第八十五話 使者
7449年10月18日
週末である土曜の夕方。
行政府での事務仕事を平日より少し早目に終え、適当な商店で晩飯の材料を買っていた。
ここ最近、週末の夕飯だけはコートジル城にギベルティを呼びつけた上で俺とミヅチが交代で三人分作って食べるようにしている。今週は俺の当番の日なのだ。
ああ、勿論、ギベルティは作るときは一緒だけど、食う場所は俺とミヅチと分けてるよ。
この時間だけは俺たち夫婦にとって週のうちで唯一の息抜きとなるからね。
ギベルティを呼びつけているのは俺やミヅチ好みの食事を教え、彼の作れるメニューを増やす意味もあるし、食った後の食器洗いや使った調理器具の手入れなんかをやらせるためなんだけどな。
あと、余った食材を渡して翌日の昼食を作らせたりとかね。
ところで、オースにはスーパーマーケットのような、商品をなんでも扱うような便利な店など一軒もない。
と言うより、そもそもべグリッツには食材を扱うような商店なんか全部で一〇軒もない。
それぞれ扱っているものも違うので一軒で済ますことは出来ないから買い物をするのは少しばかり面倒だがこれは仕方ない。
……よく考えたらギベルティを除いて、ズールーやトールなど、農業以外で直接俺に仕える奴隷なんかには基本的に毎週末の土曜には休みをやっていた。なのに何で伯爵閣下という大貴族であらせられる俺様には碌に休日がないのか?
何となく釈然としない感じもあるが、前世の国家元首は疎か会社の役員ですら休日なんか、そもそもその概念すらないんだから当然といえば当然だ。この西ダート地方の元首であり、実質的な経営者とも言える俺は、領地経営において最適な執務時間を自分の裁量で決定しており、休日なしは俺自身が決定した事だった。
そうは言っても釈然としない物は釈然としない。
旬であるオリーブの実がパンパンに詰まった小袋を五〇〇Zで買いながら、なんとなく納得がいかない気持ちになっていた。
後は、卵と豚肉を少々かな?
ビールもワインも樽ごと買ってあるので飲み物は充分にあるし、そっちは心配しなくてもいいな。
今晩のメニューはオリーブのオムレツと豚肉のオリーブ焼き、乾麺にしてあるパスタもどきに豆とオリーブを具にして唐辛子の替わりに大量の胡椒を使ったペペロンチーノ的な何かにするつもりだ。新鮮なオリーブが出回るこの時期にしか食べられないメニューだね。
なお、野菜類に関しては俺の領地でのレタスの収穫は夏の終わりには終わっているし、キャベツの収穫は来月くらいから始まる。小松菜のような葉野菜は春から初夏がメインの収穫時期で、根菜は王都などに出荷されるものが大多数なので領内で消費される分は殆どない。
イモ類は大体いつでも食えるが、大量に育てられているのはサク芋と言うやつで、これがちっとも美味くない。
何しろ薄切りにして植物油で揚げ、塩胡椒してもスカスカだから本当に美味くないのだ。
まぁ、野菜はどれを取っても大して美味くないんだけどね。肥料や品種改良の問題なんだろうな。
それなりに食えるのは豆類くらいだねぇ。
大豆、インゲン豆、レンズ豆、ヒヨコ豆、エンドウ豆が栽培されているメインなんだけど、オースの人たちってのは食い方を知らねぇから困る。
全部が全部、硬莢種(鞘が硬いもの)だろうが軟莢種だろうが、お構いなしに熟してから収穫して鞘ごと保存するんだもんよ。
枝豆やモヤシは言わずもがな、軟莢種で若いうちなら鞘のまま食べられるエンドウ豆やインゲン豆ですらぜーんぶ保存食にするしか能がないってのは……まぁ、仕方ないか。
食い物が有り余ってる訳じゃねぇしな。美味さとか置いておいて、得られるエネルギー量は完熟した豆の方が多いんだし。
……豆で思い出したけど、いつか暇が出来たらエンドウ豆の種子の種別を例にとって、優性と分離の遺伝の法則でも誰かに教えておくのもいいだろう。
誰か真面目で研究熱心な奴が美味い絹さやでも作ってくれたら儲けもんだ。
遺伝子ついでに嫌な話も思い出した。
前世、死ぬ前にどっかの国でアグロ・バイオ企業が二世代目で発芽しない自殺遺伝子を組み込んだ種で特許を取った。これはF1という一代交配種や、自社の農薬とその農薬だけに耐性があるように遺伝子を組み換えた植物の種とをセットで売ることとは根本的に異なる。
こんなのが出て来ないような法律も考えておこう。改変不可な奴でな。
そういうので儲けようとする奴は、それが立証された時点で問答無用で死刑な。
やるかやらないかは別として種子の自家採取が可能であるということは農業発展の生命線だ。
食料生産のカギを握っていいのは自然だけで……たとえ王様だってそういうのは許されない。
自殺遺伝子とかターミネーター技術とか、名前だけでも胸糞が悪い。
豚ロースの上等なところが一〇〇gで三〇〇Z、バラの標準的な部分が一三〇Zか。
肩やモモ、ハラミ(横隔膜)、タン、タンシタ、チチカブ(乳房)なんかは五〇~一〇〇Z。
で、一番安い脚肉で一〇〇g二五Z。
脚肉は筋が多いので料理法が限られるし、挽き肉機でもなきゃ美味しく食べられないからこんなもんか。
因みにモツや血管、トンソク(足のゼラチン部分)や耳なんかは一〇〇g一〇Z前後な。
前世と違っていい餌を食べている食用家畜なんかまずいないのでモツはあんまり美味くない。
胃腸なんか一応洗ってあるけど、たまにひだの間にうんこが残ってたりもする。
バークッドでも奴隷なんかが肉を食う時はもっぱら豚や鶏のモツだったね。
肉の価格は……ま、普通くらいの値段だねぇ。
日本とは違い、肉のいい部分が思い切り高く、普通の肉の部分はわりと高目。
逆に肉質の悪い部分やモツは捨て値かと思うほど安いのだ。
高い肉は貴族や裕福な平民が買い、奴隷たちは安い部分を食べるのが根付いている。
まぁ、田舎とは言え、一応都市部なので自宅で炊事をする人はあんまり多くはないけど。
あ、ハムやパンを買ってきて自宅で食うぐらいはするけど、それを炊事とは言わないだろう。
スープとかを作る事もあるけど竈を持ってない人も多いし、燃料となる薪にも金が掛かる。
魔道具であるコンロなんか以ての外だから人口の大部分を占める奴隷にはまずいないね。
む……誰も買いそうにないみたいだし、今日はフィレにしておくか。
一〇〇g一二〇〇Zだが、まぁ最上級部位と言えるだろうし妥当かもしれん。
たまには豚バラの煮込みとかロースカツとか作って食いたい気もするけど、こういう部分を買える奴ってあんまいないから仕方ないなぁ。
そう言えば、従士にしてやったイミュレークんとこの牧場の初出荷、豚が来月って聞いてたな。
普通、豚はサク芋やその茎を飼料にするのだが、サク芋はどう見てもサツマイモ程のデンプン量がなく、栄養価が高いようには思えないのでサク芋だけは飼料にするなと厳命している。
替わりに麦や蕎麦などの穀類やその“ふすま”、豆類などを中心にしろと言っているのだ。
飼料代は倍以上になってしまうだろうが、体はかなり肥えるし肉質も圧倒的に良くなるので、金持ちの多い王都に持っていけば必ず高値で売れると言いくるめて実行させている。
イミュレークも以前俺に言われて和牛に似た飼料を与えたことで、肉牛の質が普通に育てたものとは比較にならない程良くなった事を忘れていないらしく、言い付けはきちんと守っているようだ。
初出荷の時はモツも含めて出来るだけ多くの部位を食ってみよう。
「あ、伯爵様……!」
肉屋から出たところで小太りのおばちゃんに声を掛けられた。
えーっと、確か行政府の一階で働いているダジーグル士爵の奥さんだったな。
飯でも食いに行くのか、いや、お供を連れているみたいだから買いに行くのか。
「これはダジーグル士爵夫人。買い物か?」
なんとな~く、バツの悪いような気持ちで応答した。
貴族家の当主自らが食材を買いに行くなど、あんまり格好がよろしくない。
ましてやご領主様だしね。
いや、勝手に俺がそう思ってるだけなんだけどさ。
「ええ。そろそろハムの準備の季節ですし」
各家庭ではだいたいこの時期に冬に向けて保存食の準備を始める。
豆を買い込んだり、溜めておいた麦を挽いたり、家の中を片付けたり、暖房や照明源にもなる薪を購入して割らせたり、そして豚のもも肉を買ってきて保存食であるハムを作り始めたりなどだ。
ハムは燻製が必要な手間が掛かるものは店売りが殆どだが、燻製しないプロシュートみたいなものは家庭で作られることが多い。
そういった、保存食を作るなど冬支度の指揮を執るのは大抵の場合、家督者の第一配偶者である。
彼女もしくは彼らが、家で所有している奴隷などを使って冬支度を開始するのが丁度この時期なのだ。
なお、領主への納税は大抵の場合、遅くとも九月中には済ませてあるので、俺への納税で忙しいのは各町村を治める貴族と俺の騎士団くらいのものだ。
農業を行っている平民家だと何家族も奴隷を所有していることが多い。
冬の間、所有する奴隷も食わせなければならないし、凍え死にでもさせたら大損害なので、この冬支度は非常に重要なのだ。
人手を必要とする仕事も多いし、それなりに時間も掛かるうえに冬はその到来を待ってはくれない。
奴隷を所有していないか、所有していても少ない家庭の場合はそれ程でもないけど、それでも食品などが値上がり傾向になる冬の前に出来るだけ多くの保存食を確保しておかねばならないし、薪だってそれなりの量が必要になる。
このダジーグル士爵夫人もその口なのだろう。
「ところで、伯爵様もお買い物ですか? 肉屋で?」
会釈してとっととこの場を去ろうと思っていたが、そうも行かないようだ。
「ああ、週末の夕食は私と妻で交代で作ることにしているんで……では」
まだ何か言いたそうな士爵夫人を置いて、サドルバッグに買ったヒレ肉の包みを押し込んだ。
「まぁ! ……閣下、ちょっとお待ち下さい」
士爵夫人は俺に耳を貸せと言ってくる。
でも、伯爵様という、ある意味で気安い呼び方から閣下という、フォーマルな呼び方になっている。表情も少しばかり真剣な感じもする。
何だよ、もう。
「あの、差し出がましいようですが申し上げさせてください。お食事の材料の買い出しなど、伯爵閣下のやることでは……」
やっぱそうか。
うっせーな、わかってるよ。
でも、俺とミヅチが交代で買い物してるのは手前ぇの食いたいもんを作るって意味の他に、食材が適正な価格で流通しているか確認する意味もあんだよ。
「気遣いはありがたいが、毎日でもないしな。それに買い物は楽しいじゃないか。……店屋物も飽きたし」
実は結構正直な気持ちでもある。
べグリッツにもそこそこに美味いお高いレストランも無くはないが、実は一軒しかない。
俺が来る前の代官であったラフリーグ伯爵なんかは毎日毎日そのレストランで食事をしていたらしいが、飽きなかったのかねぇと本気で思う。
ま、俺も週に二・三日はそこで食うんだけど。
確かにそこそこ美味いけど、もうべグリッツに来て半年だぞ?
店のメニューなんかとっくに全部食い尽くしているわ。
「……それはそうでしょうが……」
大貴族ともあろう領主がそんなみみっちい事言うなって感じだ。
うざいけどこうして直言してくれる人ってのは大事にしなきゃならん。
「まぁ、そう言わないでくれ。知っているとは思うが、私の好きな料理を作れる者は少ないからな。自分で作るしかないんだ」
俺は行政府の職員たちにも転生者であると言っている。
勿論、政治的な方針への異論を封じる意味が大きいが、皆の知らない知識が俺にはあるというアピールでもある。
どんなに贅を尽くしたオースの料理よりもっと美味いものを知っているし、洗練されたデザインで着心地の良い服、便利な道具など進んだ生活環境を知っているとも嘯いている。
いや、本当に知ってるだけだから大口を叩いてるわけじゃないんだけどね。
それに、今晩のメニューは乾麺を使うものもあるからオースでは一般的ではない。
ギベルティに麺料理も開発させているけど、手本は出来るだけ多い方がいいしな。
「ああ……」
あの目は、ホラ吹いてると思っているのか、妙な妄想に取り憑かれた気の毒な奴だと思っているのか、そうかと納得しているのかイマイチ判断がつかない。
「ふふ。今度ダジーグル士爵共々我が家の晩餐に招待しよう」
おお、我ながらいいアイデアだ。
役人とはいえ、俺の下で働くからにはこういう事があってもいいだろう。
正直言って、俺やミヅチの作る飯は結構美味いと思うし。
いや、上司の家に呼ばれて飯食うとか、拷問か?
って事はないか。
貴族階級では一般的に名誉なことだしな。
「えっ? ご、ご招待頂けるのですか?」
士爵夫人は目を丸くしている。
「うん。だが、もう少し経ってからな。もう暫くは夫婦だけの時間を大切にしたいから」
なんだか嬉しそうにしている士爵夫人を置いて馬に跨った。
別にダジーグル士爵を特別視している訳でもないので、変な期待をもたせちゃったら嫌だなぁ。
・・・・・・・・・
コートジル城に戻るとギベルティが待機していた。
「おう。すぐ始めるぞ」
「はい」
馬からサドルバッグを外したギベルティはそれを抱えて俺のあとをついてきた。
「あの、ご主人様、今日は一体城で何があったんです?」
少し遠慮がちに声を掛けてくる。
ああ、そうか。
こいつは知らなかったんだなよな。
今日から城の地下室、とは名ばかりの単なる地下貯蔵庫で連絡員の拷問を始めたこと。
数日前、間者二人が連絡員として潜り込んでいた隊商、ロムデール商会が次の目的地であるランセル伯爵領へと出発する日には「べグリッツに到着して早々、王都で雇った護衛二人が姿を消してしまった」と少しだけ話題になったようだ。
しかし、そういう事件(?)はままある事なので、あまり大騒ぎに発展するような事にもならずにべグリッツで新しい護衛を雇って粛々と出発していった。
ロムデール商会はあと二月程度で王都に戻ると聞いているので、俺も自分の商会への手紙を一通言付けている。因みにロンベルト王国での手紙ってのは基本的にはそうそう不達にはならない。
尤も、ロンベルト王国での行商人やその護衛の死亡率は年間で〇・五%程もあるうえ、不心得者も居ない訳ではないので実はそれなりの可能性で不達になるんだけどね。それを見越して全く異なる巡回路を使っている別の隊商にも全く同じ手紙を言付けるようにはしている。
姉貴やバストラルからの手紙だってもう暫くしたら同じものが別の隊商によって届けられるだろう。
そんなことはともかくとして、休日の筈のズールーは姿を見せないし、ベンとエリーは天守の後ろにある地下貯蔵庫への入り口を厳重に固めて一歩も動かない。
他にもズールーの嫁さんであるエルミーを始めとして数人、身の回りの世話をさせる奴隷たちも住んでいるが、彼らの表情も一様に固く、理由を尋ねてもまともな答えが返ってこないから事情を知らないギベルティは大いに戸惑っていたようだ。
「ああ、領地に潜り込んだネズミを二匹捕まえたからな。何をしようとしたのかズールーに吐かさせてるんだ」
「……ネズミですか。なるほど」
「うん。地下だから声も漏れない。それより、さっさと始めるぞ」
・・・・・・・・・
「吐いたか?」
ミヅチと晩飯を食い終わってお茶を飲み始めた時、ズールーが来た。
「少しだけですね」
拷問によって吐かせることの出来た情報は少なかった。
有益な情報は、以前盗まれた挽き肉機の事件にこいつらのうちバケイラが関わっていたということがわかったくらいで、何のために盗んだのか、その理由も自分でバルドゥッキーを作って食いたかったからだと言う。
明らかに嘘だろうが……。
そんな事を尋ねたというズールーにもちょっと吃驚したけどね。
そうやって一発目の拷問の成果を確認している時に、ビンスに任せているミドーラ村に駐屯している王国第二騎士団と王国中央からの急使がやってきた。
――来る七四五〇年一月中旬。ドレスラー伯爵領のダービン村を集結地として王国精鋭による攻略部隊をデーバス領に差し向けます。ついては後詰めとしてリーグル伯爵領に駐屯する部隊から一個中隊相当の人数を引き抜くので……。




