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男なら一国一城の主を目指さなきゃね  作者: 三度笠
第三部 領主時代 -青年期~成年期-

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第九十七話 ネイレン・ノブフォムという女

7449年12月18日


――今、なんて言ったの? 毎月二〇〇万!?


 二〇〇万Z。

 今のネルの全財産よりも多い。大金だ。

 ベンケリシュで一流の冒険者(本当は一流半)として活動していた頃でも、運良く複数の鉱石などが得られた時以外にお目にかかったことはない。


 ネルとしてはふっかけた一〇〇万Zでも充分以上の収入という感覚である。

 値切られこそすれ、まさかその倍の金額を提示されるとは夢にも思っていなかった。

 正直なところ、月に一〇〇万Zの報酬を提示されてすら断っていると言えば、交渉してくるか、諦めるだろうと踏んでいたのだ。

 

 諦められたのであればそれも良し。

 当初の予定通り、何年かバルドゥックの迷宮で頑張って金を稼ぐ。

 しかる後に適当な建物を購入して治療院をやればいい。

 休みは殆ど無いだろうが、治療院を開けば休日など年に数日になるのは当たり前だし、そもそも休日を取ってしまえばその分客は取れない。休みばっかりだと言われて評判も悪くなるであろう。


 交渉がなされるのであれば決裂するかどうかは別にして、賃金交渉には応じてもいいと思っていた。

 店員なら月に二〇万と聞いていたが、仕事に慣れていない最初のうちはともかくとして、自分ならすぐに店長や管理職になれるだろう。

 ネルは事務処理や金勘定についてなら、そこらのオースの人など足元にも及ばないとの自負もあったし、事実としてその能力もある。


 そして交渉になるのなら月に六〇~七〇万Zは欲しい。

 一流の冒険者が迷宮で頑張るよりは収入は少し減るが、月の三分の一は完全自由な休みになるし、怪我や命の心配がないのは何より代え難い。

 休みは三連休だから、その気になれば迷宮に行って月に二〇~三〇万Z程度の副収入を得ることも可能だ。


 報酬額を聞いたネルの表情が大きな変化を見せたことで、アルは「不満だったかな?」と思った。

 そこで、追加のオプションを提示することにした。


『報酬額の固定がご不満でしたら、月に二〇万Zくらいを固定給にして、それ以上は働きに応じて歩合制にすることも可能です。商売で得られた利益額に応じて累進するパーセンテージで計算します。尤も、私がここに来るのはせいぜい年に一回くらいですので、最終的な歩合額の決定については最短でも来年の今頃になってしまいますが、頑張れば固定給よりももっと稼げる可能性がありますよ』


 それを聞いたネルは「歩合なんてとんでもない!」と思った。


『い、いえ。歩合は結構です……』


 何せ、いくら流行っていたとしても、たかがラーメン屋の雇われ店長如きで月に二〇〇万もの歩合給を叩き出す自信はない。


 勿論、商会の経営に参画して欲しいとのことだから、ラーメン屋だけでなく他の業務もあるだろう。

 例えばソーセージの小売や卸売などが考えられる。


 が、前世、ネルが耳にしていたところだと、歩合給というのは不動産や保険、金融商品を扱う営業職の「一部」に適用されるものだと聞いていた。

 しかも、完全歩合制のタクシー運転手や証券外務員などでもない限り相当に優秀な営業マンでないと年に一〇〇〇万円も稼げない。


 基本的には大口の顧客を抱えているか、凄腕というレベルで新規顧客の開拓が得意でない限り、睡眠時間すら満足に取れないともいう。

 又は金融機関でディーリングを担当するなど、幾つかの特殊な職種も歩合制の給与になっている人が多いとも聞いていたが、そういう人は生来の頭の構造からして自分とは違うのだろうと思い込んでいた。


 実際は身近なところだと会社の経営層は広義の意味で全員歩合給だと言えなくもないが、役員報酬は普通歩合給とは言わないし、利益額の何パーセントなどという決め方でもないので正確には異なるということもあって、ネルの認識にはなかった。


 アルは静かにネルを見ていた。


――月二〇〇万で不満、歩合給も不満ってことか……。


 とにかくネルの言葉を聞いて、肩を竦めたアルは再び口を開く。


『そうですか。困りましたね……』


 アルは少し残念そうな表情を浮かべて言った。

 その顔を見たネルはアルに対するイメージが少し変わったのを自覚する。 


――なんか……気弱そう? あんまり押しの強い人じゃないみたい。なら、交渉次第で二〇〇万Z以上も狙える……?


 超一流の冒険者であれば、迷宮で得た魔法の品物や鉱石などを売ることで、年収を月割りにすれば結果として月に二〇〇万以上を稼ぐ者も存在する。

 ベンケリシュでも本当に僅かではあるが、そういった優れた冒険者はいた。

 ネルが所属していたラビウスではなかったが。


『……私がかつて冒険者ヴァーサタイラーとして活動していた頃の収入は欲しいです』


 ネルはしっかりとアルを見て言った。


『と、仰いますとどの程度の報酬をご希望ですか?』


 アルもネルと視線を交錯させ、ごく自然な声音で言う。

 その顔からは何の感情を窺うこともできない。


『そうですね……月に三〇〇万くらいは……』


 薄い微笑みを浮かべながらしっかりとした口調で言うネル。

 それを聞いてサージは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、アルは表情筋の一筋すら動かしていない。

 アルにはネルが喋った時に吐く息の色が変わったのが見えていた。


――嘘か……。まぁ、交渉のつもりなんだろうが……。


 そう思ったアルはちらりと隣に座るサージを見た。

 その時にはサージからも表情が消えていたが、アルの視線を感じたのか僅かに呆れたような溜め息を吐いた。

 アルはネルに視線を戻した。


――この女、ハッタリかますにしてももう少し……。


 そう思いながらアルは微苦笑を浮かべている。


『月三〇〇万ですか……。それは大したものですね……』


 そう言ったアルの表情にはあまり驚きは含まれていない。

 ネルは「全然大したことないように言うのね……」と思っていた。


『まぁ、固有技能が戦闘向けでしたら迷宮でそれくらい稼ぐのは納得です。バストラル、彼女から固有技能は聞いたか?』

『いえ……私も言っていません』


 ネルもサージやアルの固有技能に興味が無い訳ではない。

 初めて神に逢った時に流し込まれた情報については忘れたくても忘れられないようになっているため、転生者なら誰もが固有技能を持っていることは分かっていた。


『えっと、聞かれませんでしたので……』


 少しだけ申し訳無さそうな顔でネルが言った。


『ああ、お気になさらず。固有技能は戦闘向けだった場合、生命線になっている事もありますから。まだお互いによく知らない間柄でそう簡単に話せるようなものでもないでしょう』


 アルの言葉を耳にして、ネルは根掘り葉掘り聞かれることもなさそうだと安心した。


『話を戻しますが、ノブフォムさんのパーティーではどのような報酬体系だったのでしょう?』


 今度はアルに代わって、サージが尋ねた。


『完全な歩合でした。私と戦闘奴隷を含めて総勢九人のパーティーでしたが、稼いだ収入の三パーセントを取り分として認めて貰っていました』


 固定給のない上流のパーティーではごく普通の歩合率だ。

 ネルは続けて言う。


『稼げた時はいいんですが、そうでもない時は結構……ですから歩合はあまり好きではないんです』

『なるほど。そういう理由ですか……』


 ワイングラスを傾けて一口飲むと、サージは返事をした。


『パーティーで月に一億くらい稼いでいた勘定ですね。一流のパーティーだったんですねぇ』


 アルが尋ねた。


――気弱そうってのは違うかな? まぁあのドラゴンを斃すくらいだもんね。


 平気な顔で一億と口にするアルを見て、ネルは少しだけ考えを改めた。

 と、同時に気安かったラビウスのメンバー達の顔を思い出してしまった。

 彼らと比べると、ドラゴンを斃すくらいだし、アルはかなり厳しいのかもしれない、という印象を受けた。


『え、ええ。まぁ……』


 ネルは少し陰のある笑顔を見せる。


『……でも、迷宮で休憩中に別のパーティーの襲撃を受けてしまって……』


 ぼそぼそと喋るネル。

 この部分についてはどうやら嘘ではないようだ。


『それは……』


 先の予想がついて思わず絶句してしまうアルとサージ。


『生き残ったのは私一人でした。仲間も皆死んでしまいましたし、それでベンケリシュに見切りをつけたんです』

『ご苦労なされたんですね』

『辛かったでしょうに……その状況で心機一転して新天地に向かうなどなかなか出来ることではないですよ』


 アルとサージの声には本物の同情心が込められていた。


『ええ、まぁ。ですが、こんな事はベンケリシュの迷宮ではよくある事で、珍しい話ではないんです。バルドゥックでもそういう事はあるんじゃないですか?』


 アルの脳裏に矢を受けた痛みが蘇り、アイスモンスターと戦う殺戮者スローターズの姿が去来した。


『確かにそうですね。我々も以前、モンス、魔物の部屋で戦闘中に別のパーティーから襲撃を受けたことがありました』

『ああ、聞いたことあります。私が入る前に……』

『そうだ。五~六年前くらいだったかな? その時に私のパーティーに犠牲者が出なかったのは本当に幸運でした』


 そこまで話し、ワインに口をつけたアルは話題を元に戻す。


『それはそうと、報酬の件です。月に三〇〇万Zというのは、如何に元日本人と言えど能力も知らない人にはそう簡単にお支払い出来る金額ではありません。なにせ月二〇〇万でもギリギリでしたから。歩合制についても受け入れられない、と仰るのであれば……本当に残念ですが()()諦めざるを得ませんね』


――えええっ!? 価格の交渉の時には一・五倍から二倍位の値段から始めるって言ったのテーショク時代の川崎さんじゃないの!?


 ネルは前世、四葉食品の先輩が帝国食糧の川崎から聞いたという価格交渉の秘訣を又聞きしていた。

 なんとなく心に残っていた為に、早速それを言ったという本人に使ってみたのだ。


――……って、品物の売買と従士への報酬は違うか。ああ、失敗したかぁ。欲を掻き過ぎたかな……。


 正に吐いた唾は呑めぬし、覆水盆に返らずだ。


――時計タイム・ロードで時間を巻き戻せ……る訳ないよね。


 加速の能力に気が付いた後、他にも今迄気が付いていない能力がないか色々試した時期もあったが、結局何一つ見付かっていない。


――まぁいいわ。


 元々誰かの下で働きたかった訳ではない事を思い出す。

 しかし、本当に月に二〇〇万Zもの報酬を払うつもりがあった事を知って、内心ではかなり驚いていたし、後悔もしていた。


『あ、アルさん? 諦めちゃうんですか!?』

『しょうがないだろ? 流石に月三〇〇は払えんよ。キャシーはともかくとして、お前よりも多くなるしな』

『私は別に気にしませんが』

『お前はそうかもしれないけど、俺は気にするの』


 アルに取り付く島がないと判断したサージは今度はネルの方を見た。


『ネルさん、本当に月三〇〇万も欲しいんですか? そんなに沢山貰ってどうしようって言うんです?』

『え? その……』


 急に矛先を向けられてネルは焦る。


『おいバストラル。やめろ。彼女がそう望んでるんだ。それくらいないと彼女が希望する生活が出来ないという意味だろ? 他人の希望にケチつけんな』


 アルの言葉を聞いたネルは、少しだけ恨めしげな気持ちになった。

 だが、後悔先に立たずであるし、希望の額を言ったのはネルの方だ。

 それに、希望額と支払い可能な額が大きく開いている事が判明したのであれば、アルの「交渉すら諦める」という言葉は一般的に言って当然のものであろう。


『でもアルさん、日本人ですよ!?』

『そうだな。俺も従士になって欲しかったが、折り合いがつかないんじゃ諦めざるを得ないだろ?』

『でも……!』

『これ以上みっともない所をお見せするな。俺だって彼女は惜しいんだから』

『それなら!』

『もうやめろと言ったぞ?』

『すみません……つい』

『いいさ。それに、これで縁が切れる訳じゃない。ノブフォムさんはバルドゥックで治療院を開業したいと仰っていたから、付き合おうと思えば付き合えるじゃないか。ですよね、ノブフォムさん』

『え、ええ。それに、サージさんからは迷宮について色々ご指導頂けるとお聞きしていましたし……』


 ネルの言葉を受けてサージはアルの顔色を窺った。

 しかし、アルには特に変わった様子は見られない。


『すみません、勝手に話をしてしまって……』


 サージの言葉を聞いて、ネルも少し慌てていた。

 迷宮の情報についてはパーティー内部で秘匿されるのが普通であるから、ネルにしても「まずかったかな?」と思ったのだ。


 アルはと言えば、特に何の感想も無い様子で、泰然としている。


『迷宮でやることは全部済ましているんだから……まぁ、日本人のよしみで彼女に何か教えるくらいはいいんじゃないか? 地図? 地図か……地図屋に売ったんだから、勝手に教えるってのはあんまり良い事じゃないけど、ま、それも黙ってりゃいいことだしな。それに、お前がお前の休日をどう使おうとお前の自由なんだし、いちいち気にするな』


 アルとしては未だに奴隷根性が抜けきっていないのかと少々呆れ気味である。


『ああ、それと、迷宮に行くのでしたらこのバストラルやウチの戦闘奴隷と一緒に行くのも結構です。ですが、先程申し上げた通り、普段は三連休しかないですから、ちゃんとしたパーティーに所属することをお勧めしますよ。もし良ければ知っているパーティーに紹介状を書いても結構です。二つばかり心当たりがありますから』


 アルはサージからネルに視線を移して言った。


『アルさん、それって……』

『ああ、ベルデグリ・ブラザーフッドとブラック・トパーズだ。両方共まだフルメンバーじゃないんだろ?』

『そうですが、それにしてもあそこは……』


 サージもネルが一流の冒険者だったとは思っていない。

 ハッタリだと見抜いている。

 サージにしてみれば、彼に見抜ける程度だからアルも見抜いているだろうと思っている。

 ハッタリである以上、先程の報酬についてもふっかけてきただけであり、交渉すればいいのにと考えていた。


『何か問題か? あいつらも一流、ノブフォムさんも一流。ならば丁度いいだろ?』

『でも……』

『仮にノブフォムさんの実力が彼らにふさわしいものであればお互いにいい事だ。万が一、実力が足りない場合でも、バースさんとアンダーセンさんがそれを確かめもせずに迷宮に行く訳はない。それでも一緒に行動するのであれば深い階層には行かないだろう。それに、下手な冒険者と行動を共にするよりはあの二つのパーティーと一緒の方が余程安全だ』

『確かに……』


 サージの言葉にアルは頷いて、再びネルに視線を戻した。


『ノブフォムさん。今言ったベルデグリ・ブラザーフッドとブラック・トパーズは今のバルドゥックで一、二を争う超一流の冒険者パーティーです。パーティー内には双方ともまだ空きがあると思いますから、もし上手く所属できればそれなりに稼げると思いますよ? また、仮にその二つに入りたくないのであっても、私の紹介状があれば話は出来る筈です。彼らと知り合っておく事自体は悪いことじゃないと思います』


 アルは店の奴隷に命じて筆記用具を用意させるとその場で紹介状を書き始めた。


 

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