第百三話 甥っ子
7449年12月22日
「……お断りする」
暫く沈黙したあと、ザイドリッツは言った。
そうかいそうかい。それもいいさ。
「そうですか。残念ですね」
少なくとも持ちつ持たれつの関係が築けそうもないことだけは確定した。
いや、俺に致命的な弱みを握られることだけは拒否したということか。
こればっかりは俺に選択権はないからどうしようもない。
まぁ、ザイドリッツの派閥がだめならエンブリーとかラフローグとか、別の派閥にお願いすればいい。
ラフローグってのは全然知らないからコンタクトしようもないけれど、エンブリーなら息子がソーセージ工場の丁稚に来てるから連絡くらいは取れるだろうし。
それに、陛下にお口添えをお願いする、という手段だって残っている。
それくらい彼も理解してはいるんだろうが、それでも俺の依頼を仕事として引き受けない、という選択をした。
そうそう上手く行く訳がないよねぇ。
「では、話は以上です。今晩は無作法で急な呼び出しにもかかわらず、わざわざここまでおいで下さいましてありがとうございました。ああ、無作法なお呼び出しについては重ねてお詫びします。でも、ああいうお呼び出しでもなければおいで頂けないと愚考致しましたものですから……どうかご容赦下さい」
失礼な呼び出しについて丁寧に詫びた。
「なお、姉についてですが、私は姉の家庭を自ら壊すことを望みません。貴方がたの存在……いや、本当のお仕事について私の知るところになりましたが、それを私から姉に伝えることも致しません。これは貴族の名誉にかけて誓います」
うん。俺からは絶対にバラさない。
「お義兄さん。先程、お義兄さんは姉を愛しておられると仰られました。で、あれば、姉に対しては常に誠実であり続けて欲しいと思います。……ああ、今のは何もお義兄さん自ら姉に正体を打ち明けろなどと言うつもりで申し上げたのではありません。姉と、お子さんに恥じるような事だけはしないで頂きたいという、単なる私の希望です」
ホコリまみれのテーブルに置いたままだったランプを手にとって立ち上がり、手の平を上に向けて出口の方を指し示す。
三人は少しだけお互いを見やったあと、立ち上がって小屋の出口へと歩き出した。
そうだ、これくらいは言っておこう。
「そう言えばザイドリッツさん」
三人共、戸口を開けたところで振り返った。
さっき石に掛けた灯りの魔術はまだ灯っているようだ。
「先程、私の申し出をお断り頂いたことについては少し安心しました。私の姉に関わる方が軽々な判断をしないということが判りましたから。流石にラッパの……管理者なだけはありますね」
幾らなんでも「お頭」というのは正式な役職ではないだろうから、それっぽい感じの言葉でごまかしつつ謝意を表する。もうわざわざ挑発や脅迫をする必要はない。
それに、これは俺の本音でもあるから、できるだけ丁寧に言いたかった。
俺の言葉にザイドリッツはすっと黙礼を返すと振り返った。
ザイドリッツに倣って頭を下げたお義兄さんと親父さんが「お頭……」と言ってその後を追う。
って、ちょっと待て!
何故お義兄さんと親父さんの息が魔術に反応しているんだ!?
お頭ってのが嘘?
は?
だって、鑑定でもジラード・ザイドリッツって出てたぞ?
命名されたのだって何十年も前だった!
誕生日に近いかまでは覚えてないが……。
再度ザイドリッツの後頭部を鑑定してみたが誕生日から一年近く後だ。
不自然な点は見当たらない。
仮に偽装を使っていたとして、鑑定の前には無力の筈だ!
影武者か!?
同じ名前の奴を探してきた?
いや、幼少期から影武者として用意していればあるいは……?
……くそっ、やられた!
ギリリと奥歯が鳴る。
ひくついた顔を無理やり平静にさせながら、見送る風を装って俺も彼らに続いて表に出る。
外には馬も留めているし、ランプも持ったままだから不自然でも何でもない。
まぁいい。
冷静に行こう。
影武者のザイドリッツがお頭かどうか尋ねたような気もするが……そんなのいちいち覚えてねぇわ。
だが、うーむ……ま、害はなさそうだし、言っとくか。
「足元にお気をつけてお帰り下さい」
さっきから光ったままの石を拾い上げてお義兄さんに手渡した。
礼を言いながら受け取ったお義兄さんたちが歩き出すのを見計らってランプを消すと、空に近いサドルバッグに収納し、柱に結びつけておいたウラヌスの手綱を外した。
ついでに適当な石を拾い上げて灯りを掛ける。
そして、鐙に足を掛けてその背に乗ると軽く鞭を入れた。
ウラヌスは忠実に俺の意思を汲み取ってだく足で進み出した。
三人に追いついたところで並足にして少し速度を落とす。
「それでは、お先に失礼します。近いうちに本物のザイドリッツのお頭とお話させて頂くつもりですので、宜しくお伝えください」
ほとんど負け惜しみのような感じだが、騙されっぱなしでない事だけは宣言して再びウラヌスの速度を上げた。
暫く進んだところで生命感知の魔術を使う。
俺の後ろの方に感じる三つの反応以外に、感知範囲ギリギリの先の方に幾つか生命反応がある。
あばら家を中心にして三五〇mくらいを囲んでいたのかな?
一人くらいとっ捕まえて、お頭は撤収しろって言ってたよな? とか言って、いじめてみたい気もするが、面倒臭いからいいや。帰ろ。
・・・・・・・・・
王都での宿であるロンヘルーク亭に戻ったのは午前二時の少し前。
そして今は空も明るくなった午前七時。
眠い目を擦ってベッドから起き上がり、さっと着替えると簡単に体操をしてからランニングに出掛けた。
人通りも多くなった王都の道を走り抜け、河川敷の土手を走る。
十二月の冷たい空気が心地よい。
おー、あそこに見えるのはベンとエリーか?
やっぱりそうだ。
二人は並んで走っている。
うむ、ランニングを続けているのは感心だ。
自衛隊では幹部には課業として体力練成の時間は取られていない。義務ではないのだ。
要するに、幹部であるならば体力練成は自分でやれる能力があるとみなされる。
勿論そんなことをしない人もいるが、自主的にトレーニングをしない陸上幹部ってのは出世できないと言われている。
指揮幕僚課程を終えでもしない限りは身体能力が欠如している奴はいらない子なのだ。
走る速度は俺の方が上なので、暫くしてベンとエリーに追いついた。
「おう、おはよう!」
声を掛けると二人は元気よく「おはようございます、ご主人様!」と返してくる。
二人共まだ朝食を済ませていないと言うから、ランニングが終わったら新製品のハンバーガーを食いに行こうと言って、二人を追い抜いた。
朝っぱらから食うでかいパティの油ギッシュな三段チーズバーガーは旨かった。
若い体というのは本当に素晴らしいな。
ああ、カゾット・バルダーガーだったな。
その後は商会の経理なんかの書類仕事をやり、何とか夕方までに目処を付けた。
手配が済んでいる新工場や新しく購入する奴隷の検分なんかは明後日にまわしている。
そして、姉ちゃんの家に向かう。
マーティーさんはラッパの件について姉ちゃんに伝えただろうか?
生まれたばかりの乳幼児がいるし、精神的にも肉体的にも安定はしていないだろうから軽々しく伝えては欲しくないんだが……って、それで姉ちゃんが動揺するかどうかは分からないし、そもそも姉ちゃんに対して誠実にあって欲しいと言ったのだから、伝えるにしてもタイミングを見計らうだろう。
そのくらいは期待してもいいんじゃないかな?
店の扉をノックする。
お義兄さんが顔を出した。
少しバツの悪そうな顔だが、当然といえば当然だろう。
「あの、閣下、つい先程マルシリオへの贈り物が届きました。ありがとうございます」
……あの時贈った糸か。今さっき届いたってことは、あの隊商が戻ったのは今日か、どんなに早くても昨日の晩くらいか。他の隊商に預けてリレーできる手紙と、普通はそんなことをしない荷物じゃあ到着時期がずれるのは当たり前だからね。
隊商自体はラッパとは関係がなさそうだったから、まだダーガンとバケイラが行方不明であることは気づかれていないのかな?
気付かれていたとしてもシラを切るからどうでもいいけど。
「あれは我が領土でも指折りの品の一つです。産着にはまにあいませんでしたが、マルシリオには良い着物を仕立ててやって下さい」
とか何とか言っているうちに奥から姉ちゃんが顔を出した。
「来たわね」
姉ちゃんは赤ん坊を抱いている。
「おお! マルシリオか!?」
姉ちゃんはどうでもいい。赤ん坊の顔を見せてくれ。
マルシリオは生まれて数ヶ月が経っている。
健康そうなぷくぷくと張った皮膚をして、柔らかそうな薄茶色の和毛が頭を覆っていた。
瞳の色は空のように青く澄んだブルーだ。
手に指を当てるとか弱い力で握ってくる。
細く、短く、柔らかい。
マルシリオの指は少し湿り気を帯びているが、それがなんだか心地よい。
「ステータスオープン」
と言いつつ鑑定した。
【 】
【男性/10/9/7449・普人族・グリード家長男】
【状態・良好】
【年齢:0歳】
【レベル:1】
【HP:1(1) MP:1(1) 】
【筋力:0】
【俊敏:0】
【器用:0】
【耐久:0】
【経験:0(2500)】
わかっちゃいたがシンプルだね。
「まだ命名してないわよ」
「そうだね」
ほっぺたに指先を当てると心地よい弾力が感じられ、自然と顔が綻んだ。
そう言えば、ゼットとベッキーもこんな感触だった……。
「おあぎゃ! えぎゃあぁぁ~っ!」
……とか思っていたらいきなり泣き出した。
「べろべろばぁ~」
俺のおどけた顔を見ても泣きやまない。
「お~、よしよし、怖いおじちゃんだったねぇ~」
息子を揺すりながら姉ちゃんは、にこにこと笑っている。
そんな姉ちゃんは、一瞬だけ昔の母ちゃんの姿と重なったように思えた。
体つきもなんだか少し丸くなったような……。
【ミルハイア・グリード/2/11/7448 ミルハイア・グリード/26/2/7425 】
【女性/2/2/7424・普人族・グリード家当主】
【状態:良好】
【年齢:25歳】
【レベル:12】
【HP:113(113)(119) MP:870(870) 】
【筋力:14(15)】
【俊敏:19(21)】
【器用:17(18)】
【耐久:16(17)】
【特殊技能:地魔法(Lv.7)】
【特殊技能:水魔法(Lv.7)】
【特殊技能:火魔法(Lv.6)】
【特殊技能:無魔法(Lv.7)】
【経験:236243(270000)】
シャーニ義姉さんの時と同様に、各能力値が落ちている。
だが、第一騎士団で揉まれていたからか、地力は姉ちゃんの方が大分上のようで、出産後三ヶ月しか経っていないのに結構戻っている感じだ。
鍛え方が違うというところだろうか。
なお、妊娠と出産で出征の遅れた姉ちゃんは来年の四月頃に軍務に復帰し、少し訓練をした後で北の国境警備に行くという。
予定された赴任期間は一年間と言うが、何かあった場合には無期限で延長されるとも言う。
マルシリオの命名については家督者の同行が必要だから、場合によっては何年か経ってしまうかも知れない。
なんともやるせないねぇ。
と思ったが、特に大きな病気もしないようであれば赴任前に済ましてしまうつもりだと言われた。
順調なら来年の五月か六月くらいになるのかな?
この日はマーティーさんのお母さんが作ってくれたスープ(この家には小さな台所があったんだよ! 贅沢だね)とバルドゥッキー入りのカーフ(ポトフのような野菜と豚肉の煮込み料理)や肉料理を食べた。
料理の味は……そんなことまぁいいじゃないか。




