第九十三話 日本語の罠
予約投稿の日時をずらすのを忘れてました。
すみません。
7449年12月16日
「じゃあ、しばらく留守にするけど宜しく頼むな」
「ええ、行ってらっしゃい」
ミヅチに軽いキスをして、ずらりと勢揃いして頭を下げている役人共の前に行った。
総勢で三八人もいる。
まぁ、うち一五人は単なる奴隷や自由民で、下働きの肉体労働担当なんだけど。
ともあれ、こんな田舎領土の行政府にすらこの人数の役人がいる。
このあたりがロンベルト王国が絶対王制に近いと感じる部分だよな。
封建制ならここまでの数の事務方なんかいなかった筈だ。
一人の女の前に行くと「面を上げよ」と命じる。
彼女はこの行政府の役人のうち、大部分を纏め上げる事務官長だ。
領地などは持っていない政治貴族でカルディナ・インセンガという五〇過ぎの狼人族の准女爵である。
俺を除けばこの行政府で最大の権力者であり、まぁ、日本の地方自治体における助役と言った方が分かり易いと思う。
あ、最近は副市町村長なんだっけ? ま、いいや。
因みにジャバには、まずは収入役に相当する出納官長を目指せと言っている。
俺が赴任するより前から事務官長の役職に就いており、ラフリーグ伯爵がこの地に赴任して来た頃から役所勤めをしていたというから、勤続四〇年程になる超ベテランの職員だ。
今回俺が王都に行くに当たって、決裁が滞るからとスケジュールに難癖をつけてきた最巨頭でもある。
なんでも政治や収税に関わる国法については殆ど全てを諳んじられるくらい優秀な記憶力を持っているともっぱらの評判だが、頭が固いので全てを法に照らし合わせて判断する前例主義者でもある。
まぁ、前例主義は事なかれ主義に通ずる所も出てきそうだから俺としてはどうかとは思うけど、それ自体悪い事ではないので責めるには値しないんだけどさ。
引き継ぎにあたってはラフリーグ伯爵から「彼女は些か窮屈な性格が玉に瑕だが、それを補って余る程、豊富な知識は必ずや役に立つでしょう」と言われていた。
何でも彼女が一〇代の頃、新人職員として役所に入ってきた時に、彼女の記憶力に気が付いたラフリーグ伯爵は一年ほど王都に行かせて法律の勉強をさせたらしい。
王都から戻って暫くは領主の秘書的な仕事をやり、その後はべグリッツの民生関係の部署や西ダート地方全体の徴税関係の部署でキャリアを積んで一〇年ほど前から現職に就き、実務部分では実質的なべグリッツの市長のようになっている。
確かに優秀な人で、事務仕事においては女傑と言っても過言ではないかも知れない。
「早急に判断せねばならない案件が発生した場合、俺の戻りを待つな。必ずミヅチに相談して指示を仰げ」
「は」
俺の言っている内容は軍事的な衝突や緊張、治安維持や大犯罪者を逮捕したような際のものだが、お硬い事務官長はどうしても言いたいことがあるらしい。
分かってるけどさ。
「ですが、納税の遅れなど……」
ほらな。
でも、この期に及んでまだ言うか、このおばはんは。
確かにロンベルトの国法には領土からの収税と国庫への納税は領土を所有している上級貴族の責任であり、何人たりとも侵すことの出来ない権利と義務であるとの記載がある。
街や村を治める下級貴族からの収税は計画的に進めないと春くらいにスケジュールが破綻する事が多いので、この西ダートの地では収税スケジュールは唯一絶対の神の如く奉られてきた。
この地に限らず、どこの上級貴族も配下の下級貴族からの納税スケジュールの調整には頭を悩ませていると聞く。
――今年は冷夏だったので想定よりも小麦がかなり不作で……。
――百匹単位のオークの大集団が出現して農作物を……。
などというものから、
――新しい野菜の栽培に挑戦したのですが、失敗しまして……。
――流行り病で村の働き手が……。
――定期的に購入に来るはずの隣の領地の隊商がいつまで待っても来ないので、なかなか現金化出来ず……。
などというもの、
――納税用の馬車の順番がなかなか回ってこないので完納まで一ヶ月の猶予を……。
――ちょっと色々と事情がありまして収穫予定を三日ずらしましたので、馬車はそれから回して欲しいのですが……。
などといったものまで、下級貴族たちもあの手この手の言い訳を並べ立てて税の減免を願い出たり、納税を遅らせて来ようとする。
そして、結果的に様々な内容の嘆願とともに収税のスケジュールは、当初の予定通りとは行かずにズレることが多い。
なお、当たり前だが人頭税とは異なるのでこういう方面での税については即収監、鞭打ちとか罰金とかいうことにはならない。そもそも金が無いから納税出来ないんだし、一年や二年奴隷になったところで返せるような金額であるはずもない。それに、軽々にそんなことをしてしまったら結局は税を得ることも出来ないからだ。
貴族ではないが、俺が直接領有しているべグリッツの自作農たちも、決して余裕綽々な生活ではないので似たような事を言ってくる奴も多い。
そして、大抵の場合、これらの言い訳は丸切り嘘でもないから余計に始末が悪い。
これらの嘆願への対処が領主の仕事の半分以上を占めているのだ。
そして、国法にある通り、対処(代替案の提示やスケジュール調整など)を含む最終決定は領土や領地を所有する貴族の「何人たりとも侵すことの出来ない権利と義務」であるので、基本的には誰かに投げることは出来ないとされている。
事務官長であるインセンガのおばはんはこの事を言っているのだ。
前にも言ったことはあるけれど、さっさと誰かに任せたいとは思うが、俺としても初回は自分自身で決裁を経験する必要はあると思っているのでそれ自体が嫌だという訳じゃない。
正直言って、国法のこの部分は俺もガンだと思っているので、今回の上京(?)では国王に直接ねじ込んで俺の領地をその対象外にするように交渉するつもりでいる。
そのための工作費と言うか、対価として、わざわざ俺自らが魔法で精製した薄い鉄板も馬車に沢山搭載している。
勿論、この工作についてはおばはんに相談済みだ。
彼女によるとそういうようにしている公爵領だとか伯爵領だとか結構一般的らしい。
この西ダート地方は元々天領で代官を置いていたから、その代官に完全に仕事させるために改正されないままであったということだ。
念のために言っておくと、領主である俺は下級貴族は任命できるし、領土内の街や村に対して任命した下級貴族を自分の(形式上の)代官として派遣し、完全に委任することは可能だ。
しかし、領土全体の行政の決定権を持つ“上級貴族”を任命する権限はない。
また、領土内の法を変える権限もあるが、当然の如く国法を逸脱するような法は作ることは出来ない。
従って、大本の国法を変えない限りは、こと税に関する決定は全て俺が下し、書類へのサインが必要になる。
俺の想像が正しいなら、王都で上級貴族になるために勉強していた頃、この辺りの情報は俺に対して意図的に伏せられていたのだと思う。
国法についてだけではないが、あえてテキストとなるような文書類を一切渡さなかったのも、これが理由だろう。
俺としても講義の際に語られた内容については逐一メモを取っていたが、ペラペラと機関銃のように喋られた内容なんか、抜けがない方がどうかしている。
まして「貴族にとって収税・納税は、何人たりとも侵すことの出来ない権利と義務」などという条項が「領主本人が最終決定を下さねばならない」などという解釈になっているなんて、誰が思うよ?
領土に封ぜられた後で俺が気が付き、慌てた俺が何らかの上貢をすることを期待していた、という感じだろうか。
それについて今更とやかく言うつもりはないがね。
ないが、頭の固いおばはんは「未だ法は修正されていませんから……」という理由で俺から他者への権限委譲を国法に反するとして認めず、俺が帰って来るまでは「国法が修正されるという保証もない」から今年中に帰って来い、修正されたとしても正式な権限移譲をせねばならぬので今年中に帰る必要がある、という線を頑として崩さなかったのだ。
まっこと世の中というものは渡りにくいものぜよな。
「では、行ってくる」
見送りの者たちにそう言ってウラヌスの腹を蹴る。
そういうわけで結局、出発日を二日前倒しにする代わりに王都からは年末最終日迄に戻る事になったのである。
随行者は馬車を御するギベルティの他に軍馬に跨るベンとエリーの三人だけだ。
上級貴族とは思えない程の少人数だが、他者の追随を許さない高速移動が可能であるため危険はないと判断している。
王都よりも大分南に位置している西ダート地方だからか、バークッドと同様にこの季節でも、寒風吹きすさぶというほど寒くはない。
・・・・・・・・・
7449年12月18日
予定通り、この日の夕方前にはロンベルティアに到着した。
グィネの作成した地図は勿論、そよ風の蹄鉄の威力には本当に感心する。
予め予約させておいたロンヘルーク亭に向かったが、予定より二日早いために部屋は空いていなかった。
仕方ないので明後日までを過ごす宿を探さねばならないが、あまり上等でない宿であれば大抵は部屋の空きがあるものだ。
グリンフ亭という普通よりは少しマシ程度の宿を取ることが出来た。
宿の支配人に銀貨を数枚余分に握らせたうえ、自らの上級貴族のステータスにものを言わせて荷物の安堵を頼む。
そして、商会に顔を出すべく三人の奴隷を引き連れて歩き出した。
・・・・・・・・・
「しっかし、すごい都だなぁ……」
矮人族の女は思わず、というように今日何度目かの同じ言葉を呟いた。
もうお上りさんよろしくキョロキョロとあちこちを眺めるような真似はしていない。
落ち着いて自分の知らない慣習などがないかチェックをしているのだが、彼女の知るもう一つの大きな都、デーバス王国のランドグリーズよりもずっと大きな都市は驚くことが多い。
第一にランドグリーズとは異なり、街に漂う悪臭はそれ程強くはない。
ランドグリーズのように、通りに肥をぶちまける者は殆どいないのだ。
肥屋という専門の肥料商会が肥を買うために汲み取り式の肥溜めが整備されていることがその大きな理由である。
第二に市街の中心部など一部は明らかに都市計画の下に整備された区画がある。
恐らく無計画に発展したランドグリーズにはあまり見られない洗練された空間があるのだ。
第三に昼間、大通りを歩いている限りは身の危険を感じることはない。
街区ごとに騎士や兵士が立っており、治安はかなりしっかりしている事を感じさせる。
裏通りや夜は分からないが、それでも他と比較すればかなり治安が良いであろうことに疑いの余地はない。
「今夜は何を食べようかな?」
彼女が王国中部に広がるザーム公爵領を経てロンベルティアに到着したのは昨晩のことだ。
到着した時は日没寸前だったので、ロンベルティアの外れにある安宿に泊まり、夕食は干し肉で済ませた。
一夜が開け、宿のすぐそばにある飯屋で粥を朝食にして以来、夕暮れ近くなるこの時間まで何も食べていない。
路銀が尽きかけているのが最大の理由だ。
懐には銀貨が一〇枚もなく銀朱もない。
あとは合計数十枚の大銅貨と銅貨しかない身にしてみればまず切り詰めるのは食費であった。
今日一日はせっかく来た王都を観光し、明日は王都の隣にあるという迷宮都市バルドゥックへと行く。
そこで適当な冒険者のパーティーに入り、金を稼ぐつもりだ。
何年か頑張って金を貯め、バルドゥックかこの王都の裏通りで治療院を開こうとの腹づもりである。
女は暫く大都会の空気を吸うことはないという覚悟でいるので、今夜くらいは少し良い夕食にしたかった。
そして、グルド通りと呼ばれる大通りを歩いていた時。
どこからともなく鼻孔をくすぐる良い匂いが漂ってきた。
どこか懐かしく、郷愁をそそられるだけでない、食欲をもそそる匂い。
匂いを嗅いだ彼女の脳裏に、古い記憶が鮮烈な印象とともに蘇る。
まだ小さな頃、家族揃って家の近所で食べた……。
父親が餃子をアテにビールを飲み、母親が小皿に取り分けてくれた。
『……と、トンコツ……?』
ごくりと喉を鳴らしてつばを飲み込む。
匂いに誘われて歩くこと数分。
ついに匂いの出処を突き止めた。
やはり飯屋の類のようだ。
「め、メン屋グリード?」……『麺屋!?……ラーメン!?……やっぱり』
看板を見上げて唖然とし、思わず声が出る。
確かにこの匂いはこの店から漂い出ている。
かなり人気がある店のようで、店の外にも客が溢れ、店員らしい子供の整理によって秩序正しく並んでいた。
――に、日本人? そうよね。そうとしか考えられないわ。
ロンベルト王国では日本人探しは行われていないようだったが、念のために視界を広く取るためと背中に降ろしていたフードを目深に被り直す。
視線だけで左右を眺め、周囲にもそっと観察の視線を送るが彼女に注目しているような視線を見つけることはできなかった。
店の従業員も彼女には目もくれていない。
――う、うう。いい匂い。食べたいな……。
「ああ、すみません」
道の真ん中でぼうっとしていたからだろう、誰かが当たりそうになったらしい。
女ははっとして「こちらこそ」と頭を下げ、道の端に寄った。
――あれだけ人が並んでるし……ラーメンなら、そんなに高くないと思うし……。
並んでいる人達の服装は様々で、どう見ても裕福そうな貴族だとか商人のような者から、それ程裕福そうではない一般の民衆も入り混じっているからには手の届かない程高価な料金ではないのだろう。
「あの……このお店は……?」
それでも行列を整理している子供に訊いてみた。
「ん? ああ、お客様ですか? 申し訳ありませんが行列の最後にお並び下さい。この分なら三〇分くらいかと……」
やはり店員のようで、今から並んだ場合の待ち時間を言ってくる。
「いえ、ここは食事ができるのよね?」
「ええ、勿論そうです」
「おいくら?」
これを確認しておきたかった。
「ラーメン一杯九〇〇Zです」
――た、高っか! きゅ、九〇〇Z!?
麦粥主体の一般的な食事であれば三食食べて、運が良ければお釣りも出る金額だ。
今晩は贅沢に食べようと考えていたが、それでも五〇〇からせいぜい六〇〇Zくらい迄にしようと思っていた。
予算オーバーである。
その時。
「おう、先いいかい?」
数人の職人風の男達が店員に声を掛けた。
「あ、すみません、少々お待ちください」
見ると、男達の後ろにも何人かいるようだ。
時間も時間だし、そろそろ仕事上がりの人がもっと増え、どんどんと押し寄せるのだろう。
「お客さん、食べていかれるならお並びを……」
「ああ、はい」
つい返事をしてしまったが、払えない程高いわけでもないし、何よりも数十年ぶりに食べたくなり、どうしても食欲を抑えきれそうにないことも彼女の後押しとなったようだ。
――こんな店が堂々と営業しているくらいだから、やっぱりロンベルト王国は日本人に興味はないみたいね……。
最後尾に並んだ女の後に先程の男達も並び、行列は更に長くなるかと思われたが、店からも食べ終わった客が出てきて女の前の人数も順調に減っていく。
いつの間にか日が暮れていたらしい。
気がつくと目の前の店だけでなく、周囲にある他の飲食店からも明かりが漏れている。
――ランタン……いえ、明かりの魔道具? こんなに沢山……。
以前、二年近くも滞在していたデーバス王国の迷宮都市ベンケリシュも魔石でそこそこ潤っており、デーバス王国では王都ランドグリーズに並んで明るい街であると言われていた。
しかし、この周辺はそれどころではないのは明白だ。
店の戸口からは光が溢れており、その一部は道すらも照らしている。
魔石が潤沢に供給されているか、備蓄が多いか、またはその両方か。
暫く呆然と眺めていると通りに面する商店は次々に閉まり、営業を続ける飯屋らしき商店には次々に明かりが灯っていく。
魔石の価値はデーバス王国とそう変わりがない事は道中で既に知っている。
だが、ひょっとしたら少し安いのかもしれない。
そんなことを考えてしまうほど多くの店に明かりが灯っている。
そして、彼女が店に入る番が来た。
『ヘラッシェー!!』
『ヘラッシェー!!』
『ヘラッシェー!!』
――んに、日本語!?
店に入ったら店中の店員が声を張り上げる。
並んでいた時にも漏れ聞こえていたが、客が出るときには「ありがとうございました」と行列整理の店員だけでなく、店内からもラグダリオス語が聞こえていたのでまさかとは思っていたが……。
「おーいカエダマくれ」
「はい、六番さんカエダマ一丁!」
「へい! カエダマ一丁!」
店内でどこかのテーブルに座った客から掛かった声、オーダーを通す店員の声にも耳を疑う。
――か、カエダマ!? 替え玉ぁ!?
トンコツラーメンらしいのでそれを知っている日本人なら当たり前といえば当たり前だが、それにしても日本語そのままとは……!
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
どんなメニューがあるのか訊いてみると、ラーメンの他にバルドゥッキーなるものがあるようだ。
「ば、バルドゥッキー?」
店員が他の客の食べているものを指し示しながら教えてくれたところでは、ソーセージのようだ。
こちらは一種類しかないラーメンに対して混ぜ物が異なる数種類があった。
他の客が食べている物を見ると結構大きなソーセージで記憶にあるフランクフルトよりも大きいようだが、安いものでも一本三〇〇Zもするらしい。
「ら、ラーメンを一杯。固めで」
「はい、は?」
女は店員に聞き返されたことで言い方を変えた。
フードは被ったままなので少し顔色が変わった店員の顔は見えなかった。
「ラーメン。カタメンで」
替え玉をカエダマと言わせているくらいだ。
麺の硬さの指定が出来ない方が不自然だし、それならこう言うだろう。
「一八番さん、ラーメン一丁! 肩でーす!」
一瞬だけ店員たちの動きが止まったように感じたが、すぐに今までのように元気の良い返事が店内に響く。
――カタ。かた。固。肩か。変なの。
女がテーブルに置いてあるニンニクや胡椒の入った壺を確認しながら苦笑を漏らしていた頃。
店の厨房では二人の奴隷が裏口から転がるように飛び出し、全力で駆けていった。
目指すはサージの定宿とグリード商会だ。




