第百八十四話 錦 2
7450年3月26日
楽しいひとときを過ごし、いい加減に子供たちが寝る時間になった。
今日は男性が風呂の日だったのだが、俺が来たということもあって、話が弾んで時間を忘れるほどだったために誰も風呂には行っていない。
ゼットとベッキーを寝かしつけるシャーニ義姉さんが戻るまで、俺は両親と兄貴と飲んでいた。
普段はあまり強い酒を口にすることのないお袋も、ミヅチが妊娠したと聞いて上機嫌で芋焼酎を楽しんでいる。
オースでは水割りを含めて蒸留酒を割って飲む事はあまり一般的ではないので、基本的にはロックかストレートで飲むのが普通だから、まだ一杯目とはいえアルコールの摂取量は多い。
子供たちを寝かしつけた義姉さんが戻った。
俺は改めて喋らせて欲しいと言って席から立つ。
「まず、お礼を。兄貴。いきなり来て好き勝手をほざいたにも拘らず、すぐに聞き届けてくれてありがとう。理由すら聞かれなかったのはちょっとびっくりしたけど、今から理由を話します」
ちょっと真面目な顔で話し出したからか、全員黙って聞き始めてくれた。
「実は今年の頭にドレスラー伯爵領……中部ダート地方で行われたデーバスへの侵攻作戦に加わった。その時はちょっとお手伝いをしたくらいなんだけど、それが上手くハマってくれてタンクールという村を陥落させることが出来た」
「おお! 大したものじゃないか!」
親父は赤くなった顔で喜んでくれた。
「うん、ありがとう。でもこの話にはまだまだ続きがあるからまずは一通り聞いて欲しいんだ……」
せっかく陥落させたタンクール村だが、俺がそこを離れてすぐにドラゴンの襲撃を受けたことで、多くの死者を出して放棄せざるを得なくなったこと。
しかし、国王陛下の命が下ったことで改めてドラゴン退治に赴き、首尾よく退治できたこと。
その後、勢いに乗ってタンクール以南にあるデーバスの村を二つ陥落させ、ほぼ完全にロンベルト王国の支配下に置けたことを話した。
兄貴や義姉さん、両親は手を叩いて大喜びをしてくれた。
それについては俺としても素直に嬉しく、また皆に褒められたことが誇らしかった。
「それで、来年の頭くらいにランセル、ドレスラー、エーラースの各伯爵領を頂戴できることになったんだ。勿論、三つの伯爵号もね。あと、ダート平原に駐屯する王国軍全ての指揮権も委任された。ついでに、侯爵を名乗ることについても陛下のご許可を頂戴出来た」
今度こそ、四人とも目を丸くして黙った。
爆発されてもあれなので、まだ続きがある、というジェスチャーをして話を進める。
「うん。今の西ダートと同じように、従士なんかは沢山必要になる。貴族もね。だから、本音を言えば兄貴や父さんにも移住して来て欲……」
「むぅ……しかしな、それじゃあ……」
「うん。ここはどうすんだって話だし、無理だよね」
「ああ、引退した親父はともかく、俺はここを動く訳にはいかん」
「俺だってやだぞ」
兄貴と親父は口を揃えて言った。
それはわかってる。
弟や息子の風下に立つのは嫌だ、という意味ではない。
曾祖父さんがウェブドス侯爵家から独立し、切り拓いたバークッド村。
有能な兄貴にはとても釣り合わない、ショボい領地という表現も出来るだろう。
だが、そんなバークッド村と言えど、開祖である曾祖父さん以降のグリード家が受け継いできた大切な、本当に大切な領地だ。
嘗て、兄貴はウェブドス騎士団に居続けても副団長になることすら難しいだろうと言っていた。
しかし、第一騎士団からスカウトされた実力は本物であり、もし仮に第一騎士団に転団していたとしたら、兄貴なら今頃は最悪でも中隊長だろうし、将来的には団長だって務まると思う。
兄貴なら、新たな男爵号と新たな領地を得るのも時間の問題でしかなかったろう。
その道を妹に譲り、兄貴は自らの出世よりバークッドの領主となって故郷を発展させる道を選んだのだ。
姉貴は今後も絶対に頭が上がらないであろうし、俺だってそんな兄貴の事は心から尊敬し、誇りに思っている。
それに、確かにゴムを発見し、最初にゴム製品を作り出したのは俺だが、その可能性を見い出して賭け、製造体制やらゴム園の開拓だのを決心し、基礎を作り上げて産業を起こしたのは親父とお袋だ。
それまでは領内で一、二を争う程に貧乏な村だった。
今日のような夕食なんか、誰かの結婚の宴くらいでしか口にしたこともないレベルだ。
資金は当然として、人材にも余裕なんかない。
そんな状況で村のリソースを投入するという決断は、想像を絶するほどに大変な勇気がいったろう。
それを引き継ぎ、更に拡大したのは完全に兄貴の手柄だ。
結果として領民は豊かになり、建物の増加具合から判断するに、人口も増やした。
俺のグリード商会の帳簿だと、昨年度のグリード家からの仕入額は三〇億Zを超えている。
まぁ、そのうち一〇億近くは新たな領土を得た俺が販売用とは別に領内で使うために買ったものだが、それにしてもとんでもない金額であることは確かだ。
鎧やサンダル、ブーツ、哺乳瓶だけでなく、クッション類も豊富な種類が作られているし、ゴム引き布も大量に作っている。
ゴム長やゴム手袋も地味に売れているし、コンドームなんか今では専用の製造ラインを構えて大量に出荷している。
文字通りの剣や槍の鞘も大変な人気商品で、オーダーメイドだけでなく各種サイズに落とし込んだ量産も開始したくらいだ。
兄貴の代で作られた新製品は他にも沢山ある。
例えば、落としても壊れないゴムの食器や水筒などは、特殊な草の汁を混ぜることに加え、材質の改善もあってゴム臭の軽減に成功したことで万単位の価格の癖に冒険者や飯屋を中心に飛ぶように売れている。
ボタンなんか、目の飛び出るような価格の貝殻から削り出したものか、量産できない木製のものしかなかったから、エボナイト製の物が出回るまでは大量生産なんかとても出来なかった。
喫煙具であるパイプの吸い口なんかもパイプメーカーがこぞって買いに来ているし、剣の柄に被せて使う軟質ゴム製のコンドームの出来損ないみたいな奴も、卸価格で一個五万Zもするのに僅か一月で三〇〇個も売れた。
加えて、ウォーターベッドやゴムボート、馬車のシートの芯材などのような大物はウェブドス商会を通じて全国に販売され、こちらも一〇億Zを超える売上だと聞いている。
今では村の人口の半分以上が何らかの形でゴム製品に関わっており、ゴム園以外の純粋な農業を行っている従士家は三家にまで減っているが、農業に牛馬を投入したことで耕作地面積も増えたうえに、省力化も実現した。
そのため、一般の農業に携わる人数が激減したにも拘わらず、収穫高は大幅に増加している。
ゴム園だって当初の数百本レベルではない。
今は四〇haもの面積が開拓され、樹液が採取出来る面積も既に一八haを超えている。
村の北側から北西にかけて広がっていた森はかなり切り拓かれ、数年後の主力ゴム園となるべく整備が進んでいる。
これらは全部兄貴が主導し、成功させたことだ。
転生した俺が言うのもなんだが、姉貴や俺と原材料が同じだとは思えない程の有能さだろ?
それ程のご領主様を領民たちから取り上げるなんて出来る訳がない。
ウェブドス侯爵だっていい顔をしないだろう。
何しろ、今では侯爵領の村ではナンバーワンの経済規模を誇り、小規模な街を追い越してドーリットの街に迫るまでになっているのだから。
ウェブドス侯爵からは兄貴に准男爵をすっ飛ばして男爵号を授与することを検討しているとまで聞いている。
それも、数年以内にだ。
「……だから、本音を言えば、って言ったじゃないか。無理な事だってのはわかってるよ」
兄貴や親父が無理なんだから、従士を一家族ってお願いだ。
「でも、さっきも言ったように、単純に言えば領地が今の四倍になる。だから、街や村を預ける貴族が足りないんだ。実は、昨日、ウェブドス侯爵にお目通りして、一五人ばかり見繕ってくれることになっているんだけど、それでも全然足りない」
「「……」」
両親と兄貴夫婦は黙って俺の言葉に耳を傾けてくれている。
「だから、恥を忍んで頼みに来たんだ」
「そういう訳か」
兄貴は手にしたカップから酒を一口飲んで言った。
「うん。それで、お願いしたいのは貴族として村を任せられるような一家を頼みたいんだけど、さっき説明したように今すぐでなくてもいい。五年後や一〇年後でも構わないんだ。最長二〇年は今の領主たちを置いてくれることになってるから極端な事を言えばそれまででありさえすれば……」
そう。本音を言えば最長二〇年迄は大丈夫なので、その頃にはとっくに成人し、結婚すらしているであろうゼットかベッキーがいい。
だが、兄貴は男爵を授爵する予定だという事を知ってしまった以上、ゼットかベッキーが欲しいなどという我儘は口が裂けても言えない。
何しろ兄貴の昇爵についてはまだ時期が未定だからと口止めされているのだから。
それはそうとして、男爵級の貴族には士爵が補佐に付くことが多い。
ウェブドス侯爵も男爵となった兄貴に「補佐のために士爵家を一つ興したい」と言われたら反対する理由もないだろう。
「そういう事ならゼットかベッキーを……」
そういった事情など知らない兄貴が言いかけるが俺はそれを制した。
「うん。それについては俺も考えなくもなかった。だけど、ゼットもベッキーもまだ幼い。年だって十一になった……」
「まだ十歳だ。九月で十一になるがな」
「あ、ああ。そうだね、ごめん。とにかく、ゼットにもベッキーにも今から押し付けたくはなかったんだ。勿論、将来的に彼らが希望する可能性もあるから席は空けておくつもりだけど」
俺がそう言うとシャーニ義姉さんが目礼を送ってくれた。
だけど、俺が勝手にやって、いや、やろうとしている事なので気にしないでほしい。
「……わかった。ならばショーンが適任だろう。デスダンも四〇を迎えてまだ男やもめだし、適当な女と結婚させてショーンの従士長にしてやればいい。時期についてもまだ余裕があるようだから、今のうちに奴隷の中から忠実な奴を従士にしておこう」
ショーンだって!? 兄貴はとんでもないことを言う。
何しろショーン・ティンバーは兄貴の従士長で、ティンバー家は長年グリード家に仕えてくれている忠実な従士一家でもある。
ゴムにこそ関わっていないが、今ではゴム園を除くバークッド村の農地のうち、当家に次いで広い面積を任されていると聞いている。
そんな重要な人物をくれるというのか……。
俺は姿勢を正すと兄貴に向けて腰を折った。
「ありがとうございます……ありがとうございます。お、俺は一生この恩を……」
「バカ。何度も言わせるなよ。こんなことで伯爵が士爵ごときに一々頭を下げるな」
「でも……」
「いいから飲め。ウチにとっては高い酒なんだから」
頭を上げると、兄貴は優しい顔で笑いながら秘蔵の酒瓶を突き出している。
親父やお袋、義姉さんも兄貴と同じように優しい顔をしていた。
テーブルにあったカップを取ると、残っていた中身を一息に飲み干した。
蒸留され、濃縮されたアルコールが俺の喉を灼きながら胃に流れ込む。
かろうじて咳き込まずに済んだ。
そして、空になったカップに新しい酒を注いでもらう。
「おう、いい飲みっぷりだ。ところでお前……その……なんだ。先月にまたドラゴンを倒したんだよな?」
「え? うん」
流石に先程話したような、さらりと触れた程度では足りないよな。
あ! お土産渡すの忘れてた!
「そうだね。ところで、今更なんだけどお土産があるんだ」
「お? なんだ?」
兄貴の目つきが探るようなものになる。
ドラゴンを倒したと言ったから、やっぱり期待していたのかも知れない。
食堂の隅に置いてあったサドルバックの片方を開け、中からドラゴンの鱗を入れたペンダントが入った袋と、乾麺が詰まった袋を取り出した。
「まずこれ。うちの領土で作った食べ物なんだけど……」
「何だそれ?」
親父が尋ねるので中身を少し取り出して見せた。
「これは?」
「そのまま食べるの?」
お袋と義姉さんが言う。
「そのままでは食べられないんだ。でも、この状態だと相当に日持ちがする。明日の朝みんなで食べよう。あ、料理は勿論俺がするよ」
塩胡椒は絶対にストックが有るし、ニンニクもあるだろう。
ベーコンやオリーブオイルもある筈だ。
唐辛子はグラナンでしか作られていない超高級な香辛料なのでないだろうが、もし入れたらゼットやベッキーには辛過ぎる食べ物になってしまうだろうからOKだ。
平べったくて固く、ちっとも美味そうに見えない乾麺を見て期待外れな顔をしている皆を見ながら笑った。
何にしても、ペペロンチーノもどきでも驚くほど美味いものを作ってやれる。
「それから、こっちは……その、気に入ってくれるといいんだけど……」
「お? それは……!」
「はい、これ。兄貴に」
「ひょっとしてこれ、ど、ドラゴンの鱗か?」
「うん」
兄貴に一番大きな鱗から作ったペンダントを贈った。
そして皆にも一つづつ手渡す。
「あら綺麗ね!」
お袋は嬉しそうな顔で受け取ってくれた。
「ええ、とっても。え? 私にもくれるの?」
義姉さんも明かりの魔道具にかざして光を当て、反射する煌めきにほころんでいる。
「ん? 俺にもか? いいのか? 貴重なものなんだろう……?」
親父もまんざらではなさそうな顔だ。
「ゼットとベッキーには明日渡すよ」
「アル、ありがとうな」
兄貴は子供の頃のように目を輝かせて、凄く嬉しそうだった。
やっぱり欲しかったんだろうな。
それはそうと、二人目の嫁さんを貰うこと、まだ話せていない。
なんとなく言い出しにくかったというものあるが、腹をくくるしかないな。
まぁ、オースでは重婚なんて良くあるから非難されるようなものでもないし、さらっと言っちまうか。
「あとね。もう一つ話しておかなきゃいけないことがあるんだ」
皆はニコニコしながら俺を見た。
「来年の春先なんで今頃か。結婚することになった。相手は陛下の娘さんでミマイルというんだけど……」
皆は一瞬だけ顔を見合わせると喜んでくれた。
よく考えたらシャーニ義姉さんの父親であるセンドーヘル・ウェブドス男爵は三人の奥さんを娶っていたんだった。
「うん。ダート平原の兵権や領地、爵位との替わりだね。それから、ついでという訳じゃないけど、王位継承権のある陛下のお孫さんと、中務尚書のお孫さん、内務尚書の姪御さんを暫くお預かりすることにもなった」
俺は、敢えて普通じゃない表現を使ってみたのだが、兄貴の目が鋭い光を発した事を見逃さなかった。
……流石だな。
・・・・・・・・・
一方、バフク村の領主の館。
時は同日、少し前の事である。
数人の男女が深刻な顔で額を突き合わせていた。
一人はこの村の領主であるラクロワ士爵。
一人は村の従士、マナドゥ。
そして、この村の出身者で、他領の騎士となったクロフト・バラディークとその妻のマリッサ・バラディークである。
「しかし、大人二人で一〇〇〇万とは、幾ら何でも高すぎやしませんか? だいたい、二人はもう四〇過ぎですよ」
クローが渋い顔で言った。
「嫌なら買わなくても……おっと、ご購入されなくてもこちらは一向に……」
従士のマナドゥは嫌らしい表情を貼り付かせて答える。
夕暮れ前からクローとマリーはクローの両親の購入交渉を行っていたのだ。
だが、交渉は難航していた。
ラクロワ士爵のとりなしで、当初マナドゥが提示した「二人で一五〇〇万Z」という価格はどうにか三割以上の値引きにまでなっていたが、マナドゥはそれ以上の値引きについて頑として首を縦に振らなかったのである。
『足元を見られてるわね』
『そうだな』
マリーとクローは小声で話すが、交渉は堂々巡りのままだ。
クローの両親の価格は相場なら二人合わせて二五〇から、せいぜい三〇〇万も付けられれば御の字だ。
何しろ働き盛りは過ぎているし、新たに子供を産ませて財産を増やすことも難しいのだから。
――しっかし、あのクローがな。ウェブドス騎士団に入ったってだけでも驚きなのに、正騎士に叙任されただけでなく、結婚までして他領に引き抜かれていたとは……。
ラクロワ士爵とて貴族であり領主である。
彼は、昼過ぎにバフク村に到着したクローから「家族を買いたい」と聞くと、素直に感心して、まずは家族だけで話ができるよう、持ち主のマナドゥに命じた。
なお、クローには二人の兄妹もいたが、双方とも何年も前に売却されており、売り物にならなかった両親だけが残されていたのだ。
だが、四人全員を買いたいと言ったクローの言葉から、最低でも相場通りの一〇〇〇万は用意されているだろうと踏んだのである。
ラクロワ士爵はマナドゥに対して「一〇〇〇は持っている筈だ」と言い、マナドゥはそれだけで彼の意図について正確に察した。
最初に一五〇〇万を吹っ掛け、一〇〇〇までは値引きするというシナリオについては、マナドゥからラクロワ士爵に提案し、認められていた、謂わば“出来レース”であった。




