第九十二話 未練
7449年12月1日
行政府で事務処理をしているときに僅かながらぽっかりと空き時間が出来た。
赴任以来初めてのことかもしれない。
折角だし少し休憩しようか。
ジャバには今週いっぱい迄、身の回りの整理のために出仕しなくてもいいと伝えてある。
ダーガンとバケイラの二人については、まだ何か吐く事もあるかも知れない――例えば、他の“草”についての情報など――ので念のため生かしてはいる。
だが、最長でも今週末で処分して何処かに埋めるようにとズールーに命じている。
姉貴の政略結婚を始めとする昨夜得られた情報についてはミヅチに話した。
ミヅチも話を聞いた当初は少し憤るような様子を見せて「酷い」とか「かわいそう」とか言っていた。
しかし、伯爵家の第一夫人という立場でそのような発言はいただけないので今のように俺と二人だけの時以外は絶対に口にするな、態度にも表すなと言っておいた。
ズールーを始めとする我が家に直接仕える奴隷がいてもダメだ。
理屈はともかく、感情面において不満を持つのは構わない。
心の中で姉貴に同情しようが、マーティーさんを、ひいてはラッパ組織や国王を憎んだり蔑んだりしようがどうでもいいが、そういった感情については絶対に俺以外には表すなということだ。
ある人物や組織、出来事などを好きか嫌いかなどの感情だけで判断するのは子供であり、その時点で対象を多角的に評価することの放棄につながる。
一生涯政治的な出世を望まない平民であれば大した害がある訳でもないからそれでもいい。
だが、俺たちは自分や近い周囲だけの小さな幸福で満足するような平民や自由民ではない。
三万五千人以上の領民を抱える領主で、将来的には独立を志向し王族となる大貴族なのだ。
一元的な、近視眼的な見方をしてそれだけでの判断はすべきではない。
そして、より大事なのはそう思われるような行動(今回のミヅチのようにすぐに感情を露わにするなど)も慎むべきだ。
少なくとも姉貴はマーティーさんに惚れているように見えるし、本人も恋愛を育んだ末の結婚であると認識している。
姉貴の家庭を壊したくはないというのもある。
ましてや子供が生まれたばかりだし。
政略結婚という言葉のイメージがあまりよろしくない事は俺も理解しているが、これから先、俺だって政略結婚をする可能性だってあるんだ。
それについてはミヅチと結婚する前から話し、納得もして貰っている。
今現在、大貴族で領主のうえ法に触れるわけでもないのだから、感情を顕にするという行為は当然してもいいし、立場上世間からは許される。だが、それを知った他の貴族からは侮られるだろうし、他の貴族がそういう人格だと知ったら俺もその人のことを心の中では「人の上に立つ資格なし」と馬鹿にする。
勿論これは俺やミヅチ、その周囲の小さな幸せと対立するものではないし、どちらかを犠牲にしなければいけないものでもないのでその範囲では感受性のおもむくままに判断しても構わない。
が、究極の選択を迫られた時には悩むことなく自分とその周囲を切り捨てなければならない。
領民たちがそれぞれの小さな幸せを構築できるようにするのが一番大切な事で……そうだな、言い直そう。
俺の作る国の民は“他の国や地域よりも楽に”幸福感を得られるようにする。
その為の土台を作る。
それこそが俺の独立する意義であり、目指すところだ。
この、今年で七四四九年になるという共通歴。
歴史がある程度詳細に判明しているのはロンベルト王国が建国されてからの五〇〇年あまりしかない。
グラナン皇国のように、ロンベルト王国の周囲にはその成立以前から続いているとされている国もあるが、外国の事はよくわからないからこの際はいい。
ただ、ロンベルト王国一つだけをとってみても五〇〇年という長い時間をかけている割には進歩が遅い、あまりにも遅すぎるのではないかと思う。
特に建国王であるジョージ・ロンベルト一世。
その後に確認されている幾人もの転生者がいた事も考えるとこれはおかしい気がする。
七〇〇〇年以上前から続いている紀元についても本来なら眉唾ものだが、ステータスにそう表記されている以上、ある程度の信頼を寄せる必要はあるだろう。
しかしながら、七〇〇〇年というと、地球なら紀元前五〇世紀以前、中国にすら碌な文明なんかないとされている頃で、一年間という年月の概念すらあったのか疑わしいとすら思う。
よしんば、ある日突然ステータスなどというものが「発見」されたとして、その表記の意味を知るには文字や年月の理解が必要で……鶏が先か卵が先かの論争になるだろう。
まぁ、これについては幾つか仮説も立てているが、どれ一つとっても根拠など無きに等しい。
最近だとバルドゥックに墜落している“第六収集端末兼変性装置”を発見してからは幾分……まぁいいや。
とにかく「たった今、オースの進歩が遅い」という事実は変わらない。
地球の流れならこの後、どうなっていくのが“普通”であるかを知っている者としては、進歩を加速してやりたい。
勿論、ここは地球ではないから全てを地球の歴史に当て嵌める方がどうかしているというもんだろうが、残念ながら俺は地球の歴史しか手本に出来る物はないし、生まれ変わる前の日本という国も気に入っている。
だから、地球や日本の歴史をお手本に考える以外の事は出来ない。
今のオースの潮流は封建制が主流だ。
七千ン百年も続く年号がある社会にしては異常とも言える進歩の遅さだと思う。
まぁ、地球に当てはめるならだけどな。
王都での講義を信じるならグラナン皇国とロンベルト王国は絶対王政に近づいているような感もあるが、今のところはどちらも封建制の域を脱してはいない。
昔この地にあったハミット王国なんかはそれだけ見ると絶対王政に近いけれど、それは単に規模が小さいから領土の隅々まで王権が行き届いていたに過ぎず、結局はロンベルト王国など近隣国の属国であったから、実質は地方豪族のような諸侯の一つであったとも言える。
そこらあたりを考慮して、まずは完全な絶対王政の、出来れば強固な国を打ち立てる。
最終的に民衆の蜂起によって打倒されるべき国になるだろうが、簡単には倒れないような強力な組織を作るべきだろう。
二十一世紀の地球でだって絶対王政の国はまだあるし、百年くらい前なんかそっちの方がメジャーだったんだから。
民衆を教育し、抑圧し、鍛え、弾圧する。
打倒された後で制限君主制(立憲君主制)に移行するのか、完全な民主国家となるのかまでは流石に俺にもどうしようもないとは思うから、それについては先の人々が悩めばいい。
何にしてもその時に手本になるような組織や統治体制、社会基盤を作り上げる事が出来れば誰かから花マルでも貰えるんじゃないかな?
それこそが「この星に生きる者それぞれが、それぞれの幸せを追い求める事のできる環境」に近づくのだろうと信じている。
信じてなきゃ国を作るだの独立するだの、七面倒臭そうな事、誰がやるもんか。
場合によっては俺に近しい人たちをも纏めて不幸にする可能性だってあるんだしな。
ん? 誰か来たな。
仕事に戻る時間になってしまったか。
・・・・・・・・・
7449年12月3日
「あ、忘れてた」
騎士団長の執務室で机に足を放り出しながら書類に目を通していたら思い出した。
机から足を降ろし、呼び鈴を振る。
「バリュートを呼べ」
室外で警護に立っていた当番従士(ズールーは鉄道工事に行かせているのでもう俺の警護をしていないのだ。ベンとエリーは捕虜にしたラッパを見張らせている)に命じて副団長を呼びに行かせた。
程なくしてバリュート士爵がやって来たので用件を命じる。
用件は、年明けに視察に行く騎士団員たち全員に遺書を書かせておけということだ。
バリュートは少し不思議そうな顔をしている。
まぁ、こんな制度は今までどこにもなかったからな。
戦争に行くと決まった軍人が個人的に遺書を書くという行為は稀にあると耳にしているが、騎士団がそれを命じるなどということはなかった。
「万が一の際、遺品の処分方法や財産の相続については本人の意志を出来るだけ尊重してやりたい。それに、家族や残された者に対して最後の言葉を掛ける機会を与えてやりたいのだ。少しでも後顧の憂いなく参戦できるようにするための制度にしようと思っている。そなたはどう思うか?」
地球の「まともな」軍隊ではこれは一般的に行われている。
俺は当時防大の学生だったり、幹部候補生学校に在籍していたりで自身は行ったことはないが、自衛隊の海外派遣に際しては隊員に遺書を書かせていたという。
航空自衛隊のスクランブル要員である戦闘機のパイロットも定期的に遺書を書きなおしている。
遡れば太平洋戦争中の大日本帝国陸海軍の特攻作戦の隊員たちに命じて書かせたことが、軍隊が兵士に“推奨”や“奨励”ではなく“命令”して書かせた最初であるという説もあるらしい。本当かどうかは知らんが。
「……賛同致しかねますな」
意見を問われた士爵は少しの間黙っていたが、重々しい声音で返事をした。
「ほう? なぜだ?」
興味を覚えて問い返す。
「戦死を想定してのものだと存じますが……」
そりゃそうだ。
「遺書を書く、書けというのは、戦死すると決まったようなものではございませんか? そう考えて怖じ気付く者も出て来はしないでしょうか?」
ふむ。
俺としてはあまり深く考えずに「戦闘に巻き込まれて戦死の可能性があるのだから」と思ったに過ぎない。
だが、そういう考え方も出来るか……特攻隊員の遺書は戦死が“確実”なものだからわざわざ命令して書かせたんだろうし。
「なるほど、そうか。ではこの案は取り下げよう……」
俺の言葉を聞くとバリュートは無表情のまま僅かに片眉をピクリと動かした。
「とでも言うと思ったか。そんなんで怖じ気付く奴はそもそも使い物にならん。俺の軍には必要ないからすぐ首にしろ。騎士や従士の覚悟を問ういい機会だと思ってすぐに書かせろ」
俺が喋っている間にバリュートの顔は謹厳なものに変わった。
この野郎、俺を試しやがった。
しかも、僅かな時間で俺がどちらの返事をしたとしても自分に損がないように、また俺の考えを引き出すような喋り方をした。
俺を試すと同時に単なる猪武者ではないという主張までしたということだ。
こういう奴は大好きだ。
ふふ。トリスでもベルでもどっちでもいいけど、二人のうちどちらかに次の騎士団長を任せるつもりだったが、こいつがいる限り一筋縄では行きそうにないぞ?
どうなるものか楽しみだね。
……つってもまぁ、バリュートじゃああの二人に模擬戦で勝つのは……無理だろうなぁ。
強い奴が団長をやるのはわかりやすくていい、と言ったのはバリュート自身なのでそこが自己責任だな。
どっちもがんばれ。
・・・・・・・・・
7449年12月7日
行政府の入り口を警護していた騎士団員がさっと槍を立てて敬礼を送ってくる。
鷹揚に頷きながら彼らの間を通り、開かれた扉をくぐる。
通勤時間は徒歩三分。
二〇〇m歩くだけで職場に着くという立地はいいね。
お陰で日課のランニングのあと、庭でミヅチと熱の入った模擬戦をする時間もできた。
「おはようございます、グリード閣下」
今日から出仕してきたジャバが、出勤してきた俺を見て挨拶を送ってきた。
「ん。おはよう。そなたの執務室は用意してある。後で資料を持って行かせるから今週中にそれを見て来週の頭に最低三つ、改善策を上げて来い」
畏まるジャバを背後に自分の執務室へと向かう。
ジャバに渡す資料は領内の商会経営者たちに講義を行った際に渡してある経理台帳の付け方を説明するテキストと、それに基づいて素早く税を申告してきた幾つかの商会の経理報告書だ。
まずは俺の経理の概念を知って貰うのが一番の理由である。
その他、それを記したテキストの不備や商会の報告書を見ての指導、徴税吏が見落としやすいポイントの指摘などをして欲しい。
ある程度様子を見て行けると判断できればジャバを税吏官僚の長に据え、更に出来るようなら将来的には集めた税の一部運用を任せるのもいいと思っている。
最終的には大蔵大臣的なポジションを目指して欲しいものだ。
執務室に入り、今日の事務仕事を始めた。
始めて一時間くらいすると、役人が一人、面談を求めてきた。
何度か呼びつけて便利に使っているうちにいつの間にか秘書的なポジションに収まっている自由民の役人、サミュートだ。
「あのぅ、閣下。そろそろご出発とお戻りの日程を……」
王都への出立と戻り、その後の戦争視察の日程についてはまだ決定できていない。
俺と行政府の役人共との意見が相違しているためだ。
「ああ、それな。私としては一八日に出発して……年明けの四日に戻りたいんだが……」
王都に行くついでにミラ師匠に会いたいのだ。
そよ風の蹄鉄を履かせたウラヌスなら時速四〇㎞弱で半日休まず走れるから、王都とかバルドゥックからべグリッツまでは途中で何回か休憩しても頑張れば片道二日でお釣りが来るだろう。
他の奴とは当然別行動になるけど、野盗や街道沿いに出てくる魔物ごときにドラゴンスレイヤーである俺をどうこう出来る奴なんかいないとでも言い張って強硬に命じれば別行動くらい何とでもなる。
そもそも一緒に行く予定なのは俺の奴隷だけだし。
あ、あと、一日くらい予備日を取るのは当然だと思う。
「しかし、七日には出征すると仰っていらっしゃいましたから、五日と六日の僅か二日間では……」
サミュートが言うには、たった二日間でそれまでに溜まっているであろう決裁を済ますのは無理があると殆どの役人共が言っているという。
まして、その後は二ヶ月くらい領地を空けるというのだから、尚更出来る決裁は俺の居るうちに済ませておきたいから年内には帰ってきて欲しいというのが彼らの意見だ。
俺にしてみれば、いない間の事務処理はミヅチがやればいいじゃないか、という意見なのだ。
しかし、役人共は領主が健康体で存命している以上、配偶者とは言え領主以外の者が決裁するのはいかがなものか、という意見であって平行線だ。
うーん。
やっぱミラ師匠のとこに行くのは俺の未練かなぁ……。
そうなんだろうなぁ。
今年は領主業に慣れていなかったから、今のところ俺のもとに入ってくる決裁のうち、時期的なものが絡むのは始めてのケースだけと言ってもいい。
一回は自分で経験しないと権限を渡せないと思っていたから、スケジュール的にはかなり厳しい事は覚悟していた。
ミラ師匠んとこは来年以降のお楽しみにするべきなんだろうなぁ。
少し前に今月くらいから週二回更新に戻せるかも、とか適当なことを言いましたが、どうにも暫くは無理そうです。
すんません。




