第百六十九話 風の吹くまま
7450年3月10日
早朝。
今日は濃い朝靄が立ち込める嫌な感じの日だ。
俺はダスモーグの街で最上級の宿の前にいた。
「んじゃ行ってくる」
出発の挨拶を述べると、俺はミヅチにキスをしてウラヌスの鐙に足を掛けた。
ドラゴン退治を完了した報告のため、これからまた王都に行かなければならない。
随伴者は、真っ青なドラゴンの頭部やら王国貴族の遺品やらを積んだ馬車を御するズールーただ一人。
ミヅチはまたダービンやタンクールに魔法の品が残っていないかチェックに戻る。
現時点で魔法の武器は一四個、魔法の盾が四枚、魔法の金属鎧の一揃えが三着、魔法の革鎧が黒黄玉にやったのとは別に一着見つかっている。
そのうち防具類は全て、武器類も小刀や槍など、領地に残っている殺戮者のメンバーが使えそう物など一〇個は取り置いているが、槍や薙刀、刺突剣、戦棍といった、使っていたメンバーがいない武器四個は王都で売り払う為に馬車に載せられている。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
俺が馬に乗ってもまだ手を握っていたミヅチは、そう言うと名残惜しそうに手を離した。
「ああ」
次に会えるのは来週か再来週か。
日がな一日、馬を走らせ続けるのはしんどすぎて嫌だが、急げば急ぐほど早く会えるし、一緒に過ごす時間も増える。
「ズールー」
「はっ」
ズールーが馬にムチを入れるのに合わせ、俺もウラヌスを歩かせた。
因みに、ダービン、タンクールの両村で得られた魔石は全部合わせるととんでもない数になるので比較的大型の魔物から得た魔石を二個づつ今回参加した殺戮者へ支給し、残りは王国軍や黒黄玉、元のダービン村の住人にやるしかなかった。
まぁ、たったの二個とは言え、売れば一個一〇〇万Zを超す上物の魔石だ。
ラルファもグィネもホクホク顔になってくれた。
なお、デーバス軍の死体から得た装備品類でまだ使えるものは全部回収し、現金類はあまりにも高額が纏まって見つかりでもしない限り、王国軍や黒黄玉にやることにしている。
・・・・・・・・・
7450年3月11日
港町カルネリ。
「うーん。こんなものか?」
「これは……ちょっと……どうなんだ?」
港を臨む崖の上に設えられた東屋のような小さな建物の脇で、アレクとセルがぼそぼそと会話をしていた。
ここからは港に新造された一際大きな桟橋を見下ろせるし、海も彼方まで見通すことが出来る。
そのため、フジ号の公試運転を眺めるには最高の場所であろう。
彼らは揃って額に手を翳しながら海の方を眺めており、その顔には渋い表情が浮かんでいる。
「風が弱いからかな?」
「かもな……。でも、ここも海の上とあまり変わらないんじゃないか?」
二人の髪は風に吹かれてしまったことで、香油で整えられたオールバックの髪型もほつれ始めている。
彼らが眺める先には、六艘の船が見えた。
一際大きな船に加えて、五艘の小さな船がいる状況である。
今の所、その様子はまるで大きな船を護衛でもしているかのようだ。
「遅いなぁ」
「あんなに遅くて、海の魔物は……どうなんだ?」
大きな船には三本の帆柱が立っており、一番先頭の帆柱から舳先軸にかけて三角帆が半分くらい重なるようにして二枚、真ん中の帆柱と一番後ろの帆柱にも上下に二枚ずつの縦帆が張られて風を受けている。
一番先頭の帆柱には本来横帆を張ることができるが、今日は出港時から畳まれたままだ。
五艘の小さな船は一枚の縦帆を持つだけで、その面積もかなり小さい。
「マグロって時速ン十㎞とかで泳げるんだろ?」
「それ、チーターが百㎞で走る、人間の時速は三六㎞ってのと同じでほぼ嘘らしいけどな。でも逃げる餌を追う時とかはそこそこ速く泳ぐだろうし、それは魔物も一緒じゃないか?」
船は沖の方に進んでいっている。
速さがどの程度出ているかまではよくわからないが、今の所は全ての船はほぼ同じ速さで進んでいるものと思われた。
「お?」
「曲がったな」
大きな船が右に弧を描くように、ゆっくりと進行方向を変えた。
すると、その船と一緒に進んでいた小さな船のうち、二艘だけが追随するかのように右に曲がった。
よく観察するとわかるが、大きな船は進行方向を変えるのにかなりもたついているようだ。
反対に、小さな船は大きな船が曲がり始めてから、すぐにその方向に合わせるように進行方向を変えている。
なお、残りの三艘の小船はバラけるように左へと進路を変えている。
「ああ、言われてみりゃそりゃそうか。なら魔物も最高速が出せるのはせいぜい一〇〇メートルくらいかねぇ?」
「さぁ? そこまではわかんねぇな。なんたって魔物だし」
彼らが眺めている外洋航海実証船、フジ号の公試運転は今日がその初日であった。
「望遠鏡が欲しいな……」
左目を瞑ったアレクが望遠鏡のようにした両手を右目に当てながら呟いた。
「この前発注したの、来月にならないと出来ないらしいからな。今んとこ望遠鏡を持ってるのはクリスだけだしなぁ……」
同様に手で作った望遠鏡を片目に当てたセルもぼやくように言う。
フジ号の就役は来月の一日と予定されており、左右旋回や風上への切り上がり性能などをテストする公試運転は今月中に終わらせねばならない。
アレクとセルの二人は、フジ号の建造を強力に推進しただけあって、初回の公試運転には大変興味を持っていた。
「望遠鏡って作るの大変なんだな」
「いや、普通の望遠鏡でいいならそこまで大変じゃないとさ。クリスによればプリズムを削るのに手間取ってるんだと」
「……プリズムって……凸レンズしかない訳じゃあるまいに」
「ないよ。どういう訳か、今んとこ迷宮から手に入るのは凸レンズしかない」
今、運転中のカルネリ沖海域は、何百年も前から漁場としてカルネリの漁師達に使われている、非常によく知られた海域である。
当然、水深はもとより、季節による風向きやその強さについても地元の漁師なら知らぬ者は一人としていない。
東西は一〇㎞以上、南北も恐らくは四㎞以上にも及ぶ完全に知られた海域であり、この範囲なら滅多に魔物も出ない。
公試運転にはもってこいと言える。
「じゃあクリスの望遠鏡って……」
「ああ。プリズムなんか無いし、クリスの望遠鏡は上下逆さまだ」
「水晶磨いても作れないか……」
「ザラザラで使い物にならんとよ」
フジ号は良い風を捕まえることが出来たのか、少し加速したようだ。
少し遅れたが小さな船達の方も僅かに速度が上がったのがわかる。
だが、帆の大きさや数が異なるからか、だんだんとフジ号から引き離され始めている。
「ふうん。逆さまでよく分かるなぁ」
「クリスが言うには、海の上には木だの山だの邪魔な物なんてないから、水深さえわかってるなら問題ないとさ」
「へぇ。そういうもんなのか」
「ああ。そういうもんらしい……」
数分でフジ号達はかなり東の方へ行ってしまった。
手で作った望遠鏡で必死に目を凝らしても帆の形すら判然としない。
かろうじて真っ白い帆が張られている、という程度しかわからなくなった。
「んん?」
「おっ!?」
「帆を畳んだのか?」
「そうみたいだ」
二人が見ている先、かろうじて見えるあたりでフジ号は真ん中の帆柱と一番後ろの帆柱に張っていた縦帆を全て畳んだ。
今はフォアマストから舳先にかけて二枚の三角帆だけが残っており、このジブのみで船の向きを変えているところだった。
「なにやってんだ?」
「さぁ? 寝坊して遅れたから、クリスから殆ど話聞いてねぇし」
首を捻る二人が見守る中、ゆっくりと、だが確実にフジ号は西の方に舳先を向けた。
・・・・・・・・・
フジ号の上甲板。
小型の風見鶏のような形をした風速計を使い、船尾の方である東を向いてクリスが風速を測っていた。
この時期、この海域では良い東風が吹くことが多い。
プロペラの回転軸に結びつけられた細い糸がどのくらいの時間で巻き上げられるかを測ることで簡易的な風速計にしているのだ。
「……三一……三二……三三……三四秒か。少し弱いけど、ま、いいでしょう」
プロペラの軸は巻き上げられた糸が五往復もしていたが、糸自体の細さもあって軸は大して太くなってはいない。
糸の先に結ばれていた小さな錘が回転する軸に合わせてくるくると回っている。
メインマストの下部と一体化している船橋の上から、クリスは甲板で指示を待つ船員達を見回した。
彼らはマストと同じような高さの樹木の枝を払い、マストと同形状にした練習用のマストを利用して、クリスの指導のもとこの一月ほどあらゆる事態を想定した帆の上げ下ろしを練習してきたのだ。
勿論風の無い凪いだ日は実船での練習も行っている。
クリスにとって満足の行く技倆には達していないものの、充分に使える水夫に成長していた。
風速を測り終えるとクリスは望遠鏡を覗き込む。
望遠鏡は紐で彼女の首から下げられていた。
暫く覗いた後で傍に立つメインマストの上を見上げた。
そこには、小さな足場に立つ水夫が一人いて、西の方を見ている。
クリスと目を合わせた水夫は「青旗のまま! 大丈夫なようです!」と叫ぶ。
最初に別れた小船は公試運転のコース上に並び、フジ号が進路を間違えることが無いように待機していたのであった。
水夫の言葉に大きく頷くクリス。
片手で船橋の手摺を掴むと反対の手に握った木の棒で手摺を叩いた。
首から下げた細長い望遠鏡が大きく揺れる。
「さぁみんな! ついに練習の成果を発揮する時が来たわ。このコウシウンテンは、アレキサンダー王太子殿下も、ストールズ公子殿下も見ておられるからね!」
甲板の各所から「おう!」という威勢の良い返事が湧き上がる。
それを確認すると一人の船員に、右舷後部に漂っていた小船に開始の合図を送らせた。
小船はあっという間に畳んでいた縦帆を上げるとゆっくりと加速し始める。
「じゃあ最初はジブとステイセイル、ロワースパンカーから行くわ!」
クリスは船首の二枚の三角帆とミズンマスト下部の縦帆から張ることにしたようだ。
船橋に固定された時計の魔道具に手を当てる。
完全に帆を畳んだ状態から全ての帆を展開し、最高速を出す。
その時間を測るためである。
そして、大きく息を吸い込んだ。
「二番!」
クリスは掛け声の最初の一言を叫びながらまた手摺に木の棒を打ち付けた。
「「「六番引け!」」」
船員達も大声で掛け声を叫び、ロープを引く。
因みに、掛け声が英語なのは単なるクリスの趣味で特に意味はない。
地球の帆船が帆を張る時の伝統的な掛け声をそのまま転用しているだけだ。
動作に多少ぎこちない部分が残るものの、船員達は力を合わせて帆の張り直しを開始した。
付き従っていた小船がフジを追い抜いた。
・・・・・・・・・
「お……」
「おお……」
アレクとセルが見守る中、暫くの間ゆっくりと漂うだけだったフジ号はするすると滑るように動き出した。
遠目にも一度畳んだ帆を張り直したことが判る。
「ふーん。結構……」
「速いんじゃないの? これは」
遥か東にいて、豆粒みたいだったフジ号は西に向かって進むにつれ、大きく加速し始めた。
張られる帆が一枚増える毎に加速している。
そして、横帆を張った直後、遅れて随走していた小舟を引き離し始めた。
完全に風を捕まえていると言っていいだろう。
そして、あれよあれよという間に二人の立つ崖を通り過ぎた。
「さっき漂ってた所、三㎞は離れてるって言ってたよな?」
フジ号から目を離すことなくアレクはセルに尋ねた。
「ああ、そう聞いてる。時間数えてた?」
返事をするセルだが、フジ号が動き始めた時、この崖の真正面までの時間を測ろうと言い出したのは彼の方だった。
「いや」
「すまん俺も忘れてた」
「しょうがねぇな。あれ、どのくらいの速さ出てるかな?」
「見た感じ、三〇キロくらいかねぇ?」
「そんなに速いか? まぁ、俺もわかんねぇけど……」
因みに、船や飛行機の速度はキロメートル毎時ではなく、ノットで表現するのが一般的なのだが、クリスを除いて誰一人としてノットに慣れていないため、クリスはキロメートル毎時でも構わないとノットとか海里とかいう単位はバッサリと切り捨ててていた。
なお、フジ号が出せる速度は、その性能から言って最高に良い状態が揃ったとしても時速三〇㎞に手が届くかどうかというところだ。
しかも風の問題を孕んでいるために、長時間継続してその速度を出し続けることはまず無理だと言える。
普通は航海日数が何日にも及ぶであろうことを考えると、貨物を積んだ巡航速度に至っては時速五~六㎞がいいところだ。
だがそれでもフジ号に随伴する小船の最高速は時速一五㎞にも満たない。
充分に高速だと言える。
・・・・・・・・・
7450年3月13日
昼前。
俺は王城ロンベルティアの二の丸の一室で少しばかり苛ついていた。
用意されたお茶はすごく高級なものらしく、豆茶派の俺でさえ味にも香りにも満足が行く品質だったが、三杯も飲んでりゃ飽きる。
昨日、ドラゴン退治を報告した際に国王から聞かされていた約束の時間は一時間以上も前に過ぎ去っている。
ったく、こんなに時間にルーズな事でどうすんのよ?
門の外で待たせてるズールーでさえ船を漕ぎ始めてもおかしくないぞ。
ドアからノックの音がした。
俺の後ろに控えていた給仕がさっと進み出てドアを開け、頭を垂れる。
上等な服を着て、ふんぞり返りながら部屋に入ってきたのは……なんと国王だった。
その後ろには二人の女が付き従っている。
因みに俺はと言えば、すぐに報告に駆けつけたというアピールに加えて嫌味もあって、上等な服でも何でもない、いかにもこの場所には釣り合いそうもない平服だ。
「いやぁ、待たせたようで悪いな。なんでもフォーケイン准男爵が急病になったらしくてなぁ」
ああそうかい。
それでわざわざ生物学上の親であるあんたが出張ってきたのか?
ご苦労なこって。




