第五十八話 地味な仕事
7449年6月4日
初夏の良い天気の午前中。
ロンベルト王国西部へ向かうザリドール街道の途中から南部へと向かうコリドーク街道への分かれ道。
街道の分岐点には小さな村があり、水場もある。
「あそこで一休みしましょう」
騎乗している若い兎人族の女が同じく隣で騎乗した虎人族の女に声を掛けた。
濃い青色の髪が兜から伸びているが、この陽気でかいた汗で濡れているからか、幾本かが首筋に貼り付いているのが艶めかしい。
「ん、さっき小休止したばかりで少し早いけど、いいの?」
答えるタイガーマンの女は兜の脇から短めの赤茶けた髪の先が覗いている。
「ええ。次の大きな水場は結構先だから」
「分かった。皆、少し休むよ!」
タイガーマンの女が後ろを振り向いて大声を上げ、すぐに馬を止めた。
どうやら彼女らは二人で大きな馬車隊を率いているらしい。
村の水場に先客はいないようで、暫くの間はのびのびと休むことが出来そうだ。
しょっちゅう隊商が休むので水場の面積はかなり広く取られている。
全部で七台もの大型馬車を擁し、それを護衛するかのような騎馬も一〇頭以上。馬車の荷台に作られた座席に座る者や徒歩の人員も合わせると総勢で一〇〇人以上の馬車隊がすっぽり入ってもまだ大部分が空き地として広がっていた。
バニーマンの女は先頭の荷物や人員用の馬車に備え付けている水桶に手を翳すと魔法を使って水と氷で満たす。
馬車隊の者はこの桶の下部のゴム栓を抜くことで、いつでも冷たい水を補給することができるが、馬はそうは行かないため、定期的な水飲み休憩は必須である。
「家畜の様子はどう?」
バニーマンの女が馬や牛を乗せた馬車の御者に尋ねた。
御者は自分の水筒に冷たい水を汲みに来たところだった。
若い普人族の男で、あまり日に焼けてはいない生白い皮膚だが、体はしっかりと鍛えられているように見える。
「この速度程度の揺れなら大きな問題はないみたいです」
少し離れた場所に停めた、間仕切りのある荷台に載せられた牛馬の様子を見ているらしい中年の男を見上げながら御者が答える。
牛馬の様子を見ている男は家畜の持ち主で、足を傷めていないか一本一本をさすりながら丁寧に見ている。
「そう。良かった。徒歩も多いからもう少し速度を落としてもいいんだけど、八月までには着きたいからこれ以上速度を落とすのはね……。とにかく丁寧に頼むわ」
女も家畜を見上げて言う。
「はい、解りました。カロスタラン士爵夫人」
「宜しくね。リンビーにも伝えておいて」
短い会話を済ませると女は別の馬車を御していた犬人族の男と何か話し始めた。
そんな折のことである。
一人の女が自分の馬にブラシを当てていた。
金色の髪を腰に届くほど伸ばした若いヒュームの女だ。
使い込まれた革鎧に身を包み、腰には手斧を提げている。
初夏の日差しで汗をかきたくないからか、それとも単に視界が狭まるのを嫌ってのことか兜は被っていない。
一体何が不満なのか、一行の中でただ一人仏頂面をして何事かブツブツと呟いていた。
「あっれぇ~? 隊長は私よね? なのになんでベルが休憩決めてんのよ……キムまで……」
馬の首筋についていた蚤を見つけたので取ってやるとダンと音を立てながら乱暴に踏み潰す。
「ヘッグスやダニエラも何も言わないし……」
彼女が言う名前の主は、普段彼女のことを“お嬢”と慕う屈強な山人族で構成される男女の集団だ。
しかし、一週間前にバルドゥックの街を出発して以来、この件については特に口を挟んではいなかった。
彼らは揃って慣れない乗馬に必死になっていただけなのでそこまで気を回すのは難しく、そんな些細な事柄に気が付いていなかったのがその理由である。
「ちょっと一言言ってやらないと……」
女は傍で馬車を引いていた馬に水を飲ませにきていた奴隷に声を掛けて馬の手入れを押し付けるとバニーマンの女とタイガーマンの女、ドッグワーの男が話をしている方へと足を向けた。
「ねぇ!」
女の声に気が付いた三人は一斉に女を見た。
「ちょっと休憩が多過ぎじゃない? この調子じゃ……」
すると、ドッグワーの男が進み出て来て口を開く。
「この先、暫く大きな水場が無いので仕方ないんですよ。それと、隊長は細かい心配なんかしないで下さい」
バニーマンの女とタイガーマンの女も顔を見合わせるとうんうんと頷いている。
「そう? ならいいんだけど……」
そう言いながらもあまり納得した様子を見せない。
「細かい事は我々にお任せ頂いてご本人はどっしりと構えているべきだとご主人様が……。隊長が心配そうな顔をしていると皆も一体どうしたのかと不安に思ってしまいますよ」
ドッグワーの男は肩を竦めながら言った。
「ん。そっか……」
僅かにハッとしたような顔をしつつもこっくりと頷く金髪女。
「でもさぁ、休憩する時は前もって私に言ってよね」
しかし、少し首を傾げるようにして男の横から女二人に向けて言った。
「ごめんね、ラル。私もラリーもこの前往復したばっかりだったし、ラルも昔、ゼノムさんとアルさんとバルドゥックに来るときに通ったことあるって言ってたからわかってると思って……」
申し訳無さそうな声音のバニーマンの女の言葉を聞いたラルファは「え? う、うん……そういや見たことあるわ……」と慌てたように周囲を見回して言葉を詰まらせる。
「今度から気をつけるようにするよ」
タイガーマンの女もしおらしい様子で言うに及んで溜飲も下がったようだ。
「私も隊長として休憩の予定くらいはさぁ……ま、いいわ」
そう言うと踵を返した。
その様子を見た三人はなんとも言えないような表情をする。
「ありゃあ……」
「そうね……」
「完全に暇を持て余してるわね……」
「ファイアフリード様にも何か仕事を……」
「そうよ。どうする、ベル?」
「そうは言うけど、今は何も……」
「ゴブリンでも出てきてくれりゃいいんだけどねぇ……」
「この人数です。魔物なんか来やしませんよ」
諦めた顔つきにも拘らず、どこか焦燥感すら滲ませて三人は額を突き合わせる。
「仕方ないわね。もう少し人目が少なくなる所まで行ってからと言われてたけど、明日くらいからラルに任せましょう」
ベルが決定を下すとキムもラリーもやれやれと言うように頷いた。
・・・・・・・・・
7449年6月27日
「はぁ~あ。今日も何事もなし……つまんないな~」
馬車隊の先頭に位置するラルファが馬の背に揺られながら独りごちた。
「ったく……日に日に日差しも強くなっていくし……」
彼女も三週間程前から兜を被っていた。
鎧下は元々長袖だし、手袋もしているから肌が露出している部分は顔だけなので、僅かでも庇の付いている物を被り、日焼け防止を心掛けているだけの事なのだが。
「道で出会うのは行商人か隊商だけ……。それはいいとして、てれってれってれってれっ歩いてるからちっとも進みゃしないっての、全く」
手綱を口に咥え、ハンカチを取り出すと左手で兜を少し持ち上げ、右手で額や顔に浮いた汗を拭った。
ハンカチをしまい、再び手綱を握る。
代わり映えのしない、林の中の道。
前方を見ても誰も居ない。
後ろを見るとラルファ同様にしけた顔つきが並ぶ。
「これは参るわね……」
器用に右足だけを鐙から抜くと鞍の上で片胡座を組み、地図を広げた。
大体の現在地にあたりを付けると、次の休憩地点と目論む場所まではあと一kmあまり。
この速度なら三〇分近くは掛かるだろう。
徒歩で歩く奴隷の足の速さに合わせているので非常にゆっくりとしか進めないのだ。
何しろ七台の馬車のうち五台は家畜で埋まり、一台は鎧鍛冶の設備や荷物で埋まり、残りの一台も半分近くが荷物で埋まっている。
最後の一台の半分くらいは座席も残されて人も座っているが、それにしても二〇人も座れない。
ベルたちが空の荷馬車を率いてバルドゥックに戻ってきたのは四月の下旬であったが、馬車の改造などに思ったより手間取ったために出発も五月の末頃になっていた。
地図をしまい、右足も鐙に戻す。
――ああ~、馬を飛ばして先に水場に行きたいな~!
馬を走らせ、流れるように左右に消えていく木々。
風が頬に当たり、べとつく汗は一瞬にして乾く。
そんな考えがラルファの頭をよぎる。
しかし、隊長がそんな勝手をする訳にはいかない。
自分にはこの馬車隊に所属する全員を、一人も欠けることなく西ダート地方まで連れて行くという大役があるのだ。
その時。
後方から息を吐くような音が近づいてきた。
「ひっ、ひっ」
「ふっ、ふっ」
狼人族のミースとジェルが馬を降りてランニングをしている。
この馬車隊に所属する元殺戮者のメンバーは時間を決めて、数人一組で馬車隊の周囲を回るようにランニングをしている。
ラルファも毎日出発直後から二時間、ベルと一緒に走っていた。
六頭立ての馬車が七台連なり、騎馬や徒歩の者が居るので馬車隊の長さは時に二〇〇mを超える。
ウルフワーの二人はペースを緩めることなく近づいて来てラルファを追い抜き、馬車隊の反対側を戻るように走って消えて行った。
「次は、マールとリンビーとルッツだっけ」
ボソリと呟いた自分の声を聞いて、喉の渇きを感じて水筒の水を口に含む。
水筒にはベルに氷を詰めて貰っていたがもうかなり溶けてしまっていて豆のように小さくなった氷が僅かに残っているだけだ。
――あ~、暇だ~。
何か退屈を紛らわすような出来事でも起きないものか。
せめて、目先が変わるような物を見ることでも出来れば……。
ゴブリンの一匹でも見付けられないものかと周囲を見回す。
そのうちに、ラルファの目に付いたものがある。
荷運び用の馬車だ。
その馬車にはこの馬車隊で唯一見張り櫓が設えられていた。
櫓には手すりと柵が取り付けてあり、その上に立って周囲を見回わせるようになっているため、床面積はあまり大きくはないが、柵の隙間から足を出せば人一人が座れるくらいの広さはある。
その櫓の天辺は本来、周囲の地形を見回すためにグィネが立つのが普通だが、彼女のいない今は山人族のヘッグスが立って周囲に睨みを利かせている。
――今まであんまり気にしなかったけど、高いところから皆を見下ろすってのも隊長っぽくない? っつーか、よく考えたらなんであいつが偉そうに立ってんのよ!
善は急げとばかりにラルファは奴隷を呼んで馬の手綱を引かせると、櫓のある馬車まで駆けて行く。
「ちょっと、ヘッグス。そこ、あたしと代わってよ」
「え? 結構揺れますよ?」
「柵もあるし、だいじょぶだいじょぶ」
強引にヘッグスと交代して見張り櫓によじ登った。
「おお~、良い眺めじゃん!」
腹まである柵を掴んで周囲を見回し、その眺望にはしゃいでいた。
しかし、馬車が路面の凹みを通ったり石を踏んだりする度にかなり揺れる事に気がついた。
空気入りのゴムタイヤや金属製のコイルスプリングを用いたサスペンションを備えているとはいえ、揺れる時は揺れる。
――私にはお腹の高さだけど、グィネなら胸くらいまでか。
危ないのですぐに櫓の床に座り、柵の間から両足を出す格好になった。
そうすると柵はラルファの頭よりも高くなり、多少の揺れで危険を感じることもなくなった。
「ふんふんふん~♪」
つい、鼻歌なども口ずさんですっかり上機嫌になった。
その馬車の二台前では荷台の後ろ半分に座席の付いた馬車が進んでいる。
その座席に座るのは家畜の持ち主一家や鎧鍛冶の一家であり、その他は牧童頭や職人達の家族のうち、小さな子どもが座っている。
「ねぇお母さん、あれ!」
小さな男の子が母親に話しかける。
彼が指を差すのは勿論、一台後ろの馬車の見張り櫓に座るラルファだ。
「なぁに?」
母親も彼が指を差す方向を見た。
母親の目には特に不審な物は入らない。
「この前の見世物小屋を思い出すね! あの人、なんか捕まって檻に入ったゴブリンみたい」
「これ! 人を指さしちゃいけません」
「だって、両手で檻を掴んでるし、キョロキョロしてるし」
彼らの周囲でも、特に子どもたちが一斉にラルファを見て手を叩いて喜び始めた。
「あ、手ぇ振ってるよ」
「笑ってるね~」
高いところに座ったラルファは少し前ではしゃぐようにしてこっちに注目する子供達を見て一人満足感に充実していた。
・・・・・・・・・
7449年7月1日
夜も更けたコートジル城で一人作業に没頭しているのはこの城の主である。
何か細かい工作をしていたようだ。
「出来た……」
満足そうに呟く男。
鼻の穴から垂れた鼻血をタオルで拭った。
男が目の前の桶から取り出したのは厚さ一㎜も無いような銀白色に輝く大量の薄片だ。
どうも何かの金属結晶らしい。
縦横数㎜程度の円形をしており、厚みも一定であった。
男はトランスミュート・ロック・トゥ・マッドの魔術を使用して泥化した金属溶液から一定の厚みで全く同じ形状の金属片を作っていたのだ。
そのうちの一枚を摘み上げると明かりの魔道具の光の下、目を細めている。
「……ま、同じならいっか。こんだけありゃ何百回も失敗出来るし」
男はその薄片を纏めて『ゲルマニウム』と書かれた小さな箱にざざぁっと流し入れた。
「次は、銅線でも作るか……えーっと、銅鉱石、どこやったかな……」
そう呟いた男は机の前から立ち上がると部屋の隅に移動し、小さな鉱石の山を漁り始めた。
「ステータスオープン……ステータスオープン……お、これだ」
握り拳くらいの石を掴んで立ち上がるとまた机の前に座り、石を新品の桶に入れ、魔法で水を満たす。
「んじゃやるか……ふんっ!!」
真剣な目で手を添えた銅鉱石を睨みつけ始めた。
こうして夜は更けていく。
来週末から再来週末に掛けて夏休みを頂きますのでその間の更新は滞ります。




