第六十九話 検地 4
7449年9月2日
「なに? 体調を崩したと? ……そうか、わかった」
調査隊に体調を崩した者が出たために、今日の視察は不要だとメイドを通して伝えられたゲーヌン士爵は少しばかり落胆した。
そろそろ着替えも終わりそうだったので着替えはそのまま行うことにして、部屋に入って畏まっているメイドに続きを促した。
「そうか、隊長殿は当家に逗留されることを了承したのだな? うむ。接待に遺漏があってはいかん。一番上等な茶を出しておくように」
士爵の命を了解したメイドが部屋を出て行く。
「ふむ……。ゾラを呼べ」
士爵は着替えを手伝っていたメイドに命じると自らボタンを留め始めた。
因みにゾラというのは、ゲーヌン士爵の第一夫人である。
士爵の世継ぎとなる娘はまだ成人していないので春の挨拶には夫人を伴って出席しており、夫妻は夫唱婦随のオシドリ夫婦として知られている。
彼女はまだ従士達と稽古を続けている筈だ。
ゾラは数分でやって来た。
「どうしました?」
ゾラの額には汗が浮き、稽古着の各所は汚れている。
「ケンチの調査隊の隊長を暫くお泊めする。お前もすぐに着替えて応接に顔を出せ」
続いて妻を呼びに行かせたメイドにその着替えを手伝うように言う。
「俺は先に客間に行っているから」
士爵は足早に衣装室を出ると応接間に向かった。
――しかし、養女が普人族だとは聞いていたが……。
応接間に向かいながら士爵は思う。
――ラ、ルファ、と言ったか? ファイアフリード男爵の養女であるなら彼女も冒険者としてバルドゥックに潜っていた一人か……。伯爵夫人も大層お美しい方だったが……闇精人族だからそれはわかる。
ミヅチはダークエルフとしては並以下の顔立ちだが、それでもヒュームとは比較にならないほど整っている。
――そう言えば准爵と一緒に居た山人族の女も……髭を剃ればドワーフだと信じる者はいないくらいには……。
グィネの体つきは一般的な女性と比較するならがっしりとしているが、ドワーフの女性とは思えないほどスラリとしており、身体部位のバランスについても確かにドワーフの特徴はあるものの、どちらかと言えばヒュームに近いと言っても過言ではない。
髭を剃ってしまえば、ちょっとがっしり目の、言うなれば健康的な体つきをしたヒュームとして充分に通用するだろう。
――ひょっとしてあの女も閣下と一緒にバルドゥックに……? いやまさか。それはないだろ?
伯爵本人とその妻のダークエルフはともかくとして、ヒュームの准爵に加えてドワーフの女。
一般的に考えて四人もの若者が、揃って超一流の冒険者だとは思えない。
聞いた話でしか知らないが、バルドゥックの迷宮とは魔物のうじゃうじゃいる、非常に危険な場所だという。
何年も挑んでいるベテランの冒険者ですら簡単に命を落とし、超一流と呼ばれるようになるには早い者でも一〇年近くの歳月を要するのが当たり前、それも優れた才能と最上級の幸運に恵まれたごく一握りの者だけだと聞いていた。
確かに腕っ節は重要な要素だとも聞くが、それ以上に大切なのは決して油断しない用心深さやどんな苦境に陥っても諦めない精神力、そして何度となく迷宮に挑んだ事で得られる経験や知識だとも聞いている。
迷宮に挑戦する冒険者集団のリーダーはそれらを全て兼ね備えていて当たり前、メンバー達も全員が優れた冒険者でないと一流になる前に全滅してしまうことも珍しくない。
――冒険者ってのはもっと……。
士爵も過去に沢山の冒険者と会っている。
隊商の護衛や王国軍に傭兵として一時的に雇われた者、ダート平原の調査の為にやはり王国に嘱託として雇われた者。
多くの冒険者がこのハロス村を通り抜けて行った。
勿論、その大半が単なるゴロツキに毛が生えたような連中であった。
しかし、その中で一流と呼ばれる者に会ったことも何度かある。
その一流冒険者達は誰もが若くても二〇台半ばであり、大抵は三〇の大台を超えている。
それについて、士爵としても当然に思っていた。
だから、初めて赴任途中の伯爵と顔を合わせた時には心の底から驚いた。
この若さでバルドゥックの奥深くにいたというドラゴンを倒したのか、と。
尤も、そのバルドゥックで得た財宝を献上して国王から伯爵位を賜り、領地をも任される人材とは若くして優秀なのだろうとも思って、記憶の棚の「例外」と記載された場所に収めたのだが。
それでも当初は舐めていた。
若い外見に似合わない堂々とした態度には感心したものの、所詮は人生経験の少ない若者であろうと高をくくっていた部分も大きかった。
しかしその後、正式に挨拶を行った際に色々と思い知って考えを改めてはいる。
高度な魔法の技を造作もなく使う姿はおとぎ話に出てくる大魔法使いを彷彿とさせ、一般的な法に反して親類縁者に罪が及ばないように取り計らった裁きにも士爵は感服した。
加えて先祖が犯した反乱未遂についても子孫に罪はないと握りつぶしてゲーヌン士爵家は安堵されている。
普通ならこの西ダート地方の貴族家の大半は取り潰され、どこかから新しい主が連れてこられて、今頃は混迷の極みとなっていた筈である。
裁きやその結果が伯爵の地位の安泰や後の統治のしやすさに繋がっていることも理解していたが、それでもゲーヌン士爵家を含む大部分の貴族達は家の取り潰しという最悪の結果を免れたのは確かなのであった。
伯爵が何もかも四角四面に対応していたらと考えると、空恐ろしくなって目眩がするくらいだ。
挙句の果てにはコーヴ士爵が企てた反乱についても貴族達が眠っている間に、全て未然のうちに最小限の犠牲を払ったのみで防いでしまった。
それを知った士爵は改めて、例外は滅多に居ないからこそ例外なのであり、一生のうちで一人にでも出会えたら幸運なくらいなのだ、と思っていた。
勿論、伯爵以外の三人の全員が全員、伯爵同様の人物だとは思えないし、「例外」にも色々な定義があることは知っている。
だが、幾ら方向性が違うだろうとは言え、その「例外」がゴロゴロと三人も四人も出てくるのは、士爵にはどうしても納得がいかなっただけである。
応接の前に着いた。
士爵は一度だけ服装に乱れがないかチェックをするとノックをした。
・・・・・・・・・
「お待たせしました。何でもお供に体調を崩された方がいるとか……」
士爵は会釈をしてソファに腰を下ろした。
向かい合わせのソファの間にあるテーブルにはまだお茶は出ていない。
「ええ。ですので申し訳ありませんが今日の視察は中止にしようと思っております」
士爵が腰を下ろすと同時に上体を起こしたラルファが答えた。
――うーむ。このようなうら若き女性が一流の冒険者だとは。顔にも傷一つないじゃないか。俺の知っている冒険者は揃って向こう傷の一つや二つ……。
士爵はそう思うと同時に伯爵程の魔法の腕があれば、痕跡すら残すことなく即座に傷の治癒が出来るであろうことに思い至る。
――美しい顔に傷を残さない……その一点だけでも伯爵に感謝すべきだろう。
「その件についても伺いましたが……」
続いて士爵はこの時期、ある種の野菜の種蒔きについて追い込みの時期であり、時間が掛かるであろう検地を長引かせたくはないので検地前の視察についても早めに行って欲しかったのだと説明した。
説明した以外にも理由は幾つかあるが、どれも大した理由ではない。
「でしたら視察自体を取りやめましょう。元々予定していた訳でもありませんし」
士爵の説明に納得顔で頷くと、ラルファはにっこりと微笑んで言う。
その言葉を聞いて士爵は軽々しく発言したことを少しだけ後悔する。
「い、いや、調査の前にどこにどの程度の耕作地が広がっているか、准爵にご理解して置いて貰わねば……」
失言を取り戻すべく慌てて取り繕う士爵。
ラルファとは出来れば親しく付き合いたかった。
生活に余裕のある貴族とは言え男爵家を嗣ぐであろう彼女との婚姻など望むべくもない。
だが、好みの容姿を持つ異性とは出来れば親しくしたいというのは誰しもが持つ願望である。
視察はその第一歩にうってつけだと考えていたのだが、自分で墓穴を掘ってしまったのである。
「いえ、特にお忙しい種蒔き時期との由、無理に見て回ることで農作業の邪魔をしたくはありません」
ラルファにしてみれば視察などグィネが同行するのであればともかく、彼女単独で行ったところで出来ることは少ないから、実はこれっぽっちもやりたくはない。
数少ない、視察することによって出来ることと言えば家畜の数を確認することくらいだが、そんなものはマールだのリンビーだのにやらせれば済むと考えていた。
但し、マールもリンビーも護衛兼お目付け役なので検地の為の地図作成以外の一切は本来ラルファの仕事である。
偉そうに隊長だと言っても、実情はたった二人の調査隊である。
そんな所帯の隊長の仕事が隊の指揮を執るだけで済む道理がない。
「それから、検地に然程の時間は掛かりません。ミード村の検地も一日半で終わらせましたので、このハロス村の検地もどんなに長くても二日もあれば十分でしょう」
僅か一日半でミード村の検地を終えたと聞いた士爵は俄には驚きを隠せなかった。
――なんだ? ケンチってのはそんな簡単なのものなのか……。もっと徹底的に……人数も少ないみたいだし、それなりの時間を掛けてやる物だと思っていた。
そう思った士爵だが、すぐに驚いた顔を引き締め直す。
メイドが現れ、お茶をテーブルに置く。
ティーポットの他に高価な陶器らしいティーカップが三つ用意され、順々にカップに良い香りのするお茶を注ぐと退出した。
「良い香りのするお茶ですね。どこの葉ですか?」
カップに口をつけたラルファが尋ね、話題はお茶に移る。
そして、士爵の夫人であるゾラが応接に入室して来ると士爵の隣に腰掛ける。
挨拶を交わし、検地だけでなく鉄道を引くことについても説明が行われた。
完成の暁にはべグリッツとウィードの間を一日と掛からずに往復出来るようになるという。
しかも何十トンという荷を運んで。
士爵には鉄道が何なのかよく理解できなかったが、士爵夫人はかなり感銘を受けたようで、色々と質問をしている。
――ゾラを出して正解だったな。俺より頭も良いし……。
鉄道の話を聞いた士爵は最初は単なる馬車専用の道を作るだけなのかと思っていたが、ゾラが尋ねていることや、ラルファの返答を聞いて「納税が楽になりそうだな」と思った。
行政府や騎士団から馬車や馬を借りるにも当然料金は取られている。
鉄道も料金は取られるらしいが、それでもかなり安くなるだろうという事だ。
料金も大切だが、何よりも納税するのに今まではかなりの人手を取られていたのだが、鉄道が開通すれば掛かる人手は激減するだろうと言うのが解っただけでかなりの魅力を感じている。
「あなた。あなたは他に聞きたいことはありませんか?」
一通り質問の終わったらしいゾラが士爵に尋ねた。
「あ? ああ、ない。お前がしっかり聞いてくれたからな。だが、一つ確認しておきたいな」
士爵は夫人に微笑んで返事をすると、改めてラルファに尋ねる。
「その、テツドーを引く場所ですが、どうやって決定するのですかな?」
「ケンチの際に一緒に確認します。申し訳ありませんがハロス村の都合だけを考えて、村のどこの部分を潰すのかを決める訳ではありません。前のミード村やこの先のダモン村も関係しますので。それに、いずれは北のヘンソン村に対してもテツドーロセンを引きますので、そちらの方向にも接続する事を考えなくてなりません」
ラルファも聞かれると思っていたし、聞かれなければ自分から言うつもりだった。
ラルファは言葉を継ぐ。
「出来るだけ家を潰さないように考慮は致しますし、そうならないような案を作成して伯爵閣下にご裁可を頂くつもりですが……最終的に決定を下すのは伯爵閣下ですので絶対に家を潰さないなどとお約束は致しかねます。また、畑もある程度は確実に潰れますのでそのつもりでいて下さい」
続いて、潰した畑の分、生産量は落ちるので税は少なくなるが補償は行わないなど、細かな条件の説明についてもラルファは淀み無く行う。
尤も、これについては絶対に話さなければいけない内容をメモまで作って頭に叩き込んでいるので当然だが。
「……」
「……」
夫妻はラルファが述べた条件を黙って聞いていた。
――潰した耕作地の補償はしない、だと? 仕方がないが、しかし……。
士爵は鉄道路線の分の面積だけ耕作地が潰されるにも拘らず全く補償がされないことに憤りを覚えた。
が、それも束の間、納得する。確かに便利にはなるという予想も立っていたからだ。
伯爵の肝いりで作られるという鉄道がべグリッツとウィードを結ぶのであれば、その中間に位置するハロス村の受ける恩恵は大きい。
高速で大規模な馬車隊が毎日二回通ることになる。
馬車を操る御者や護衛の者も食事や休憩をするだろう。
また、将来的に北のヘンソン村とも鉄道が結ばれるという。
そうなれば、今以上にハロス村は交通の要となるだろう。
――隠し畑の収穫物……それをテツドーでウィードまで運べるなら買取額も多少高くなるでしょうけど……そんなことをしたら確実にバレるわね。どうしたらいいかしら……?
夫人のゾラの方はもう少し現実的な方に考えが及んでいた。
今まではやって来た馴染みの隊商に売り付けるだけで良かった。
しかし、鉄道を管理するのは伯爵が持つグリード商会だと言う。
そうなると誰がどの程度の、どんな荷物をどこから載せてどこで降ろしたか、すべての情報を掴まれる恐れがある。
これはハロス村にとって重大事だ。
――今、この人はまだそこまで気が付いてはいないみたいだけど、説明すればすぐに問題だと理解してくれる筈。今晩にでも早速……。
ゾラは隠し畑の事を思って気が気ではなくなる。
鉄道を利用する人や荷物などのチェックが行われることまで想像する事が出来るゾラという女性はオースに生まれ育った者のうちでは相当に優秀な人物だと評することが出来よう。
・・・・・・・・・
その日の晩。
「げーっぷ。はぁ~、食った食った」
ゲーヌン士爵の館にある客間のベッドに寝転がったラルファは大きなげっぷをしていた。
士爵の館で供じられた晩餐に彼女は結構な満足感を抱いたのは確かだ。
期待していた通り豚肉や鶏肉を使った料理がテーブルに並べられ、味もそこそこに良いものであった。
また、酒も上等な麦焼酎が振る舞われ、量も充分な食事には言うことはなかった。
しかし……。
「なんだってのよ、もう……」
同時に何を不満に思ってか、少しプリプリしている。
目論見通りこの日は士爵とその夫人や娘二人、引退した士爵の両親達に加えて給仕のメイド達の全員を館に釘付けにすることに成功していた。
応接間の窓からは村の中心部へと続く道を見ることが出来るのだが、ラルファが確認した限り食事の為に食堂へ移動する迄の間、誰も家から村の方へは移動していない。
従って、引退したという士爵の両親も家からは出ていない。
見掛けたのはまだ年端も行かない女の子が二人、夕方に木剣を引き摺るようにして戻ってきたのを見ただけである。
事実、士爵本人は食事の用意が出来るまでの長い間、応接間でラルファと四方山話に花を咲かせ、途中二度ほどトイレか何かの為に席を立ったのみだ。
夫人の方もほぼ同様で、席を外しても一〇分もしないで戻ってきた。
昼過ぎから夕食までこの館からは誰も外出しておらず、グィネ達はフリーハンドで情報の収集が出来ているだろうと思われる。
しかし、その結果はいいとして、問題は過程の方である。
ラルファとしてはバルドゥックで過ごした冒険譚や恐ろしい魔物の話、珍しい魔法の道具などを話して歓心を買うことでグィネ達から視線を逸らそうと思っていた。
食事を褒め、飲み物を褒め、和気藹々とした食卓になるものだと思っていた時。
士爵夫人が言ったのだ。
――あなた。今こそお話しすべきです。
言われた士爵は最初は何のことか解らなかった様子だが、夫人に耳打ちされるとすぐに青くなり、引退した士爵の父親を伴って中座したのである。
投稿を忘れて外出しておりました。申し訳ありませんm(__)m




