第百七十四話 成長した顔
7450年3月14日
「じゃあ、景気付けに一杯飲って行くか」
緑色団のリーダー、精人族のバースは、いつも通り迷宮探索から戻った足でムローワという食堂兼飲み屋が出店する屋台へと足を向けた。
彼の後に仲間たちも笑顔でゾロゾロと付いてくる。
笑顔なのは今回の迷宮行で非常に大きな稼ぎを得られた為だ。
「ひゃあ! いい匂いだねぇ!」
「おう姉ちゃん、チレ入りくれ」
「俺は粗挽き」
「あたし、カゾット入り」
バースもメンバー達に混じって一本購入し、更に全員の分のビール代として銀朱を渡す。
飲み物は店の売り子があとで持って来てくれる。
熱々のバルドゥッキーの串焼きを右手に、バースは屋台から少し離れた小さなテーブルに向かう。
このテーブルは、今では緑色団専用のようになっているが、金を払って貸し切りにしている訳でもないので彼らがいない時には別の客が使っている。
テーブルに居たのは彼らよりも少し前に迷宮から戻っていたらしい三流の冒険者パーティーだが、彼らの姿を認めると同時に片付け始めていたようで、席は丁度空こうとするところだった。
端の椅子に腰を掛けながら、手にした串焼きを一口齧る。
脂の滴る皮が弾けるようにプツリと口の中で音を立て、口中に広がる香ばしい薫香と丁寧に挽かれた芳醇な肉汁とを楽しむ。
――旨い!
売り子が木製のジョッキを持ってきた。
受け取るとすぐに呷る。
フルーティーな香りがして苦味が少ないエールは、脂を洗い流すように喉を滑り落ちてゆく。
彼はこの瞬間が好きだった。
大きな解放感に包まれ、知らず笑みを浮かべるほどだ。
自分と仲間たちの生命を脅かす危機を考える必要もなくなり、全てから解放された気がして何となくホッとするのだ。
――しっかし、リーダーってなぁ、収入も多いが責任もな……。ロベルト、あんたもこんな気持ちだったのか……?
僅かに茜色に染まり始める空を見上げ、嘗てのリーダーを思う。
――なんとかかんとか、今回も無事に戻ってこれたが……俺、上手くやれてんのかね?
彼自身は気が付いていないが、迷宮上がりの一杯は彼に取って精神を切り替えるための非常に大切な時間になっていた。
メンバー達も三々五々、バルドゥッキーを片手にテーブルに着き始めた。
「あ、バースさん。殺戮者が来てますぜ」
隣のテーブルに居た、顔しか知らないどこかの若手冒険者がバースに話しかけてきた。
――サージか……そう言えば少し前からあいつらもフルメンバーになってたな。
そう思いながらも、バースはお気に入りの時間を邪魔をされた気がして若い冒険者を睨みつけた。
だが若い冒険者は、バルドゥックのトップチームのリーダーが自分の事を覚えてくれていたと勘違いしたのか、再び口を開く。
「グリード伯爵とズールーがあっちで……」
彼が全部言い終わらないうちにバースが立ち上がったので、若い冒険者は驚いて口を噤んだ。
――グリー、いや、リーグル伯爵が来てるだと!?
椅子から立ち上がったバースは広場の隅に旧知の顔を見つけた。
――あそこか。
彼らは大型の馬車の荷台に並んで腰掛け、彼が手にするそれよりも大分小さなバルドゥッキーを仲良く齧っていた。
少し迷ったあと、バースは食べかけの串焼きを咥えると椅子の脇に立て掛けていた盾のベルトに左腕を通してハンドルを握り、右手にはまだ半分程度中身が残っているジョッキを持つ。
この盾は昨年末に購入して以来、肌身離さず持ち歩いている超高級な逸品である。
バルドゥックの街で超一流と謳われる冒険者と言えど、屋外で装備品や荷物を手放す訳には行かない。
彼らを狙うような、物を知らない馬鹿なこそ泥はどんな場所にも湧いてくると言うことをよく知っているからだ。
――二人揃って、何してやがんだ? ……ああ、サージ達の戻りを待っているのか。
伯爵とその戦闘奴隷もこちらに気がついたようだ。
バースは口に咥えたままのバルドゥッキーを落とさないよう、そして、手に持ったジョッキから中身を零さないように、注意して歩く。
また迷宮から有名な冒険者パーティーが帰還してきたようだ。
ちらりとそちらを見やって、殺戮者ではないことを確認すると、バースは目的地に視線を戻した。
伯爵達も帰還したパーティーを見ていたようだが、バースと同様にすぐに興味を失ってこちらを見ながら何事か言葉を交わしている。
伯爵達が座っている馬車の荷台にジョッキを置き、その手でバルドゥッキーの串を持つと一口食べてから口を開いた。
伯爵達はきょとんとした顔をしながらも小さいバルドゥッキーを食べ続けるのを止めていない。
「よう、伯爵閣下。……三ヶ月ぶりか」
馬車の荷台に座っているとはいえ、伯爵達の目線は立っているバースよりは少し低い。
見る間に伯爵の戦闘奴隷の目に不満そうな光が灯る。
「おっと、こりゃ失礼」
バースは再び串を咥えると、荷台からジョッキを取り、その場の地面にあぐらをかくように座った。
左手は盾をあぐらの上に置くようにしてハンドルだけ離し、空いた手にバルドゥッキーの串を持つと、右手でジョッキを掴んでぐびりとやる。
「んグッ……バースさん……今回はまた、随分とお稼ぎになられたようで……重畳な事ですね」
伯爵は急いで口の中の物を飲み込んで返事をした。
「あぁ、まぁ……な。大怪我をした奴も出なかったし今回は運が良かった。……そんな事より、聞いた時ぁ、腰抜かすほど驚いたぜ。あの矮人族の姉ちゃんが貴族への鍵だったとはな……」
少しばかり口惜しそうに言うバースの言葉を聞いて、伯爵の表情は一瞬だけ強ばるように動いた。
バースはそれを見逃さない。
――やはりあの話は本当だったか。ブラック・トパーズの連中が少ぅし羨ましいぜ。
バースは少し前にこの街から姿を消したトップチームの一つ、黒黄玉と呼ばれていた冒険者パーティーの事を考える。
黒黄玉は、その全員がある日突然にこの街から忽然と消えた。
当時は迷宮内で全滅したというものから借金取りに追われて夜逃げしたというものまで、色々な憶測がバルドゥック中で囁かれた。
そんな中でただ一人、バースだけが何を聞いても得心が行かなかった。
あいつらが全滅? 一度全滅し掛けた事もあるのにまた? あの女がそんなドジ踏むようなタマかってんだ。
それを考えりゃ、夜逃げの方がまだ理解できる。
とは言え、俺に何も言わずに消えるってのはおかしい……。
そんな折、とある場所で知人を見かけた。
黒黄玉のリーダー、アンダーセン准爵が所有していた奴隷、ゾフィーだ。
元々、ゾフィーの持ち主は先代の緑色団のリーダーであった。
その関係もあって、バースはゾフィーの事をよく知っている。
古くからの知り合いと言っても良いだろう。
だが、見かけた場所を考えて得心が行く。
ロンスライルの店、という奴隷商店だったのだ。
話を聞くと、ゾフィーは少し前にアンダーセンによって奴隷から解放され、自由民としてこの店に雇われていた。
店の在庫品である奴隷達の食事を作ったりする仕事だという。
当然、バースは黒黄玉やアンダーセンがどうしているのかについても尋ねた。
言葉少なに語る話をまとめると、黒黄玉が最後に受け入れたノームの女冒険者が全ての鍵だったという。
要するに、彼女が選んだパーティーに貴族位を与える、という事になっていたというものだ。
これを聞いて、漸くバースは得心がいった。
バースは「あのノームの女は元々グリード伯爵の手の者で、伯爵が必要な人材を選別、収集するためにバルドゥックに遣わされた」と考えたのだ。
だが、実はこの話には裏があった。
ゾフィーを解放するに当たり、アンダーセンは「貴女の前のご主人様とその仲間達に少しでも思い入れがあるなら、別に止めやしないから自分が思ったことは正直に言ったほうがいいわ」と言っていた。
勿論、アンダーセンは全ての情報をゾフィーに与えていた訳ではない。
むしろ与える、聞かせる情報については厳選し、意図的に伝えていない事柄も多い。
ゾフィーとしては、僅かに知り得た情報からの推測を述べたに過ぎなかった。
「貴族への切符? 何のこと……」
「いいっていいって。今更ゴチャゴチャ言う気はねぇし」
伯爵の言葉を遮って、バースは笑った。
しかし、またもや伯爵の戦闘奴隷が面白くなさそうな顔をしたので口を噤む。
――たはは。やりにくいね、なんとも。
バースは長年一流の冒険者として持て囃され、尊敬の眼差しを受けて過ごしてきた上に田舎の平民出身ということもあってか、謙った喋り方や態度は少し苦手である。
だが、バカではないので苦手を克服する気もあるし、事実として努力もしているが、如何せん生来の気質が覗いてしまうのは既に三十路を超え、頭が固くなっているからであろうか。
ともあれ、リーダーとしてメンバーの収入や生活を守るための責任は感じている。
どんな人脈も伝手も、いつ大事なものになるか分らない以上、改めるべきは改めねばならない。
「あー。俺が悪かったことは解ってるからそんな怖い顔をしないでくれ」
戦闘奴隷に言うと、伯爵にも頭を下げて「私の態度が悪かったことについてお詫び致します。閣下、申し訳ありませんでした。どうかご容赦下さい」と丁寧に言った。
「ん、へふに気にひてあいれふよ」
そもそも、バースのことなど最初から眼中にもなかったかのような顔と態度で、伯爵は言葉を返す。
――舐められたもんだな……。
もぐもぐとバルドゥッキーを食べながら答える伯爵を見上げて引きつった笑みを浮かべ、バースはエールを飲んだ。
――ま、選ばれなかった以上、それもしゃあない。
「ところで、話を戻すようで恐縮ですが、ブラック・トパーズの連中は元気ですか?」
「ええ。先日会った時は全員元気そうでしたよ。アンダーセンさんもダスモーグの太守としてやり甲斐を感じて……」
伯爵としてはバルドゥックでの黒黄玉の失踪劇を知らないため、バースは事情を知っているものと思ってごく普通の調子で答えた。
――太守だって!? ってことは士爵なんてケチなもんじゃねぇ。流石に領土持ちの上級貴族って事はないみたいだし、女爵か准女爵ってことか? やはり……。
喋っているうちにバースの目の色が変わった事に気付いた伯爵は話題を変えることにした。
「それはそうと、何か勘違いがあるようなので訂正しますが、私が紹介した女性は……彼女には特に何も言いつけてはおりませんよ」
その時、またどこかの冒険者パーティーが地上に戻ってきた。
伯爵もバースも視線を動かす。
「……っと失礼。ズールー、戻ってきたようだ。呼んで来い」
戻ったのは殺戮者だった。
「スローターズが戻りましたか。では、私はこれで。そうそう、何かの折に思い出して頂ければ嬉しいです。ですが、我々は九人いることもお忘れなきよう……」
頃合いを悟ったバースはそれだけ言うと、残っていたエールを飲み干し、そこに食べ終わった串を入れて立ち去った。
・・・・・・・・・
――バースさん。なんか変だったな。仕官でもしたがっているように見えたけど……。
去っていくバースの後ろ姿を見て、彼の考えに思いを巡らすが、それも数秒。
「アルさん!」
バストラルの声に振り向くと、右手を上げて応えた。
バストラルは戦闘奴隷たちを従えて小走りに駆け寄ってくる。
僅かに遅れて三人の男女が付いてきた。
その後ろをちっとも面白くなさそうな顔つきをしたズールーが歩いている。
串に残っていた一㎝くらいのバルドゥッキーを口に入れた頃、バストラルと俺の戦闘奴隷たちが馬車の前にやってきて跪く。
「おふはれはん……全員無事でなによりだな」
手に持った串をゴミ袋に入れて、俺も荷台から降りた。
「あの、アルさん。フィオさんが……」
うん。
俺に跪きはしなかったものの、フィオと彼が連れてきたという女性二人も到着し奴隷達の後ろで立っている。
いきなり失踪してから数年。
一〇代の子供らしさが抜け、少しばかり角ばって成長を感じさせる大人の顔になったフィオは謹厳な表情で俺を見ている。
女二人は……話に聞いていた通り、普人族と虎人族……グレース・ヒーロスコルだって!?
け、結婚してやがったのか。
表情を動かさなかった事について自分で自分を褒めてやりたい。
「ヴァスル、お前たちはあっちで適当にやってろ」
そう言っておっさんの戦闘奴隷に銀貨を渡すとこの場から追い払った。
それと同時に去年の年末に王都組戦闘奴隷の中で小頭に任命したのはヴァスルのおっさんではなくて、コースンという姉ちゃんだった事を思い出し、小さな苦笑を漏らしてしまった。
ま、いっか。
そのうち俺も慣れるだろ。
嬉しそうな顔でムローワの屋台に向かう戦闘奴隷たちを見送って、ゆっくりとフィオの顔を見た。
安物らしい革製の兜を脱いだ頭は短く刈られた頭髪が逆立つようにピンピンと立っている。
顔つきは引き締まり、目には鋭い光を宿している。
が、僅かでも俺に不正があろうものなら絶対に見逃さないとでもいうような勁烈な目つきはすっかり鳴りを潜め、謹厳さを保とうとする顔には恥ずかしがって照れているような表情を覗かせていた。
固有技能の【根性】のレベルは八に達し、肉体レベルは……一五か。
確かとんずらした当時は二桁になったかどうかという所だった筈で、それを考えると迷宮にいた訳でもないのにとんでもなく大量の経験値を得ている。
頑張りが忍ばれるねぇ。
『久しぶりですな……』
俺が口を開く前に、フィオの方から声を掛けてきた。
日本語かよ。そこは相変わらずなのか?
「お久しぶりですね。そちらは?」
フィオが独りなら付き合ったかもしれないが、三人も居たのなら普段から日本語で会話も出来ていただろうし、付き合わねーよ。
どこに耳があるのか判ったもんじゃねーしな。
「こちらはエセル……」
今度こそ完全に顔を赤くしてフィオは紹介を始めた。
「エセル・カニンガムです。カンビットから来ました」
少し訛りのある調子でヒュームの女は名乗った。
……レベル一一。固有技能は【重力操作】、レベルは七ね。
「初めまして。リーグル伯爵アレイン・グリードと申します」
にこやかに微笑んで一歩進み出てきた彼女に右手を差し出す。
エセルは俺の手を握り返すとすぐに手を離し、甲を俺に向ける。
「ステータスオープン」
そう言ってすぐに俺も手をひっくり返して甲を出す。
勿論、ステータスオープンの内容なんか碌に見ちゃいない。
エセルは俺のステータスを見るとすぐに手を離して一歩下がる。
「ええと、その、こちらはグレ……」
もう一人のタイガーマンの女を紹介しようと、フィオは口を開きかけるが、タイガーマンはエセルと交代するように進み出てきて右手を差し出してきた。
「初めまして、閣下。グレース・ヒーロスコルです。ええ、フィオの妻です」
なんかどっかで聞いた言葉のような……。
バストラルが可笑しそうに笑っているのを横目に俺もグレースの手を握り、ステータスを検める。
既に鑑定済みだが、彼女のレベルは一二。固有技能は【耐性(精神異常)】だ。
エセルもそうだが、フィオと一緒に相当な経験を積んでいると見える。
「そうですか。ご結婚されていたんですね」
嫁探しの旅でもしてたんか?
そういや、あんた、ミヅチのケツに熱心な視線を送っていたこともあったよな。
グレースも引き締まった良い体つきをしているが、タイガーマンだけに骨太な印象は否めない。
プロポーションはエルフであるミヅチの方がいいだろ?
「そ、その……まぁ……」
しどろもどろと言葉に詰まるフィオ。
結婚した事自体は別に恥ずかしくなんかないのに、変な人だね。
ま、いいけど。
「フィオさんは農奴だったグレースを奴隷階級から解放するだけじゃなくて、平民にするために結婚したんですって。その後、離婚して彼女の好きな人生を送らせようと考えていたらしいですけどね。ふふ、どうだか」
エセルが解説を入れてくれた。
ってことは、彼女は二人が結婚した後で合流したのか。
「ま、半分押し掛けたようなものだけど。この人は結婚した翌日に私を捨てて修行の旅に出ようと……」
「おい、捨てるってなんだ!?」
「村から出たこともない私を一人きりにしようって言うんだから似たようなものでしょ? それはそうと、伯爵閣下。その時にフィオは貴方の事を言っていました。必ず力になって、助けてくれる筈だって……」
……ったく。ここで、お貴族様の眼の前で夫婦喧嘩なんか始めんなよ。
犬も食わねぇわ。
しかし、そうか。
農奴階級であったグレースを平民にするために結婚をね……。
金があっても単に解放しただけだと自由民。
だけど平民である自分の妻にすれば平民になれる。
俺が一人旅をしていた頃、彼女に出会ったとして、買い取って解放するくらいは金さえあればしただろうが……貴族ではなく平民だったとしても果たして俺にそこまで出来ただろうか。




