第百九話 辺境にて 2
エセル・カニンガムと名乗ったその女は口数が少なかった。
尤もそれは、二〇年以上も日本語を話す機会などなかった上、ここ一〇年以上、その思考すらもラグダリオス語に偏っていたためだ。
更に、フィオやグレースが矢継ぎ早に日本語で問いかけて来たことに圧倒されて、すぐには返事が出来なかった事もある。
これまでの話で、エセルは兄に率いられた村の従士達と共に、二週間も前から護衛の任に就いていたということが判っている。
また、士爵家の長女であるという事も判明していた。
『ゆっくりでいいから落ち着いて喋ればいい』
そんなエセルを見て、フィオは微笑を浮かべながら言った。
『あ。はい……』
驚き、疑念、歓喜などが複雑に入り混じった表情を浮かべて返事をするエセル。
『あなたもあの檄文に応じて馳せ参じた口かね?』
フィオはエセルが返事をし易いような話題を選んで尋ねた。
『檄文? あ、えーっと、シャクルトンのきゅ、求人広告のような?』
『ああ、そうだ』
『あれ、んも、元の文はわた、私が書きました』
少し恥ずかしそうに所々つっかえながら言うエセルを見て、フィオは「やはりな」と頷いた。
『そうじゃないかと思っていたよ。あれは名文だ。人を集めるにはうってつけだろう』
そう言いながらもフィオは「大した教育を受けているとは思えないあの隊長が書いたと思って感心したんだがな……己の手柄にしようとは卑しい性根であったか」と苦々しい思いを抱いていた。
『両津さ、いえ、カニンガムさんは日本では何のお仕事を?』
グレースが串に刺した鮎の塩焼きを差し出しながら尋ねた。
『あ、その……』
塩焼きを受け取りつつ、エセルは口籠った。
転生前、大きな震災などで被災地に派遣される自衛隊の報道が増え、以前ほど蔑みや迫害の対象にはなっていなかったとは言え、自衛隊という組織や自衛官を極端に嫌う人はまだまだいた事を思い出したのだ。
『ごめんなさい。ゆっくり思い出して』
グレースは侘びた。
エセルがまだ日本語を思い出せないでいるのだろうと思ったからだ。
『私は主婦だった。普通の。四〇を超えていたし、高校受験を控えた息子と娘もいたわ……』
どこか遠い、遥か遠くの理想郷を眺めるような表情でグレースは言った。
『……私は九〇だったからね。曾孫もいたよ……あの時は曾孫の玩具を買いに行く途中で……。失礼だが、カニンガムさんはお幾つだったのかね?』
グレースに優しげな視線を向けたあと、フィオもエセルが喋りやすいように慮ったのか、年齢を尋ねた。
それを聞いたエセルは目を丸くする。
今のフィオやグレースの若く、溌剌とした姿からは想像し難い年齢が飛び出してきたからだ。
――でも、生まれ変わってるなら当たり前かぁ。
すぐに思い直し、返事をしようとした。
だが、エセルの返答が僅かに遅れたからか、フィオは更に言葉を継ぐ。
『捕虜から引き揚げてきた後で会社を作ってね。それを息子に任せて悠々自適の隠居生活を送っていたんだがな……』
少し苦い笑みを浮かべたフィオを見て、エセルはつい、返事をしようと思っていた内容とは別の言葉を口にしてしまう。
『捕虜……あの、失礼ですが、太平洋戦争で?』
『ん? ああ。大東亜戦争には陸軍の歩兵として……沖縄で捕虜になったんですよ』
フィオの言葉を聞いてエセルは自然と姿勢を正した。
陸自の幹部候補生学校では先の太平洋戦争(大東亜戦争)について、かなり詳細な戦史の授業が行われている。同時に、旧軍の軍人への尊敬の念も、転生如きでは抜けないほど骨の髄まで叩き込まれるのだ。
『こ、これは失礼を……!』
立ち上がりこそしなかったものの急に背筋を伸ばし、体の向きまで変えてエセルは言った。
右手を上げて挙手の敬礼をしそうになったが、頭には何も被っていない事を思い出して軽く頭を下げるだけに留めたのは未だに自衛官の頃に受けた薫陶が生き残っている証左であろうか。
『ん?』
急に態度が改まったエセルに何か感じるところがあったのか、フィオは少し不思議そうな顔をした。
『申し遅れました。私は陸上自衛隊東北方面隊第六師団に所属する3等陸尉でした』
『さんとーりくい……』
『昔風に言うなら少尉です』
『しょ、少尉……そうですか。そう畏まらんでください。私は上等兵でしたから士官とお聞きしては……どうにも、その……こちらが恐縮してしまいます。それに、私が軍にいたのは大昔の頃ですから』
『いえ、そういう訳には』
『しかし、偶然ですね。私はもう一人、自衛官出身の男を知っています。階級や所属までは存じませんが……彼も私が軍人であったことは知らないでしょう。いや、もう知っているかな?』
フィオは少しだけ懐かしそうな表情を浮かべながら言った。
『え? 他にも日本人をご存知なのですか?』
エセルはフィオだけでなく、フィオとグレース双方へ視線を送っている。
『この人は私達の他に八人も会ったというけれど、私は会ったことはないわ』
グレースは肩を竦めて返事をする。
『は、八人……じゃあ、ここにいる三人を合わせれば一一人?』
目を丸くしてエセルがフィオを見た。
『そうなりますな』
『なぜ一緒ではないのですか?』
当然の疑問を口にするエセル。
『修行を志しまして、一時袂を分かっておるのです』
それを聞いてエセルは絶句した。
――しゅ、修行?
数年前にフィオは日本人達と別れ、修行の旅に出たという。
グレースとは二年近く前に出会い、それからの付き合いらしい。
冒険者としてギリギリの生計を立てながら、辺境の土地を巡って強いと聞く魔物を退治して回っているそうだ。
『変でしょう?』
エセルの様子を見てグレースも口元を押さえながらおかしそうに笑う。
『い、いえ……』
『変とは何だ。男子たるもの、人生は修行の連続なんだぞ。そもそも、そういうお前だってバルドゥックへ行けと言うのに……』
『あら、まだそんなことを? ね、カニンガムさん。酷いでしょ? この人、妻を捨てる気満々なのよ?』
『妻って、それは……』
『結婚と命名の儀式も終えているじゃない』
『おい』
『それに、この前ようやく……』
『ああもう! わかったわかった!』
聞けば、フィオは奴隷であったグレースを解放するために買い取って結婚したという。
『あの時、私は二五でした……』
エセルは自分の生い立ちを話し始めた。
次にフィオ、グレースと話を始め、数十分が経過した時。
「おいエセル! こっちに来て皆さんに挨拶をしろ!」
少し離れた場所からエセルを呼びつける声が上がった。
「ごめんなさい。兄なの。行かなきゃ」
エセルは残念そうにフィオ達に詫びると、すぐに「はーい」と返事をして席を立ってしまった。
・・・・・・・・・
ワイヴァーンへの対抗手段はそう多くない。
まず挙げられるのは強力な攻撃魔術。
だが、最低でもアロー系の攻撃魔術でないと鱗の貫通は望めない。
それも余程良い角度で撃ち込む必要があるので、普通はボルト系が最低限必要で、戦闘力を奪うようなダメージを期待するならジャベリン系でないとだめだと言われている。
従って、有効なダメージを与えられる程腕のある魔術師は、軍隊にもそう多くは居ない。
次は弩だ。
但し、大きな欠点として初弾を撃ったら次発が発射できるようになるまでには相応の時間を要する事が挙げられる。
だが、一人で持ち運べるばかりか、発射することまで出来、躱せない程の近距離(一〇m程度であろうか)なら充分に鱗の貫通も望め、毒を塗ることも出来るのは大きな長所でもある。
そして、最も有効であるとされているのが固定式の弩砲である。
アーバレストはバリスタとも呼ばれており、軍隊では攻城戦や陣地防御などで使われている一般的な兵器で、クロスボウを大型化して架台に載せたものを指す。
一発でもクリーンヒットすれば、それだけで飛行能力を奪える事すら期待出来るその威力は、前述したクロスボウよりも圧倒的に高い。
故に、ワイヴァーンに対して有効な射程距離は三〇m程になるという。
欠点はおいそれと移動できないことと、次発の発射準備には最低でも二人がかりでクランクを回さなければならないことだ。普通は四人で回す。
いずれにおいても、一番理想的なのはワイヴァーンが飛行中などに、真下から直上に撃ち上げて防御力の低い腹部などに命中させることだが、飛行速度や目標の大きさ、高度の問題もあってこれはまず望めない。
畢竟、囮を用意し、それに気を取られている隙を狙って、周囲から比較的防御力の低い側面や前足兼用の翼を狙い撃つという戦法を取らざるを得ない。
飛行能力さえ奪ってしまえば、尻尾と顎にさえ気を付けて対処すればそう怖い相手ではない。
飛べないワイヴァーンは、バルドゥックの迷宮に出てくるフロストリザードなどより余程与し易い。
とは言え、過去にワイヴァーンの襲撃を受け、生き残った人々の証言によると、ワイヴァーンは高度数百mと思われる上空から獲物を見定めると急降下し、森の木々すれすれの低高度で襲い掛かって来るという。
それ故に、山道であるマンハラーク街道からは木々が邪魔になって襲撃のタイミングは読みづらい。
殆ど奇襲のような感じで襲撃されるので大抵の場合、最初に目を付けられた者は犠牲になってしまう。
従って、襲撃を受ける場所を選べない、選びにくいと言うのは隊商を護衛する者達の頭痛の種でもある。
過去に幾度となく計画され、成功したり失敗したりしていたワイヴァーンの退治においても迎撃場所に設定したキルゾーンに上手く誘い込めるかどうかが全てであった。
貴重な牛馬を囮としても、囮には見向きもせずに別の場所に居る者から襲われることもある。
人によってはワイヴァーンは自らに対する脅威度を判定し、高い者から襲っているという意見もあるが、統計では何らの規則性も見出されていない。
比較的囮から襲いかかる傾向が強い、という程度のものだが、これは、囮は単に目立つ場所に居るからだという意見もある。
だが先述した通り、一発でもアーバレストが命中すれば何とかなる相手、という事実は人々に絶望を与えるには程遠かった。
ロンベルト側の関所には必殺兵器であるアーバレストは二門あり、クロスボウも一〇丁が用意されている。
それはカンビット側も似たようなものであった。
本格的な退治は正規軍の増援が到着してから行われるので、クロスボウはともかく、アーバレストはすぐ運んで設置できるように分解しておかれるに留められている。
宴会のあった翌日から早速フィオとグレースの所属する班に仕事が回ってきた。
カンビットからやってきたある隊商の護衛だ。
関所を通り抜けた隊商にエノーグが何やら説明をしている。
隊商としてもワイヴァーンにとって美味しい獲物である馬を連れているのであるからして、素直に護衛の増員を受け入れたようだ。
フィオ達の第一班はゲイレットの街までこの隊商を護衛し、そのまま待機する。
そこでカンビット行きの隊商がやってきたら護衛の増員を持ちかけるのである。
正規の騎士団員がいるので余程強力な護衛を付けていなければまず受け入れられる。
・・・・・・・・・
こうして二日が経過した。
この二日間、不安視されていたワイヴァーンの襲撃はロンベルト側でもカンビット側でも見られなかった。
時折、悠々と山あいを飛行するワイヴァーンが発見されていたが、襲われることはなかったのである。
護衛を務める冒険者や騎士団員達は次こそは襲われるかもしれないと日に日に緊張の度合いを増していく。
そんな中、フィオとグレースの所属する第一班は数時間前に出発した第八班に山中の道で追いついた。
勿論、第八班は半壊し、彼らの護衛対象であった隊商の馬も全滅していた。
予想されていた事とは言え、ワイヴァーンの毒によって体中が火ぶくれでも起こしたかのような凄惨な遺体を目の当たりにして、フィオ達護衛部隊や警護対象である商人達の間に動揺が走る。
震えて周囲の木々に隠れる商人達には、元からいた護衛以外の被害者が居ないことと、馬車に積み込んでいた荷物が無事であったことが不幸中の幸いであった。
話を聞くと全長四m~六mに及ぶワイヴァーンの襲撃の結果だという。
大きさが異なるのは証言者によってまちまちの報告がなされたからである。
第一班を指揮する騎士が警護対象である隊商長を説き伏せて馬を供出させ、どうにかこうにか二つの隊商が出発の準備を整えたところに、ゲイレットの街からカンビットを目指す隊商とすれ違った。
遂にワイヴァーンの襲撃が起きたことを伝えると、すれ違う隊商の人員やそれを護衛する第四班の班員達はあからさまにホッとしていた。
今日襲撃が起きたことで暫くはワイヴァーンの被害が沈静化するであろうことが予想されたからだ。
襲われた隊商は気の毒だが、他の商売人にとっては幸運だとも言えるその態度にフィオとグレースはやりきれない思いを抱いた。
フィオ達がゲイレットの街に到着すると、丁度カンビットへ向かう隊商が待機していた。
僅かな休憩を取ったのみで第一班はその隊商の護衛をすることになった。
現金なもので、今さっきやりきれない思いを抱いたフィオやグレースも、恐らく今日は安全だろうという予想に胸を撫で下ろす。
が、すぐにその嫌らしさに嫌悪感を抱いてしまう。
――まだまだ修行が足りんな……。
自嘲するフィオであった。
関所に戻ると、カンビット側でもワイヴァーンの襲撃によって大きな被害が発生しているという。
エセルの身を案じたフィオとグレースだったが、彼女は別の隊商を護衛していて無事だった。
『カニンガムさん。首尾よくワイヴァーンを退治して報償金を貰うというのは、危険が多すぎやしませんか?』
フィオは純粋にエセルの身を案じて言った。
エセルのカニンガム家は、ヘジェック村を治める士爵家であるという。
故に、幾ら貧乏な田舎貴族だとしても、食うや食わずの平民や自由民とは異なって、それなりに貯蓄もあるだろうと思われた。
――家を出るのはいい。独立して何か商売でも、という気持ちも理解できる。普通の親なら餞別を渡して暖かく、または従士家でも興してやれなかった不甲斐なさを噛み締めて送り出すものだろう。
フィオの両親はそういう人達であった事も影響しているのだろうか?
『ん~、確かにそうですけど……』
少し言いにくそうに返事をするエセル。
『カニンガムさんは准爵でしょう? ならばロンベルトに来るにも障害はありません。金を稼ぎたいのであれば、バルドゥックに行けばもう少し安全に稼げると思います』
――貴族の子弟として、幼少から剣や槍の技術を学んでいたのであれば、あの男も受け入れやすかろう。それに、ロリックなら必ず……。
『有難うございます。外国に行くという選択肢もあることをお教え頂いた事は本当に嬉しく思います。それに、日本人が多いのなら私も行ってみたいと思っていますし……』
『なら……』
『けじめなんです。私は今まで両親や村に育てて貰った恩を返せていません。こんな世界ですから、これが今生の別れにならないとも限りません。村を出る前にお金を得たいのは勿論ですが、ワイヴァーンは村の死活に関わります。今はルートを外れているようですから大丈夫ですが、掘り出した鉱石や木材を運ぶ村の荷馬車に被害が出てからでは遅いのです』
『そうですか……』
――流石は士官だっただけはある。ご立派なお考えだ。
フィオはゆっくりと頷いた。
・・・・・・・・・
翌日。
またワイヴァーンによる被害が発生した。
今度はロンベルト側で二つの隊商が襲われ、生存者は森に逃げ込んだ商人達と僅かな護衛だけだった。
そして更に翌日。
またもや被害が発生した。
この日はカンビット側で隊商が襲われた。
不幸なことに生存者はおらず、荷馬車までもが破壊され、荒らされていたという。
積荷がバルドゥッキーという、薫香も芳醇な香り高い豚肉の加工食品で満載だったのがその理由であろうと噂されていた。
こうして一週間が経過する頃には、ロンベルトとカンビットの騎士や従士達は半数以上が死亡しているか、重傷を負って戦闘不能であり、護衛の冒険者も半数が役に立たない状態と成り果てていた。
幸運なことに、フィオやグレースが所属するロンベルト側の第一班とエセルが所属するヘジェック村派遣部隊は未だに襲撃の対象とはなっていなかった。
その晩。
カンビットの関所を守る騎士の隊長がロンベルトの関所を訪れた。
物理的な距離が近く、国同士が友好的な関係を築いている事もあって、両国の関所に詰めている軍人同士には常から交流があるため、全員が顔見知りのようなものだ。
滅多にないが、関所破りが判明した際などは合同で山狩りをすることすらある。
今回のワイヴァーン騒動においても被害が起きたのはカンビット側が早かったため、カンビットの関所に詰める要員の減少を見て、エノーグは積極的に部下を貸し出すことまでしていたのだ。
「エノーグ卿と相談がしたい」
カンビットの隊長は肝の座った目つきでエノーグを呼び出した。




