第百八十六話 錦 4
7450年3月27日
屠竜の能力を使ってから一〇分近くが経っている。
「えええーいっ!」
ボッシュが槍を突き込むと、浅黒い肌をしたホブゴブリンは俺を睨みつけながら倒れた。
これでホブゴブリンは一二匹目だ。
「よーし、とりあえずは今ので終わりだ。あと……二分位は休めるぞ」
脳内レーダーには東の森側から近づいてくるモンスターはあと一〇〇くらいしか残っていない。
対して、西の海側から近づいているモンスターはまだ一匹も倒していないが、マールによると三角形の背鰭が大小取り混ぜて九匹分見えるという。
その九匹という数も脳内レーダーと一致している。
海のモンスターは流石に崖を登っては来れないみたいだから暫くは放っておいても問題がないだろう。
魔法で倒すにしても魔石の回収が難しいし、何より面倒臭いからそのまま無視して帰っちゃってもいいかも知れ……。
ん?
海側に一匹、それなりの速度の奴がいる。
最初は五㎞ギリギリのところに居た奴だ。
今ではこの崖下までの距離は一㎞を切っている。
一〇分で四㎞……時速換算で二四㎞か。
微妙な速さだが、別方向から団子状で三〇匹程固まって近づいて来ている奴らを追い抜いていた。
……今気がついたが、動きが妙だな。
瞬間的には結構な速度が出ているが、その後は一~二秒くらい動きが止まる感じ……?
海に振り向いてそちらの方を見てみるが、当然のごとく異常は見つからない。
あ……これ……この動きって……。
なんとな~く嫌な感じがする。
「マール、そっちはもういい。皆と一緒に迎撃に参加しろ。それから次の集団は……二〇匹強だと皆に伝えておけ」
崖っぷちから海面を観察していたマールを下がらせた。
「兄貴、あとはバラバラと来るのを順番に倒せばいい。あと一〇〇匹くらいだから楽勝だと思うよ」
ほぼ垂直に切り立った崖から身を乗り出すように西の海面を見つめたまま言う。
「ん? ああ、こういう感じなら多分……何やってんだお前?」
そんな俺に、兄貴が不思議そうに言った。
「妙なのが近づいて来てる。あっちの、海の中からだ」
森側のモンスターはまだ来ていないので、兄貴も俺の隣にやってきた。
「妙なの? おわ! すげーな! あれ、魚か!? でけぇ!」
俺が目を向けている方向を見始めたが、すぐに崖下をぐるぐると回遊している大きなサメの影を見て驚いている。
まぁ、体長三~四mもありそうな感じのでかい魚影だし、数も多いから驚くのも無理はない。
【 】
【男性/15/10/7445・カニバラス・シャーク】
【状態:良好】
【年齢:4歳】
【レベル:8】
【HP:145 MP:2(2)】
【筋力:13】
【俊敏:55】
【器用:6】
【耐久:32】
【特殊技能:鰓呼吸】
【特殊技能:血臭感知】
【特殊技能:超嗅覚】
「魚の魔物だね」
俺もちらりと背鰭の群れに目をやって答えた。
上がってくることは不可能だろうからここから落ちない限り何の害もないけど。
っつーか、バルドゥックの迷宮にいたサンドシャークは肺呼吸だったのか?
鰓みたいなスリットは何だったんだ?
退化した鰓の名残か?
もっと丁寧に解体してりゃ分かったのかも知れないな……。
そんな事を思いながらも俺はと言えば、崖下を覗き見る兄貴を横目に遠くの海面の観察に戻っていたが、今の所……ん?
俺が見つめる先で海面が僅かに……。
いや、確かに盛り上がった!
と、同時に思い出した。
高速でちょっと進んで少し鈍り、また高速でちょっと進む……。
この動き方は、昔さんざん釣ったアオリイカとかマダコのそれじゃないか!
大抵の頭足類は勿論普通に泳ぐことも出来るが、急ぐ時は吸い込んだ海水をジェット水流として吐き出して移動するのだ。
それにしてもあの盛り上がり方から見て、尋常なサイズではない。
海面のすぐ下をクジラのような巨大な……。
あ。
海面から体の一部らしきものがちらっとだけ見えた…ような気がした。
一瞬だったのと未だかなりの距離があるので形まではよくわからない。
が、色は赤褐色な感じ?
……って事はやっぱり!?
頭の中に警鐘が鳴り響く。
同時にある名が思い起こされる。
蛸と烏賊の合いの子のような超巨大生物を。
地球にも数多の伝説として伝わっている、俺でも知っているくらい超メジャーで……。
そして、このオースでも同様にその名を轟かせている……。
クラーケン!
シードラゴンやシーサーペントと並んで、奴がいるから沖合いに船を出すことが敵わないと言われているモンスターだ!
そんな大物が何だってこんな沿岸にいやがんのよ、このタイミングでさぁ!?
大陸棚があるかどうかは知らないが、そんなものあろうがなかろうが、ここは大昔の山が沈んだような絶海の孤島じゃないから、沿岸から数百m程度の沖合いの水深は一〇〇mもあればかなり深い方だ。
と、言うか、地球の大多数例に当て嵌めるならいいとこ三〇~四〇m程度だろう。
もっと浅くても驚かん。
「ゴブリンだ!」
誰かの警告が耳に入った。
俺の隣りにいた兄貴はさっと振り向くと「ショーン、ミッケンス! 前を固めろ!」と怒鳴り、駆け出していった。
俺が海から妙なのが来ていると言ったために指揮を引き継いでくれたようだ。
ま、ゴブリンなら放っといても良かろ。
数も三〇弱だし、油断さえしなきゃ俺の戦闘奴隷だけでも勝てるだろうからな。
妙な動きで近づいてくるモンスターはもう七〇〇m程度にまで接近している。
ゆっくりと左手を海に向けながらどうしようか思案する。
攻撃魔術か、必殺の氷漬け……は無理か?
ドラゴンみたいに【魔法抵抗】の特殊技能を持っているかも知れない。
……その時はその時だな。
試すくらいしても損はない……だけど。
そもそも氷は海の中に出せるのか?
思い起こしてみると冷たい飲み物を飲むとき、飲み物を冷やそうとするとき、氷は必ず容器の上で作っていた。
液体の入った容器の中に直接出したことはない。
今のうちに練習しておこうか?
遠くの海面に向けていた左手を眼前の海面に向け直した。
……!
やはり失敗だ。
だが、これならどうだ!
さっきまでは氷を出そうと火魔法と水魔法を使っていたのだが、今度は水魔法を止めて温度を下げるだけの火魔法のみにする。
眼下の海面に対して氷点下三〇度の魔力を送り込む。
が、これも碌な効果は確認できない。
海面が揺動し続けているためか、塩が含まれた海水だからか、何なのか上手く凍らない。
いや、単純に量の問題な気もする。
コップ一杯程度なら、瞬間的とまでは行かないが凍らせるくらい訳なくできるし。
海をそれなりの範囲で凍らせるには、もっとずっと低い温度にするか長い時間を掛け……有り体に言うと俺程度の魔力ではどうにもならないってこった。
「まずいな……」
つい独り言を言ってしまう。
こうしている間にも例のモンスターは俺まで五〇〇mを切っている。
海中にいる間に飛び道具系の攻撃魔術を放っても威力はかなり減殺されてしまうだろうし……。
蛸や烏賊みたいなモンスターなら陸上にも来る気がする。
それこそ氷や土を出して眼の前の海面を埋め立てて、そこを登らせるか?
悩んでる暇はないな。
しゃあない。
ここは氷で行こう。
火魔法と水魔法をレベル九で使用。
双方ともにMPは九倍づつ込める。
単に元素魔法を使っただけなので、氷はすぐに出る。
そして、作り上げた氷を整形。
とは言え、この前作った土壁なんか比較にならないくらいの量だから大変だ。
何しろ量が量なので単純な形とはいえ、それなりに時間が掛かるのだ。
俺の後ろの方でゴブリンか何かが驚きの声を放っている。
巨大な氷の塊を見て腰でも抜かしたのだろう。
バカでかい氷の板を維持しつつタイミングを図る。
そして、クラーケンらしきモンスターが一五〇mを切ったあたりで俺の目の前の海面に落とした。
耳をつんざくような爆音が響き渡り、氷と崖との隙間から海水がとんでもない勢いで噴き出して豪雨のように降り注いだ。
板のサイズは幅と奥行きが三〇〇mに、厚みが一〇〇mだ。
その重量は九〇〇万t。
浮力も働くから実際にはもう少しマシだろうが……いかなクラーケンとは言え、ぺしゃんこだろう。
俺の目の前には視界を塞ぐように巨大な氷の壁が聳え立っている。
俺から見て、心持ち奥に傾いているように見える。
横幅三〇〇m、高さ……七〇……八〇mくらい?
よくわからんが、二〇階建てのビルくらいはあるか?
だが、ふん。やはりこのあたりの深度は一〇mかせいぜい二〇m程度……は?
はぁ!?
鮫は全滅した。
当然だが。
しかし、俺の脳内レーダーにはまだクラーケンらしき輝点が残っている!
そ、即死じゃないのかよ!?
それとも、運良く丈夫な岩と岩の間にでも押し込まれた?
ン百万tを支えられるほど丈夫な岩?
まぁ、こういった地形の傍の海面下が砂って事の方が少ないし、むしろゴツゴツとした岩ばかりだろうから、大きな岩なんかが沢山あっても不思議じゃないが、元々は九〇〇万tだぞ!?
どんだけ幸運なんだよ!?
とは言え、流石に動きは止められたようだ。
まぁいい。
これだけ大きな氷なら維持なんかしなくても一週間やそこらで溶け切る訳はない。
海底にある裂溝とか岩の隙間に挟まれていたとしても水温は急激に下がるだろうし、何もしなくたって死ぬんじゃないの?
そう簡単には死なないか。
地球の蛸や烏賊だって氷点下の氷が浮いている海水で楽々泳ぎ回っている種類も多い。
ダイオウイカが棲む深海なんて、零度近い筈だし。
それはそうと、こっちは暫く大丈夫だろう。流石に。
振り向くとルビーとジェスがなにか叫びながら呆然としているゴブリン共に槍を突き込んでいる所だった。
他は兄貴やマールたちも含め、残りの全員がこちらに振り向いていた。
確かに戦闘中ではあったが、もの凄くでかい音だったし、大量の海水が降り注いできたのだから無理もない。
なお、ジェスが仕留めたゴブリンが今相手取っていた集団では最後だったようで、次に迫っている集団はまだ五〇〇mも離れている。
「おい、アル……お前……」
兄貴はまん丸い目をして氷の壁を見上げながら掠れた声で言った。
「海の魔物は当面大丈夫。そんなことより、あと二分くらいで次が来るよ」
脳内レーダーであちこちから接近してくるモンスターの勘定や速度を測りながら注意を喚起する。
「マール、リンビー! 呆けるでねぇ!」
ルビーがマールとリンビーに駆け寄ってヘルメットを被った後頭を叩き、気合いを入れ直した。
その声が皆の精神を引き締め直したようだ。
・・・・・・・・・
数十分後。
リンビーが最後のコボルドを仕留めたところで脳内レーダーには陸地側で動くモンスターはいなくなった。
正確にはまだ四〇〇~五〇〇くらいは残っているが、脳内レーダーでも動きを感知できないくらいの速度なので、ラージリーチやスライム、シュリーカーみたいな非常に動きの遅いモンスターだろうから、あまり気にする必要はない。
「兄貴、陸側は今ので終わりだと考えてもいいと思うよ」
「ん、そうか。じゃあ魔石を採らせても大丈夫か?」
「うん」
「よし。全員、手分けして魔石を採るぞ!」
兄貴の号令に従士たちは嬉しそうに返事をしている。
さて、問題は海側の方だ。
と言っても、クラーケンが途中で追い抜いた海側から集団で近づいてきたモンスターはとっくに始末が終わっている。
サヒュアジンという半魚人の群れだった。
氷の塊と崖の隙間を通って俺の方に接近してきたのだが、全て崖を登ろうとしている間に魔法でぶっ殺している。
そして、クラーケンらしきモンスターだが……実はまだ生きてるんだよね、これが。
放っといても良さそうだけど……誠に面倒だが、殺しておくべきだろう。
バカでかい氷の板の脇を階段状に整形して上まで登ろうとしたが、はっと気がついて止めた。
この氷の厚みは一〇〇mもあるのだ。
クラーケンの真上まで行ってアンチマジックフィールドで穴を掘り、兄貴を始めとする魔法が使える者たちに攻撃魔術を叩き込ませようと思っての事だったのだが、攻撃魔術で射程が一〇〇mを超えるものはアーバレスト系からだ。
もう少し弱いジャベリン系の攻撃魔術でも真下に向かって撃ち込ませるから多少短くてもいいだろうが、確実に威力は落ちる。
付け加えて言うなら、クラーケンのそれなりに頑丈だと思われる表皮を貫通して内臓を破壊できる威力が無くては殆ど意味がないのだ。
ここはこの崖から氷の中、クラーケンの傍へと続く通路を掘るべきだろう。
一見した感じだと氷の高さはかなりのものがあるので、この位置からクラーケンの真上まで横穴を掘るようにすれば、そこからクラーケンまでの最短距離は多く見積もっても二〇~三〇m程度で済むと思われる。
アロー系の攻撃魔術でも充分に射程圏内だ。
善は急げ。
崖と氷の間は四~五m近く空いているが、その隙間を埋めるように更に氷を作り出して足場にした。
そして、おもむろにアンチマジックフィールドを使う。
対魔法の力場は幅三m程、長さ一〇〇m程度の細長い形にしておく。
それを目の前の氷に水平に突き込んで上下させ、垂直へと九〇度回転させて体ごと左右に動く。
この際には、左右や上は多少扇状に膨れてもいいが、床面だけは慎重に水平を保つことを心がけねばならない。
充分に人が並んで通れるくらいの通路ができた。
そのまま少し前進して通路を掘り進める。
アンチマジックフィールドの力場は完全な二次元平面(俺がそう思っているだけだけど)のため、通路の壁や天井、床は磨かれたように傷一つない。
流石に気泡の全くない透明な氷なので、一〇〇mもの厚みがあってもそれなりに明るい。
適当な距離まで掘り続け、このあたりかな?という所で掘り進むのを止めてアンチマジックフィールドをキャンセルした。
うーむ。入り口から五〇mも入ると結構寒いな。
まぁ、全員が鎧下にゴムプロテクターを着けているし、ゴム底のブーツも履いているからそうそう凍傷を負うハメにはならないだろう。
そんなことを考えながら、クラーケンの傍まで来た。
海水やモンスターに接している氷は溶け始めているのか、それとも周囲の海水を凍らせているのか、綺麗に見えた訳ではないが、モンスターの全体像はわかる。
氷の下に見える姿は、頭部をこちらに向けた巨大な烏賊か蛸……エンペラみたいなのが見えるし、目まぐるしく体色が変わっている様子も見て取れるから、どちらかというと烏賊か?
足が十本あるかどうかまではよく判らないけどバカでっかい烏賊にしか見えない。
こいつぁ、やはりクラーケンってやつかね……。
【 】
【男性/6/6/5189・アーキテューティス・ハヴグーヴァ】
【状態:凍傷・挫滅創】
【年齢:2260歳】
【レベル:34】
【HP:5264(8692) MP:219(220)】
【筋力:52(55)】
【俊敏:38(44)】
【器用:76(82)】
【耐久:132(135)】
【特殊技能:鰓呼吸】
【特殊技能:超聴覚】
【特殊技能:剛力】
【特殊技能:空気混合水34】
【特殊技能:天候召喚1】
【特殊技能:水流支配0】
【特殊技能:風量支配1】
【特殊技能:鬼火34】
海底にある隙間と言うか、裂溝のような場所に収まっている感じだが、かなりきつい部分もあるようで、それなりに大きなダメージを負っていた。
それに、氷が消えなかったから予想はしていたが、やはり【魔法抵抗】の特殊技能は持っていない。
また、【水流支配】の特殊技能を使っているようだが、これだけの大きさの氷だけに、多少水を流せたとしても自由が得られるほど溶かせなかったのだろう。
しかし、クラーケンじゃないのか?
烏賊なのにクラーケンじゃないとはこれイカに?
まぁ、そんなことはどうでもいい。
レベルも高いしHPも多い。
特殊技能もてんこ盛りで、かなりの経験値が期待できるモンスターであると言える。
当初の予定通り、兄貴や村の従士など、攻撃魔術が使える人にダメージを与えさせてやるべきだ。
今度は真下に向かってアンチマジックフィールドを慎重に伸ばしていく。
下に向けて掘る穴の直径は五〇㎝くらいで……いや、もう少し太めにしておいても大丈夫かな?
あまり細いとカノン系の攻撃魔術が通らな……俺が攻撃する訳じゃないし、触腕を伸ばされても嫌だから細くしとこう。
クラーケンに向けて十数m堀り下げ、完全に掘り切る数m手前で穴の中を覗き込んでみた。
うーん、胴体よりも頭を狙うべきかな?
もう少し先で掘った方がいいか。
・・・・・・・・・
両親を買い取ったクローは、二人を迎えに行くべくその足で畑に向かった。
彼にしてみれば、こんな村は一刻も早く立ち去りたかったのだ。
マリーと二人、両親が耕しているであろうマナドゥ家に割り当てられた畑を目指す。
「しっかし……チッ、けったくそ悪いな」
クローが顔を顰めて毒づいた。
マリーは小さく頷いただけで、その表情に変化はない。
「……私、先に家に行って荷物まとめとくね」
「あ? ああ、そうだな。悪いけど頼む。それから、親父達の荷物は放っておいてくれ。持っていけるようなのは服くらいしかないし、それも大した量じゃないから」
「わかった。あ、そう言えば、飼葉はどこで買えるかな?」
「ん~、ラマーズさんのとこかラクロワ士爵ンとこだろうけど……」
「あの士爵にお金を払うのも癪よね」
「ああ。でも、ラマーズさんのとこも必ずあるとは限らねぇんだよな」
「行くだけ行ってみるわ。無かったらその時こそまた士爵のところに行ってみるけど」
「そうだな。昼飯時まであと少しだから、まだ訓練場にいると思う。来る時通ったとこな」
「ん。あそこね」
「あ、ラマーズさんは従士で唯一の猫人族だからすぐに分かると思うし、分かんなくても訓練場にいる人に声かければ……」
「わかったわ。行ってみる。じゃあ後でね」
「ん、じゃな」
マリーと別れたクローは相変わらず面白くなさそうな顔をしながら耕作地の中を通り抜ける道を歩き続けた。
畑には沢山の農奴が出ているが、先程クローが言った通り昼食のために休み始めている者も多い。
マナドゥ家に割り当てられている場所まで、まだもう少しかかる。
――あの木、切られたのか。でかくなりすぎたんだな……でもあっちの木は結構高くなってるな……。
耕作地の隙間には、ところどころ意図的に樹木が残されている。
遠くから眺めても木の形で大体の場所が分かるよう、目印にしているからだ。
――懐かしいな、ここ。
村の耕作地の中を流れる川の河原にある倒木を見て、クローの胸中には在りし日の光景が蘇る。
思わず河原に足を向けてしまった。
昔のまま河原に転がっている倒木に腰掛け、その表面を撫でる。
歴代の村人達の尻に敷かれ続けてつるりとした表面は、かつてのままの感触を伝えてくる。
「ふっ」
図らずも浮かぶ、苦い笑みを自覚した。
足元に転がっていた小石を拾い上げ、川面に投げ込んだ。
水面に作られた丸い波紋は、すぐに崩れ散るようになくなる。
「若かったな……」
まだ若い癖に、妙に年寄りじみたセリフを浮かべてしまった事にクロー自身も少し驚いて更に苦い表情になる。
ゆっくりと立ち上がり、河原から道に戻ろうと向きを変えた。
すると、少し離れたところを一人の女がこちらに向かって歩いてきているのが目に入る。
先方もクローに気がついたようだ。
クローとしては疲れた顔でこ汚い髪の奴隷女に興味はない。
さっさと両親を迎えに行こうと歩き出す。
しかし、女の方は歩みを止め、じっとクローの顔を見つめている。
――見たことあるような気もするが、誰だかもう覚えてねぇ……。
思い出そうとしても思い出せないが、声が届く距離にもかかわらず女は話しかけて来ない。
そのため、クローはこちらを見つめ続ける女には関心を示さずに歩いた。
そして、すれ違う手前まで来た時。
クローは軽く頭を下げて通り過ぎようとした。
「クローでしょ?」
女は突然に話しかけてきた。
「はい?」
足を止めて答える。
「騎士になったんだって? 大したものじゃないの……私よ。覚えてない?」
相手はクローを知っているようだが、元々この村で暮らしていたのだから、そういう人が居るのも当然ではある。
「すみません。十年も前に村を出たもので……」
会釈を返し、クローは歩き去ろうとする。
「待って! 本当に覚えてないの?」
女は通り過ぎようとするクローの袖を掴んで言った。
「ええっと、すみませんが、どちら様でしたか?」
無礼な女にクローは微笑を浮かべながら丁寧に尋ねる。
「ラスルよ! ラースリン・リッケン」
勢い込むようにして女は名乗った。
クローの顔の右側だけが瞬間的に歪み、すぐに戻った。
「ん……リッケンさん、ですか。申し訳ありませんが、どうしても思い出せません。どういうご関係でしたっけ?」
クローは心から申し訳なさそうに言う。
「……そう。べ、別に大した関係は……無かった。懐かしくて声を掛けてしまっただけです」
女の顔に失望の色が広がり、袖を掴んでいた手を離した。
「そうですか。私も何となく見覚えがあるなとは思っていたのですが。では、失礼」
折り目正しく頭を下げると、クローは何の未練もなさそうな素振りで歩き去ろうとする。
「……騎士になったら、昔のことは全部忘れるのね……女誑しだったくせに……」
女は俯きながら呟くように言った。
女の言葉はクローの耳には届かなかったようで、クローは何の反応も見せていない。
「本当……ちょっと見ないうちに結構変わったものね」
そう言うと、女は俯き加減のまま睨むような目だけでクローを見上げていた。
女は、毛の先程の未練すら見せずに立ち去っていくクローの背中を暫く睨み続けていたが、小さな溜め息を吐くとさっきまでクローがいた河原の方へ向かう。
暫く歩き続けたクローは、そっと振り返った。
――リッケンだと? もうとっくにダージェスと結婚してマートランドになってる癖に、よく言うよ。ガキだってもう三人も居るって聞いたぞ……。いや、俺が聞いてるって事を知らなかったのかな?
・・・・・・・・・
慎重に慎重を重ね、クラーケンの体と氷が接触している場所を見繕って穴を掘ったので、穴から海水が飛び出してくることはなかった。
まぁ、飛び出してきたとしてもすぐに周囲の海面と同じ高さ程度に落ち着くだろうから実害はないだろうけど。
クラーケンにダメージを与えて殺したことで、兄貴には一七万というとんでもない量の経験値が入り、兄貴のレベルは一二に近い一一から一四へと一気に三レベルも上昇した。
まぁ、俺もクラーケンの死亡と同時に四二万くらいの経験値を得たことでレベルアップしたんだけど。
また、魔力量の低い従士にも二〇〇〇前後の経験値を稼がせてやることができたため、レベルが上った人もいた。
俺の戦闘奴隷を始めとする魔法が使えない者たちに経験を積ませられなかったのは残念だが、こればかりはどうしようもない。
弓とか撃ち込んでも碌なダメージは与えられそうもなかったからね。
尤も、地上のモンスターを殺しているので、彼らも一人あたり平均して一〇〇〇を超える経験値を得てはいるからそう悪くもない。
三レベルも上昇した兄貴は、体の変化に気がついただろうか?
尤も、伝説の怪物であるクラーケン(多分)を倒した興奮で従士たちと手を取り合って大喜びをしているから気がついてはいないだろうなぁ。
完全に死んだことを確認してから氷を掘り下げ、どうにかこうにか魔石を得ることもできた。
魔石は五つもあり、その価値は一つあたり二〇〇〇万程。
五つ全部を売るならば、末端価格で一〇億Zくらいだ。
おそらくはもっと高い値が付けられるだろうけど。
なお、烏賊の身はアンモニア臭がして食っても不味そうなので死体は放っておくしかない。
ゼットやベッキーが見たがるなら、明日にでも見せてやることは出来るしね。
そして、そろそろ帰ろうかという時。
兄貴の従士長でいずれ俺のもとに来る予定のショーンが皆を集めた。
「皆。ちょっと聞いてくれ。今日の事やクラーケンを倒したことについては黙ってろよ」
え?
俺が言おうと思ってたのに……。
でも、俺や兄貴ではなくショーンが言ってくれる方が……気を遣わせてしまったようだが、有り難いな。
※アーキテューティスはダイオウイカという意味で、ハヴグーヴァというのはクラーケンの旧名です。
読者の皆様。
今年も一年、応援ありがとうございました。
来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。




