第百十八話 出陣
7450年1月11日
ダービン村南部。
このあたりは深い森が一面を覆っているので見通しは良くない。
現在の時刻は、日が昇って数時間が経った頃だ。
朝靄もとうに晴れ、森の中にはあちこちに木漏れ日が差し込んでいる。
この森の茂みの中に、数人の男女が潜んでいた。
彼らは、先日ダービン村に到着したロンベルト王国の第四騎士団に所属する兵士である。侵攻部隊の司令官であるファイアブレイズ士爵に命じられ、この地に今まで駐屯していた第二騎士団の部隊と入れ替わりにダービン村の外周を警戒していた。
そんな彼らの間に緊張が走る。
数十m先に人影が見え隠れしたのだ。
現在彼らが居る位置から考えて、彼らより南方向から接近して来るのはデーバス王国か、魔物だけだ。
しかし、緊張はすぐに解けた。
近づいてきたのは前日に送り出した偵察隊であった。
偵察隊は四人一組で構成されているのだが、帰還した人数は二人だけだ。
帰還した偵察隊員達は水を飲ませて貰うと、すぐに臨時司令部が置かれている領主の館へと向かった。
司令部となっている館の居間に置かれた大きなテーブルには、ダービン村とタンクール村の位置関係と目印になるような岩だの森の中の開けた場所だのが描かれた簡素な地図が広げられている。
その地図や司令部要員達の会話から、タンクール村はダービン村の南南東に一五km前後離れた場所にある事が分かる。
「よく戻った。しかし、他の部隊がどうなったか知らぬか?」
司令部に出頭した偵察隊員に司令官のファイアブレイズ士爵がまず尋ねたのは、偵察の成果ではなく、まだ未帰還の他の偵察部隊のことであった。
――ふーん……ま、今の所はなんとも……。
その様子を見たアルは壁際に立ったまま目を細める。
偵察隊員によると、目的地であるタンクール村の近辺までは潜入出来たものの、夜明け前に発見されてしまい、村の防備状況については碌にわからないとのことである。
当然、まだ未帰還の他の部隊の動向についても不明であった。
――それじゃあ、わざわざこちらの接近を教えに行ったようなもの……とまでは言えないか……。
アルとしては、この状況で偵察隊を送り込む意義について、幾つか思い当たる事もあるのだ。
――まぁ、俺ならやらないが……っと、魔法は置いて考えるべきか……。自衛隊で受けた陣地防御や攻撃についての教育も一回忘れるべきだろう。
個人携帯可能な長射程、高威力、高精度の武器や装甲車両、遠隔地との通信能力も無い時代の戦争について、アルは戦史でごく僅かに学んだ程度であり、碌な知識を持たない。
それでも、防衛大学校や自衛隊で、戦術については基礎的な教育も受けているし、オースでも上級貴族としての教育を受けていたおかげで「ロンベルト王国の平均的な騎士よりはかなりマシ」ではある。
何にせよ、最初に戻った偵察部隊は碌な情報を持ち帰れなかった。
――こういうことは幾らでもあるはずだ。どうするのかな?
オースでのセオリーに従うなら、少なくともタンクール村を防備する人数について、ある程度信頼が置けそうな情報が得られるまで、引き続き偵察を行う、という案がある。
または、こちらの本隊の到着が既に察知されているものとして、偵察隊は出しつつもどうせ察知されているのであれば少しでも距離を縮める為にも進軍を開始する、という案もある。
――俺なら、強行偵察を兼ねて強襲だな。
興味深そうに眺めるアルの前で、ファイアブレイズ士爵は偵察隊員に休息を命じると、幕僚と相談を始めた。
部下達から意見を集めた上で判断を下そうというのだろう。
元々、士爵の部下であった第二騎士団の幕僚は大まかに二つに意見が割れたが、基本的にはまだ戻らない他の偵察隊の帰還を待つ、という意見が優勢のようだ。
が、第一騎士団から送り込まれてきたバルサード・バルミッシュという小隊長は全く別の意見を述べた。
「全軍を上げ、可及的速やかに進軍を開始すべきです。また、専門の偵察隊を出す必要はないと存じます」
彼の言葉を聞いて、ファイアブレイズ士爵やその部下、そしてアルまでもが表情を改めて彼に注目する。
「今集結している部隊を大きく二つに分けます。騎兵と歩兵です。なお、騎兵は出来るだけ多くの数を揃えます。多少未熟でも騎乗出来るなら構いません。歩兵部隊からは指揮官のものも含め、全ての軍馬を徴収し、第四騎士団の輜重部隊からも調教された軍馬は全て徴収します……ああ、急遽観戦にいらっしゃった伯爵閣下も軍馬を八頭もお持ちのようですから、それも全て徴収すればおそらく一〇〇騎強の騎兵部隊が作れるはずです」
アルの方を見もせずに、当然のような顔をして上級騎士バルミッシュは言った。
――な!? 俺の馬まで?
アルとしては断りたくて仕方ないが、発言を許可された訳ではない。
目を見開いてバルミッシュの顔を見つめるしか出来ることはなかった。
――これはまずいぞ。参戦なんか真っ平だったが……あの蹄鉄を履かせた軍馬を貸すくらいなら……しかし、馬車を引く馬まで軍馬だと見抜かれなかったのはまだマシか。
そんなアルにちらりと目を向けただけですぐに視線を戻し、バルミッシュは続ける。
「騎兵部隊は速度優先で突出します。流石に騎士はあれなので別ですが、少しでも身軽にするため全ての馬からは馬用の鎧も外します。ああ、この場合の速度というのは移動速度です。戦場での身軽さではありません。とにかく少しでも早くタンクール村、先方の陣地に姿を現し、隙があるのであれば攻撃を仕掛け、すぐに引きます」
「しかし、一〇〇を超える騎兵がタンクール村に到着するまでに発見されないとも考えにくい」
第二騎士団の幕僚が疑問を呈する。
「そりゃあ、夜陰に乗じた偵察隊が発見されたのですから、当然発見されるでしょう」
肩を竦めながらバルミッシュは答える。
「ならば、見張りに攻撃を受け……」
「一〇〇騎の騎兵にですか? 数人の偵察部隊ならなんとかなることもあるでしょうが……先程の偵察隊ですら半数は逃げ延びていますよ? 見張りなんですからその程度の戦力しかないのは当然ですが」
バルミッシュに即座に返された事でその幕僚は言葉に詰まって黙った。
「尤も、発見されないに越したことはないのは確かです。しかし、今回は偵察隊が見つかってますので今更です。さらに言えば、例え少数の見張りに発見され、攻撃されたとしても、蹴散らす時間の方が勿体無い。見張りなんかにかまけて進軍が遅れる方が問題です」
不満げな顔だった幕僚はすぐに恥じ入るように表情を変えた。
「とにかくこちらは見張りよりも速い馬ですし、笛か何かで発見の報がタンクール村に齎されたとしても、迎撃態勢を整えるにはそれなりの時間も掛かるものと思われます。相手の迎撃態勢が整う前に陣地を見るくらいは出来るでしょうし、あわよくばですが、防衛施設の一つや二つ、破壊出来るかもしれません」
「相手が油断なく防備を固めている事も考えられる。何しろこちらの偵察隊が見つかったのは夜が明ける何時間も前なんだからな」
先ほどとは別の幕僚が尋ねた。
「その場合は無理な攻撃はしません。が、発見された直後の二~三時間は防備が固まったでしょうが、今はもう七~八時間は経っていますし、夜が明けてから数えても四時間ほど経っています。常識で考えるなら交代で休憩を取っている頃です。どちらにせよタンクール村の陣地の状況くらいは分かるでしょう」
バルミッシュは教え含めるような口調で答えた。
その言葉を聞いた幕僚は腕を組んで考え込んだ。
「加えて言うなら、防備がしっかりと固められ、当初の予想を超えて防衛人数も多いようならダービン村の防衛に必要な人数だけを残してさっさと撤退すべきです」
バルミッシュはそう言うと、裁可を仰ぐように司令官の顔を見た。
――バルさん、思い切りがいいな。
アルは苦笑を浮かべながらもバルミッシュについて評した。
だが、アルの評価はそれなりに当たってはいるものの、見当ハズレとも言えた。
バルミッシュやファイアブレイズ士爵など侵攻部隊の幹部が受けた命令は「タンクール村に対する攻撃」であり、その占拠については絶対条件ではなかったのである。無論、占拠できればなお良いが。
ロンベルト王国としては「今まで通り、我が国はダート平原に対して領土的な野心を失っていない。その証拠に今回も第一騎士団からそれなりの人数を差し向けている」というポーズを内外に知らしめたいのだ。
勿論、その真の狙いは北方に対して増強する軍事力から目を逸らすためだ。
要するに、タンクール村が占拠出来ようが出来まいがどちらでも良い、とも言える。
一〇〇年近くも続けられてきたダート平原の小競り合いは今後も継続するし、ロンベルト王国はそちらに注力していると内外に思わせることが出来れば良いのだ。
バルミッシュの視線を受けて、ファイアブレイズ士爵は地図を見つめながら暫し黙考する。
第二騎士団の幕僚達は説明が不十分だと不満気な面持ちだが、ファイアブレイズ士爵は司令官に任ぜられているだけあって、バルミッシュが言わんとする所を正確に理解した。
「バルミッシュ卿の意見を採用する」
地図から面を上げた士爵が宣言した。
――ちっ。ならば……。
苦い気持ちを押し隠し、アルは声を上げようとした。
しかし、更に続く士爵の言葉に口を噤む。
「輜重部隊を除き、第四騎士団も含めて一時間後に全軍をタンクール村に向けて出発させる。その際、騎兵のみで構成された一〇〇騎の部隊を強行偵察部隊として先行させる。落ち合うのは出発の五時間後。場所はここだ」
士爵は地図上の一点を指して言った。
その場所はタンクール村から北西に一・五kmほど離れた場所にある、森が薄くなった場所だ。
「今夜はここに陣を張る。強行偵察の内容如何で明日の夜明けと同時に総攻撃を行う。バルミッシュ卿。騎兵部隊の人選と指揮、軍馬の調達は任せてもよいか?」
バルミッシュは「お任せ下さい」とだけ返事をして微笑んだ。
その後、不測の事態が発生した際の取り決めなど、細々とした打ち合わせを終え、幕僚たちは命令を実行するために司令部から散っていった。
「バルミッシュ隊長」
アルはバルミッシュを呼び止める。
バルミッシュは声を掛けられるのが分っていたとでも言うように余裕の表情でファイアブレイズ士爵に頷きかけるとアルに正対した。
「私と部下も強行偵察に志願します」
アルは無表情を装って述べた。
「了解しました。八騎と考えても宜しいですか?」
――俺、バリュート、デーニック、クロー、マリー、ズールーは確定として、問題はラルファとグィネだな……。
「勿論です」
――あいつらの馬にはラヒュートとキブナルを乗せればいいか。ラルファとホワイトフレイムが残ればグィネはまず大丈夫だろうし……。
「では二〇分後までに村の南に集まってくれ」
「了解しました」
・・・・・・・・・
ダービン村に駐屯していた侵攻部隊は出発の喧騒に包まれている。
その端の方にリーグル伯爵騎士団はいた。
「……という訳で強行偵察に参加することになった。で、だ。ラルファ、グィネ。お前たちは騎乗戦闘についてはまだ不得手だろうから居残りだ。キブナル、ラヒュート。装備を整えて彼女らの馬に乗れ」
真剣な顔で言うアルの言葉を聞いて、ラルファとグィネは熟練冒険者の表情で頷く。
「ああ、鎧は着る時間がないだろうから武器だけでいいそうだ。今日は私も鎧は着ない。だが、盾くらいは持っていけ」
そう言いながらもヘルメットだけは被るアル。
アル自身、馬上で使う盾の技術は平均的なものだが、元々盾という防具は使用者が未熟でもそれなりの防御力を発揮してくれる。
「皆の鎧や荷物は馬車で集結地まで運んでくれ。ラルファ、頼んだぞ」
手早く身支度をしてアルに率いられたリーグル伯爵騎士団は村の南に向かった。
――攻撃手順は移動中に伝えられると言っていたが……。くそ、こうなるとは……。
侵攻部隊の指揮下に組み入れられることもある、とは聞いており、それも仕方がないと納得はしていた。
だが、たとえそうなるにしても攻めあぐねての一手とか、頑強な抵抗にあって敗走するなどの状況に陥らない限りそういう事態にはならないであろうと予測していたのだ。
「何事も思い通りにはならないもんだよな……」
「ご主人様、何か仰られましたか?」
「いや、なんでもない。俺から離れるなよ」
「身を挺してでもお護りいたします」
「違う。手柄を立てようなんて思うなってことだ」
「ご主人様をお護りするのが私の手柄です」
「……そうだったな」
――こんなところで一人だって、一頭だって失えない。畜生、こんなことなら……。
愛馬の背に揺られながら、アルは独り臍を噛んでいた。




