第百六十三話 はじめて聞いた睦言
7450年2月22日
夕方。
タンクール村を占拠したロンベルト王国軍を含むアル達一行は、見張りのシフトを決めると簡単な夕食を済ませてさっさと寝むことにした。
居留地の外周付近には結構な割合で建物も残っているので、それぞれ適当な家を見つけ、塒を決めている。
アルとミヅチも居留地の南に建つ一軒に不法侵入を果たしていた。
彼らが選んだのは残っている中では一番マシな建物ではあるが、壁板が何枚か壊れているので隙間風も入ってくる。
だが、それ以外は屋根も含めてまともな形で残っている。
「先月の戦争では建物にはあまり被害を出さなかったんだけど、こりゃドラゴンの仕業かねぇ」
アルがぼやくように言う。
言いながら、家探しでもするかのように、残された収納スペースを検めて溜め息を吐いている。
ボロ布の一つでも残っていれば、あまり気分は良くないが藁ベッドのシーツ代わりに使えるだろうと考えての行動である。
ミヅチが乗ってきた馬車にも毛布は積んでいたが、中々にお高い代物であるために汚いであろう藁ベッドに直接敷くのは憚られたのだ。
起毛された高級品のタオルを敷くなんて以ての外である。
「ん~……私は知らないからあれだけど、貴方が引き返した後にドラゴンが来たんでしょ?」
ミヅチもアルと同様に家探しをしながら答えた。
「そう聞いてる……ちっ、碌なもんがねぇ。奴隷の家だったんだろうな」
「なら、その時にはそれなりに争ったでしょうし、その後もデーバス軍が来て戦ったんだから、こんなもんじゃない? あ。これどう?」
藁ベッド同様に作り付けだった箪笥のようなものからボロくなった衣服を取り出しながらミヅチが言った。
「何もねぇよりはマシか……ところでそれ」
「洗濯はされてるみたい。大事に着ていたのね」
布地がかなり薄くなっているが、しっかりと洗濯された衣服のようだ。
見つかったのは男物と女物の服が各一着ずつで、所々、ツギがあたっている。
こんな折でもなければ略奪の対象にすらならない。
衣服を藁ベッドに広げ、その上に持参した毛布を広げた。
藁ベッドは家族で使っていたらしく、二人が並んで横になることは可能である。
二人の顔には、これでやっと鎧を脱ぐことが出来るという表情が浮かんだ。
最初に用意したライトが切れたので、熱源を兼ねて部屋の中央の囲炉裏のようなものに火をくべた。
燃料は手近な家から引き剥がしてきた建材だ。
「シャワー浴びるか?」
「うん。お願い」
「俺先でいい? 汗でべとべとなんだ」
「いいわよ」
素っ裸になったアルは、たった一つ土間に放り出されていた盥に足を入れた。
・・・・・・・・・
アル達が接収した家屋から一〇〇m程離れた、交差点のような場所。
その少し開けた井戸の傍でアルとミヅチを除いた殺戮者は黒黄玉の面々と焚き火を囲んでベーコンを炙っていた。
未だに鎧を着込んでいるのは次の見張り当番になったズールーだけだ。
彼らもかなり疲労していたが、アル程ではないし、怪我も完治している。
暗くなるまでの暇つぶしを兼ねて交流を深めておこうとアンダーセンが提案し、殺戮者側にはそれを断る理由も無かった。
なお、ベーコンの塊は言い出しっぺの黒黄玉側から提供されている。
「薄いわね……」
水で薄められたワインをちびちびと舐めるようにして飲みながら、ラルが言った。
「飲んだ気がしません」
眉を八の字にして凹んだような顔のグィネも不平を言う。
「持ってきたの二本だけだし。あんまり贅沢言わないで」
ベルも渋い顔で答えた。
黒黄玉の馬車には中身が半分ほど残っているワイン樽もあったが、嵩張るのでダービン村に置いてきたのだ。
残されていた居住区内の建物からは中身が残っているワインやビールの樽も発見されていたが、その全てが栓も空いていて、略奪された後を物語っていた。
小便などが混じっているかもしれないし、何より開栓されて一月以上が経過していると思われたため変質が懸念された。
そのため、それを飲む事については誰もが拒否感を示したので持参した二本のワインで我慢するしかなかった。
「ところでアンダーセンさん。ここには王国軍の人はいない。そろそろ詳しい話を聞かせて欲しいですね」
焚き火の炎を見つめながらトリスが口火を切る。
アンダーセンに話しかけてはいるものの、その瞳は焚き火だけを見つめている。
ミヅチの馬車に乗っていた者はタンクール村に着くまでの間に、アンダーセンが女爵位を賜ってダスモーグの太守に任ぜられたことまでは聞いている。
だが、その経緯や爵位が上であるアルだけでなく、その配偶者のミヅチにまで阿ったような話し方をする理由については聞かされていない。
「ん~、私が陛下の血を引いていることはご存知?」
殺戮者で驚いた顔をしたのはラルとグィネの二名だけだ。
そんな彼女達はすぐに気がついたようだ。
トリスもベルも、ズールーまでもが全く驚いていない。
つまり、彼らは知っていた。
簡単に知る事が出来る類の情報ではないため、誰かに聞かされて知ったとしか思えない。
要するに、彼らに話したのはアル以外にはあり得ないだろうし、それはすなわち、ラルとグィネには話せない事柄について、彼らにはアルが話していた事に他ならない。
それに思い至り、二人の頬は自然と膨れた。
「ウチのメンバーは新入りの彼女を除いて皆が知ってるけど……」
アンダーセンは焚き火を囲む輪の中で、薄いワインが入った木のカップを両手で保持しながら興味深い表情を浮かべているネルを見ながら話し始めた。
「でも、正式な庶子って訳でもないから、わざわざ言うようなことじゃないしね。知らないのも無理はないわ」
そしてふくれっ面のラル達を面白そうな顔で見ながら言う。
「まぁでも、知ったからと言って何だって話でしょ? 今言ったように、私はちゃんと認められた庶子じゃない。最近になってぽこぽこ生まれたお手付きの結果の弟妹達と同じ立場よ。だから公式には何の恩恵もないし、王族に名を連ねているという事もないわ」
二人は苦い表情をしたまま頷いている。
「……と言う訳で、陛下の最初の子供、という事もあって陛下にとって私は多少気になる存在なの。勿論、公的なものは何もないけどね。そういう縁もあって、一応陛下のために働いた実績もあるから、最初で最後の褒美として女爵位とダスモーグの太守の地位を貰ったって訳」
その様子を見て微笑んだアンダーセンは、静かに話し出した。
が、現時点で話せる事など大して多くはない。
話は僅か数分で終わった。
アンダーセンの話を聞いた全員はアルがそう遠くない将来にドレスラー伯爵号を授与されることになるだろうと聞いて興奮を隠せなかったり、納得したように深く頷いたりしている。
そしてひとしきりの騒ぎが収まった頃、
「ふ。あの殺戮者の兄ちゃんがな……」
よく焼けたベーコンを片手に、薄いワインのカップに口をつけたバールが呟くように言った。
兄ちゃん呼ばわりにムッとする殺戮者の面々だったが、彼の顔には深い納得の色が広がっていることを見て取って、今は何も言うまいと思ったようだ。
「何年か前、あの人がパーティーを追い出された事あったじゃない?」
どこか納得しがたい表情を浮かべてミームが言った。
恐らくは日光を取り込む時にアルをパーティーから追い出す偽装をしたことを言っているのだろう。
殺戮者のメンバーを中心に少し雰囲気が真剣なものになる。
「あたしはさ。あの時桜草にいたんだけどね。リーダーと一緒に勧誘してもけんもほろろに断られたんだよね……稼ぎの二割に全員の体を付けるって言ったのにさ」
ミームはニヤついた笑いを浮かべながら冗談めかして言った。
焚き火を囲むあちこちから噴き出すような笑い声が漏れる。
初めて聞く話に驚きを隠せない者もいたようだ。
「……そんな程度でご主人様がなびく訳ねぇだろ、脳足りんが」
ズールーが吐き捨てるように呟いたが、その声は隣に座るグィネとベルの耳にしか届かなかったようで、二人の顔に苦笑が浮かんだだけで済んだ。
「あん時はなぁ……皆が喜んだ。今となっちゃ、同じ喜びじゃなかったって事は判ってるが、皆で祝杯を上げたんだ」
ロッコが昔を懐かしむように言う。
それを見て、ミームの顔に微妙な表情が浮かぶ。
彼女は、アルが潜り込んだのが日光ではなく桜草だったら……過去に何度となく夢想していた。
最近ではすっかり忘れていた考えが再び思い起こされたのだろうか。
「はっ。結果的に日光が殺戮者に取り込まれて良かったんでしょ。私達も誘った筈なんだけどな」
ロールが混ぜっ返すように言うが、すかさずアンダーセンが「私の魅力が通じなかったからね。桜草みたいにあんたも売れば良かったかも」と返し、少し下品な笑いが起こる。
「ちょっとトイレ行ってくる」
その輪から一人の女が抜け出した。
ラルである。
・・・・・・・・・
夕闇が迫るタンクール村。
素早く用を足したラルは、半数近くの建物が破壊された居留地を歩いていた。
アルにお祝いを言いたかった。
その顔には知れず優しい笑みが浮かんでいる。
アルはまた一つ、夢の階梯を登ることができたのだ。
一言、おめでとうと伝えたかった。
もう眠っていたのなら仕方がない。
だが、外はまだ明るいし、アルが居る建物は壁に穴が空いているから部屋の中も真っ暗ではないだろう。
シャワーくらい浴びているだろうし、そうならミヅチの髪を乾かすのにそれなりの時間が取られている筈。
たった一言、祝辞を述べたらすぐに戻る。
そのつもりで歩いていた。
そして、アルが休んでいる家の傍に着いた。
「……ここ?」
「……あ……ん……違」
家の中から漏れ聞こえてくる声にラルはビクリと反応して歩みを止めた。
――え? こ、この声って……?
「この辺?」
「そう、そこ。そこが……ん……」
つばを飲み込んだ拍子にごくりと喉が鳴る。
「ここがいいの?」
「ん! そこ、イイ……」
――こ、こんな時に何やって……ってドラゴンは倒したし、傍にいた敵も全滅……いやいや!
「う……ああぁ……気持ちいい……」
「そう、良かった。じゃあ……」
家の中から人がゴソゴソと動いた気配が伝わってくる。
思わず体が硬直したのが判った。
だが、聞いてはいけないと思いながらもどうしてもこの場を離れられない。
それどころか、気配を殺すようにそっとしゃがみ、すり足で家の壁に近づいてしまう有様だ。
「いつも思うけど、お前の……変な形」
「し、しょうがないでしょ、生まれつき……あん」
ラルの目には家の壁と地面しか映っていない。
「……どこがいい?」
「ん……ああ、そこ。そこよ」
――わ、我ながら趣味が悪い……でも……きょ、興味あるし。
「ん? ここか?」
「うん。もっと……」
ついに壁に取り付くことに成功した。
何時間も経ったような気さえするが、大した時間は経っていないだろう。
「いいのか?」
「ええ……強くしていいわ」
と、誰かが接近して来たことを感じ取り、ばっと壁から離れた。
「ラル、何やってんの? ここ、アルさんのとこじゃない?」
グィネだ。
見られたくない所を見られた!
かっと顔が火照るのを自覚した。
「ん……このくらい?」
「ああぁぁ……いいぃぃ……」
グィネはそのまま接近してくる。
ラルは地面に手をついて、項垂れたまま顔を上げることができない。
そんなラルと家との間で何度か視線を往復させたグィネは、引きつらせたように頬の片側だけを吊り上げる。
――ああ、そういうこと……。
軽く溜め息を吐くと「アルさん!」と家に声を掛けた。
それを聞いてラルは飛び上がるようにして立ち上がると家とグィネの間で何度も頭を振る。
「グィネか? どうした?」
ごそごそとした音がした直後、寝間着代わりにしていたらしい真新しい鎧下を着たアルが顔を出した。
「あの、皆で少し飲んでるんですけど、まだ起きてたならアルさん達もどうかなと思って。水割りのワインしかありませんけど」
グィネは淀みなく言う。
「ああ、悪いけど、もう寝るとこなんだ。流石に今日は疲れたし……」
「いえ、一応声掛けに来ただけなんで。じゃあお休みなさい」
「ん。お休み。ラルファもな」
「う、ううううん。お休み。あ……」
「ん?」
「あ。えっと。ドレスラーの伯爵になるんだって? おめでとう」
「ああ。来年になるだろうが順調に行けばな……アンダーセンから聞いたのか?」
「うん」
「聞いたのはそれだけか?」
「え? うん」
「ふふ。そうか。まぁいいや。楽しみにしとけ。じゃあな」
そう言うとアルは奥に引っ込んでいった。
帰り道、ラルはグィネに声を掛けた。
「あ、あのさ……」
おずおずとした喋り方にグィネがニヤニヤしながら顔を向けた。
「ん?」
「な、何してたか聞かないの? 言わないの?」
「見りゃわかるよ。聞き耳立ててたんでしょ? でも趣味悪いよ」
「う、うん……」
付き合いの長いグィネには全てわかっていた。
ラルはまだ男女の経験がない。
それ故に、睦事の声とそれに似た声との判別がつけられなかった。
――面白いから、教えないどこうかな?
そう思いかけたグィネだが、凹むラルの横顔を見て考えを変えた。
「勘違いしてるようだから言っといてあげるけど、アルさんさぁ、私が声掛けてからすぐに出てきたじゃん?」
「え? うん」
「服着るのってどのくらい時間がかかるんだろうね?」
「……なにそれ?」
「少しは自分で考えなよ」
その頃、アル達の家。
「あ~~、それいい……うほ! 大物だなこれ!」
アルの右耳からほじり出した耳垢を眼の前に突き出して、ミヅチがほくそ笑んでいた。
――私が気が付かない訳ないでしょうに。
・・・・・・・・・
その夜。
俺はミヅチと一緒に寝ていたはずなのに、真っ白い空間にいた。
これは、あれか?




