を隠れ蓑に間者を纏めていると目されているからだ」
「何ですと!?」
そうこう言っているうちに店の玄関に到着した。
「何度も言わせるな」
「ですが……!」
「子爵。触れを出せ。教会とそれに関わる者を匿った者は死罪。教会が作ったというバックス、及びナックスを販売した者も死罪。今後、それらを製造した者や吸引した者も相応の罰が下る、と」
「えっ!?」
「これは国王陛下のご命令と同じであると心得よ。よいな? しかと申し渡したぞ!」
丁度デーニックが碌に馬具も付いてない裸も同然の馬を引き出してきた。
どうやら俺たちを乗せてきた馬車から徴発してきたものらしく、御者の男が「おやめ下さい!」とか叫んでいる。
騒ぎを聞きつけてきたらしい店の丁稚だか小僧だかも一緒だ。
デーニックは小僧に「馬具を持て!」と有無を言わさぬような大声で命じている。
馬具を付けるまでそれなりに時間が掛るだろう。
俺も領主になって一年間ぼーっと過ごしていた訳じゃないが、残念ながら裸馬にはまだ乗れない。
「デーニック。そなたはその馬で騎士団まで行き、十人程連れてザーラックス市街の南の方で聞き込みをしろ。教会の教祖……大悟者であるジーベックス准爵を見なかったか、見たのならどちらへ向かったのかを調べるんだ。私もそちらへ向かうから現地で合流しろ」
「はっ」
デーニックは即座に裸馬に飛び乗ると、手綱も無いのに巧みに操って駆け出していった。
流石だな。俺にはとても真似ができん。
唖然としている御者には「代金はリーグル伯爵騎士団で持つ。金よりもあの馬が良いと言うなら明日にでも子爵騎士団の本部へ来い」と言うと、宿を目指して駆け出した。
ふ、ふん。
宿までせいぜい数分だろ? 裸馬より走った方が早いもんね。
……嘘だけど。
・・・・・・・・・
同時刻。
ザーラックスより北に伸びるテューラック街道。
場所は既に領境を超え、ペンライド子爵が治めるジューダンル地方に入っている。
そろそろ辺りが薄闇に包まれるという時間帯で、人気もない。
そんな道を一台の馬車が進んでいた。
乗っているのは一組の男女で、双方ともあまり上等とは言えない服装をしている。
「大悟者様。そろそろ街道から外れます。乗り心地が悪くなりますがご勘弁を」
「大丈夫よ。あなたに任せます」
馬車は林の中に入っていった。
暫くすると馬車を御していた獅人族の男だけが葉のついた木の枝を持って戻ってきて、馬車の轍を消し始めた。
元々この街道の整備状況はかなり良い方なので、そもそも轍はあまり目立っていなかった。
だが、男は二〇分以上も掛けて丁寧に自分たちの馬車の轍のみを消していく。
そして、道に残されていた轍だけでなく、道を外れて林に乗り込んだ痕跡をも完全に消し去ると足跡を付けないようにそっと林の中へ戻っていった。
一〇〇m程先の林の中では先程まで男が御していた馬車が待っていた。
「お待たせしました大悟者様。では、改めてコルザスに向かいます」
この林を一㎞程西に進むと、あまり整備状況の良くない道に出るのだ。
その道を南下していくと、再びサミッシュ地方に戻る事になるが、彼らが目指すコルザス村に行くことが出来るのである。
――順調ね。ウォーリーの思い過ごしかも……。
ガタゴトと揺れる馬車の上で大悟者と呼ばれた女が思った。
――いやこれ、絶対ウォーリーってば心配しすぎでしょ? 考え過ぎなのよ。でもなぁ。
辺りは急速に暗さを増していく。
馬車を御するライオスは夜目の特殊技能を持っているのであまり問題ではないが、馬車を引く馬の方はそうは行かない。
「大悟者様。申し訳ございませんが明かりの魔術を使いますので、お願いできますか?」
馬車を停め、ライオスの男が言った。
「ちょっと待って。何か長い棒はないかな?」
「棒、ですか?」
「うん。その先に明かりを灯すの。明かりが馬の上にあった方がいいでしょ?」
「確かに。ですが、あまり高く掲げないで下さい。木の枝にぶつかってしまいますから」
そう言いながら男は馬車を降りて灌木から手頃な枝を切り落とすと小枝を払い、枝の先に背の高い草の茎を結びつけて長さを延長した。
「ん。ありがと……これでどう?」
「十分です……」
男は早速女が持つ棒の先端にライトの魔術を掛けた。
この魔術は使用に必要な魔力量と回復までの効果時間が丁度釣り合っているのだ。
「では行きます。しっかりと掴まっていて下さい」
馬車は再び進み始めたが、道すらない林の中、速度はかなり落ちている。
だが、一~二時間で林を抜けることは出来るだろう。
・・・・・・・・・
宿に到着すると休む間もなくクローに事情を説明した。
クローの方にも宿を監視していた連中から、例の女が宿を出ていったと連絡があったばかりのようだった。
証言を突き合わせると先程聞いた、女を迎えに行った御者が言っていたのと同時刻だし、女の馬車が向かった先もルーミ村とやらがあるという南の方らしい。
「どうする?」
そう尋ねるクローに「逃げたのならバルザス村のある南方の可能性が高い」と答える。
しかし、何か引っ掛かり、南方ではない気もしていた。
「が……」
「が?」
「うん。何となくそう素直には行かない気がするんだよな」
「そうか? 麻薬で儲けてたなら財産も貯め込んでるだろうし、それを回収しないってのはおかしくないか?」
「うん、おかしい。それに麻薬を栽培していた畑や製造設備なんかもある筈だし……でもな」
「?」
「逃げるならなんでさっさと逃げなかったんだろうと思ってな」
なお、俺もクローも女が言ったという、ルーミ村の急な要請に応じて取るものも取りあえずに急いで向かった、などという戯言は信じていない。
なぜなら、たとえどんなに急ぎだとしても、上級貴族二人との待ち合わせに顔すら出さないというのはあり得ないからだ。
本当に急ぎだとしても、宿からレストランまで行って俺たちにごめんなさいしたところで、長くてもせいぜいが三〇分だ。
馬車や馬、徒歩とかでの移動がメインの世界でその程度の時間を惜しむような用件なんて信じられるか。
っつーか、田舎士爵家の准爵ごとき、普通なら親の死に目でも上級貴族が優先されるわ。
貴族社会を舐めてるとしか思えないよね。
「うーん、確かにそうだな。でも、あの女も色々考えたんじゃないか? 例えば領主の誘いをすっぽかすことになるとかさ。そんな事したら物凄く心証は悪くなるだろ? 決心がつかなかったんだと思うぜ」
クローの言うことも尤もである。
持ち運ぶ事のできない麻薬畑はともかくとして、製造設備なんかは簡単に揃えられるのかも知れない。
だが、金はそうは行かない。
折角稼いだんだし、惜しくなるのが人情というものだ。
何より教会では確認されているだけでも二〇人からの戦力を飼っていたという。ひょっとしたら五〇人規模かもしれないとすらヒーロスコルは報告してきた。
人材まで放り出して逃げるかね?
人材ってのは戦力的なものだけでなく、仮にも宗教団体を名乗っているからには事務だの何だのにもそれなりの人手は必要だったろうし、麻薬製造なんかも下働きにやらせていた可能性もある。
ある意味で技術職とも言える貴重な人材の筈で、教育には相当な手間と時間も掛かっているのではないだろうか?
それを捨てるのかどうするのかの決心がつかなかった?
それとも、本当にデーバスとの繋がりが?
「まぁいい。俺は奴らが向かったという南へ行く。ニックが尾行してるんだろ? 急いで合流を目指す。クローはまず宿舎に行ってトリーニン准爵とアークイズに全軍で南のバルザス村へ移動するように伝えろ。伝えたら西へ向かえ」
「西ぃ?」
「念の為だ。西の街道をそれらしい者が通ったかの確認をするんだ。あと、ラルフは北、エリザは東の街道へ向かわせろ」
「わかりました」
状況や報告内容から言って、あの女が南の方へ向かったという可能性が一番高いのは確かだ。
だけど、逃げた出発時間がどうにも解せない。
念の為四方へ伸びる街道の確認くらいはさせておきたい。
ウラヌスに飛び乗ってムチを入れた。
・・・・・・・・・
ダート平原。
とある大きな木の側に忍び寄る幾つかの影があった。
影のうちの一つが懐から鉤爪のようなものを取り出して両手に装着した。
そして、するすると木に登り始める。
木には地上よりも少し高いところに洞が開いているのだ。
片手の鉤爪を外し、その中に手を突っ込むと慎重に中を検める。
「あった。こいつか」
薄い板が束ねられたものを慎重に取り出すと懐に収め、再び鉤爪を装着し、木から降りた。
「ほいよ」
木の洞から回収した通信文を差し出した影から別の影がそれを受け取った。
「ん? 何か挟まって……羊皮紙か。これは急いだ方が良さそうだな。おい、帰るぞ」
受け取った影はすぐに撤収を命じた。
「えっ?」
「もう暗いですよ」
「今夜はこの辺りで……」
口々に不平を言い始めるその他の影達。
それも尤もな話で、昼間でさえ危ないというのに、これ以降の時間にダート平原を移動するのは大変な危険を伴うのであるからして、動かずに固まってここで一夜明けるまで待機するというのは当然と言える。
「いや、すぐに帰るぞ」
集団のリーダーらしき影は改めて撤収を指示した。




