第九十話 リーグル伯爵の暗部
7449年11月18日
行政府の執務を終えて、着替えるために屋敷に戻ると、丁度ズールーが報告にやってきた。
着替えながら報告を受ける。
「……昨晩得られた情報は以上です」
「そうか。ご苦労だったな」
俺は返事をしながら無感情に「ズールーもやっと吐かせることができたか」と思っていた。
あれから約一ヶ月。
捕らえた間者たちは少しづつ口を割り出していた。
俺も先週末に新築の屋敷に引っ越したばかりだが、結局は引越し後も毎晩のようにコートジル城まで赴いて治癒魔術を掛けて傷を治してやっている。
当然の事だが、三~四回も拷問の傷を治してやった先月の終わりくらいには彼らもこちらの狙いに気が付いたようで、口汚く罵ってきた。
が、強制的に治癒魔術を掛けて傷を治す度に彼らの表情から意思の力が抜けていくのが感じられていた。
当初は拷問の頻度も高くなかったから、肉体を痛めつける拷問と治癒のセットに気が付くまでに半月程の時間を要したのだろう。
え? うん。その通りだよ。
人物魅了の魔術は二人が拷問と治癒のセットに気が付いてから掛からなくなっていたんだ。
でも、もうそんなの関係ない。
遂に昨晩の拷問でバケイラが国王との関係について口にしたのだから。
確か、挽き肉機盗難について最初に口を割ったのもバケイラだった。
狙い目はバケイラの方だろう。
ところで、現代人と江戸や戦国時代の人では身体能力はどちらが優れているか知ってるかい?
勿論、トップクラスに運動能力が高い人を比べた場合だよ?
答えは当たり前だが現代人だ。
平均値を取ると江戸や戦国期の人の方が農作業などで運動をしている割合が高くなるので昔の人の方が体力的に優れていたと評することも出来るかも知れないけれど、同じように機械を使わないで農業を営んでいる人と比べればあんまり変わらないだろう。
一例を挙げると、公儀の飛脚は江戸と京都の間、約四六〇㎞をだいたい七〇時間で運行できたそうだ。勿論たった一人で運ぶ訳でもない。宿駅と呼ばれる中継所の度に運ぶ人は交代した。
平均時速は六・六㎞程度だ。
当然ながら街道は舗装されていないし、雨が降ればぬかるんだりもしただろう。
しかしながら、現代のマラソンランナーが全く同じコースを同じように何人もで交代しながら運べばもっと速い。彼らは普段から栄養価の高い食事を摂っている上、科学的な考証に基づいたトレーニングを積むことで持久力にも優れていると考えられる。道の状態が悪いことで速度が半分になったとしても平均時速一〇㎞程度で走ることが可能だろう。
もう少しわかりやすい例を出すと、西暦一八九六年に行われた第一回アテネ五輪のマラソンの優勝者は三時間程の記録で優勝した。その時の走行距離は四〇㎞だ。その一二年後に行われた第四回ロンドン五輪から走行距離は現在と同じ四二・一九五㎞になったが、その時の優勝記録も三時間近く掛かっていたはずだ。ところがその百年後、二〇〇八年の北京五輪では二時間一〇分を切っていたと思う。
路面状況は最初のアテネ五輪も北京五輪も殆ど同一と言ってもいいだろう。
靴の性能の違いなんかもあるだろうが、靴を草鞋に変えたとしても一〇分も差はないのではないだろうか?
一番基本的な運動である、「走る」こと一つを取っても現代人のトレーニング法が如何に優れたものであるかを表すバロメーターだろう。
これは他のスポーツに於いても同様なことが言える。
水泳や走り幅跳び、短距離走は言わずもがな、格闘技ですらそうだ。
嘉納治五郎だって現代柔道の金メダリストには負けると思う。
トレーニング法や各種テクニックだって研究され、磨かれてきてるのだからそりゃあそうだろう。
例外は道具を使う武道くらいかな?
例えば、剣道の優勝者が上泉信綱や塚原卜伝、宮本武蔵に勝てるか、とか言われたら、うーん、剣道のルールなら勝てる可能性は充分にあるだろうけれど、ルール無視の殺し合いなら無理じゃないかなぁ、と言わざるを得ない。
理由は色々あるけれど長くなるので今は省く。
言いたいことは、人が持っている肉体的なポテンシャルは現代人だろうが昔の人だろうが(そもそも人種の異なるとされる原始人は除く。ああ、亜人なんかは肉体的に優れている種族もあるけどね)大して違いはない、ということだ。
それを如何にして高めるかの方策が、昔に比べて現代の方が優れていると言いたいだけだ。
同様に精神的な毅さも大して変わりはしないのだろう。
間者としての訓練を受けていると言っても、そんな古臭いもの、俺には役に立たない。
・・・・・・・・・
「あうあうあー」
俺に白痴化の魔術を掛けられると、ダーガンの目からは理性の輝きが消え、拘束されたまま体を小刻みに揺らし始めた。
口はだらし無く半開きになり、その端からは涎を垂らして、言語にすらなっていない単なる音を漏らしている。
「ダーガン! おい! ダーガン! な、何をした!?」
急に変わってしまった相棒の様子を見たバケイラは慌てた様子で声を上げる。
「なぁに。こいつからは聞き出せる内容は全て聞いたし、もう用済みだからな。ああ、だからと言って殺したりなんかはせん。我々の事、君らが請け負っていた任務、ついでに家族なんかについても丸々忘れて貰おうと思ってな」
白痴と化してしまったダーガン同様に、拘束されたまま地下室の床に転がしていたバケイラを見下ろして言う。
因みに、捕らえてからつい今しがたまで二人を会わせてはいない。
本当に数分前にお互いを同じ部屋に置いてやったんだ。
「さて、ちょっとばかり復習だ」
文字通りの阿呆のように変わり果ててしまった相棒の様子を見て戦慄するバケイラの前にしゃがむ。
「ラッパと言ったっけ? お前さんらの組織の名は」
問いかけるがバケイラは口を噤んだままだ。
「陛下に命じられるままにあちこちの様子を探るのが仕事なんだよな? で、お前さんらの頭の他に三人の頭、合計四人の頭によって運営されている。そうだな?」
バケイラは無表情を装い、何の反応も示さない。
何度か口を割っていることは確かだが、こいつも訓練された間者みたいだしな。
「あまり手間を掛けさせんなよ」
そう言って俺が下半身の方へ手を向けると初めて表情が動いた。
歯を噛み締めただけなんだけど。
痛みに対して少しでも抵抗しようというだけの、反射みたいなもんだ。
ドスッと音を立てて床に横たわったバケイラの右の太腿に石の矢が突き立った。
昨晩、肝心なことを喋っちまったんだから今更口を噤んでもねぇ……。
「ぐっ……!」
ほぼ同時にバケイラの口から苦痛の声が漏れる。
突き刺さってからすぐに石の矢は音もなくすぅっと消えた。
更に連続してストーンアローを使う。
「がっ、あっ、ぎっ……」
ま、これは挨拶みたいなもんだ。
この程度の苦痛では音を上げないとズールーから報告を受けていたしな。
「大したもんだな。流石は陛下に直接仕えているだけの事はある……」
痛みなど、拷問に対する耐性訓練を受けていないのであれば、どんなに強い意志を持っていたとしてもまず大抵の人はこのくらい痛めつけてやればなんだって喋るという。
「だが、これはどうかね?」
立ち上がると部屋の隅に立てかけられていた角材のうち、適当な物を一本手にした。
そのまま角材の端をバケイラの股間に押し当てて少しづつ手の力を抜き始める。
「答えろ。さもないと大事なところがゆっくりと潰れていくぞ?」
うーん。バルドゥックの安酒場で三流冒険者の玉を握り潰したというグィネは、どんな気持ちだったのだろうか?
今の俺みたいに最悪な気分だったのかな?
……違うかも。
確かあれはトリスとグィネが合流して半年くらいが経った時だ。
その頃俺達はかなり名前が売れ始めてトップチームの下位にぶら下がり始めていた。
それに伴って、街なかでする喧嘩の回数も段々と減っていたんだよな。
そんな折にグィネはラルファと安い居酒屋に入っていた。
そこで飲んでいたら、どっかから流れてきた三流冒険者に因縁をつけられたという。
最初は口汚くからかわれた上に手まで出されてもラルファと二人で黙っていたらしいが、ラルファが涙を流して「や、止めて下さい」と頼んでもちょっかいを出し続けていたもんだから、遂にグィネがブチ切れて怒り狂ってやったと聞いているので、同じ最悪でも今の俺の気分とは違うだろう。
あ、因みにラルファの態度は演技で、ギリギリまで我慢したとグィネに証言して欲しくて涙まで流したそうだ。――グィネがキレるのがもう少し遅かったら思い切り暴れられたのに――と残念そうにベルに零していたらしい。
「ああっ! や、やめてくれっ! 言う。言うよ! その通り、頭は四人だよっ!」
まだ玉に角材を押し当てただけで、重量なんか碌に掛けていない。
昨晩、ラッパという組織は国王直属の機関だという事を吐いたのもズールーが玉を一つ、ゆっくりと握り潰そうとした時だと聞いている。
実際に潰す前に痛みに耐えかねて喋ったのだそうだ。
「よし。で? お前さんの頭の名は?」
「ハウマン・アークイズだ」
先程のズールーの報告によると、このハウマン・アークイズって男は四三歳の猫人族だそうだ。
他にドミトス・デラインという、これまた四〇代の猫人族の男と、ジラードと呼ばれているだけで本名は知らないという壮年の獅人族の男、表向きは王家の執事をしているという、ラフローグと呼ばれている爺さんの精人族の四人が頭だと聞いている。
なお、これらの情報については先程報告を受けたばかりなので、俺も知っている。
にも拘らず、こちらから固有名詞を出さないのは、最初の告白の際に適当な事を言って誤魔化されていないかという用心のためだ。
時間を置いて何度も喋らせることでその場凌ぎの嘘であるかの確認にもなるという、尋問の初歩のテクニックの一つである。
正常な時と心神耗弱時とで全く同じ答えが“何度も”返って来て初めて、正確性の高い価値のある情報だと思ってもいい。
因みに、こういう場合は組織の名前自体には殆ど何の価値もない(勿論、別の場面では有効な使い途はあるだろう)ので、こっちはどうでもいい。
どうでもいいんだが、ラッパってのは乱破なのか、乱波なのか、はたまた透破や素破が訛ったものなのか、少しだけ興味があるねぇ。
まぁとにかく、こういう価値のない固有名詞は会話にそれを織り混ぜることで、確認の意図を隠すための隠れ蓑として使う。
このように、同じ内容について何度も質問してイライラさせたりして精神に少しづつ負荷をかけていく。これについては単純に聞き出した情報の正確性の確認の意味の方が大きいが、相手が受ける精神的な苦痛も中々馬鹿にはならない。この際には何らかの形で精神的な揺さぶりを与えたり、肉体的なダメージを与えたりするとより効果的である。
人ってのは同じことを何度も尋ねられ、同じように答えていると、まずは自分は馬鹿にされている、まともに話を聞いて貰っていないと感じるのだ。
そして次は拗ねるのが普通の反応である。
この、拗ねるまでの時間には個人差があるが、続けていると遅かれ早かれ誰でも必ず拗ねる。
こちらの意図(聞いた情報の確認の為や、わざと精神に負荷をかけようとしている、など)について気が付いたとしても、何らかの形で肉体的にダメージを与えながら長時間に亘って繰り返せば、どんなに強固な意志の持ち主でもいつかは必ず拗ねるのだ。
一度拗ねさせてしまえばこちらのもので、後は肉体的なダメージを与えず、話題を少しづつ前進させてやればいい。
大抵の場合「暴力が止んだのは自分の主張が認めてもらえたからだ。その証拠に今までのように同じ話を何度もする必要はなくなった」と思う。要はこの時点で正常な判断力を失っているに過ぎないのではあるが、本人はそう思いたがる。
訓練された相手であればこの段階に到達するまでにある程度の時間を要するが、それでも時間の問題でこういう精神状態にすることは可能である。
そして少しだけ話題を前進させてから、また確認の意味で何度も同じ質問を繰り返して苛つかせ、拗ねさせる。
これを何度も何度もやるのだ。
このあたり、自衛隊時代に幹部レンジャー課程に逝かされそうになっていたので、予習していたんだよね。
何しろレンジャー訓練過程の第三想定……第四想定だっけかな? には尋問・拷問への耐性獲得訓練もあるからね。当時の連隊長の指示で、既に幹部レンジャー(空挺や冬季などの一般のレンジャー徽章は銀色をしている。戦闘服着用時は布製の黒色マークのワッペン状の徽章を付ける)を持っている先輩たちが「予習」と称して部隊に配属されて三ヶ月しか経っていない俺を、次年度の為にと指導してくれていたのだ。
当時は「俺を虐めて楽しいのか。糞が」と思っていたが、実際にやる方に回ってみるとちっとも楽しくなんかなかった。むしろ不愉快ですらある。課業時間が終わった後の、本当に貴重な時間を割いてまで予習をさせて下さっていたのだ。当時はサビ残なんて言葉はなかったけど、こんなに嫌な思いまでして俺を指導してくれていた事には改めて頭が下がる思いがした。
そして何度か話を進めた頃。
「陛下はどうやって俺の他にも転生者がいると考えついたんだ?」
俺の問いにバケイラは無言を貫く。
なまじっか強固な意思だと本当に面倒臭ぇな。
「言え」
「知らん……」
嘘ではないみたいだけど……。
「……そうか。お前もあいつみたいにアホにしてやろうか?」
このセリフは今日初めて言ってみた。
どうやら痛みに対する耐性訓練しか受けていない(俺に言わせればそれすらも満足なものではない)ようだし、そろそろ頃合いだろう。
「できる物ならやってみろ。そうなったらもう話なんかできないだろうがな」
ふうん。ま、そんな反応をするだろうとは思っていたよ。
「あれを出せ」
ズールーに命じて、吸い飲みのような容器を用意させる。
これは俺自ら中が見えるように金属ガラス化の魔術で透明なガラスに仕立てたものだ。
中見は単なるみかん水に砂糖を混ぜた甘いジュースだ。
「これは魔法の薬でな。こういう状態の奴を治す治療薬だ」
俺の言葉を聞いたバケイラの表情に変化が見られた。
流石にアホになってしまった同僚に対して思うところもあるのだろう。
「言わないなら今度はお前をアホにしてやろうか? 話はこいつから聞けばいいしな。お前がここまで喋った内容をこいつに伝えれば、治ったこいつはどう思うかね?」
バケイラの顔が歪む。
「ま、いいさ。こいつを治すとしよう」
俺はあうあう言ったままのダーガンの頭に手を当てて少しだけ上を向かせると、開いたままの口に吸飲みの先を含ませてゆっくりと傾けた。
ダーガンは甘酸っぱくてスッキリとした味の液体が流れ込んできたのを感じたのだろう。
瞬く間にごくごくとジュースを飲み干した。
ジュースがもう少しで無くなる時に白痴化を解除してやった。
「う……あ、甘……なんだ? お、俺は……? く、クソ! 俺に何をした!?」
正気に戻ったダーガンは悪態を吐きながら暴れ出すが、ズールーに押さえ付けられて猿轡を噛まされた上に何発も蹴られ、更に棍棒で殴られると幾つか骨が折れたようでじきにおとなしくなった。
バケイラはその様子を見て「やめろ! やめてくれ! 大怪我をしているじゃないか!」と怒鳴っている。
「止めて欲しければ言え。陛下はどうやって俺の他にも転生者がいると考えついた?」
同僚など身近な人を痛めつけ、その様子を見させるというのも立派な拷問だ。
本当は家族に対してやるのが最も効果的だそうだが……。
拷問に対する本格的な耐性訓練を受けておらず、肉体的に痛めつけ、精神を摩耗させてやれば、一〇〇パーセントこれで落ちる。らしい。
昔、ミヅチに対して拷問に屈して俺の固有技能について喋ったとしても仕方ないとしか思わないと言った事もあるが、闇精人族だってここまでされたら喋るだろうと思っただけだ。
俺にしても喋るだろうね。
「し、知らない。それは本当に知らないんだ!」
嘘は吐いていない。
知らないことはさっき聞いてるから知ってるけれど、何度でも繰り返すさ。
他に何か心当たりの有りそうなことを思い出すまでな。
「ズールー」
俺が声を掛けただけでズールーはすぐに棍棒をダーガンの足に振り下ろした。
「~~!」
声にならない苦痛の息がダーガンから漏れる。
「ダーガン。バケイラが思い出さないばかりにお前も可哀想にな。どれ、傷を治してやろう」
ああ、胸糞が悪い。
自分がこういう行為をしているという事を認識し、心の底から腹が立つし、ムカムカしてくる。
いっそ一思いに殺してやった方が慈悲がある。
「ご主人様、例の挽き肉機を盗ませたのも国王陛下のご指示だったとのことですから、私が思うに、何か関係があるのではないでしょうか?」
そう言えばそうね。
でも、そういう意味で盗ませたのか?
転生者という存在を知ってはいても、俺の公言する「進んだ世から来た」という事を信じるのなら……遠回りすぎて非効率だけど、あり得なくはないか。
でも挽き肉機如き……大した構造じゃないし、仕組みさえ理解できるのならオースでだって似たようなものは作れる……。
ふぅむ、構造それ自体を知りたかったのではないのか?
だって、挽肉機が発明されたのって地球じゃ近代に入ってからだぞ?
それまで挽肉ってのは切り出した肉の切れっ端を包丁で叩いて細切れにしてただけだ。
「おい、バケイラ。陛下は何のために挽き肉機を盗ませたんだ? 何か聞いていないか?」
「挽き肉機?」
「バルドゥッキー製造機のことだ」
「理由までは知らない。ただ“バルドゥッキー製造機を盗め。誰が盗んだのか気が付かれないようにしろ。余計な恨みを買わないように、奴隷一人殺すな”とだけ命じられたんだ!」
嘘ではないようだ。
理由まで下っ端に説明する必要はないもんなぁ。
でも、引っかかるね。
こうして尋問を進め、結構色々な事が判ってきた。
それらはいずれ、話す機会もあるだろう。




