第百十一話 辺境にて 4
「ゲオオォォッ!!」
広場の真ん中でワイヴァーンは咆哮をあげる。
その姿は苦痛に喘いでいるようにも、仲間に警告を発しているようにも見えた。
「散れっ!! 早く、全員散るんだ!!」
カンビットの隊長が慌てて命じた事で、全員が広場のワイヴァーンに背を向けた。
その思い切りの良さは瀕死のワイヴァーンの攻撃を受けるのは運が悪い奴で、自分はそこまで不運ではないとでも言うような感すらある。
尤も、この場に残っていても新手として二匹ものワイヴァーンが到着してしまえばどうなってしまうのか、誰にだって想像がつくので当然だとも言える。
グレースはフィオと一緒に一目散にもと来た方を目指して走る。
「ゲッ!? ギャアアッ!!」
不運な誰かの絶叫が広場に迸った。
背後からワイヴァーンの攻撃を食らってしまったのだろうか?
「グブッ!!」
グレースの左隣を走っていた女が、突然血を吐きながら何かに突き飛ばされたかのように僅かに加速したように見えた。
思わず横を見た時には、女はその場に崩折れていた。
背中に毒の尻尾を突き刺されたのだ。
グレースとて冒険者である。
今までの冒険者生活で魔物に倒された者を見たこともある。
だが、これ程に呆気ない死に様は初めて見た。
「グレースッ!」
右隣を走っていたフィオがグレースの方へ左手を伸ばしてくる。
邪魔になっている槍を寄越せというのだろう。
フィオへ槍を渡すと走りやすくなった。
その御蔭もあったのか、再度ワイヴァーンが放った尻尾の先は、僅かな差でグレースには届かなかった。
元の場所まで戻った時、初めて後ろを振り向いた彼女の目には広場に転がる二人の犠牲者が映っていた。
グレースとフィオの二人がやっと一息吐いたその時。
彼らの右手の方から数人の男達が広場へと飛び出してきた。
全員慌てた様子で、中には腰の剣を抜こうとしている者もいる。
「ばかっ! 戻れっ!!」
それを見たのか、再びカンビットの隊長の叫び声がした。
隊長以外の面々も、彼らに対して口々に警告している。
何しろ、もうすぐ二匹のワイヴァーンが広場に来てしまうのだ。
だが……。
彼らを追って広場に姿を現した存在を見て、全員が絶句してしまう。
「あれは……!」
「なんてこった……」
そして、すぐにそこら中で言葉が飛び交った。
「オーガだ!」
「に、二匹もいるぞ!?」
「おい、どうすんだよ、これ?」
フィオ達とは反対側の森へ首尾よく逃げ込んだエセル達、ヘジェック村の面々も似たような物だったが、すぐに全員が気が付いた。
「あれ、ジョーヴか?」
「そうだ。ジョーヴさんだ!」
従士長のジョーヴは少しばかり年を食っていたため、走る必要がないと予想されていたアーバレストの要員に選別されていたのだ。
「ジョーヴ! こっちだ!」
エセルの兄が叫ぶ。
「グゲッ! ゴッガグゥ!」
広場に避難してきたアーバレストを操っていた者達の中には、改めてオーガの叫び声を聞いて腰を抜かしたようにへたり込み、抵抗を諦めてしまった者もいるようだ。
その男に寄った一匹のオーガが棍棒を振り上げ、
「グァゾッ!」
振り下ろした。
「ぺぎゃっ!!」
哀れな兵士は頭部が胴体にめり込んだようになって動かなくなった。
「ゲップゲップ」
「ゴッホゴッホ」
それを見てオーガ達は笑い声のようなものを上げ、手近な獲物に目をつけた。
若い兵士だ。
「ジョーヴ!」
「急げ! こっちだ!」
エセルの兄はジョーヴに呼びかけている。
その声が届いたのか、ジョーヴは彼らの方を目指して一歩を踏み出した。
しかし、あまりに慌てていたためか、足をもつれさせてよろめいてしまった!
「グァゾッ!」
先ほどとは別のオーガが棍棒をスイングし、若い兵士に命中させた。
五mも弾き飛ばされた若い兵士はよろめいていたジョーヴに当ってしまう。
「ぐあっ」
ジョーヴは若い兵士の下敷きとなり、倒れてしまった。
「ギャブゥ!」
「グェハハァ!」
二匹のオーガはその様子を見て嘲嗤う。
だが、それきり二匹のオーガはジョーヴやエセル達には見向きもせずに、血塗れのワイヴァーンに目を付けた。
ワイヴァーンの方も体力を使い果たしたのか、地に倒れているのだ。
「く、くそ。おい、エセル、一緒に来い! 助けに行くぞ!」
言うが早いかエセルの兄は広場に飛び出した。
「はい!」
エセルも躊躇いもせずに兄に追随する。
それを見て慌てたのはフィオとグレースだ。
「ねぇ! あの人!」
「ああ、カニンガムさんだ!」
エセル達がオーガに追われて広場に飛び出してきた者達を助けるべく行動した事は、彼らにもすぐに理解できた。
同時に、グレースが引き留める間もなくフィオも飛び出した。
オーガに殴られた兵士はまだ生きているかも知れないし、その下敷きになった人だって怪我くらいはあるかも知れないが、あの程度で死ぬようなことはあるまい。
ならば剛力を誇る自らが行って引き摺った方が早い。
フィオはそう考えたのだ。
まして、ジョーヴと若い兵士が倒れている場所はフィオ達が隠れていた場所の方が近いのだ。
「カニンガムさん、戻るんだっ!!」
エセル達はフィオに言われても戻らなかった。
「フンッ!」
気合いを込めてフィオは剛力の特殊技能を使用し、ジョーヴと兵士の襟首を掴むと引き摺りあげた。
「ゴアゾ、ゴアゾゥ!」
オーガ達は瀕死のワイヴァーンに棍棒を振り下ろしている。
――戻れと言うのに……だが、目を付けられていないのは運が良かったな。
フィオは二人の生死を確認して時間を浪費するような真似はせず、そのまま引っ張り始めた。
「すまんっ!」
そこにエセルの兄が駆けつけ、エセルと二人でジョーヴを受け取った。
ジョーヴは気を失っているようでぐったりとしている。
「二番、四番、射撃用意!!」
そんなところにエノーグの号令が響き渡る。
――もうワイヴァーンが!?
エセルやフィオの背中に冷たいものが流れ落ちる。
「四番、まだ掛かりますっ!!」
情けない返答があった。
「二番、行けるか!?」
「はっ!!」
「目標はオーガだ! 狙い易い方で構わん!」
「はっ!! 腰布が短い方をやります!」
「よし、クロスボウを放てる者も腰布が短い方を狙え!」
それだけ命じると、エノーグは流れる冷や汗も拭わずにタイミングを図っていた。
――まだか……? まだか、まだかっ!?
そして、永遠のような数秒後……。
――来たっ!
梢から新手のワイヴァーンが姿を現した。
「撃てぇっ!!」
一斉に放たれる矢に、オーガは貫かれた……かに思われた。
だが、腰布が短いオーガは何本かのクロスボウの矢が突き刺さったものの、手にした棍棒でアーバレストの矢を受け止めていた。
しかし、エノーグは気にせずに落ち着いていた。
彼の側にいる、一番のアーバレストの射手はきっちりと広場の少し上に狙いを定めたままであったのだ。
新たに飛来してきたワイヴァーンがオーガに目を付け急減速する。
タイミングを見計らっていたエノーグは命じた。
「撃ぇっ!」
射手は即座に引き金を引く。
アーバレストの板バネは溜め込んでいた弾性エネルギーを解放した。
弾性エネルギーは運動エネルギーに変換され、装填されていた矢を強烈な勢いで弾き飛ばす。
大きなエネルギーを内包した矢は唸りを上げて飛翔する。
命中確認をする暇もなくアーバレストには再びクランクが取り付けられ始めている。
「おおっ!!」
「やった!!」
「いいぞ!!」
歓声が湧き起こる。
クランクを巻き上げる者達にとって、その歓声が結果を物語っている。
「急げ!」
エノーグはアーバレストを振り返りもせずに次弾の装填を急がせた。
「ゲエェェッ!!」
アーバレストの矢を受け、大きなダメージを負ったワイヴァーンは苦痛の声を上げると地上に降り立った。
「ゴアップ!」
「ガゾド、グラン!」
いきなり現れた新手の脅威が、あっという間に弱った事に喜ぶオーガ達。
一匹のオーガがそのワイヴァーンに向かい棍棒を振り上げた。
振り下ろそうと力を込める。
「ダァグンガッ!?」
だが、ワイヴァーンの方も黙って殴られはしないようで、素早く体の向きを変えると尻尾を突き出したのだ。
「ギャオアアァッ!!」
オーガの肩に尻尾の先が突き刺さった。
その間、クロスボウから矢を受けた方のオーガは、彼に痛みを与えた相手に相応の報いをくれてやるべく周囲を窺っていた。
だが、広場を取り囲む森を見渡しても目ぼしいものは見つけられなかった。
仕方ないので、広場から逃れようとする者達に目を留めた。
つまり、オーガやワイヴァーンに背を向けて、森へと向かっていたフィオやエセル達だ。
彼らがクロスボウを放ってきた相手でないことは、勿論そのオーガにも判っていたが、とにかく何かを叩き潰したい欲求に駆られていただけである。
“どすん”と響く足音を聞いて、フィオは即座に危険が迫っていることを悟った。
――このままでは逃げ切れん。
まだ生きているか、既に死んでいるか不明な男をエセルに預けた。
「フィオさん!?」
男を押し付けられながら、エセルは言わずにおれなかった。
『任せたぞ!』
フィオは剣を抜きながら振り返って言った。
――そう言えば、たった一人で何匹ものオーガを相手取ったと……。ならばたったの一匹くらい、俺にも。
口を引き結び、僅かに腰を落としつつ爪先立ちになるフィオ。
――槍があれば……贅沢は言ってられんか。
「おい貴様! 戻れっ!! クソッ! 飛び道具持ちは援護しろっ!」
剣を抜いて振り返ったフィオを見て、カンビットの隊長は叫びながら広場に飛び出してきた。
彼にしても誰かが時間を稼がねば、負傷者を運んでいるエセルとその兄が逃げ切れないことはすぐに理解できたのだ。
――先ずは脚を狙うべきか……。
フィオは落ち着いて迫り来るオーガを見る。
――左足に矢を受けているな。ならば……!
突進してくるオーガの左の太腿に矢が刺さっている。
轟音を上げてスイングされた棍棒を身を縮めて躱し、右方向に転がりながら左足に斬り付けた。
と、同時に一本の矢がオーガの胸に突き立った。
誰かがクロスボウを放ってくれたのだろう。
「ゴデュー!!」
何やら叫びながら、オーガはすぐに胸に突き刺さった矢を引き抜いた。
フィオが立ち上がった時、オーガの肩越しに更に新手のワイヴァーンが見えた。
「来るぞッ!!」
念のために警告を発しながら、フィオはワイヴァーンとの間にオーガを挟むように素早く動いた。
再びオーガが棍棒を振り被る。
今度は振り回すようにするのではなく、叩き潰すように棍棒は大きく持ち上げられた。
あれを喰らえば大柄なタイガーマンであるフィオとてひとたまりもあるまい。
棍棒が振り下ろされる。
――よし!
素早いステップを踏んで、フィオは棍棒を躱すが……。
――何っ!?
棍棒にはアーバレストの矢が突き刺さったままであった。
「クゥッ!!」
なんとか身を捻り、ギリギリで躱すことができた。
だが、無理な体勢になってしまったため、次のステップが遅れてしまう。
「ヌオオッ!」
しかし、カンビットの隊長が駆け込んで、オーガの腕に槍を突き込んでくれたため、フィオにとって貴重な時間を稼ぐ事になった。
「せりゃああっ!!」
気合一閃、フィオはオーガの左足に深く剣を突き込むことに成功した。
「グギェッ!!」
痛みに顔を顰め、オーガは左膝を地につける。
「オゥグッ!?」
そして、同時に胸の真ん中から生えた細長い物に視線を落とす。
ワイヴァーンの尾である。
オーガが反射的にそれを掴んだのは、オーガと三匹目のワイヴァーンに取っては大変な不幸であったが、フィオ達に取っては天佑のような幸運であった。
先程、発射準備が整っていなかった四番のアーバレストがワイヴァーンに向けて矢を放ったのである。
「ギョエェェッ!!」
放たれた矢はワイヴァーンの、胴体程の太さがある右太腿を綺麗に貫いたのだ。
命中したのが胴体部ではなかったためか飛行能力を奪うには至らなかったが、明らかに重傷を負わすことが出来たのだ。
「ガッ、ガッ!!」
背中から胸を貫かれたオーガはワイヴァーンの毒に苦しみの声を上げると、せっかく掴んだ尻尾を手放した。
巨体を誇るオーガではあるが、片膝を地に付けてしまえば、人でも急所に手が届く。
まして、胸板を貫かれたばかりか、ワイヴァーンの毒が体中を駆け巡っている状態だ。
「ツエェェイッ!!」
フィオは剣の切っ先を使ってオーガの喉を切り裂いた。
「ゴブッ!」
首から噴水のように血が噴き出し、フィオを汚しながらオーガは前のめりに倒れた。
「あなたっ!」
そこにグレースがフィオの槍を投げてくれた。
剣を捨て、槍を掴んだフィオはカンビットの隊長と視線を交錯させる。
隊長の顔には硬い笑みが浮かんだが、それも刹那、脚に傷を負ったワイヴァーンを見上げた。
フィオにしても一息吐きたいところではあるが、そうも行かない。
まだもう一匹、オーガは残っているし、ワイヴァーンも二匹が残っている。
しかも、一匹はまだ空を飛んでいるのだ。
あー、時間がほしい。
一日が25時間ならいいのに。




