第九十八話 餌
7449年12月18日
『……これでよし、と。では、どうぞ。どちらのパーティーのリーダーもこれを読めば話くらいは聞いてくれる筈です』
アルは封をし終わった紹介状を二通、ネルに渡しながら微笑んだ。
『すみません、わざわざ……』
恐縮しながらも肩掛けのカバンに紹介状をしまうネル。
アルは肩を竦めつつワインを口に含む。
『いえ、このくらい何てことありませんから。ところで、先程“ベンケリシュの迷宮に入っていた”と仰いましたね。それに“デーバス王国の王室親衛隊”とも仰っていましたね。ご出身はデーバス王国なのですね?』
『え? いえ、その、あの……』
ネルは少し慌てている。
ネルにしてみれば元々同じ日本人で、前世のアルの事を知っていたということもあるし、サージとは結構気安く会話ができていたこともあった。更にロンベルト王国に入ってからかなりの月日を過ごしていたために、つい失念していた。
加えて、普通は出身国がどこかなどあまり気にされることはない。
その証拠にサージとはデーバスの迷宮の話なども結構したが、特に改まって出身国を尋ねられるようなことはなかった。
懐かしい日本語で話を続けていたためにすっかり意識の外に追いやられていたが、ロンベルト王国とデーバス王国は国境線の解釈を巡って未だに争いがあるのだ。
まして、相手は冒険者の出自とは言え、ロンベルトの上級貴族である。
――迂闊すぎた……!
ネルは反省したが後の祭りである。
『ああ、関所を通らなかったのですか? 別に気にしなくてもいいですよ、そんなの』
『や、いや、そのぅ……』
表情を観察されにくいように下を向くネル。
――【時計】で逃げる? 流石に……。
ラーメン屋の出入り口は閉められている。
如何に高速な動作が出来ようとも、ドアを開けている間に取り押さえられてしまうだろう。
尤も、会話の途中で急に逃げ出すような無礼者はそのまま見過ごされて放って置かれる可能性もあるが、紹介状を書いて貰った途端に逃げ出すというのも気が引ける。
急に口ごもってしまったネルを見てアルは思う。
――どうしたんだ? ああ、咎められると思ったのかな?
アルは再び【鑑定】を使ってネルの家名を見てみる。
先程見ていた通り、ノブフォム家は聞いたこともない貴族に仕える従士家のようだが、デーバス王国に所属している。
――別にそんなの……ふん……デーバスの転生者には気を付けろ、か……。まさかとは思うが……。矮人族だし、普人族のサグアル家と関係があるのかまではわからんか……でも、ベグルの例もあるし油断はできないよな。
『すみません。私の聞き方が悪かったようです。ノブフォムさんがデーバス王国のご出身だからと言って、何も悪いことはありません。どういった手段で国境を越えてきたのかについても……興味はありますが私の領地には領境はともかくとして、国境の関所自体がありませんから……。管轄外ですので問題視はしていませんよ』
少し申し訳無さそうな顔で言うアル。
ネルはやや安心したようだ。
『それに、私の従士……じゃないか。まぁ、ある従士の夫婦はやはり我々と同じ転生者なんですが、その嫁さんの方はデーバス王国の出身者ですし、彼女もこの国へは関所破り、と言うか、関所なんかない小さな街道すら避けて山を超えて密入国したと聞いています。だいいち私のアドゥーンギャンガーもデーバス王国の出です。ん……考えてみればバトルアドゥーンの方の管理職は全員デーバス王国の出身者か』
ネルは更に続けられたアルの言葉を聞いてこの場から逃げ出すという性急な選択肢を消去した。
『そう……デーバス出身の人が多いんですか……』
ネルとしてはもっと前に言っておいて欲しかった。
しかし、元来ポジティブな思考を中心とするネルはすぐに未練を振り払った、つもりになった。
『デーバスのどちらのご出身なんですか?』
『ええと、ズール……私のアドゥーンギャンガーは……何と言ったっけな……』
『いえ、その従士さんの奥さんの方です』
『彼女は……すみません、外国の土地の名前までは……』
勿論アルはベルから彼女の出身地や村の名も聞いているし、きっちり覚えてもいる。
しかし、万が一の可能性を慮って詳しいことは言わずにぼかした。
なお、デーバス王国の出身であることそれ自体を伝えた事についてだが、ベルはかなりの有名人なので、バルドゥックで少し調べればすぐにわかる事だからである。
こうしてまた小一時間歓談し、転生者としては当たり障りのない情報を共有した。
・・・・・・・・・
「おい、どうだ? 行ったか?」
「はい。姿は見えなくなりました」
アルの質問にベンが返事をした。
「尾行は?」
「ヴァスルさんとジョアンナさんが尾けて行ってます」
ヴァスルもジョアンナもアルに購入される以前より迷宮での戦闘経験がある戦闘奴隷だ。
魔物の注意を引かないように気配を消して歩くことには殺戮者以上に慣れている。
また、二人はネルが店に入ってから表口と裏口を固めたので顔を見られていない事もある。
「よし。宿を突き止めたらこいつらも全員使って二人一組で二時間交代で朝まで見張れ。移動したら一人は尾行、一人はここに知らせに来るんだ」
「「わかりました」」
サージと奴隷達はアルの命令に了解の意を表す。
「すまんがバストラルは今日はここで過ごしてくれ。朝までに移動しなかった場合、適当な理由をつけて朝飯にでも誘って、できるだけ長く時間を潰せ」
「はい。ですが、宿を知らない筈なのにどうやって……?」
「そんなもん自分で考えろよ。ランニングの途中でたまたま出会ったとかでもいいだろ?」
「はぁ……」
「もう走ってないのか?」
アルの声が僅かに尖る。
「いえ、毎日走ってます」
サージは慌てて否定し、更に言葉を継ぐ。
「わかりました。できるだけ長く引き伸ばします。でも、どんなにうまく行っても昼くらいが限度だと思います」
それを聞いて頷いたアルは「日が昇って二~三時間も引き伸ばせれば充分だ。頼んだぞ」と言って席を立った。
「どちらへ?」
「今からバルドゥックへ行く。バースさんかアンダーセンさんを捕まえて話を通しておかなきゃならんからな」
「ですが、ベルデグリ・ブラザーフッドもブラック・トパーズも迷宮に居るかも……」
「その時はその時だ。宿にいないのなら入り口広場の騎士に戻りの予定を確認して、すぐに戻るようなら朝まで張る。それでも両方戻って来ないか、そもそもの戻り予定がもっと先なら素直にこっちに戻る」
「そうですか。わかりました。でも、お疲れでしょうし無理は……」
「今が無理のしどころだよ。なにせ新しいお仲間に出会えたんだから」
「はぁ」
「でも、デーバスから来たってのは本当だろうから用心はしとけ。あっちの国から何らかの密命を帯びて来ているって可能性も捨て切れないからな」
「あ、確かに。親衛隊がどうとか言ってましたもんね」
「考えすぎかもしれんけどな。用心に越したことはない」
アルは少し疲れたような笑みを浮かべて言った。
『それと、よく聞け。前に挽き肉機を盗まれたことがあったろ?』
アルが再び日本語に戻したことと、デリケートそうな話題であったため、サージの顔も引き締まった。
『ああ、はい』
『あれな、盗ませたのは国王だ』
『は?』
『お抱えの工作組織に盗ませたんだ』
『どうしてそれが?』
『前に国王から押し付けられた従士にスパイがいる可能性が高いって言った事あるだろ?』
『はい』
『結局、ザイドリッツって夫婦がスパイだったんだが、そいつらに連絡を取ろうと領地に連絡員を送り込んで来たんだ』
『はぁ』
『隊商の護衛の冒険者のふりして来やがったから、とっ捕まえて締め上げて吐かせた』
『なるほど。でも何で挽き肉機を……?』
『わからん。が、何か思うところがあったのは確かだろうな』
『思うところって?』
『だからわからん。だけど、転生者に関わりがあると見られたようだ』
『国王が転生者に興味を……?』
『この国の建国者は源義経で転生者だ。伝わってりゃそういうこともあるだろう』
『でもそれ……アルさんの昔の奥さんが神様だったっていう話と一緒……すみません』
『……俺がそう思ってるのは自由だろ?』
少しばかり目が据わったアルは再び腰を下ろした。
『突拍子もない話だからな。信じられないのも無理はないし、責めるつもりもないよ』
『すみません』
『だから謝らなくていい。とにかく、王家は転生者の血を引いている……可能性が高い。それが前提となるから、お前が気に入ろうとそうでなかろうとここだけは首を縦に振っとけ』
『はい』
『とにかく、俺は自分で言っていたからな。それを信じられたとしても表面上はおかしくはない。だけど、他にも転生者がいると思われているようなフシがある。あ、そうだ、工場で取引先から新入りの丁稚を引き受けたと言っていたな?』
『はい』
『ヴィシャスってのは居るか?』
『ヴィシャス……ヴィシャス? 居ません』
『新入りでキャットピープルは?』
『一人います。ダーベン・クーリスってガキです。アルさんに付いていったイミュレーク牧場の後釜のキンバリー牧場からの……』
『そいつだな。そいつ、国王のスパイだ。キンバリー牧場は国王が飼ってる間者組織の隠れ蓑の一つだそうだ』
『ダーブが……素直で真面目な奴だと思ってたのに……どうしますか?』
『商会の経営状況だとかを調べに入らせた奴らしいし、知られたところで害はないから放っておいていい。ただ、税だとか誤魔化す事だけはするな。それを元に足を掬われかねんからな。1ゼニーの間違いなく、遅れずにきっちり支払ってりゃ問題はない。ああ、念のため今度俺も顔を見に行くよ。クーリスって言ったよな?』
『はい。でも、さっきアルさんはヴィシャスって……?』
少し不思議そうな顔つきで尋ねるサージ。
『固有技能じゃないけどあまり知られてない特殊技能に【偽装】ってのがある。これは種族の特殊技能じゃなくて、特定の家系に遺伝で伝わるものだ。それで、この【偽装】は自分のステータス表記を別人のものに貼り替えられるんだ』
『ええっ!?』
『誰でも彼でも好きにステータスを持って来れるという訳じゃ無い。体質みたいなものが合うやつだけステータスを借りることができるんだ』
『そうなんですか……でも何故それを?』
『……バークッドにも【偽装】を持ってる奴がいてな……こっちのクーリスって奴とは違ってヒュームなんだけどな。ひょんなことからそれを知った。【偽装】を持ってる奴が【偽装】を使ってない、素の時にステータスオープンを掛けると技能が見えるんだ。技能自体の事はともかく、これ以上その人の事についてはすまんがあんまり話したくない』
『わかりました』
申し訳無さそうな顔をして喋るアルを目の前に、サージはそれ以上追求しても無駄であることを悟った。
『うん。で、ヴィシャスってのは、そのクーリスの本名だろう。顔を見に行った時にでも鑑定の魔術を使ってみる。ひょっとしたら何かわかるかもしれないからな』
『あ、そうだ。その鑑定でさっきのネルさんを……』
『見た。幾つから冒険者をやってたのかは知らんが、レベルは一〇だから年齢の割には結構高い。でも、レベルから言って戦闘経験は俺達ほどじゃない。固有技能は【時計】って奴で、基本的には時刻だのカレンダーだのが見えるらしい。だが、本命はそれじゃない』
『本命?』
『数秒間加速できるそうだ』
『は?』
『肉体レベルの平方根の時間、肉体レベルの平方根だけ本人だけの行動が倍加する。要はルート一〇秒だけルート一〇倍の速さで行動ができるってことらしい』
『えーっと、三秒強ってとこですか?』
『そうだろうな』
『迷宮なんかで味方にいれば心強そうですね』
『だな。それから、魔法の方な。レベルは四と三だけだった。お前の方が高い』
『そうですか。そうすると問題は魔力量ですね』
『そうだな。多いと思っておいた方が無難だろうが、レベルが低いから練習なんか俺達ほどしてなかったんだろうな』
『そりゃまあ、しんどいですからね。精神的に』
『そうだな。それでもいっぱしの冒険者としては充分なレベルだから……』
『ええ、気をつけます。多分、魔術行使の時間も倍加されるでしょうから』
『いいところに気がついたな。でも……』
『ええ、わかってます。早く動ける時間が三秒強で三倍強の速度ってことは、本来一〇秒かかる魔術は三秒くらいで使えるでしょうが、行使に三〇秒かかる魔術なら大した問題じゃないです』
『そういうことだ』
『それに、キュアークリティカルで驚いていたようですから、攻撃魔術もボルトに熟達してりゃ上等ってとこでしょう。三レベル混じりだとジャべリンとかそうそう使ってないでしょうし』
『そうだろうな。投石や投げナイフなんかも体重移動や腕の振りが早くなるだろうから注意した方がいいが、弓から放たれる矢の速度は普通通りだろう。ま、直接見て確かめるか本人に正直に言って貰う必要はあるだろうから想像でしかないけどな』
『ですね。あとは近い距離で不意を突かれるくらいかな?』
『注意点はそんなとこだろう。どちらにせよ敵対しなけりゃいいだけの話だ。話を戻すぞ』
『はい』
返事を聞いたアルは咳払いをして正面からサージを見る。
『国王が転生者に興味を持っているらしいことはわかった。でも、転生者が非常に有用な存在だとまで気が付いているかは不明だ。俺に対しても強制的に王国内に取り込もうとしていないことから、気が付いていない可能性が高いけどな』
『そうですね。江戸時代くらいの人なら今の人達より余程多くの知識がありそうなもんですけど……』
『ああ、そうだ。過去にも転生者だろうって人はいたようだ。でも、基本的には個人の戦闘力が高いとかそういうことばかりしか伝わっていないらしい。転生してすぐに死んじまった人もいたんだろうし、奴隷とかで一生目が出ないまま埋もれて行った人も多いんじゃないかと思う』
『……ですねぇ』
『それはそうとして、国王が転生者の有用性に気が付いたのなら、そういう方向で何らかのコンタクトがあってしかるべきだと思う』
『それが自然ですね』
『でもそうじゃないからな。……万が一、そういうことがあったら、彼女をお前の身代わりに差し出して、お前だけは何としても逃げろ』
『え? でも……』
『確かに昔、俺と関係があったようだが、親しくしてた訳でもないよく知らない人だしな。……それ以前にお前とじゃ比較になるか』
真剣な顔つきで言うアル。
『……(やばい。何この気持ち。そんな事言われるなんて……思っても)』
サージの目が少しだけ潤む。
『だけど、それは本当にギリギリの最後の手段だってことを忘れないでくれよ? そういう厳しい、極限状況の時ならそうなっても仕方ない、というだけだぞ? 彼女を逃してお前が身柄を押さえられるって事だけはしないでくれって話だ』
『は……はい(ですよね)』
『そのために俺は今からバルドゥックに行くんだ。今はどうかわからんが、ベルデグリ・ブラザーフッドは以前俺の情報を国王に売ってた。それはブラック・トパーズも同様だ。ヴィルハイマーは死んでしまったけど、アンダーセンは生きてる。まだ何らかの伝手が残ってるだろうからな。はっきりと全部言うつもりはないが、スローターズにとって重要な奴だというくらいは伝えてやるし、そう伝えればあいつらがまともな頭を持っていて、メンバーに空きがありゃ入れるだろ』
『確かに。私達のうちの一人が入れてくれって行ったら絶対に入れるでしょうね』
『うん。そこで王家、いや、キンバリー牧場やクーリスの様子を見ておけ』
『何か動きがあると?』
『わからん。無ければないでいい。それでも問題はないしな。じゃあ、まだいろいろ話したいが、今日はもうそろそろ行くわ』
席を立つとアルは振り返りもせずに店を出ていった。




