第百九十八話 赤兵隊 1
7450年4月10日
縄を打たれてお白州に引き出された死刑囚を見下ろした。
お祭り三日目の目玉として去年から取っておいた凶悪な殺人犯だ。
昨年の終わり頃、この男は俺の従士一家に押し入って子供まで惨殺したばかりか、異常に気がついて止めに入った奴隷まで殺したのだから生かして強制労働に従事させるなんて裁きは出来ない。
目撃者も複数いた以上、冤罪の余地もないし死罪が妥当だろう。
動機は無茶な金利による借金苦のあまり、だと言う。
被害者である従士の取り立て方もエゲツない部分もあった。
何しろ、借金のカタとしてこいつの嫁さんや娘を差し出させたと言うから、酷い。
が、俺が死んだ時の日本とは違ってそれ自体は今の所違法ではない(俺の法整備はまだそこまで手が回っていなかった)。
しかしながら、こいつにどんな理由があろうとこの地の支配者である俺の従士ばかりか、止めに入った奴隷まで殺し、結果として俺の財産を目減りさせた罪は重いのだ。
まして、子供まで揃って一家惨殺に及ぶような凶悪さである。
死罪、というのは適当だと思う。
「……よって、殺人犯、ラフクルズ・ゴランに死罪を申し渡す!」
死刑を宣告すると、行政府前の広場はやんやの喝采で埋め尽くされた。
死刑囚が死刑台に登らされ、首に縄を掛けられるに及び、民衆の熱狂は頂点に達した。
そして、ぶら下がる。
気の弱い女性のなかにはショッキングな光景を目の当たりにして気を失う人もいるが、そういう人ですらある意味で覚悟をして見に来ているのだから始末が悪い。
伯爵就任以来、裁きについては騎士団の土地内で非公開で行ったらどうか、という案を何度か言ってはみたものの、役人たちは揃って反対した。
死刑や刑罰の執行を見物するのは民衆の楽しみであり、貴重な息抜きの機会でもある。
と言うのがその理由なんだけど、やっぱり見てて気持ちのいいものじゃないね。
バルドゥックにいた頃でも何度も目にした光景だが、俺たち転生者は誰一人、刑の執行なんか楽しんで見ていなかった。
ゼノムやズールー、エンゲラなど、オースの人は楽しんで手を叩いたりしていたから、俺たちはそれを肴に料理や酒を楽しんでいただけだ。
エンゲラか……。
――あはははっ! ズールー様、見ましたか!? あいつの腕、ぽーんって飛びましたね!
――おう、泣いてやがる。押し込み強盗までしておいて情けねえ奴だな!
あいつは罪人の手足が切り落とされたり鞭で打たれたりするのをゲラゲラ笑いながら楽しんでいたなぁ。
転生者たちのように眉を顰めている者も居ないではないが、眼の前にいる民衆はあの時のエンゲラと同様の表情を浮かべている者が殆どだ。
奴隷以下の身分に落とされたとも言える重犯罪者。
土地を治める貴族に裁かれてしまった以上、一言の反論すら許されない。
正義の側に立った気持ちになって安心して見下し、公然と罵声を浴びせる事ができる。
普段、貴族や平民に阿って暮らしている大多数の善良な奴隷たちにとって、そういう事が出来る機会は一種のガス抜きとしては確かに重要なのだろう。
抵抗できず、申し開きすら述べる事もできず、ただ罰を与えられる存在。
言い訳すら許されない無限とも思える深い恥辱にまみれた存在。
自分よりも下の者がいる。
幾らでも罵っていいし、どんな軽蔑の仕方をしてもいい。
罰を与えられ、恐怖に震え、痛みにのたうちまわって苦しむところを見て、普段は隠していた嗜虐心を刺激する。
ある意味で転生前の世界、犯罪を犯したりスキャンダルを起こした者を、インターネット越しなど安全なところから思う存分に叩く行為と同じメンタリティであるとも言える。
これもまた人という救いようのない生き物。その真実の一端なのだろう。
何にしたって犯罪者には罰を与えない訳には行かないんだから仕方ないけどね。
だが……いずれは……。
「閣下。お疲れ様でした。行政府の応接で奥様がお待ちです」
役人から声がかかったことで現実に引き戻され、俺は頷くだけで返答した。
昼飯までは休憩だ。
・・・・・・・・・
昼食のために広場に戻ると、死亡が確認されたゴランの遺体は死刑台とともに撤去されていた。
死刑台があった場所にも露天が軒を連ね、多くの客に囲まれている。
切り替えが早いと言うべきか……。
フッと息を吐くだけで笑い、ミヅチを伴って招待客たちの席に向かう。
途中、鎧を着込んで完全武装したラルファとグィネが、エセルと一緒に何かの煮込みのようなものを食べているところを見かけたが、気が付かないふりをしてやった……。
って、あいつら、シフト中じゃなかったっけ?
今日も午前中だっけ?
まぁいいや。
「伯爵閣下、奥方様、どうぞこちらに」
招待客のエリアを警護する従士が両手で槍を垂直に持って敬礼を送ってくる。
軽く会釈をして中に入ると歓談に花が咲いていた。
中心人物はエックルス・バルトリム子爵のようだ。
彼はエーラース伯爵領の代官のバルトリム伯爵の息子で、貴公子という形容がよく似合うスマートな普人族の青年である。
そんな彼に領地の貴族などが集中していた。
「なんだ。すごい人気だな」
バルドゥッキーと蕎麦パスタを持ってきてくれたジンジャーに言うと、
「ちょっと前に独身だって判ったの。去年の暮に奥さんを流行り病で亡くしたんだって。そうしたら皆、自分の娘はどうだって言い出してさ……」
と、肩を竦めて教えてくれた。
言われてみれば確かに、彼の周りに群がっているのはヒュームばかりだ。
「それは……逞しいわね」
「ああ。奥さんを亡くしたと言っても、半年も経ってないだろうに……」
そう批判的に言うミヅチや俺に、ジンジャーは「ま。皆が皆、閣下や奥方のようには考えられないからね」と苦笑を浮かべた。
そして、
「ああそれからね。私も夏頃に婿を取ることが決まったから。今日は最終日だし、お屋形様もお二人にお伝えしてもいいって言うからさ」
と少し恥ずかしそうに伝えてきた。
「おお! そりゃめでたいな!」
「おめでとう。相手の人ってどなた?」
「ん。お屋形様の従士でダスロンって家があるんだけど、そこの息子。私と同じで売れ残りなんだけど、私ももういい年だし、まぁいいかなって」
ちらりと過日のハルクの顔を思い出してしまった。
この様子なら彼女の中ではすっかり過去の事として整理がついたのだろう。
「へぇ、今居るの? どんな人?」
「いや、いない。どんな人って、普通の男だよ。今度ウィードに来ることがあったら会ってやって」
「ああ、是非そうさせて貰うよ。それに、披露する時は都合がつくようなら行くから」
ジンジャーも今年で三三歳になる。
結婚をして子供を生むのなら急いだ方がいい。
ジンジャーは丁寧に礼を述べると美味そうにビールのジョッキを傾けた。
「なんだか今年はおめでたい話が多くなりそうね」
ミヅチが水で薄めたワインで口を湿らせながら言う。
確かに、今年は俺の子が生まれるだろうし、結婚適齢期の者も多いからな……。
ジェルとミースとか、早く結婚しちまえばいいのにな。
そう思ってジンジャーと他愛ない話をしながら手早く蕎麦パスタを片付けた。
それは、相変わらず茹でた後でオリーブ油で炒め、塩胡椒とニンニクで味を整えただけのものだ。
薄切りにしたベーコンや玉ねぎは当然として、ヘモカートというアスパラガスに似た茎野菜を加えて彩りが増えた分、進化はしているけれど。
うーん、トマトが欲しい。
トマトなんて聞いたこともないから果たして存在するかどうかすら疑わしいが、世界のどこかにはあるような気もする。
丁度カームとキムが来た。
ミヅチとジンジャーは彼女らに任せ、俺は人の輪から外れかかっている招待客、ダリソン・ビーウィズ男爵のところへと向かった。
・・・・・・・・・
同時刻。
王都の第一騎士団本部。
「第三中隊騎士、ミルハイア・グリード、任務復帰を申告いたします」
団長のゲンダイル子爵に対し、ミルーは休暇の終了と現役任務への復帰を申し出た。
「うむ。グリード卿の復帰を歓迎する。今日より三ヶ月、基礎訓練をやり直したあと、原隊へ復帰せよ。……ラードックが首を長くして待っているぞ。退出しろ」
「はっ」
ミルーは回れ右をして団長執務室を出ると、階下の事務室へ向かった。
復帰の手続きや再訓練のスケジュールの確認のためだ。
――やっぱり本部の雰囲気はいいわ。
半年ぶりに訪れた騎士団は彼女の精神を引き締め直してくれた。
復帰の手続きを終え、再訓練のスケジュールについて耳にしたミルーは、早速河原の訓練場へと足を向けた。
「おう。来たな」
河原で訓練に精を出していたのは嘗ての上官であるケンドゥス士爵が中隊長を務める第二中隊だ。
「ええ。宜しくおねがいします」
これから三ヶ月、再びケンドゥス士爵のもとで扱かれることで、ミルーは以前のカンと体力を取り戻せると期待した。
「ふふ。ガキは元気か?」
「それはもう。やんちゃになってきました」
ミルーは微笑んで答える。
「お前の子だ。そんなもんだろ。さて、ちょっと体をほぐしてこい。その後、適当に混ざれ」
「はっ」
くるりと振り向いて部下たちに大声で檄を飛ばす士爵の背中を認めたミルーは、訓練用の木剣などが収められた掘っ立て小屋に向かって駆け出した。
――ああ。戻ってきたんだな……。
緩みそうになる顔を意識して引き締めるミルーだったが、数時間後には士爵への呪詛と悪態に歪む事になるとは想像すらしていなかった。
・・・・・・・・・
王国北部。
グラナン皇国と領境を接するベルタース公爵領第二の街、フラキス。
北西に聳えるデマカール山と南東に聳え立つバトラス山に挟まれた高地にも拘わらず、四万人を超える人口を抱えるこの街は、西方に広がる平野を穀倉地帯として発展した大きな都市だ。
このフラキスの街の外れに王国騎士団の駐屯地がある。
普段は国境警備を担う数十名程度の第二騎士団員しかいないが、現在は四〇名にも上る第一騎士団員と五〇〇名以上の第四騎士団員も駐屯しており、物々しい様子があった。
その王国北方軍の司令を務めるのは王国第一騎士団第三中隊長であるマリーベル・ラードック士爵である。
彼女は幼少期から戦士として類稀なる才能を見出され、齢一四にしてアプサイド公爵騎士団で正騎士の叙任を受け、その二年後にはダート平原で行われた戦闘で手柄を上げて王国第一騎士団へ推薦され、その狭き門を見事に突破した傑物であった。
惜しむらくは魔術に対して全くと言って良い程適性がない事が欠点だと言えなくもないが、戦闘中や騎乗中に魔術行使が出来る者などそもそも存在しないので騎士として、戦士としては欠点とまでは言い難い。
そんな彼女の下に副官から一つの報告が齎された。
「……真か、それは?」
「はっ。旗印を確認致しました。赤地に稲妻を掴んだ黒抜きのガントレット……あれは赤兵隊の旗印です」
「そうか」
「ええ」
「赤兵隊か……確かあ奴ら、以前は……」
「はい。一〇年程前まで二年契約でここに居りました。その後、バクルニーに雇われて東方のキーランを相手にすると聞き及んでおりましたが……」
「団長のアルフレートがキーランとの戦闘で討ち死にし、解散したと聞いたぞ」
「私もそう聞いておりました。ですので、誰かが再建したようですな」
話に出た赤兵隊とは、要するに傭兵団である。
三〇年近く前、現国王の即位と同時に国内各地で発生した小規模な内乱鎮圧を援助するという名目で設立された傭兵部隊を原点とする。
設立者はアルフレート・ベンディッツという名の、ロンベルト王国出身の男爵位を持つ貴族で、元々は天領各地で代官をやっているベンディッツ伯爵家からの分家である。
各地で戦功を上げたアルフレートは報奨金の半分以上を要求するベンディッツ伯爵家から縁を切り、報奨の一つであった一代男爵位を以てベンディッツ男爵家として独立したのだ。
その後は地方貴族を顧客の中心に、一揆などの鎮圧やその後の治安維持などで堅実な仕事を積み重ねて赤兵隊を最強の傭兵団と呼ばれるまでに育て上げた。
王国から雇われてダート平原でデーバス王国を相手に激しい戦闘をしたこともある。
豊富な実戦経験に裏打ちされたその実力は、王国第一騎士団にも引けを取らないと称された程だ。
だが、その彼も初めて雇われた外国同士の戦闘で命を落とし、折角育て上げた赤兵隊も求心力を失って空中分解に至った、筈だった。
「しかし、赤兵隊とはまた厄介な奴らが……ベンディッツ男爵には碌な後継者はいなかったと……」
「記録では二人の息子と一人の娘がいたはずですが、後継者と目されていた長男は父親と同じ戦闘で戦死、娘の方も戦死したと言われています。三人目の次男は当時成人もしていないか成人していても間もない子供だったので求心力はなかった筈だと……」
「古参の部下が残りを纏め上げたかその情報が間違っていたかのどちらかだろうな」
「ですな」
「人数はどの程度だった?」
「正確には未だ不明です……ですが、ヘスケス郊外の駐屯地には赤兵隊のものらしき旗印を掲げた大型の天幕が一〇もあったそうです」
ヘスケスとはジュンケル侯爵領の首都の名である。
なお、ロンベルトとグラナンの間を行ったり来たりしているジュンケル侯爵領は最早グラナン皇国の一部というより、独立したジュンケル侯国とでも言う方がより実態に近い。
「一つ一〇人として百人か。だが、正規の軍隊ではない奴らなら家族や子供など非戦闘員も帯同している筈だ。多く見積もっても兵力は五〇というところか……」
顎に手をやって考え込むマリーベル。
五〇人という兵力はそう大きなものではないが、かと言って無視するには小さくない。
何しろフラキスに駐屯する王国軍全軍の一割近い人数だし、王国軍から輜重部隊など戦闘員を差し引けば優に一割を超える。
嘗て称された実力通りの力を維持しているのであれば尚更だ。
正面からぶつかったとして、戦局に与える影響は決して小さなものではないと言えるだろう。
また、確実に戦闘になるという確証すら得られていない現在、幾らジュンケル侯国に戦備増強の動きが見られたとはいえ、名目上ジュンケル侯国はグラナン皇国の一地方である。
不戦協定を結んだ国との国境近くに大きな戦力を集中させることは憚られている。
関所に詰める警備兵や、国境パトロール部隊を除けば今居る六〇〇名弱でギリギリとも言えた。
王国としては、その六〇〇名に精鋭である第一騎士団第三中隊を混ぜるくらいしか出来ることはなかったのだ。
「判明しているヘスケスの兵力は一〇〇〇余りだったな」
「は」
対して、フラキスに駐屯する兵力は王国軍が六〇〇弱にベルタース公爵の騎士団が二〇〇あまり。
攻勢を掛けるには不十分だが、守るには十分な兵力とも言えた。
尤も、その数は人口四万と少しのフラキスにおいては二%にも上る。
これ以上の兵力を抱えることは大規模な補給線が整わない限り非常に困難であるため、先に述べたように現時点では本当にギリギリ一杯の兵力であった。
「報告書を書く。王都に送っておけ」
副官を下がらせたマリーベルはこの件についての報告を書き始めた。




