第百八十三話 錦 1
7450年3月26日
朝食を済ませてビンス亭に戻ると、クローとマリーが来ていた。
朝の挨拶を交わし、今日からの予定を伝える。
「……という訳で、来週の火曜までにキールまで戻ってきてくれ」
バフク村へはキールから北西へと伸びる街道を進まなくてはならない。
キールからは片道一二〇㎞程度だと言われており、普通なら丸三日、徒歩が混じっていたのなら四日は覚悟しなければならない行程だ。
が、そよ風の蹄鉄があるので、その気になれば途中で少し休憩しても四時間もあれば充分だ。
道中の大部分は正規の街道からは外れた場所を行くだろうから、モンスターとの遭遇もあるだろうが、時速四〇㎞で移動し続けられる彼らに追いつけるモンスターなどまずいない。
ホーンドベアーだの狼だのは瞬間的にならそれ以上の速度を出せるだろうが、持続時間はせいぜいが一〇秒程度。
怖いのはホーンドベアーの咆哮くらいだが、それにしてもたった二頭に使ってくる可能性は極小だろう。
万が一、戦闘になっても彼らなら白兵戦でも勝てると思うし。
まぁ、咆哮くらっても落馬せずに無傷で着地できたら、という条件も必要だが、そんな事まで心配していたらそもそもジンダル半島を移動することなど出来はしない。
「わかりました。来週の火曜には必ずビンス亭まで戻ります」
「団長もお気をつけて」
二人はそう言うと何やら楽しそうに話しながら戻っていった。
それを見送った俺は役人どもと行政府に向かう。
「侯爵閣下にはすでに話をつけているから、そなたらは来週の月曜を目処に受け入れる貴族や従士についてこちらの役人と打ち合わせを行っておけ」
「は。受け入れる街や村についての情報はどの程度まで……」
「ああ、それな。どの程度と言っても、我々も中西部以東のダート地方についての詳細は疎か、実情までは知らんからな。今わかってる範囲については、向こうが要求するなら知る限り提供して構わん。何にしても、今回の打ち合わせでは何も決定しない。大体のリストを作成し、今後の資料にするためなんだから」
「了解いたしました」
とかなんとか話しているうちに行政府に到着した。
迎えに出たウェブドス侯爵に改めてお礼と挨拶を述べ、用意されていた会議室に通される。
今回の打ち合わせの趣旨について、侯爵から簡単に説明がなされ、あとは現場の人間に任せると侯爵と共に会議室を後にした。
「では、閣下。お打ち合わせについては何卒宜しくお願い申し上げます」
行政府の玄関口で丁寧に侯爵に頭を下げる。
「ええ。まずはリストを作り、我々もそのリストを元に各領主に説明することに致します。こちらの要望については出来るだけ早く取りまとめ、ご連絡致しますので……」
侯爵も俺に負けず劣らず、丁寧に頭を下げた。
そんな俺たちの様子は、しっかりと何人かの目に映っていたことだろう。
ビンス亭に戻ると戦闘奴隷たちがすっかり用意を整えて待っていた。
俺のウラヌスも引き出されて馬具が取り付けてある。
「着替えてくるからもう少しだけ待っててくれ」
奴隷たちをそのまま待たせ、俺は部屋に戻ると急いで着替える。
今まで着ていた上等な服は丁寧に折りたたみ、袋に入れた。
これは、バークッドまで持っていくのでウラヌスのサドルバッグに収納する。
そして、家から持ってきた袋の口を開けて中を検める。
中には小さな穴が空いた、一見すると何の変哲もない小さな鉄の板が何枚も入っている。
ま、お土産なんだけどね。
さて、準備は整った。
行くとするか。
・・・・・・・・・
夕暮れの紅に染まった太陽光線が地面に長い影を作り始めた頃。
バークッドの農地まであと僅かの地点に到着した。
途中、ゴブリンやホブゴブリンの集団は幾つか見かけたが、こちらが五騎だと見て取ると全てがさっさと逃げ出したので戦闘は発生しなかった。
出発当初は飛ぶように駆ける馬の速さに興奮していた奴隷たちだが、既に無駄口を叩かなくなって久しい。
何しろ午前中から時速四〇㎞で走り詰めである。
午前九時前にキールを発って、今の時刻は一六時を少し過ぎている。
キールからバークッドまで、グィネの地図によると道沿いに二三〇㎞あまり。
路面も悪いし、本来ならたっぷり一週間以上も掛かる距離なのだ。
勿論、俺たちは途中でショートカットもしているから行程自体はもう少し短いだろう。
それにしても、僅かな休憩を何度か挟むのみで丸一日、全速力で軍馬を駆けさせれば誰だってこうなる。
馬車よりずっと疲れるしね。
俺も相当に疲れ、汗や埃に塗れている。
だが、俺は侯爵に陞爵予定の大貴族。
猛スピードで森や藪を走り抜けた汚れた衣服のまま故郷に顔を出す訳にはゆかぬ。
ここで上等な服に着替えるのだ。
何しろ、伯爵に叙せられて以来、初めての里帰り。
故郷に錦を飾るのであるからして、相応しい服装というものがある。
優雅に水面を進む白鳥が水面下では必死に足を動かしているのと同じく、見える部分だけでも格好をつけなくてはならない。
とか言ってみたけど、全員物凄く汚れているから着替えるのは当たり前なんだよね。
未だ三月の寒空だが、奴隷たちも一度素っ裸にさせて頭からお湯をぶっかけて汗と汚れを落としてから、それなりの服に着替えさせ、馬にも軽くブラシを当てる。
リンビーが不満そうな顔をしていたが、そんなもん知らんし、興味もない。
その証拠にルビーやジェス、マールも脇目も振らずに俺が振りまくシャワーで汗を流し、乾かしてやると急いで服を身に着けていたし。
そして、俺は土産袋の中身に魔法を掛ける。
当然、金属ガラス化の魔術だ。
うん。お土産は先日倒したブルードラゴンの鱗なんだ。
以前、ゼットとベッキーにシャドウドラゴンの鱗をやった時、兄貴が物欲しそうな目で見ていたから、今回はそれなりの数を用意してきたんだよね。
前回同様、長径一㎝程度の小さな鱗を桜の花みたいに並べた小さなものが大半だけど、兄貴にだけは長径三㎝程の大きな一枚ものを用意してある。
ああ、当然と言えば当然だけど、土産は他にもある。
やっと完成形に近づいた乾麺なんだけどね。
今回はそれを全員の荷物に振り分けて四〇kgも持ってきている。
全ての用意が整ったので、再び全員で騎乗し直すと村に向かって歩き出した。
・・・・・・・・・
既に辺りは急速に暗くなり始めている。
村の南側に広がっている耕作地にも農奴の姿は殆ど見られず、居ても片付けの終わった農具を背負って家路に就いている者だけだ。
俺たちの姿を遠目にして貴族らしいと理解したのか、慌ててその場で頭を下げているのが見える。
貴族は貴族でも、皆さんよくご存知のアルさんですよ。
耕作地のど真ん中を縦断する道をポクポクという足音を響かせながら俺たちは家を目指す。
そしてついに村の中心部、比較的家屋が密集する辺りに差し掛かった。
中心部と言っても、家々が数軒立ち並ぶ程度……結構増えてるな、おい。
しかも、あれは厩舎か!?
新しい家や厩舎らしき建物が何軒か増えている。
いや、古かった筈の建物も大規模な修繕の跡が見られたり、物によっては建て直されてもいるようだ。
……変われば変わるものだなぁ。
そして、この辺りで気がついた者たちの注目を集めた。
「……あ、アル様!?」
「え!? 本当だ、アル様! お帰りなさいまし!」
あれは、ラーダンとトマスンか。
彼らはエルフの従士、ミッケンスが家長のエクロタロン家の奴隷だ。
「よう、元気か?」
ニヤリと笑って声を掛けると、どんどんと人が集まってきた。
「伯爵様になられたそうで、おめでとうございます!」
「そうだった。し、失礼しました!」
「騎士様もお連れになられて……」
うひゃははは! これよ、これこれ!
前回、ミヅチを伴っての里帰りの時以上の歓迎っぷりに顔が緩む。
だがな、道を開けてくれ。
これじゃうちに向かえないじゃないかね?
ルビーやジェスたちも無礼だが親しげに話しかけてくる村人たちやその周囲に鋭い視線だけは送っているが、少し紅潮して鼻が膨らんでいる。
尤も、予め俺に言い含められていた事もあってか槍に手を伸ばすような素振りはない。
護衛対象であるご主人様を守らねばならないが、ここはそのご主人様の出身地。
加えて騎士と呼ばれた事が嬉しいようだ。
「皆、すまないがそろそろ道を開けてくれ。兄上と父上に挨拶をしたいんだ」
俺がそう言うと前を開け、揃って頭を垂れてくれた。
意気揚々と家に向かって歩き出すが、俺の顔は家との距離が縮まるにつれ、引き締まっていく。
家の門に到着した頃には、緩いところは欠片も残っていなかった。
厳しい顔をしたまま馬を降りてあたりを見回す。
母屋を始め、家やその他の建物は前回来た時から殆ど変わっていないように見える。
今だともう結構稼いでいる筈なのにな……。
戦闘奴隷たちも全員が馬から降り、俺と距離を詰めてきた。
……右手に手綱を握ったまま地面に左膝をつき、右膝を立てる。
左拳は握って地面を突くように立てた。
奴隷たちも俺と同じ姿勢になった。
それを確認して、思い切り息を吸い込むと、怒鳴るように腹から声を出す。
「バークッド村ご領主、ファンスターン・グリード閣下! お願いの儀があり弟のアレインが参りました! どうかお会い下さいませ!」
そのまま姿勢を崩すことなく、待つ。
すぐに母屋の戸が開く音がして誰かが出てきたのがわかる。
だが、まだ顔は上げず、地面を見つめたままでいた。
「アル様?」
「アル?」
二人の声がする。
敬称を付けていないのは母さんか?
「アルか?」
これは兄貴の声だ。
「はい。アレインです。お忙しい折に急な訪問、誠にご迷惑でしょうが私の話を……」
「今から晩飯だって時に怒鳴る奴がいるから誰かと思ったらお前か」
「は。お寛ぎのところをお騒がせ致しまして誠に……」
「おいおい、伯爵閣下が士爵ごときに何畏まってるんだ。いいから立て……いや、お立ち下さい」
俺の様子がおかしい事に気づいたらしく、兄貴は途中から口調が変わった。
だが、今立ち上がる訳にはいかない。
「いえ、まずはこのまま話をさせて頂きたく存じます」
「……」
兄貴も、一緒に立っているだろうお袋や誰か――今思い出したが、メイドのパーシャだろう――も黙ったままだ。
俺はそれを了と解釈し、言葉を継ぐ。
「グリード閣下。どうしてもお聞き届け頂きたいお願いがございます。バークッド村の従士家を一家族、お譲り下さい」
「ええっ?」
兄貴は思わず、という感じで声を上げたが俺が言っていることを考慮すれば無理もない。
「つい先日、リョーグ家を従士として頂戴したばかりにも拘らず、またもこのようなお願い、誠に汗顔の至りですが……どうかお願い申し上げます」
「…………分かりました。お顔をお上げ下さい」
「は」
ここでやっと顔を上げ、兄貴の下半身を視界に収めた。
「伯爵閣下のお願いについては何とか致します……」
「あ、ありがとうございます!」
理由すら聞かれなかったのは少し意外だが、その心遣いが有難かった。
「お立ち下さい」
「はい」
立ち上がって兄貴の顔を見ると、少し難しい顔をしていた。
連絡もせずいきなりやってきたうえ、他人行儀に畏まって突拍子もない願いを口にした弟にはしかめっ面にもなるよなぁ。
「むさ苦しい屋敷ですがどうぞお入り下さい。人選をしましょう。それと、お連れ……願いは聞き届けるからもういいだろう?」
俺が笑顔になったことに気づいたのか、兄貴の口調と態度もくだけたものになる。
「……うん。ごめん、驚かせて」
でも、無茶なお願いをしているという自覚もあるし、俺にしてみれば必要な儀式だった。
土産を渡したり、領地がでかくなって侯爵になるとか言う前に、頭を下げてお願いし、返事を聞いておきたかった。
今のように他人行儀で鯱張った言い方をすれば、兄貴も貴族として応対してくれるだろう、と考えていたんだ。
「パーシャ。彼らを……えーっと、フリントゲールとドンネオルの所に案内しろ。それから、今日はもう帰っていいぞ」
兄貴は俺の戦闘奴隷たちの宿になる従士を選定すると、メイドにそこまで案内しろと命じた。
「ありがとう。助かるよ」
「うん。わかったから馬を繋いで家に入れ。詳しく聞かせてくれるんだろ?」
「ああ、一番手前でいい? あ、母さん、ただいま」
俺が立ち上がった時は微妙な顔をしていたお袋も安心したような笑顔を浮かべていた。
・・・・・・・・・
居間と兼用の食堂に入ると、親父とシャーニ義姉さん、それにゼットとベッキーが食卓に就いていた。
そういえば、外にいた時は見慣れた光が漏れていたために見落としていたが、食堂は俺の記憶にあったそれよりもやけに明るいことに気がつく。
明かりの魔道具が灯されていた!
家はそのままだが、確かに生活レベルは改善されている!
因みに、食事する少し前だったようで、食卓には中途半端に配膳がされている。
なお、お袋は俺達と一緒に食堂に入ることはせず、台所の方に向かった。
「パーシャは今日はもう帰らせたから、シャーニ、用意を頼む」
そう言って義姉さんに配膳を引き継ぐように言った兄貴の後ろからひょっこりと顔を覗かせる。
あれだけでかい声で怒鳴ったからか、俺が来たことは知っていたようで、俺の顔を見た親父はゆっくりと頷いてくれた。
「ただいま」
「ああ、お帰り。お前一人か? ミヅチさんは一緒じゃないのか?」
「ん、ちょっとね。今回は俺一人なんだ」
「それはいいが、どうしたんだ一体?」
「うん。騒がせてごめん。義姉さんが戻ったら話すよ」
そう答える俺だが、義姉さんの顔を見るのは少しばかり勇気がいる。
だって、家族団欒の時間が始まる直前、突然に義弟が現れて怒鳴り声を上げたのだ。
当然、その分の夕食の用意なんかしていないだろうし、かつては一緒に生活をし、可愛がってくれていたとは言え、何年も離れてりゃもう殆ど他人に近い存在だとも言えるだろう。
迷惑この上ないよな。
それでも義姉さんが台所から戻ったら、勇気を振り絞って声を掛けなくては。
ゼットとベッキーに「久しぶりだな、おい。元気にしてたか?」とか声を掛けながら義姉さんを待つ。
しかし、義姉さんは疎か、お袋も中々戻ってこない。
「おーい、シャーニ。どうした?」
兄貴が台所に向かって声を掛けた。
「もうちょっと待って」
義姉さんが返事をする。その声音には腹が立っているとか迷惑だとかいう気持ちは感じられない。少しホッとした。
「……ベッキー、運ぶのを手伝って!」
「はーい」
義姉さんに呼ばれてベッキーが居間から駆け出した。
「これ、走らないの!」
「ごめんなさい」
「零さないようにね」
木製の鍋敷きに鍋を乗せたままベッキーが戻ってきた。
運ぶ途中でちらりと中を見ると中身は麦粥だった。
だが、俺が家にいた頃より少し豪華になっているらしく、素のポリッジではないようだ。
卵やベーコンらしきものが混ざっている。
「ゼット、ぼうっとしてないで叔父さんの椅子を持ってきなさい……ったく、気が利かないな」
兄貴はゼットに俺の椅子を用意するように言いつけている。
お袋が幾つも重ねたお椀や匙を持って入ってきたが、それらをテーブルに乗せるとすぐに「ベッキー、まだスープがあるからそれも持ってきて」と言って台所に戻ってしまった。
ベッキーはまた台所へ走り、義姉さんに叱られている。
そうこうしているうちに、食卓にはスープとポリッジの鍋のほか、切り分けられた白毛鹿の焼き肉が並べられた。
義姉さんは焼いた肉を切り分けていたのだろう。
今日は豪華な……いや、これが普段の食卓になったと考えるべきか。
とにかくこれで全員が食卓に揃った。
「あの……シャーニ義姉さん。その、突然帰ってきて申し訳ありません」
返事が冷たい声だったらどうしよう?
俺も伯爵になっているし、ウェブドス侯爵家出身の義姉さんなら、万が一にもそんな対応をされる筈はないと分かってはいても、どうしても心配になってしまう。
「何言ってるの。ここは貴方の家でもあるんだから遠慮なんかしないで」
やはり義姉さんは温かい声で、微笑みながら返事をしてくれた。
「はい……」
ホッとした……そして一体何について不安に思っていたのかを理解した。
要するに、他の人とは違って義姉さんには嫌われたくない、というだけだったんだ。
「あの、食事の前に一言だけ」
言うことは幾つもあるが、とにかく、まずはこれだ。
皆は改めて俺に注目した。
「えっと、ミヅチが妊娠しました」
「何だって? 本当か!?」
親父が快哉を叫ぶのを皮切りに、食卓は歓声に包まれる。
「よ、良かったわね」
お袋は涙ぐみ、
「おめでとう! これでお前も親父だな!」
兄貴が酒を取りに行く。
そして、
「ゼット、ベッキー。従兄弟が出来るのよ!」
義姉さんも両隣に座るゼットとベッキーを抱きしめて喜んでくれた。
ゼットとベッキーは、ようやっとミヅチがいない理由について理解してくれたようだ。
何しろ「ミヅチさんは?」「なんでいないの?」と聞かれてもはっきりと理由が言えなかったからね。
「ははは。これを見ろ、ウムリーツだ! 遂にこいつを開けるぞ!」
酒瓶を抱えて兄貴が戻ってきた。
因みにウムリーツってのは俺でも知っているくらい有名な高級酒造メーカーの名前だ。
王都の外れで高品質な蒸留酒を作っているが、芋ベースなので独特の芳香が特徴的なため、ゼノムは嫌っている。だけどラルファとグィネはここの芋焼酎には目が無い。
そして食事は賑やかな雰囲気で始まった。
今回の話の後半部分は明日アップします(多分)。




