第百三十六話 青い悪魔 3
ご心配をお掛けしましたが、何とか復活です。
また、次回の更新ですが、いつも通り日曜に行う予定です(月曜になったらごめんなさい)。
7450年1月14日
「ギャオオオォォン!!」
ゴルゾーンドクーリは腹の底から思い切り雄叫びを上げた。
「うおっ!?」
相対していたバルミッシュ士爵はその声にも驚いたが、それ以上に忠実な愛馬であるバラーゾが大きくバランスを崩した事に吃驚した。
目の前のドラゴンがたった今上げた雄叫びは、確かに恐ろしいものだ。
が、彼とその愛馬は彼が第一騎士団に入団して以来、かれこれ一〇年以上に亘る付き合いがある。
彼の愛馬はどんな時でも士爵の期待を裏切る事はなく、まるで手足であるが如く士爵をその背に乗せて付き従ってきた。
その愛馬が突如バランスを崩し、事もあろうに士爵をその背から放り出すかのように動きを止めてしまったのだ!
そればかりか、その場に崩れるようにして地に倒れ込んでしまったのである。
青いドラゴンに対して今まで全く恐れを見せず、充分に士爵の期待に応えていた愛馬バラーゾの異常な行動。
これにはさしもの士爵もいささか慌ててしまった。
しかし、第一騎士団の小隊長は飾りではない。
士爵の馬術や体術は非常に優れており、名人の域に達している。
とっさの出来事であったにも拘らず、無様に転がり落ちたりはせずに見事な着地を決めた。
「くっ、どうした!? バラーゾ!」
まずは負傷を疑った。
健康な馬は睡眠を取るときを除いて地面に蹄以外をつけることはないのだ。
しっかりと長剣を握ったままの士爵には、地に腹を付けて喘ぐ愛馬の姿に、かつて共に戦場を駆け抜けた勇猛さなど微塵も感じられなかった。
驚いて慌て、暴れたのであれば百歩譲って理解出来なくもない。
だが、長年付き合ってきた愛馬の様子は、まるで生まれて初めて戦場のど真ん中に放り出された仔馬が怯えて竦んでいるようにしか見えなかったのである。
「臆したか!?」
怯えてしまった軍馬にいつまでもかかずらってはいられない。
士爵は奪うようにして愛馬の脇に掛けておいたカイトシールドを取った。
・・・・・・・・・
青いドラゴンの上げた咆哮がタンクール村の空気を震わせる。
その叫び声一発で、まだ居留地を囲む柵を越えていなかった者のうち、かなりの人数が精神に恐慌を来してしまった。
無事だった者は実戦経験が豊富で軍隊生活が長い古参兵や、過去の戦で手柄を立てた事のあるような豪傑、又は魔法が得意な者が殆どである。
そんな彼らでも数瞬から数秒もの間、体が硬直する者もいた程に恐ろしい雄叫びであった。
「くっ、これ、ホーンドベアーの……?」
「確かにこの様子、似てるな」
だが、無事であった者達には周囲にへたり込む同僚達を見捨てて我関せずと先を急ぐ者も多かった。
命あっての物種だと言わんばかりの有様だ。
とは言え、相手はホーンドベアーではなくドラゴンであるからして、それを責めるのは酷というものであろう。
それに、青いドラゴンが【恐怖の霊気】を【咆哮】に乗せる使い方を知ってしまえば被害はもっと大きくなっていた筈だ。
尤も、【恐怖の霊気】の特殊技能を持っている事自体に気がついていないので、今の処いらぬ心配ではあるが。
とにかく、このような混乱した状態にも拘らず、合計して百人以上もの人数がタンクール村からの脱出に成功した。
その中には愛馬を捨てざるを得ず、手近な部下をその背に負ったロベイン卿も含まれていた。
・・・・・・・・・
――ふ……。流石にバラーゾがこれではな……。
カイトシールドとロングソードを構えたバルミッシュ士爵は、天を向いて頭を振りながら咆哮する青いドラゴンを睨みつける。
軍馬を失った今、最早この場から逃げることすら不可能であろう。
彼の視界の端に、やはり乗馬を諦めたファイアブレイズ士爵がへたり込んだ男の首根っこを掴んで強引に立ち上がらせているらしい場面が映る。
――ホーンドベアーの咆哮みたいなものか……。
その様子を目にしてバルミッシュ士爵は思い出した。
第一騎士団に入団する以前にホーンドベアーと相対したことがある。
――あれは、俺が一五の頃だったか……。今ならホーンドベアーくらい誰の手も借りずに倒せると思うんだがな。
当時を思い出し、苦い笑みを浮かべながら士爵は一歩を踏み出した。
その間にドラゴンは雄叫びを上げるのを止め、理由は不明だが二つに千切れた筈なのに出血もしないで動いている小さな獲物に視線を移した。
――今度はドラゴンかよ……世の中ってもんは上手く行かないものだ。
右手に握ったロングソードを少し引き、左手のカイトシールドで体の中心部を隠すようにしている。
そこにドラゴンが左腕を振るってきた。
「フッ!」
ロングソードでカチ上げると同時に素早く身を屈め、鍛え抜いた右足で地を蹴る。
グリード商会製のゴム底ブーツがしっかりと土を噛み、バルミッシュ士爵はドラゴンの懐に飛び込んだ。
だが、ドラゴンも素晴らしい反応を見せる。
ナイフのような鉤爪の生えた右腕を振るって応戦してきた。
バルミッシュ士爵は角度をつけながら左腕のカイトシールドを持ち上げて防御した。
その御蔭でドラゴンの攻撃は士爵に傷を負わせることは出来なかったが、士爵を弾き飛ばすことには成功した。
「くおおっ!!」
ズザッ、という地表を削る音を立てながらも士爵は倒れることなく着地した。
すぐに体勢を立て直し、今度はドラゴンの右に回り込むようにダッシュする。
青いドラゴンはそこに左の翼を打ち付けた。
士爵は滑るように身を低くしながら翼をくぐり抜けるようにして躱す。
躱しながら、タイミングを見計らってロングソードを突き上げた。
ロングソードは見事に翼に突き刺さり皮膜を切り裂いたが、それも束の間、士爵が翼をくぐり抜ける頃には切断された被膜は傷一つ残すことなく再びくっついていた。
――こ、この化物がっ!!
心の中で毒づきながらも油断なく盾を構えて立ち上がる。
が、そこに尻尾が襲い掛かってきた。
翼を振る余勢を駆って体全体を回転させるようにして振るわれたものだ。
尻尾には上部にゴツゴツとした硬そうな突起が幾つも並んでおり、装甲のない部分にでも当たれば皮膚を裂き、肉が爆ぜ、骨など簡単に折れてしまうだろう。
「ふんっ!!」
ジャンプをしてバク転をしながら躱す。
着地すると同時に猛然とダッシュして距離を詰める。
「ガッ!?」
だが、それを読まれてしまったのか、素早く戻した尻尾を躱すことは出来なかった。
救いと言えば、当たったのが尻尾の根元に近い部分であり、遠心力の加算が少なかったためにあまり高い威力ではなかったことと、盾を持つ左側からからの攻撃だったことだろうか。
――しまった……!!
幾ら最高の威力ではなかったとは言え、大人が一抱えするような直径の尻尾が命中したのだから堪ったものではない。
五メートルも跳ね飛ばされ、血液と肉片で汚れた大地を削りながら転げてやっと止まった。
左手に装備していたエボナイト装甲の盾は大きくひしゃげ、殆ど二つに割れていると言ってもいい。
外縁を縁取るように嵌められた金属パーツのお陰で辛うじて原型を留めている。
立ち上がろうとして士爵は気がついた。
――う、腕……それに、息が……!
左腕は盾と一緒に折れており、左側の肋骨も下の方が一本か二本、骨折してしまったようだ。
呼吸をしようとすると鈍痛が走る。
「んぐっ……」
無理矢理に大きく息を吸って肺を膨らませ、肋骨を拡げた。
右手の長剣で左腕に盾を固定していた革バンドを切り、単なるウェイトと化した盾を切り捨てる。
そのまま長剣を杖のようにして、片膝をついて立ち上がりかけた。
「あ……」
バルミッシュ士爵の口から自然と声が漏れる。
青いドラゴンは既に目の前に居て、蛇が鎌首をもたげるようにその頭を持ち上げていた。
大きな口はかっと開かれており、体表を覆う青い鱗と口中の赤、その周りに生え揃う真っ白な鋭い牙……そして口内で蠢く舌のピンク色が印象的だった。
――最早これまでか。だが、一太刀でも……!
歯を食い縛って剣を引く。
噛み付こうと首を伸ばしてきたところを狙うかに見える。
果たしてドラゴンは士爵の狙い通り噛み付いてきた。
だが、その速度は士爵の予想を大きく上回っており……。
――ダメだったか……。
ドラゴンの顎は既に絶望的な場所にまで迫っている。
引いた剣は突き出しかけたばかりだ。
「ぬおおおおっ!!」
背後に風魔法を纏って飛んできたファイアブレイズ士爵が薙刀を振り下ろしてくれた。
「ギャプ!」
ドラゴンは開いた口を無理やり閉じさせられただけでなく、その軌道まで捻じ曲げられて変な声を上げた。
「閣下!」
半ば覚悟を決めていたバルミッシュ士爵は驚いて目を見開く。
戦闘中に風魔法を使って自らを飛ばすにはそれなりの風魔法の技能のレベルに加え、数倍する魔力が必要になる。
だがそれだけではない。
勇気が大切なのは勿論だが、一番大切なのは冷静な心を保つことだ。
少し走って助走をつけ、僅かに跳躍する。
その直後に背中に風魔法を使えなければ話にならない。
単に元素を生み出すだけなので集中時間は一瞬で済むが、その一瞬で魔法行使の集中力を高めなければならず、飛んでいる間に次の行動にも気を配らなければならない。
そのどれをも僅かな時間で行わなければ碌な結果にならないのである。
それが可能なのは第一騎士団でも二桁もいない。
因みに、風魔法を使えないミルーには逆立ちしても出来ない芸当である。
「ここは私が……ぬうんっ!」
ファイアブレイズ士爵は大きくグレイブを振り回してドラゴンを牽制する。
「かたじけない!」
バルミッシュ士爵は礼を口にしながら立ち上がると剣を地に突き立て、腰の物入れを探った。
万が一の用心のため、騎士団の装備品とは別に個人で用意していた回復薬の使い処だ。
コルクで覆われた小さな試験管のような耐ショック瓶は割れておらず、コルク栓を咥えて口で栓を抜く。
ぺっと栓を吐き捨て、非常に苦い薬を一息に飲み下した。
――ふ。一本しか用意してなかったのは失敗だったな……。さて、どっちが治るか?
回復薬を飲んでも複数の怪我がある状態だとどれか一箇所しか治らないのである。
――よし、胸か。
不思議な力で肋骨が動き、元通り接続したことがわかった。
胸の痛みは少し軽くなった。
かなり無理をすることになるが、飛んだり跳ねたりくらいは出来るだろう。
「うおおおっ!」
バルミッシュ士爵は再び剣を執ると、自らを奮い立たせるべく大声を上げながら地を蹴った。
・・・・・・・・・
同時刻。
領都デバッケンの街なか。
「では閣下。我々はこちらに……」
俺たちと同行していた伝令がデバッケンから北に伸びるウィーザス街道に向かおうとする。
「ええ。お疲れ様です。では……」
俺達の方は領地へ戻るため西へ向うので彼らとはここでお別れだ。
礼儀正しく後ろ姿を見送っていたらすぐに馬を停めたようだ。
あれ?
と思ったら何かの店に入っていく。
ああ、まだ昼飯も食ってなかったからなぁ。
飯食って弁当でも買うんかね?
俺らも何か食うか。
そう思ってどの店に入るべきかラルファに聞いてみた。
ラルファとグィネは来る時にデバッケンで遊んでたから多少は知っているだろう。
「ん~、肉でいい? 美味しそうな匂いさせてる店があったんだ」
「ふぅん。そこでいいよ」
やっぱ知ってたな。
ラルファの先導に従って一軒の飯屋に到着した。
「今日中にもう少し進んでおきたいから長居はしないぞ」
「え? 今日はここに泊まるんじゃないの?」
それも考えないでもなかったが、帰り道は街や村など関係なしに進めるところまで進むつもりだ。
伝令と一緒だった今までと異なり、速度もだく足くらいにまで早めてそよ風の蹄鉄の移動時間ギリギリまで移動を続け、半日移動したところで野営をする。
実戦的な野営訓練も兼ねようという腹づもりである。
今回は勝ち戦、しかも当初の予定よりもだいぶ早くケリが付いたので、伝令は功労者である俺たちの移動速度に合わせてくれていたのだ。
まぁ、俺達が普通の移動速度に抑えていただけで、それに合わせてくれていたというのが本当のところなんだけど。
「泊まるのは別のところだ。楽しみにしておけ」
「へぇ? どこだろ?」
料理は豚肉の煮込みだが、俺の知らない香辛料でも使っていたのか味付けが変わっていてなかなかに美味かった。
・・・・・・・・・
「ふうっ、ふうっ、ふうっ」
「はあっ、はあっ、はあっ」
ファイアブレイズ士爵とバルミッシュ士爵の両名は肩で息をしている。
二人共体中傷だらけで、手にする武器にも刃毀れや欠けが目立つ。
今はドラゴンの正面にファイアブレイズ士爵が、右側面にバルミッシュ士爵がいる。
――何だこいつら?
ここに至って、ゴルゾーンドクーリは少し混乱していた。
この二匹に絡まれてから、かれこれもう数分も経っている。
この場所に来るまで、そして、この場所に来てからも仕留めるのにこれだけ手こずった獲物は一匹たりともいなかったのだ。
しかし、怪我をして弱ってきているのは明らかであり、対して自分には些かのダメージもない。
少し前に、あちこちから変な物が飛んできて初めて「痛み」というものを知り、その時は少しばかり脅威に思ったが、目の前の二匹の獲物が何をしても「痛み」は全く感じなかったので脅威らしい脅威は全く感じられない。
単に他の獲物を殺して楽しむのを邪魔する不愉快な存在である。
――ん? 他の獲物?
だいぶ減ってしまったようだが、まだまだ周囲には沢山の獲物が居て、怯えた目つきで自分達を見ているか、四つ足になって逃げようとしている。
――邪魔すんな! 早く殺させろ!
目の前に立つ獲物に飛びかかろうとした。
すると、正面の少し小さい方の獲物は長柄の武器でタイミングよく顎を叩き上げ、噛ませない。
横に居た獲物は短い棒で前足による攻撃の邪魔をしてくる。
そういったやり取りの中、獲物たちは確かに少しずつ傷付き、弱ってきている。
いつまでもそうしていられる筈もなく、いずれは捕まってしまうのは明らかなのに。
――もうさぁ! いい加減にしろよ!
ゴルゾーンドクーリはこの二匹の獲物がなぜ諦めずに抵抗を続けるのか、全く理解出来なかった。
彼らが浮かべる、苦痛に歪み、疲労に喘ぐ顔は愉快だったがそれも見飽きている。
今度は横に居た方に翼を振ってみた。
狙った位置が悪かったのか、振った拍子に先程受けた傷がチクリと痛む。
つい、速度が鈍ってしまったのがわかる。
――あ。
失敗したなぁ、と思った。
が、翼を振る速度がかなり鈍ったため、獲物はいつものように手にした棒でカチ上げて狙いを逸らすのではなく、何もせずに躱そうとした。
――このやろ。
舐められたと思った。
頭に来たので、そのまま振り抜くのではなく振る動作自体をとめて、翼を潜り抜けようとした真上から押さえるようにしてみた。
「ぐわっ!」
――お!?
急に動作を変えたためか、うまく押さえつけられた。
そのまま翼を少し縮めてみると、生意気な獲物は地面に押さえつけられたまま少し近づいてきた。
「バルミッシュ卿!」
もう一匹、正面に居た方の獲物が何か叫びながら殴りかかって来る。
どうせダメージはないと割り切って、意に介す事なく翼で押さえつけたままにする。
「ぐっ! があっ!」
翼の下で獲物がもがき、苦痛の声を上げた。
それは、この獲物が今まで上げてきたどんな声よりも甘美な響きとなって聞こえてくる。
――これこれ。これだよぉっ!!
ゴルゾーンドクーリは嬉しくなって更に翼に力を込める。
翼の下で、必死に抵抗する獲物だが、その力は既にかなり弱っているので逃げられるようなことはない。
ボキッ!
何かが砕けたような音がした。
あまり大きな音ではなかったが、ゴルゾーンドクーリの耳にはしっかりと届いた。
――ん~。いい音。
彼は今までに似たような音は何度か耳にしていたが、今回に限って素晴らしく良いものに感じられた。
――手こずった獲物だからかな?
またもや、つい嬉しくなって翼を大きく動かしてしまった。
――あっ、逃げられちゃう!
慌てて獲物を確認するが、逃げられては居なかった。
先程の音は腰骨を砕いた音だったのだ。
素早く右腕を伸ばし、獲物を掴んだ。
その間ももう一匹は必死の形相で殴りかかって来ているが、完全に無視を決め込んでやった。
そして、不意を突くように翼を叩きつけようとする。
獲物は手にした長柄の武器で狙いを逸らそうとしてくる。
そこで翼を縮めて急回転し、尻尾を叩きつけた。
すると見事に命中し、尻尾を叩きつけられた獲物は防御姿勢を取ったまますっ飛んでいき、建物の壁に叩きつけられて今度こそ動かなくなった。
とっさの行動変更に対応して防御姿勢を取れたのはファイアブレイズ士爵の訓練の賜物であるが、受け止めるには無理な体格差だったのだ。
――なるほど。相手を騙すようにするのも有効か。
ゴルゾーンドクーリは接近戦における技術について少し成長した。
手にした獲物は既にぐったりとしている。
――んふ。どんな味かな?
手からはみ出ている上半身、ぶらんとしていた左腕を齧る。
「ギャアアーーーッ!!」
今までぐったりしていたくせに、耳に心地の良い素晴らしい鳴き声だ。
味は普通だった。
今度は頭から齧りついた。
そして、ふと視線を感じる方を見る。
広場の脇に建っていた櫓だ。
その上に設えられた籠のような所に何匹かの新鮮そうな獲物がいた。
――んっふふ~。見逃さないよ!
齧った頭部の咀嚼もそこそこに、ゴルゾーンドクーリは大きく羽ばたいて櫓の籠に飛びついた。
ドラゴンの体重で櫓全体が大きくかしいだが、ギリギリのところで壊れるには至らなかった。
物見櫓にはクロスボウを携えた若い兵士達が居たが、最初の咆哮で腰を抜かしていた。
梯子を伝って降りるなど出来る筈もない。
かしいだ物見櫓は床が斜めになってしまったので、若者達は自動的に口を開けたドラゴンの方へ転がる。
そして、絶望に侵された目が最後に認識したのは、顔の半分を失ってドラゴンの奥歯に引っかかっていたバルミッシュ士爵の物言わぬ生首であった。
・・・・・・・・・
「よし。全体、止まれ! 今日はここで野営をする!」
ドレスラー伯爵領のタモアという村まであと数kmの川の傍にある少し開けた場所を今日の野営地と定めた。
「一時間で野営の準備、その後一時間で食事。その後すぐに就寝する。見張りは私も含めて全員が順番にするからな」
この辺りはダート平原から外れているのでモンスターの襲撃を受ける可能性はあまり高くはない。
だが、全くないとも言い切れないし、野盗に襲われる可能性もあるから見張りは必須だ。
皆は、野外における完全な野営に慣れていないのでこれも大切な訓練の一環と言える。
かく言う俺も大昔、自衛隊時代の演習や訓練を除けば、完全な野営というのはあんまり記憶にない。
大抵はどっかの村や街の空地なんかを借りていたからねぇ。
慣れているのはゼノムと二人、冒険者としてあちこちうろついた経験のあるラルファくらいだろう。
馬車の両脇に天幕を張り、カンパンなどの保存食を中心とした簡単な食事を済ませた。
そして深夜。
「アル。起きて」
小声とともにラルファに揺り起こされた。
見張り当番の時間か。
真夜中に目が覚める癖はここ最近で少しづつ抜けつつある。
しかし、野外での野営中ということもあってか即座に覚醒した。
「……ん。起きた」
毛布をどけて身を起こし、足元に置いてあったブーツに足を通す。
靴下は履いたままなので水虫が心配だが、次の交代の時に洗ってから治癒魔術でも掛けておけば問題はないだろう。
俺が起きたのを確認したラルファは天幕から出ていった。
俺も足音を忍ばせながら馬車の上に展開されていた天幕から出た。
「んじゃ交代な」
こちらに背を向け、焚き火に薪をくべているラルファに声をかける。
「うん……あ、寝る前に一杯お茶淹れてよ」
俺もお茶を飲もうと思っていたので問題はない。
ゆらゆらと揺れる焚き火を前に、ラルファと並んで地面に腰を下ろした。
■感想欄にて「paralysis:麻痺(名)」の読みについてご指摘を頂戴しております。
本作の読みは「パラライジズ」と記載しておりますが、英語として正しい読みはご指摘の通り「パラリシス」です。これはわかって書いてます。仲間内でのネタのようなもので、小僧の時分にルールブックをちゃんと読めなかった(正確には発音が変わる事を知らなかった)ために「パラライジズ」と読んでしまい、以降かなりの間全員が「パラライジズ」で通し続けてしまったことに由来しています。当時通っていた学校ではparalyzeなどという少し特殊な言葉を習わなかったのが大きいでしょう^^;
それと、こちらも今まで全くご指摘を頂戴しておりませんが、似たようなものに「殺戮者」を「スローターズ」と読んでいる点も挙げられます。
殺戮は英語だとslaughterと書いてスローターと読みますが、スローターズという読みだとスペルはslaughtersで、殺戮という言葉のただの複数形です。
殺戮者とか殺す人とかいう意味になる名詞だとslaughtererでスロータラーと発音します。本作の「殺戮者」の意味に近いそれらの複数形だとslaughterersですので、本当なら「スロータラーズ」と書くべきです。
これも上記の「パラライジズ」と同様、当時小僧だった作者周辺が「屠殺」とか「殺戮」をslaughterではなくslaughtであろうと思い込み(古英語でslaughtという言葉はありますので完全に間違いとも言い切れませんが)、それの動作者名詞がslaughterだと勘違いしていたために本来slaughterersと言うべき言葉をslaughtersと言ってしまったことが由来です。
まぁ、これも普通に生活している人ならまず使うことのない微妙な言葉ですけど。
本来のラグダリオス語(笑)はこういった間違いなどが積み重なって作られました。
最初はほぼ全て英語で、勘違いとか覚え間違いとかの言葉や文法など一部分を英語と差し替えていただけでしたが、いつしか文法は母語である日本語に近くなり、単語もかなりの数が新しく生み出されました。
幾つかは今までにルビなどで登場しています。
辞書的なものも作られましたが、手書きで字が汚いうえに字の大きさもまちまち、あいうえお順に並んでいたはずなのに途中からルーン文字を元にしたラグダリオス語のアルファベット順になっていたりで、最早解読は至難の業です。
微妙に薄くて掠れてしまっています(恐らく印刷の都合でしょう)が書籍二巻の口絵のミルーが持っている剣の鞘に無理を言って書いて頂いています。一部、ミルーの手で隠れてしまっていますが文字はルーンに似ていますので、ルーンについてお詳しい方なら読めると思います。また、文法は英語ではなく日本語のそれであることもご理解いただけると思います。




