第百二十七話 光
7450年1月11日
「何だと!?」
アルの護衛に付けていた騎士達から報告を受け、ファイアブレイズ士爵は吠えるように答えた。
今はタンクール村からデーバス兵が土壁に攻め寄せて来始めたばかりで、応戦準備の指揮に忙殺されているところだったのだ。
「確かです。リーグル閣下は魔術攻撃で大怪我を負いましたが……」
「大怪我と言っても、即座に治癒が出来たところを見ると大した怪我ではなかったのかも知れません」
「閣下自ら治癒魔術を使ったようでしたし」
騎士達の報告は要領を得なかった。
傷を負ったにしても、自ら治癒したのであれば大したものではなかったのだろう。
士爵も軽い切り傷や打撲程度なら自ら魔法で治癒は出来る。
普段の何倍もの時間は掛かるけれども。
ファイアブレイズ士爵は湧き上がる怒りを堪え、努めて冷静さを保ったまま尋ねた。
「それで、リーグル伯は?」
報告はまだ途中であり、アルが敵の魔術師に狙い撃ちされたらしいところまでしか行われていない。
「は。敵の魔術師を仕留めると仰られ、単身森へ……」
「北東の方です」
「お止めはしたのですが」
少なくとも命に別状は無いようではある。
それどころか、敵の魔術師を追えるくらいなので、元気一杯のようですらある。
――役立たず共が!
士爵は思わず部下達を怒鳴りつけるところだった。
しかし、なんとかその衝動を抑えることに成功する。
「リーグル閣下が仰るには敵の魔術師は相当の手練らしく、今倒しておかないと危険だと……何でも第一騎士団の黒の魔女、グリード卿並みの魔術師じゃないと対抗出来ないと」
「それに、敵の魔術師は陣の後方へ回り込んで攻撃魔術を放つだろうと予測されておられました」
「ですので、北側も警戒すべきであると。我々にはこの件を閣下にご報告しろと……」
この報告には重大な情報が含まれている。
士爵は思わず北の方を見やる。
が、何も見えなかった。
「いかに凄腕であろうとたった一人を追うとは……」
士爵は思わずアルを詰るようなセリフを口にする。
「あ、いえ」
「その……」
「相手は複数だと伯爵が……」
どうやら騎士達の報告には抜けがあったらしい。
――何故伯爵が敵の魔術師を複数だと断定したのか、その根拠は……いや、複数の魔術を見たんだろう。
「……わかった」
士爵は低い声で答えた。
――しかし、あの黒の魔女に匹敵する魔術師だと? 俄には信じられん。
ファイアブレイズ士爵は、五年前に見た戦場でのミルーの活躍を思い浮かべる。
この陣地を築いたアル程ではなかったが、彼女も五分とかからずに橋頭堡を築いていた。
呆れるほど威力と射程を増強したファイアーボールを敵陣に撃ち込み、あっという間に防御施設を無力化していた。
誘導性を付加した攻撃魔術で敵指揮官に重傷を負わせ、撤退させた瞬間も見た。
もう助からないとしか思えない程の重傷者を治癒魔術で救ったという話も耳にした。
大量の水を作り出し、その戦では負傷者の傷口を洗うことも出来たし、全軍が飲料水に困ることはなかった。
黒染めの甲冑に身を包み、兜を小脇に抱えて美しい金髪を揺らしながら意気揚々と占領した村を闊歩する姿は、その美しい容貌とも相まってお伽噺に聞く魔女にしか見えなかった。
今回、アルを見て相当に驚いたが、それよりも彼女を初めて見た時の方が驚きは上だっただろう。まさに度肝を抜かれ、腰を抜かさんばかりだったのだ。
とは言え、陣地の構築一つとってもアルの技倆は当時の彼女を楽々と上回っているのは確かだと思われる。
そのアルが危機感を抱くほどの手練の魔術師が敵方にいるという。
まして、陣の裏に回り込んで攻撃魔術を放ってくるとの予測もある。
それを考えるとファイアブレイズ士爵は背中に冷たいものが滑り落ちるのを感じた。
「敵の魔術師とはそれ程か……」
唸るように呟いたが、その声は誰にも届かなかった。
「……そう言えば、リーグル閣下は敵の魔術で負傷されたと言っていたな? どんな攻撃魔術だったのだ?」
敵の使う攻撃魔術を、その概要だけでも知っている方がより効果的な警戒や防御が出来る。
当然の質問だった。
「そ、それが……」
「わかりません」
「気がついた時には閣下は膝をついており、臓物が飛び散っておられ……」
騎士達は狼狽しながら答えた。
「は?」
士爵は思わず間の抜けた声を上げてしまう。
――さっき大した怪我じゃないと言ってなかったか?
内臓が飛び散るほどの重い傷を負って治癒魔術を使える者など居る訳がないのだ。
そもそも、そんな状態でなお生きているなど想像もつかない。
あの黒の魔女ですら腕に受けた矢傷は別の者に治療して貰っていたのだから。
よしんばそんな真似が出来たとしても、直後に敵を追って駆け出すなど流言飛語の類にしても流石に無理筋な話だろう。
見間違いか、何か別の魔術なのだろうとしか思えなかった。
目標の怪我とは別に、内臓のような肉片や血液を飛び散らせるような攻撃魔術など士爵は聞いたこともなかったが。
「しかし、閣下が倒れられた時には確かに大怪我を負っておられました」
「血も沢山出て……」
「我々が近寄る時には両手が光っておりましたので治癒魔術を使っておられたのは確かかと……」
騎士達の報告を要約すると、アルが出した土壁の設置が終わった直後に攻撃されたらしい。
土壁の無い、陣の北側を注視していたために攻撃された瞬間は誰も見ていなかったという。
アルが声を上げたことで彼に注目したが、その時には既に大怪我を負っていながらも治癒魔術で回復中だった。
着ていた鎧下の脇腹には大きな穴が空き、脇腹も抉られたかのようになっていた。
恐らくは不意打ちに近い形で敵の攻撃魔術を受けたのだと思われる。
高度な治癒魔術によって、すぐに脇腹の穴も塞がり、アルは取り乱したりはせず落ち着いた様子で立ち上がった。
そして、今の魔術師が陣の裏に回って攻撃してくる可能性を唱えた。
また、その際のアルの言葉によると相手の魔術師は複数である可能性が高く、且つとんでもない手練のため護衛は足手まといだと断られ、アルは単身敵を追ったということである。
――戦場から逃れるための狂言か? いや、まさかな。意味がない。
士爵は素早く頭を回転させたが、どう考えてもこの強固な陣の裏にいた方が友軍に囲まれている状況にもなるので安全そうだ。
少なくとも今のところは。
まして、陣を離れる前に村からの攻撃は始まっている。
村から攻撃を受けているとは言え、すぐにどうこうなるものでもない。
そんな時にこの強固な陣を単独で離れる方が余程危険が大きそうなのは子供でもわかる。
――あの黒の魔女の弟だぞ? しかもドラゴン退治までしてのけたという勇者が今更この程度の戦を怖がるなどあり得ん。
アルは昼間も単独で敵の見張りを始末して回っていた。
「よし。貴様らはゾーヴの指揮下に入れ。奴の第三中隊に北側の警備を担当させ……」
「ぐあああっ!」
士爵の発言は土壁に登っていた弓兵の叫び声によってかき消されたが、騎士達は士爵の命令を誤解することなく走り出していた。
――しかし、昼間にこれだけの魔力を使って、そろそろ回復もしたかと思ったからまた壁を作って貰ったんだが……残りも治癒魔術で食われてしまったか……。
土壁を見上げながら、士爵は小さな溜息を吐くと再び指揮を執り始めた。
・・・・・・・・・
「散れ! 群狼陣で仕留めるぞ! まずはヒーロからだ!」
ジーンは囁くように命令した。
彼の命令を受けて、手下達は散らばるように森に身を潜める。
なお、群狼陣とは、目標を包囲した後、逃げ道を塞ぐように次々と襲いかかって撃滅する戦術の名である。
単純な包囲陣ではなく、相手の戦闘力に合わせて襲いかかる人数を調整するなど少しだけ高度な内容になっているのが特徴だ。
命を受けたメクイも大きな木の幹に隠れると敵魔術師の接近を待つ。
彼らは後を追う魔術師に見失われないよう、一定の距離を保ちながら森の中を移動していたのだ。
急に分散して隠れたこちらを見失ったのか、魔術師は一度だけ小首を傾げるような仕草をした。
だが、周囲を見回すこともせずにゆっくりと歩き始めた。
木々の隙間から差し込む月明かりに照らされてはいるものの、魔術師が被る兜が影を作り出している上、うつむき加減になっているためにその顔はわかりにくい。
体格からして男性だろう。
服装は白い鎧下のようなものを着ている。
そして……鎧下の右脇腹にはえぐれたような大穴が空いており、そこからは素肌が覗いている。
――なに……? あれ? 怪我してる?
まだ遠目だが、脇腹の穴の周囲は血が滲んでいるようにも見える。
――もしそうなら……動けるはず……ない。単に貧乏なだけ?
歩く速度こそ落としているが、周囲への警戒は疎かなようだ。
その歩みは、メクイから見て無防備かと思えるほどに警戒心を感じさせない。
――ふふふ……魔術師としてはかなりやるようだけど、森での戦いは素人丸出し。
そして、まんまと包囲陣の中に進み出てきた魔術師を見てメクイはほくそ笑んだ。
最初は白兵戦最強のヒーロが背後から襲い掛かり、それを魔力の切れたドノヴァンが援護する。
残った全員もただ見ているだけではない。
援護に最適な位置を保ったまま付かず離れず移動し、隙あらば攻撃魔術などで適宜援護を行うのだ。
――ヒーロ……そのタイミングは最高……!
魔術師の後ろから忍び寄るヒーロを見て、メクイは心の中で快哉を叫んだ。
そして僅か一〇秒後、息を呑む。
ヒーロの接近に全く注意を払っていないように見えた魔術師だが、ヒーロが彼の背後数メートルにまで接近した時、急に剣を抜きながら振り返ったのだ。
盾こそ持っていないが、その構えは堂に入ったものであり、歴戦の戦士の風格をすら漂わせた、重厚で隙のないものであった。
ヒーロは何らかの重圧でも感じたかのように、少しだけ焦りの表情を浮かべて前進を止めた。
「なんだ、一人だけか? せっかく囲まれてやったのに」
余裕の表情で魔術師は嘯く。
その顔は兜が月明かりを遮っていたため、嘲るような表情が見えた者は少なかった。
だが、丁度魔術師の右に位置していたメクイにはよく見えていた。
猫人族である彼女は【夜目】の特殊能力を使っていたのだ。
レーンの盾の面々の多くは亜人で構成されているが、メクイの他にリーダーのジーンとドノヴァンも【夜目】を持つ虎人族だ。
魔術師は薄い笑みを浮かべながらも、右手に構える剣先を全く震わせていない。
――不気味な奴……。
メクイは少しだけ警戒レベルを高める。
だが、ヒーロの剣技に対する信頼感はそれ以上であった。
魔術師に振り向かれた際に浮かべた焦りの表情はとうに消え、今はぼうっとした顔つきをしている。
これは相手の体全体を同時に眺めるヒーロ独特の、相手を観察する表情だ。
この表情で相手を見始めたヒーロは、ごく僅かな動作も見逃さない。
いわゆる後の先を取るための、ジーンをも上回る剣技を使用する用意でもある。
――え? 今の……何?
魔術師の容貌を確かめようと、その顔に意識を集中していたメクイだけが気がつけた。
魔術師の目が一瞬だけごく僅かな光を発したように思えたのだ!
あまりに小さく、薄く、ごく僅かな瞬間だけ光ったために、実際に目にしたメクイも何かの見間違いかと思った程である。
――何かの……魔術?
メクイの脳内に警鐘が鳴る。
光は魔術光のようにも思えた。
何にしても、【赤外線視力】を使用中であろうウルスラなら眼の前で見ても気が付かない。
しかし、普人族のヒーロやソリンなら辛うじて気がつく可能性もある。
メクイはヒーロの様子を窺ったが特に変わりはなかった。
一瞬だけ声を出して伝えるべきかどうしようか迷う。
が、新たな状況が目に入ったために、声を出す事はなかった。
ヒーロに向かって振り向いた魔術師の背後、ヒーロの反対側から歩兵用の剣を持ったドノヴァンが隠れていた木を離れ、そろりそろりと出来るだけ気配を消しながら接近していたのだ。
ヒーロの奇襲が気取られてしまった以上、これは予め決まっていた行動だ。
「ん~、小出しねぇ……。ま、いい。それよりお前さんら、話をする気はあるか? 常識外れでなけりゃ言い値で雇っても……」
魔術師は愚かにもこちらを買収しにかかった。
メクイはスッと目を細め、念の為にとヒーロの顔色を窺った。
だが、ヒーロの表情は毛ほども揺らいでいない。
魔術師から見えないように自らの身体で刀身を隠し、素早く動けるよう独特の猫足立ちのような構えをしたままだ。
――ごめん……ヒーロ。一瞬でも疑ったあたしが馬鹿。
心の中でヒーロに詫びる。
全く反応を示さないヒーロを少しだけ面白そうな顔をして眺めていた魔術師はゆっくりと剣を引き絞るように自らの身体に近づける。
――突きを狙ってる。でも、もう少しでドノヴァンの間合いに入る。
メクイが思った瞬間。
「……無理そうだな。……法も無いみたいだし、じゃあお前から死ね」
魔術師はそう言った。
・・・・・・・・・
「相手の魔術師はどうか?」
ファイアブレイズ士爵は壁の上に尋ねる。
「何人かは討ち取ったか、無力化したとは思いますが、残ってる奴はかなりの手練です」
壁の上で魔術部隊と弓兵の指揮を執っていた中隊長の一人が返事をした。
魔術部隊にはバルミッシュと共に参戦してきた第一騎士団の猛者も含まれている。
ここまでに両陣営が受けた損害の数自体は知れていた。
日の暮れたあと、大して明かりもない上にお互い距離を置いての小規模な遠距離戦の為である。
ロンベルト側は、デーバスの狙撃手を一人に盾兵を三人、弓兵二人、魔術師らしい者も三人仕留めている。
だが、こちらの魔術師も二人が討ち取られ、盾兵一人に加えて弓兵に至っては四人も討ち取られている。
しかも、損害の半数近くにあたる三人はたった一人の相手にやられたという。
絶対的に有利な高所、しかも要塞のような土壁の上に陣取っている筈なのに、ロンベルト側の旗色は良いとは言えないだろう。
その理由はひとえにデーバスにいる手練の魔術師のせいだ。
恐らくは魔法の射程ギリギリの六〇mあたりから攻撃魔術を撃ち込んで来ている。
それだけの距離が開いていれば、普通なら発射を見てから盾で受け止めるなり弾くなりすることは盾の扱いに熟達した者であればそう難しくない。
事実、その魔術師が放ったと思われる魔術弾頭も二発がそうして弾かれている。
しかし、その魔術師が放つ弾頭速度が尋常なものではなかったのだ。
速度に魔力を込めた、通常の倍以上とも思われるような超高速だった。
弓を構え、射撃しようとした時。
手を相手に向け、精神集中を始めた時。
それらの攻撃兵を護るべく、大盾を構えた時。
そんな時を狙って高速な魔術弾頭が放たれて的確に急所を貫かれ、兵達は死んでいった。
このお陰で少し前から戦闘は小康状態を保っていた。
ロンベルト側が学習し、迂闊な行動を取らなくなったためだ。
それに伴ってデーバス側も犠牲が減ったのは少し皮肉ではある。
尤も、デーバスの側もゲリラ戦のように陣の前をあちこちに移動しながら撃って来るだけで、一定以上の距離を保ったまま近づいて来ない。
状況は膠着していると表現して良い。
いっそのこと多少の犠牲を覚悟した上で騎兵を突撃させて一気に蹴散らしたらどうかという案も出てきた。
この案を提出したのはバルミッシュであったが、折角の積極的な案も司令官であるファイアブレイズ士爵によって却下されている。
バルミッシュはこちらが騎兵を出せば先方も弓兵や魔術師を護るために騎兵を出して来るはずであり、それを狙って乱戦に持ち込めば良いと主張していた。
彼にしてみれば、今回の出兵で少しでも大きな手柄を上げたいのだから、積極策の提案は当然とも言える。
そして、純軍事的にはそう間違った案でもない。
対してファイアブレイズ士爵はここに来ていきなりデーバスが仕掛けてきた事自体に不審感を拭えないでいた。
何しろ増援の到着は報告されていない。
いや、正確には複数(?)の敵魔術師の増援は確認されている。
だが、その増援に対してはリーグル伯爵が対応しており、今のところ彼の追撃を逃れて村に入ったという報告はないし、回り込まれて後ろから攻撃されることもなかった。
つまり、現在のタンクール村には大した兵力はいない筈である。
既に討ち取った魔術師や弓兵にしても、なけなしの遠距離戦力であろうことは想像に難くない。
凄腕一人で戦況をひっくり返せるものではないだろう。
しかし、その凄腕が何人も居れば戦況がひっくり返らないにしても、大きな損害を被るであろう。
士爵が引っかかっていたのはその一点である。
増援の魔術師がどうなったのかはっきりしないためだとも言える。
それはそうとして、そもそもタンクール村の占拠についてだ。
村の占領は今回の出兵においてはあくまで副次的な目標である。
それなりの人数で“何日か攻めた”という実績さえ積めれば作戦は成功なのだ。
そうなると犠牲は少ければ少ないほど良い。
「ここは待ちだな……しかし、バルミッシュ殿も何を焦っておられるのか……?」
・・・・・・・・・
魔術師は残像でも残すかのように一瞬で移動した。
――風魔法?
ある程度の距離を保って横から見ていたメクイには辛うじて理解出来たが、吹っ飛ばされてもんどり打っているドノヴァンと一瞬で首筋を断たれたヒーロには何が起きたのか理解出来なかった。
そのメクイにしても、魔術師がいつ剣を振りかぶり、振り抜いたのかはわかっていない。
今、メクイから見て左の方に転がっているドノヴァンが居り、右には剣を構えたままのヒーロが居る。
そのヒーロの少し右に剣を持ったままの魔術師が立っていた。
ゆっくりと魔術師が振り返ると同時に、ヒーロの首から噴水のように血煙が上がる。
ヒーロは何も言わずにそのまま崩れるようにして地に伏した。
「ぁ……」
予想だにしなかった光景に目を奪われ、メクイは満足に声を上げることも出来なかった。
「っ……か、かかれっ!」
掠れたようなジーンの声が木立に響く。




