第八十九話 先を行け!
7449年11月10日
今日は待ちに待った俺の屋敷が落成する日だ。
先月末からこっち、三日に半日は俺自ら水回りの工事を担当していた。
あと、前にも言ったことがあるけど、オースに地鎮祭はない。
棟上げ式や建物の完成披露なんて習慣もない。
流石に王城クラスになると都を挙げて祝うらしいけどね。
個人的にはこのオースで最も進んだ造りの屋敷になっていると自負している。
俺たち夫婦の寝室、居間、談話室、図書室、衣裳部屋。
将来生まれるであろう子供のための部屋が二つ。
食堂、厨房、冷蔵庫のスペースもある食料貯蔵室、食器部屋、物置。
三〇人以上が入ってもなおゆったりとした空間を取った居間。
ダブルベッドの客間にツインベッドの客間、シングルの客間が二つ。
二段ベッドを備えた住み込みの使用人の部屋が二つ。
使用人頭用の部屋が一つ。
これだけで部屋数は二〇になっている。
それらに加えて家族用の風呂、脱衣場、水洗トイレ。
客用の風呂、脱衣場、水洗トイレ。
使用人用の風呂、脱衣場、水洗トイレ。
なお、冷暖房や照明、調理などには全て魔石を使うので薪の貯蔵室はないが、二つの居間に暖炉はある。物置に少しだけ薪を置いてはいるけど。
全部が平屋造なので大豪邸だ。
因みに、窓という窓には全て俺が作った板ガラスを嵌め込んでいる。
ここだけを取っても王城よりも開放感のある造りが実現できていると言える。
惜しむらくは合計五つもの水タンクを屋上に乗せなければならなかったので、全てを瓦屋根に出来なかったことくらいだろう。
ちょっとした運動や稽古をするには十分な面積の庭もあるし、三コース分程度の幅しかないけれど、全長二五m、深さ一・五mくらいの細長いプールも作った。
また、敷地内には合計一六頭もの馬を飼えるような厩舎もあるし、飼葉を貯蔵するための大きな倉庫もある。
当然馬車を入れるための大きな車庫もある。
これらを高さ三m程の塀やその内側に植えている生け垣が覆っている。
前世、購入した自宅はマンションだったんだよな……。
管理費が、えーっと月二万四千円に共益費が月一万円だったかな?
地下駐車場代は月二万五千円だったかと……。
それが……そんなものいらないとは、変われば変わるものだ。
……似たような費用はもっと掛かるか。
感傷に浸るのはこのくらいにしておこう。
俺もミヅチも行政府での執務は午前中で切り上げて屋敷に向かった。
俺だけはどうしても今日の夕方までに決裁が必要だと言われている書類を少しだけ手提げかばんでお持ち帰りしているけど。
屋敷に到着すると門の前に使用人や奴隷たちが勢揃いして頭を垂れて俺たちを迎えている。
勢揃いと言っても脇に控えているギベルティにルビーとジェスを始めとする戦闘奴隷を除くと全部で五人だけなんだけどね。
彼ら彼女らは全員が俺の従士の家族で平民階級に属している。
中には前の代官のラフリーグ伯爵の屋敷に仕えていた人もいる。
「お待ち申し上げておりました、お屋形様。奥様」
五〇絡みの細面のおばはんが一歩進み出て言った。
彼女こそラフリーグ伯爵の屋敷に仕えていた人で、その名をパトリシア・バルトロメという。
べグリッツの西の方の農地を管理している従士のバルトロメ家の先代の奥さんで、犬人族だ。
ラフリーグ伯爵がこの地を去るに当たって失業したが、俺が雇い直した形になる。
別に職を失ったことに同情したわけじゃない。
本物の上級貴族に仕えていた人が家の中を切り盛りしてくれたほうが何かと都合が良いと思ったからに過ぎない。
簡単な会計くらいはできるって話も聞いているし。
なお、彼女は住み込みではない。
「さぁ、馬をお預かり致します。ウラヌスとギョクリューとお聞きしております」
次に声を掛けてきたのは初老の普人族の男で右腕がない。
彼の名はルシオ・グアイレ。
先年まで騎士団で厩番をしていたのだが、事故で右腕を失い、騎士団を馘首されていたのだ。
俺が彼を知った頃にはとっくに傷は完治した後だったので再生の魔術を使っても彼の右腕はどうにもならないだろう。
今までは彼の実家(俺の従士でもある)グアイレ家で冷や飯を食っていたらしい。
住み込みで雇っている。
俺とミヅチは引いていた馬の手綱を彼に預けて、サドルバッグは外して屋敷に運び入れろと命じると、外套を脱いで一人の女中に渡した。
「……お預かり致します」
何故ここで外套を脱いだのか、その意図を図りかねて少し意外そうな表情を浮かべながら俺とミヅチの外套を受け取ったのは、少し痩せぎすの猫人族の二十代前半の女だ。
少し肌寒いが、完成した家の門を初めてくぐるときくらい外套は脱いでおきたい。
俺もミヅチも先月の半ばくらいから多少気温が下がってきたこともあって、普段着で外に出るときは外套を着始めていた。
俺のはバルドゥックにいた頃から持っていて、サイズを直しながら使っているうえに、元々が素晴らしく良い品という訳でもないので結構ぼろっちくなりつつあるインバネス。
ミヅチのはこっちに来てからウィードの革職人に依頼して作った明るい臙脂色に染められた革のコートだ。
受け取った女中の名はアイーダ・サストーレ。
彼女はべグリッツで穀物商を営んでいる家の若旦那に嫁いだのだが、結婚して五年も子供が出来なかったために、婚家から石女と謗られて離縁され、これも俺の従士として農業をやっている実家のサストーレ家に出戻ってきた女性だ。
農家にとって穀物商は大切な存在なので言うなりになるしかなかったのだろう。
因みに彼女の元旦那は新しい嫁さんを貰っているが、俺の鑑定によると【無精子症】とのことだ。
彼女も住み込みで雇っている。
「ん? これ……なんで?」
門を入ってすぐ脇に、高さ一mくらいの、ひょろりとした一本の小さな木が植わっていた。
パラゴムノキだ。
まだ大して大きくなっていないことと、塀に隠れていたために今まで前を通っても気が付かなかった。
「ああ、先日、リョーグ様がお持ちになられたのです。庭の隅にでも最低一本は植えておかなければならないと仰られて……」
答えたのは庭師として雇った片目の普人族のおっさんだ。
名をセルジオ・ラセルナという。
でも、ダイアンが?
それに、庭に植えておかなければならないってなんでさ?
別にいいけど。
彼は若い頃に戦場に出て片目を失ったと聞いている。
それ以降、以前のラフリーグ伯爵の屋敷も含め、べグリッツの商人などの家の庭をいじって過ごしていたそうだ。
同じ平民階級だがダイアンに敬称を付けているのは、あっちは正従士で彼は家督権のない三男だからだろう。
彼も先の厩番のルシオ・グアイレと同部屋の住み込みだ。
「お、お屋形様。お、おおお荷物をおおお預かりいたいた致しましょうか?」
俺が提げたままの手提げを見て言うのは女中として雇ったソフロニア・テフラコリン。
彼女はウェブドス侯爵の遠縁の娘で、この使用人では唯一俺とほぼ同じタイミングで入植してきた従士の娘だ。
彼女のテフラコリン家はウェブドス侯爵領の首都、キールで農業を営む従士一家の傍流として農奴をしていた。入植と同時に家族全員が解放されて平民となっている。
吃音は生まれつきで、これでもかなり治ってきていると聞いている。
だが、その御蔭で二十歳を超えても嫁の貰い手はないそうだ。
精人族っぽい名字だけど彼女の一家はれっきとした山人族で、彼女も立派な強い髭をたくわえている。
彼女も住み込みで同僚であるアイーダ・サストーレと同室になる。
「ああ、これはいい。あ、これからもこの手提げは気にしなくていいぞ」
流石に行政で使う書類は自分の手で運ぶべきだろう。
別に嵩張るわけでも、重いものでもないし。
なお、彼ら、彼女らは“ミヅチの強い要望”で女性はいわゆるお仕着せのようなメイドっぽい服を、男性は黒いタキシードに近いデザインの服を纏っている。生地も結構上等なものである上にそれぞれの体型に合わせて作られた完全なる仕立て品だ。
勿論、庭師や厩番の仕事をする時には着替えるとは聞いている。
……この制服(?)だけで一〇〇万Z以上使ってるんだけどなぁ。
来年の夏にも新しい服を支給してやらなきゃなんないのかね? お四季施だけに。
さて、俺の人生でも初めての一軒家の玄関を開けるか。
・・・・・・・・・
この日の晩飯時。
給仕をするという二人のメイドたちには「今日はいい」と言って下がらせた。
コース料理のようなものや、鍋料理なんかであれば給仕を置いてもいいんだろうが、今日はそういったメニューじゃないからね。
この日の晩飯はギベルティの捌いた尾頭付き真鯛や真鯵、鮃なんかの豪華舟盛り(!)がメインなのだ。
刺し身と酒だけなら給仕なんざ必要ない。
酒も焼酎になんとかという葉っぱを漬けて日本酒のような感じにしたものだし。
そうそう、この舟盛りの器はこの日のために特注で作らせたもので、一五万Zもした逸品なんだ。木工所の職人は領主である俺の注文に応えようと、船なんか作ったことないのにいい仕事をしてくれた。
トールに作らせても良かったのだが、あいつはこのところ、俺が設計した手押しポンプの鋳型を作るのに熱中していてそれどころではなさそうだったから遠慮したんだ。
刺し身のツマはハッシュ村の砂浜から少し海に入ったらうじゃうじゃ穫れるという海ぶどうなんだけど、これがなかなかいける。
「美味しいね」
「うん。美味い!」
鯛の刺身を煎り酒に付けて口に運び、しばらく味わった後に常温の酒を飲む。
あ~、これこれ!
「そう言えば『海胆』は無いの?」
「『海胆』はなぁ。バルドゥックや王都あたりではウニとかアーチンと言っても通じなかったし、似たようなのが獲れるなんて聞かなかったしなぁ。キブナル士爵には今度絵を書いて渡してやるつもりだよ。あそこ、磯浜もあるって言うから海胆が居るなら穫れるだろ。この際だ。バフンなんて贅沢なやつじゃなくてアカウニとかムラサキウニとかでもいいから食いたいよな」
「そう言えば『地球』だと全世界にいたんだっけ?」
「確かそうだ。世界中どこでも獲れた筈だよ……あー、思い出したらよだれが出てくる」
「『生海胆』もいいけど『いちご煮』とか『塩海胆』とかも食べたいよねぇ」
「そういやあ、昔、『井上』とさ、フィリピンに出張した時に食った『海胆』、安くて美味かった」
「ああ、そんなこと言ってたね」
「うん。あっちの人は食わないらしいからタダみたいな値段でいくらでも食えた」
「『痛風』一直線だね」
「はは。そうだな」
「そう言えばラルとグィネはまだハッシュ村から帰ってきていないの?」
「うん。あそこ、農地なんかちょっとしか無い筈なんだけどな。まぁ、これだけ立派な鯛が獲れるくらい海産物は豊富なんだろうから今頃は俺達みたいに刺身食って宜しくやってんじゃねぇの?」
せっかく目の前に豪勢な舟盛りがあるにもかかわらず、俺達の欲望は飽くことを知らない。
・・・・・・・・・
検地のためにハッシュ村へ行っていたラルファとグィネは検地を忘れて一日中磯浜で働いた成果を貪っていた。
彼女ら二人は村に到着早々に検地なんかどこ吹く風と放り出して磯浜に行っていたのだ。
そして海から栗のような変なものを大量に取るとその場で割り、オレンジ色をしたドロドロの内臓を海の水に漬けて洗うと喜んで食べだしたのだ。
因みに今日で五日目となる。
「リンビー、マールも、食べないの? これ美味しいんだよ。食べなよ」
「いえ……結構です」
「その……何度も申し上げておりますが、私もいいです、ファイアフリード様」
ラルファは割った殻の内部から指先で掬った内臓を磯の上に立つマールとリンビーに差し出したが、彼らは気味悪がって決して口にしようとはしなかった。
勿論、彼女らに同行しているサマンサとタリスの二人も同様だ。
「ああ、生が嫌なの? それじゃあもう少し食べやすくしよう。ラル、食べるのは後にして、今日は多目に獲って帰ろう」
「ん? 生以外で食べるの? なんか勿体なくない?」
「まぁまぁ。ちょっといいこと考えたから」
「ふーん。ま、いいけど」
「さぁ、リンビーもマールも獲るのくらい手伝って。アルさんも喜ぶと思うから」
「はぁ。そういうことなら……」
「獲るだけなら手伝います」
彼女達は午後いっぱいを掛けて大きな籠が溢れんばかりの海胆を獲った。
「そうそう、エイサクは皮がついたまま三枚に下ろしてください」
グィネはキブナル士爵の第一夫君であるアルケインに料理法を指示している。
「あとは卵を割って、黄身と白身で分けて……」
「白身にさっきの身を漬けて、すぐに胡麻をまぶしてください」
どうやらイサキの利休揚げを指導しているようだ。
「黄身の方にはコレを混ぜて……」
大量に獲った海胆の卵巣を潰して卵の黄身と混ぜている。
「そうしたらエイサクに塗ってください。ええ、そんな感じで……」
「そうです。焼いて表面が乾いたらマヨネーズを薄く……」
こちらはイサキを使ったマヨネーズ焼きをアレンジしたもののようだ。
最終的にこれらの料理はかなりの好評を博した。
貴重品であるバターと海胆を混ぜてトーストしたものも大好評だ。
「うん。やっぱり食べてみれば皆美味しいって言うね」
「そりゃそうでしょ。『海胆』なんだし」
「アルさんも好きだと思う」
「そりゃそうでしょ。『海胆』なんだし」
「だよね。それでさぁ」
「うん?」
「ラル、あんた幾ら出せる?」
「は?」
「商会作んのよ商会。で、ここで『海胆』仕入れて売るの。アルさんに先を越される前に。高値で」
「でも、生ものは……」
「塩漬けとかアルコール漬けとか聞いたこと無い? 生で食べるのなんか私達くらいでしょ?」
「なるほど……お金貸して」




