第百二十八話 死闘
7450年1月11日
この群狼陣を応用した連携攻撃は、ここダート平原の魔物を相手に練り上げたものだ。
いろいろな状況を想定して訓練と実戦を積み、即座に対応できる迄になるのに一年半もかかった。
体高二m、全長五mにも及び、全身が鎧のように硬い皮膚に覆われ、鼻先と額から生えた長大な角を武器とする大型の魔物、スタッグ・ライノ。
これを仕留める時はジーンとヒーロが耐えているうちに残り全員の攻撃魔術を何発も叩き込む必要があった。
巨大な犀からは、ただ攻撃魔術を当てるだけでなく、狙った場所に的確に叩き込む大切さを教わった。
獅人族の成人男性よりも体格の良いリーム・ホブゴブリン。
恐るべき棍棒の使い手でもある強力な戦士だ。
この相手からは一度に斬りかかる人数が多過ぎてもあまり良いことはないと学ぶことが出来た。
河川や沼地に生息する、大きなトカゲのような魔物、ハンザキン。
口から強力な溶解液を吐き、頭を潰さない限りは体を半分に切っても死なない強靭な生命力を持つ恐ろしい魔物だ。
攻撃魔術を連発する相手の想定にはもってこいの相手だった。
多種多様とは行かないが、純粋な肉弾戦や白兵戦以外の戦闘方法を学べたのは大きい。
ヒーロはこれらの強力な魔物に対して、いつも果敢に立ち向かっていった。
必ず先頭に立ち、相手の攻撃を躱し、受け止め、時には反撃しつつひたすらに耐え続けていた。
ウルフ・パックは彼の攻撃を起点にすることが多かった。
いや、彼がいたからこそ編み出された戦術であるとも言えた。
口数が少なく寡黙な質、喋ってもぶっきらぼうにボソリと一言くらいであることから、部外者からはニヒルな性格であると思われがちなヒーロ。
しかし、メンバーは彼がはにかみ屋だった子供の頃から知っている。
時には模擬戦でジーンをも打ち負かすほどの剣技を身に着けたと聞いて、レーンは剣を新調するタイミングで彼に自分がそれまで愛用していた高級な剣を譲り渡した。
跪いてその剣を受け取りながらヒーロは真っ赤に上気して昔のはにかんだような顔になると、普段は碌に喋らないくせに何度も何度も感謝の言葉を口にしていた。
レーンと同じように黒い髪をしたヒーロを、心の底では誰もが羨んでいた。
そのヒーロが、自慢の剣を一振りすら出来ないまま斃された。
――……え? ヒーロが、やられた?
予想だにしていなかった展開を目にして、メクイの思考は一時的に麻痺してしまった。
尤も、これはメクイ一人だけではない。
彼女と同様に現場を見ていたソリンとウルスラも同様である。
そのせいでジーンが下した攻撃命令は誤解しようのない単純明快な一言であったにもかかわらず、誰もが即座には反応出来なかった。
そして、命令を発したジーンだけが一足先に魔術師に近づいてしまう。
――っ! しまった!
焦るメクイ。
このままではジーン一人だけが先行してしまう。
本来であればこういう時は後方援護のソリン以外、つまりメクイとウルスラもジーンとは別方向から襲いかからねばならない。
倒れた拍子に背中を強く打ち付けたのか、ドノヴァンはまだ藻掻いている。
その脇をジーンが駆け抜ける。
その殺気に当てられて気がついたのか、魔術師は再び振り返った。
――これは……!
メクイとウルスラが出遅れたために、図らずも丁度よい時間差攻撃となる様相だ。
メクイは心の中で舌なめずりをする。
ジーンの剣技に対抗できるのはヒーロただ一人であったが、そのヒーロをも一刀のもとに斃した魔術師だ。
ジーン一人では分が悪い。
だが、ジーンとてそのくらいのことはわかっているはずだ。
故にジーンの狙いは魔術師の体勢を崩すことであろう。
――そこにあたしと……ウルスラが攻撃を重ねる……!
メクイは魔術師へと向かいながら、抜き身の歩兵用の剣を握り直した。
彼女の視界にはジーンに向かって振り向いた魔術師の右後方、隠れていた幹から半身を出して左手を魔術師へと指向しているソリンが見えている。
ちらりと遠くの方で魔術光とは異なる白い光が揺れた気がした。
――別の……追手? だけど……間に合わない。
ジーンは魔術師の正面から。
ウルスラは魔術師の右側から。
そして自らは魔術師の左側から攻撃を行う。
三人の連続攻撃で体勢を崩し続け、同時に魔法への集中をも阻む。
――そこを、ソリンが仕留める!
ソリンの魔術でも何でもいいが、一度でもまともに攻撃を当ててしまえば少なくとも魔法は使えないだろうし、必ず動きも鈍くなる。
今回は想定外の出来事のために初動が一拍遅れてしまったが、それすらもが味方になってくれたように最高のタイミングを取ることが出来た。
魔術師は右手に握った剣を前に突き出すように構えながら左手を真横に向ける。
と、同時に顔までこちらに向けた!
その時には左手の掌に青い魔術光が凝集している!
魔術への集中時間は信じられない程に早い。
しかし……。
――……最高!
何の魔術を使おうとしているのかはわからないが、魔術師の意識が自分に向いたのであれば他の者のチャンスと同義である。
メクイは恐るべき魔術師にその身を狙われていながらも勝利を確信した。
――ヒーロ……仇は……。
後は放たれる魔術を得意の体術を駆使して躱せばよい。
メクイは身軽さが売りであり、攻撃魔術の発射タイミングを読むことに長けている。
魔術師まであと五mを切った今、急激な目標の移動に対応できるはずはない。
メクイは剣を振りかぶりながらも大きな跳躍をすべく脚に力を込めた。
攻撃魔術は、目標が横に移動するよりも縦に移動した方が狙いにくいのだ。
魔術師の左手に凝集した魔術光がパッと弾けるように霧散した。
――……殺った!!
放たれた魔術を躱すべく上空へと飛び上がるメクイ。
同時に魔術師は、こちらに向けていた左手を前方に向けて旋回させ始めた。
――え、攻撃魔術じゃ……ない?
一瞬だけその動作に気を取られた直後、メクイの目には信じられないような光景が映っていた。
黒光りするような鉄の壁である。
「あうっ!!」
魔術師の左から、前方、右方を覆うように出現した半円形をした巨大な鉄の壁に行く手を阻まれ、正面からぶつかってしまった。
メクイが衝突した直後、同様の衝突音が二つ重なる。
そして。
「遅いな」
必死に壁の無い方、つまり魔術師の後方めがけて転がりながら立ち上がろうとするメクイの耳に嘲りの言葉が届く。
何故かは分からないが、メクイには魔術師の意図が正確に理解できた。
魔術師はソリンの精神集中が遅いと言っているのだ。
鉄の壁との衝突によってふらつく意識を無理やり叱咤して、メクイは一回転した後、左手を地に突いて立ち上がろうとした。
が、必死で振り仰いだ目の先では、鉄の壁に囲まれた中でもう一度振り返った魔術師がソリンと思しき相手に何かの魔術を放つところだった。
――火の玉だ!
左手の先で魔術光が凝集し、燃え盛る火の玉の一つが僅かに頭を覗かせた瞬間、メクイは悟った。
思わずソリンの方を向いてしまう。
――どうせ盲撃ち……適当な木にでも当てて目眩ましに……。
しかし、メクイの目には隠れていた木から半身を乗り出して手を伸ばすソリンの姿がしっかりと映っていた。
いや、映ったのはその手に被せたドノヴァンが使っていた水袋の穴から漏れる魔術光だ。
――でも……あの位置なら……。
光は脇の方にだけ漏れていて、正面にいる魔術師は気が付いていないかも知れない。
僅かな希望に縋るメクイ。
だが次の瞬間、無情にもその僅かな希望は打ち砕かれた。
魔術師の掌から放たれたファイアー・ボールは、メクイの知るそれとは全く異なっていたのだ。
魔術師の手から放たれた直後、ファイアー・ボールは幾つにも分裂したように見えた。
漏斗のように上下左右に広がる放射状に放たれた複数のファイアー・ボールは、次々とソリンがいた周辺に着弾し、辺りを業火に包む。
「ギャアアーーーッ!!」
絶叫を上げて地を転げ回るソリン。
彼女が巻いていたスパッツ型の脚絆、その右足が燃え上がっている事だけはメクイにもわかった。
「ソリン! クソッ!」
いち早く立ち上がったウルスラが鉄の壁を回り込んで魔術師に飛びかかった。
だが、魔術師はそれを見越していたかのようにウルスラに向かって素早く踏み込む。
そして、剣を持ったウルスラの右手を外側に払い除けると同時に右手の剣をウルスラの胴に突き込んだ。
「ごぷっ……」
胃をやられたのか、肺をやられたのか、ウルスラは血を吐いて倒れた。
たった一振りでウルスラを斃した魔術師は流れるように振り向きながらメクイに左手を向ける。
「クッ!」
また魔術だ! 一体どれ程の魔力を有しているのか?
踵を浮かせて反射的に身構えるメクイ。
鉄壁の脇にいるメクイと魔術師との距離は三~四m程か。
少なくとも仲間が放つ攻撃魔術であれば大抵のものは躱せる距離だ。
「退けっ、全員退けっ!!」
ジーンの声が響く。
――ヒーロとソリン、ウルスラを見捨て……。
瞬間的にメクイの表情が歪む。
だが、そんな彼女にもわかっていた。
ソリンはともかくとしてウルスラとヒーロは致命傷を負っているのは確実だろう。
こんなところでこれ以上仲間を失う訳には行かない。
そんな事ではこれから先、必ず戦場に立つと聞いているレーンを守る者がいなくなってしまう。
「今更見逃すか、阿呆」
魔術師は凄烈な笑みを浮かべると途轍もない速さで魔術を完成させたようだ。
横っ飛びに左に向かって地を蹴るメクイ。
今度はこの鉄壁が守ってくれる。
しかし……。
魔術師が使ったのは彼女が想定していたような攻撃魔術ではなかった。
――ア、アンチマジックフィールド!?
目の前を紫色に輝く板状の力場が通り過ぎる。
実際には何らの音を立てることはなかったが、目の前で見たメクイには風切り音すら聞こえた気がした。
鉄の壁はあっという間に消え失せてしまった。
驚愕に目を見開いたまま着地するメクイ。
即座に体勢を立て直すと同時に素早く反応できるよう、爪先立ちになりながらも腰を落としてバネを溜める。
だが彼女の目には新たな魔術光が凝集するところが見えていた。
――今度のも躱す……!
魔術光が凝集し、ぱっと散る。
――右、左、上?
魔術師はメクイが再び跳躍して逃れると思ったのか、メクイから見て少し左側に攻撃魔術を放ってきた。
ファイヤーかフレイムのジャベリンだろう。
高い実力を誇るかのように五本も弾頭を出している。
左方では退却を指示したジーンがドノヴァンを引き摺り起こしていた。
――あたしまで……逃げると思ったか!
メクイは溜め込んだバネを解放した。
……前方に向かって。
ショートソードを手に魔術師めがけて跳躍するメクイ。
ぞぶん!
左方に向けて撃たれた筈の五本のジャベリンが急旋回し、そのうちの一本が彼女の横腹を貫いた。
「あがっ!?」
思わず息が漏れる。
――ミサイル!? 確かに使えてもおかしくは……。
何年か前、ダート平原に来る前に一度だけレーンが放つところを見たことがある。
目標を追って軌道が変わる超高度な魔術だ。
左の脇腹に灼熱感を感じながらもメクイは左上から右下へと袈裟斬りに剣を振り下ろす。
そして、振り抜いた剣からは何の手応えも伝わって来ないまま地に落ちた。
彼女の耳には遠ざかって行く魔術師らしい足音が聞こえていた。
「ジーン様! そちらに!」
死力を振り絞って警告を発するが、期待したほどの大声は出せない。
恐る恐る傷口に手をやる。
「んぐっ!」
腹を貫かれたと同時に炎が止血の役目を果たしたらしいことはわかった。
だが、動けるとは思えない程の痛みが襲ってきた。
・・・・・・・・・
タンクール村の北方の森では、クロー、バリュート、デーニックの三人がアルが居るらしい方向へと馬を飛ばしていた。
月明かりが差し込むだけの暗い森の中、先頭で馬を操るデーニックは灯りが掛けられた石を掲げている。
「あれは……?」
デーニックが片手のみで見事な手綱さばきを見せながら言った。
前方数一〇〇mの辺りで火の手が上がったのが見えたのだ。
「火の玉……じゃない、火炎討伐だと思います」
小さいが複数の爆発音が聞こえてきたことと、火の広がり方を見てクローが答えた。
「フレイムストライク?」
聞いたことのない名に、生い茂る枝を頭を下げて躱しながらバリュートが問い返す。
「広範囲にファイアーボールをバラ撒くような魔術です」
クローの返答に想像力を掻き立てられたのか、バリュートもデーニックも押し黙った。
「……マリー達は動かんか」
しかし、少し進んだだけでバリュートは全然別のことを口にした。
「流石に距離が遠いですからね……比較的近い我々ならともかく、あそこからだと急いできてもそれなりに時間がかかります。団長がそれまで戦っているとしたら、相当な強敵の筈で、マリーやラルファ達はともかく、キブナルとラヒュートは足手まといにしかならないでしょう」
クローは冷静な声で返答した。
「ならば彼らは置いて来ても……」
「副団長、ここがどこかお忘れですか? 魔物がうろつくダート平原です。彼ら二人だけ置いて来ても危険です」
「確かにな」
話しているうちにフレイムストライクが着弾したと思しき場所までもう目と鼻の先になった。




