第百九十話 根絶者
7450年4月3日
早朝。
ヨーライズ子爵領の北東部にあるバルザス村。
「では、大悟者様。高いところから失礼いたしますが、行って参ります」
二頭立ての荷馬車の御者台に座った女が、見送りの列に居る女に声を掛けた。
「ええ。行ってらっしゃい、イリーナ。ウォーリーを頼むわね」
大悟者と呼ばれた狼人族の女は儚げな表情を浮かべると優しく微笑んで答えた。
「お任せあれ。このイリーナ・ブリスタロン、弓と槍ならリライ殿にも負けません故」
そう言う御者の精人族の女の言葉を聞いて、大悟者の隣に立つ獅人族の男が苦笑いを浮かべる。
「そろそろ行こうか」
御者台に腰掛ける犬人族の男の号令で馬車はバルザス村を後にした。
荷台には完成品のバックスが山と積まれており、人は御者台に座る二人を除いて屈強そうな六人の男がその周囲を固めている。
荷馬車の目的地は隣りにあるペンライド子爵が治めるジューダンル地方の首都、カールムだ。
彼らはこのサミッシュ地方の領主であるヨーライズ子爵やその縁者に取り入って、国内ならどこででも商売が可能な二号三種の商会を設立していたのであった。
そして、教義を広めるための手始めという口実で、その実大規模な資金稼ぎを兼ねたある種の実験の為にここから近い中では最大の都市であるカールムを選んだのであった。
カールムを選んだのには幾つかの理由がある。
サミッシュ地方以外の場所に全く宣伝活動などをしないアヘン窟を開き、周囲への伝播範囲やその時間に対する実績を調査しておく必要があったのが一つ。
それに伴って、サミッシュ地方に本拠を置く二号の商会が、支店とでも言うような拠点を築く事への政治的商業的な追及がどの程度あるのかの調査もある。
尤も、これについては予めサミッシュの行政府に確認を行ってはいたが、良いともダメだとも言われず、曖昧な返答しか得られていなかった事から実際に支店なり支部なりを開いてみないことには判断がつけられなかったという側面の方が強い。
要するに、未だ支店や支部などという概念が発達していないと思われるロンベルト王国の文明レベルで、どのように受け止められるかという、実験的な意味合いである。
また、ある程度多くの人が居住していることも調査や実験にはおあつらえ向きだった。
そういう意味ではほぼ等距離にあるジンダル地方の首都キールも候補に相応しいが、後述する理由で西には向かいたくはない。
東方にはダズール伯爵が治めるバーク地方があり、その領土の東の方に首都であるビムがあるが、カールム程の人口はない。
そのバーク地方の南にはリーグル伯爵が治める西ダート地方もあり、首都のベグリッツはここから一番近いが、こちらもカールム程の人口はない上、領主のリーグル伯爵にはオース一般の人よりもかなり多くの知識があると予想されており、直接的な接触があった場合には問題発生が懸念される。
加えて、西ダートには別の手を打っている。
二つ目に、サミッシュから見てカールムは、国内最大の都市と言われる王都ロンベルティア、即ち将来の最大の集金地候補とは別方向に位置しているためにある程度の失敗も許容できるうえ、この近辺では最大の都市だからだ。
麻薬を浸透させるには、出来るだけ多くの人が生活している都市の方が都合が良いという考えで、この部分だけを考慮するなら悪くはない。
もう一つは街道の整備と安全性を考慮した結果である。
サミッシュ地方の首都であるザーラックスからは大きく分けて東西南北の方向に街道が伸びているが、中でも北にあるペンライド子爵領の首都であるカールムに向かうテューラック街道が一番整備状況が良くて交通量も多い。従って別方向へ向かうより安全性も高いと見込まれたのだ。
王都への最短を目指すのであれば東のバーク地方やその先のカンデイル地方へ向かうのが一番だが、こちらは交通の難所も多く途中で治安に不安な地域もある。
路面状況なども勘案すれば北を目指す以外の選択肢には不安要素が多すぎるとも言えた。
・・・・・・・・・
俺たちは午後三時過ぎにゾンディールの街に到着した。
悪所であるダノークス街を通る際、目についた者を片っ端から鑑定してみたが精神異常のステータスを持つものは見られなかった。
そのまま埃に塗れた格好のまま、コーヴ準男爵の屋敷へと向かう。
彼が喫煙者であったかどうかは覚えていない。
幸いなことに准男爵は在宅であった。
「一体何が……?」
准男爵は驚いた様子で言った。
「突然押しかけた上に申し訳ないが、細かい話は後にさせて貰う」
そう言ってご無沙汰していたとかなんだとかの挨拶は全てすっ飛ばさせ、人払いをした応接室で二人きりになった。
「まずは私の質問に答えて欲しい……これを知っているか?」
ナックスを一摘み、準男爵の手に乗せながら訊いた。
「ちょっと色が悪いようですが、古くなった煙草ですか? ……ステータスオープン」
その間に俺は嘘看破の魔術を使った。
「ナックス……はて。このような銘柄の煙草は存じません」
嘘は言っていない。
「そうか。知らないのなら良い」
俺の意識は僅かに弛緩し、リラックスできた。
ナックスは何も乗っていないきれいな灰皿に移すように命じた。
「ではこちらはどうか?」
今度はバックスを一摘み彼の手に乗せる。
「ステータスオープン……バックスですか。申し訳ございませんが、この粉についても存じ上げません」
今回も嘘ではない。
本当にホッとした。
「そうか。カレッソという名の草を知っているか?」
「いえ、存じません」
予想した通り嘘ではない。
「うむ。次が最後の質問だ。そなたはタバコを好むか?」
「ええ。お言葉ではありますが、我がゾンディールの街で作られるコーミタバコは葉巻にするとあまり大した事はございませんが、刻んでパイプで吸う分には領内一だと自負しております」
勿論嘘ではない。
安心から、思わず溜め息を吐いてしまう。
「申し訳ございませんが、私ももういい歳ですから、今更宗旨変えは……」
「いや、すまん。誤解するな。咎めようなどという気はない」
「は……」
准男爵は不思議そうな顔をしている。
そりゃそうだね。
「改めて説明しよう。このナックスというタバコはコーミタバコをカレッソという草の汁に浸して作られる。そして、こちらのバックスはそのカレッソという草の汁を乾かした粉末だ」
准男爵は俺の話に耳を傾けている。
「そして、有り体に言うならこのナックスは毒で、このバックスは猛毒と言っても良い」
ここまで言うと准男爵の表情が少し動いた。
俺はジェスチャーをすることで発言するように促した。
「えー、煙草を嗜まれない閣下にはご存じないのかも知れませんが、煙草はそれ自体毒です。このくらい食べるだけで大人も苦しんでのた打ち回る程なのです」
准男爵は両手で大体の量を示しながら言った。
その量が適切かどうかは分からない。
そもそもオースの煙草にニコチンが含まれているとして、それがどの程度の量なのかも知らないから俺には何とも言えないけど。
「ああ。それは知っている。私が言いたいのはそういう意味での毒ではない」
「と、申しますと?」
「このナックスもタバコであるからには食べると同じような毒性があるのは当然だが、タバコと同様に喫煙しても非常に強い毒性があるのだ。それはこちらのバックスの方が強いがな」
「ほう」
当然だが、オース一般では喫煙それ自体が毒を摂取していることと同じであるという認識はない。
一般的に喫煙は肉体的な被害を齎さないとも思われており、このあたりは過去の地球と全く同様である。
「そして、この毒はタバコの葉を食べた時のように、嘔吐したり、痙攣したりなどのようには現れない。バックスの方はタバコではないし、タバコは含まれていないから飲んでもそういう症状は出ないとは思うがな……特徴としてタバコよりも習慣性が高く、癖になりやすいことが挙げられるが、これは本質ではない。長年に渡って吸い続けることで精神が破壊されるのだ」
俺がそう言うと准男爵は僅かに怯えたような表情でバックスとナックスが捨てられた灰皿に目をやり、その上でまだ手に残っているバックスの粉末を払い始めた。
「安心しろ。喫煙しないで触る程度なら何の害もない」
「は。ですが、精神を破壊するなどと聞いてしまうと……どうにも」
冷や汗すら掻き始めている。
「無理もないがそう案ずるな」
それでも准男爵の表情は戻らない。
が、仕方ないよね。
「そして厄介なのは、ナックスもバックスも喫煙すると気分が良くなる。この気持ち良さが忘れられず、一度味わった者はなかなか止められなくなってゆくのだ。これは、精神を破壊するという知識があっても、止められない程のものらしい。場合によってはこのナックスやバックス欲しさに全財産を注ぎ込む程にな……」
「そうですか……しかし……」
「ん?」
准男爵は少しだけ青い顔をしたまま口を挟んだ。
「それ程の毒の強い煙草、私は今まで全く存じませんでした。聞いたこともございません」
ふむ。これも嘘ではない。
ひょっとしたらナックスとは別の名前で出回っている可能性もあるかと疑っていたが、こちらの心配は後回しにしても良かろう。
「ほう。我が言葉を信用できんか?」
「いえ、そういう訳では……」
じゃあどういう訳なんだよ?
少し意地悪な考えが浮かぶが、顔つきを見ればそういうつもりで言ったのではない事は瞭然だ。
うーん、それはともかくとして信用しているのかしていないのか、イマイチ判らん。
判らんのでどう取られても良いように言うとするか。
「以前、私は別の世からこの世に生まれ変わったと話したことがあるが、覚えているか?」
「は」
「その際に、嘘や方便だと思いたければそう思えとも言った」
「は」
「このナックスやバックスは、名前は異なるが私が生まれ変わる前の世界にも似たようなものがあったのだ。だから私にはその知識がある」
「は」
「とにかくそういう前提で話しているから、そなたが納得してもしなくても構わない」
「は」
准男爵は神妙な顔つきをしている。
「だが、我が命にだけは従って貰わねばならん」
「勿論でございます」
准男爵は慇懃に答えた。
「……よく聞け。今このナックスとバックスが領内、地理的に言ってゾンディール近辺にも蔓延し始めている可能性がある。そなたは麾下の従士の全力を挙げて所持者を捕らえ、隔離しろ。また、その過程でどこから伝わったのか、どのように伝わったのかについても情報を集めろ」
「畏まりました」
彼がどう思っているのか相変わらずよく判らんな、これ。
ま、きっちりと従ってくれるなら俺には何の文句もないさ。
その後、話は俺の騎士団から人を出すとか、煙草とは言ったものの、実態は薬品の一種であることなど実務的で細かな内容に移った。
・・・・・・・・・
騎士団本部に到着した頃にはかなり日も傾いていた。
ゾンディールで時間を食ってしまった事が大きいが、致し方ない。
「騎士全員……いや、従士も全員を集めろ」
迎えに出たバリュート士爵に命じると、程なくして敷地内に居た全員が集まった。
そして、少し前に関所詰めの騎士団員やコーヴ準男爵に話したような事を話す。
ラグダリオス語には麻薬という言葉はないので、そこは日本語のまま話すことにした。
喫煙者は何人か居たが、バックスやナックスについて知る者は居なかった。
聞いていた騎士と従士の大半はただ聞いていただけのように見えたが、ラルファとグィネの二人だけはみるみるうちに深刻な表情になったのを確認する。
特に、以前に麻薬の件について話したことのあるグィネの目つきは非常に鋭いものになっており、ちょっとびっくりするくらいだ。
「これは緊急事態である! まずはそなたら」
関所から連れてきた騎士と従士たちに視線をやる。
「そなたらは未だ完全ではないが、中毒患者だ。薬が抜け切るまで敷地から外に出ることは罷りならん! 敷地内では拘束する事はないが、私が許可するまで一切の外出を禁ずる。その間は家族や縁者との面会も監視が付く。すまないが完治するまでの辛抱だと思ってくれ」
驚く騎士団員を他所に、更に言葉を継ぐ。
「それから、騎士団に所属する者はたった今より一切のマヤクの摂取を禁止する。万が一、これを破った者は私が即決裁判を行って処罰を申し渡すからそのつもりでいろ! 誰かが摂取しているのを知っていて黙っていた者も同罪だ。これについては密告も奨励する!」
密告の奨励は家畜出産の介添の件に続いて二つ目だが、この点についてはあまり意識されたような感じはない。
「そして、たった今より我が騎士団内に新しい部門を創設する。この部門の最初の仕事は領内の麻薬捜査及び浸透を食い止めることである。人員構成は明日発表するが、部門の名前は今発表する」
過去にこのような発表をしたことはない。
「この部門はいずれ現在の騎士団より独立した組織となる。既にバリュート副団長に人選を進めさせており、元々は数年後に作る予定だったが、この度の事態を鑑みて前倒しだ」
全員の注目を集めていることを確認する。
「この部門はマヤクの根絶を第一義に据えるため、根絶者と名付ける!」




